ニッポン維新(176)09年政権交代を総括するー4

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日本の国家改造を促す「年次改革要望書」には前史があります。貿易摩擦が激しさを増したレーガン政権時代、1984年に設立された「日米円ドル委員会」がその先駆けです。対日貿易赤字の原因を円安ドル高のせいだと考えたアメリカは円の国際化と金融市場の開放を強く求め、その成果を監視するため「日米円ドル委員会」を作りました。
翌85年に日本が世界一の債権国に、アメリカが世界一の債務国に転落すると、「プラザ合意」によってアメリカは人為的に円高ドル安誘導を行います。さらに黒字国の日本と西ドイツに対して内需拡大と協調利下げを要求してきました。要求を受け入れた日本には資産バブルが起こり、バブルが弾けた後には「失われた時代」が訪れました。一方、西ドイツはアメリカに抵抗して利下げに応じませんでした。そして近隣諸国との関係改善に力を入れ、冷戦が終わって東西ドイツが統一されると、欧州連合(EU)というアメリカに対抗しうる経済圏の創設にこぎつけます。冷戦時代に日本と同様「反共の防波堤」であった西ドイツは、冷戦後はそれにふさわしい国家体制を構築しました。
しかし日本は冷戦後も以前のままの体制を引きずります。アメリカは朝鮮半島の分断が終わっていない事を理由に、「アジアの冷戦は終わっていない」として、アジアに10万人規模の兵力を配備し、日米安保体制は以前よりも強化されました。
経済面では「日米構造協議」が始まります。アメリカは円ドル問題を監視するだけでなく、日本の商習慣を「非関税障壁」と位置付け、日本特有の制度の撤廃を要求してきたのです。「日米構造協議」を主導したのは「日米円ドル委員会」と同じくアメリカ財務省で、自分たちと異なるルールで経済成長した日本に対し、自分たちと同じルールを強制して日本経済に勝とうとしました。
その考えが民主党のクリントン政権で「年次改革要望書」に形を変えました。それによって日本改造計画は範囲を広げ、経済分野だけでなく、司法制度や医療制度、さらには情報通信の分野まで広範囲に及ぶようになります。冷戦に勝利した事で自らの生き方に自信を持ったアメリカは、それを普遍的な「正義」と考え、世界に波及させる事を考えました。それがアメリカの言うグローバリズムです。
「年次改革要望書」はクリントン政権からブッシュ(子)政権に引き継がれ、一方の日本にもアメリカの要求を積極的に取り入れ、アメリカ型の競争社会を創ろうとする政権が現れました。01年に誕生した小泉政権は自民党内の少数派であった事から政権運営にはアメリカの後ろ盾が必要でした。小泉総理は「構造改革」の名の下に、アメリカの要求を全面的に受け入れます。
しかしアメリカは世界一の格差大国です。競争によって「勝ち組」と「負け組」に分かれ、1%の金持ちが99%の富を握ると言われる国です。しかも「福祉は悪」と教えられ、「自立」を強要されます。「一億総中流」を謳歌し、「福祉国家」を目指してきた日本とは対照的な国家です。アメリカ型競争社会に作り替えるため規制緩和が始まると国民からは悲鳴が上がりました。(続く)