ニッポン維新(173)09年政権交代を総括するー1

09年に歴史的な政権交代を成し遂げた民主党は、昨年末の総選挙で野党自民党に大敗し、3年3か月の政権運営に終止符を打ちました。半世紀に及ぶ自民党長期政権を転換させた事は画期的ですが、その後は目指す政治を実現できないまま政権を明け渡しました。
今を生きる日本人にとって政権交代は経験した事のない未知の領域です。政権交代を何度も経験している民主主義諸国と違い、政権交代を必要以上に恐れたり、期待しすぎる傾向があります。その恐れと期待が火花を散らし、政権交代の果実を実らせないまま一つの時代が終わったように私には思えます。野党政治家は長らく政権交代がなかったため権力の中枢に身を置いた経験がありません。政府与党を敵として批判・攻撃をしてきただけです。ところが権力の座についてみると、さらなる権力が存在している事に気づかされます。しかもその権力は空気のように姿を見せず、ある時は国民の顔をして、ある時は身内の議員の顔をして現れます。鉄砲の弾は前からではなく後ろからも横からも飛んでくるのです。どこに敵がいるのかわからずに右往左往する政治家の姿を見て、国民は大きく期待を裏切られました。
また政治に休みはありません。継続を旨とする官僚機構によって旧政権の政策は政権交代後も続きます。それを突然全面ストップして新政策に切り替えようとすれば大混乱が起こります。政権交代をする時には選挙で支持された公約を現実と調和させるように調整しながら新政策に切り替えていくのが普通です。公約の実現には時間がかかるのです。ところが国民は選挙で選んだ政策の実現をじっくり待とうとはしませんでした。
こうして壁にぶち当たった民主党政権は旧政権の政策に回帰しました。沖縄の普天間基地の辺野古移設を容認し、自民党が公約に掲げる消費増税を丸呑みにし、アメリカが要求するTPPを受け入れました。それが政権を運営するうえで最も容易な道に思えたからです。しかしそれは政権交代の意義を失わせるものでした。野党からは待ってましたとばかりに「国民をだました民主党」と攻撃され、民主党内も分裂する事になりました。政権を取ったがために民主党は自滅していったのです。
国民の選挙によって政権が交代する事は民主主義政治の基本です。しかしこの3年3か月を振り返ると、果たして政権交代によって民主主義が強化されたのか、疑問を感じざるを得ません。大衆が政治に参画したのは普通選挙法によって選挙が行われた昭和3年のことで、二大政党が政権交代を繰り返す政党政治が日本で始まりました。しかしそれは昭和7年の5・15事件で終わりを告げ、その後は軍人内閣の時代に突入します。
昭和初期に実現した政権交代の時代には、与野党が権力を得るためになりふり構わず泥仕合を繰り広げ、それをメディアが劇場型政治に仕立てあげ、国民は党利党略の政治に呆れ果てました。ついにはデモクラシーを説いた民本主義者の吉野作造までが政党を批判するようになり、国民は中立的立場の軍部に信頼を置くようになったのです。日本に民主主義が始まった頃、政治家もメディアも学者も国民も政党政治を育て上げる忍耐力を持ってはいなかった事になります。
それからほぼ80年を経て再現された政権交代もかつてと同じ光景を繰り広げました。政治家もメディアも学者も国民も目の前の政治がけしからんと言う感情だけで動いていたように思います。政権交代が国際関係や国民生活にどのような影響を持つかなどほとんど考慮されていなかった気がします。
そこで09年の政権交代とは何かを探り、それがどこからどのような抵抗に遭い、どのように崩れていったのかを私なりに総括したいと思います。それはこれからの日本政治を考える上で絶対に必要な作業だと思うからです。まず09年の政権交代をもたらしたものは何であったのかを考えるところから始めます。(続く)