ニッポン維新(179)09年政権交代を総括するー7

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09年の政権交代は小泉構造改革に対する国民の反発から始まりました。「改革」の名のもとにアメリカの「年次改革要望書」を全面的に受け入れた小泉総理は、日本を市場原理主義に基づく競争社会に転換させようとします。それを国民は05年の「郵政選挙」で圧倒的に支持しましたが、まもなく格差の広がりを実感するようになり、07年の参議院選挙では自民党を大敗させました。参議院選挙で自民党は「成長を実感に!」というスローガンを掲げましたが、それが象徴するように小泉改革による経済成長を国民は実感出来ませんでした。むしろ改革の痛みを実感していたのです。対する民主党の小沢代表は「国民の生活が第一」のスローガンを掲げ、経済成長を優先するアメリカ型市場原理主義とそれがもたらす格差からの脱却を訴えました。それは冷戦末期からアメリカが進めてきた「日本改造計画」への挑戦でもありました。
それが参議院選挙で民主党を大勝させ、衆参の「ねじれ」が生まれて、自民党政権は「何も決められない」政治に陥りました。2年以内に行われる衆議院選挙での政権交代が確実な情勢となり、窮地に立たされた自民党は民主党との「大連立」で延命を図ろうと考えます。
それを逆手に取ったのが小沢民主党代表でした。安倍総理が退陣して福田政権が誕生すると、党首会談を行って「大連立」を逆提案しました。狙いは日本の外交安全保障政策を「日米同盟基軸」から「国連中心主義」に変える事です。小沢氏は自民党の外交安全保障政策の転換を大連立の条件としたのです。つまり参議院選挙で日本経済をアメリカ型市場原理主義から脱却させるために戦った次に、「大連立」によって日本外交をアメリカ一辺倒から自立した国際協調路線に転換させようとした訳です。
この提案が衆議院で圧倒的多数を占める自民党と、参議院で圧倒的多数を占める民主党との間で合意されれば、戦後の日本は大転換を遂げる事になります。世界が変貌しつつある冷戦後にふさわしい国家体制が構築されると私は思いました。国権の最高機関である国会の衆参それぞれの第一党の合意となれば、アメリカも霞ヶ関の官僚機構も受け入れざるを得なくなります。
この小沢提案を福田総理は拒否しませんでした。外務省に実現可能性を検討させるなど真剣に取り組む姿勢を見せました。これが実現すれば政権交代以上の意味があります。なぜなら政権交代を賭けた選挙で、民主党が戦後構造を転換させるような大胆な公約を掲げれば、対する自民党はそれに反対せざるを得なくなります。日本の国論は二分され、アメリカからも霞ヶ関からもこれまでの路線を変えさせまいとする力が働きます。「大連立」に絡めて日本を構造改革する方法はまさに妙手に思えました。
しかしそうした考えを理解できる民主党議員がいませんでした。近づく総選挙での政権交代に目を奪われてみな舞い上がっていました。「大連立」を戦前の「大政翼賛会」になぞらえて「民主主義の否定」と批判する議員だらけでした。それにつられてメディアも国民も小沢氏を民主主義の破壊者であるかのように批判します。しかし世界の先進民主主義国で「大連立」は珍しい話ではありません。国家にとって必要な課題を実現するために与野党が手を組むことはよくある話です。むしろ与野党が党派性をむき出しに対立する方が民主主義にとってはマイナスです。
しかし政権交代がないまま半世紀以上も過ぎた戦後の日本では、与野党は対立するものと思い込まされています。権力の中枢に参画した一部の政治家を除いて、誰も政治の真髄を知りません。それが政権交代に対する過剰な期待と過剰な恐れを生み出すのです。小沢氏の「大連立」構想には、政権の中枢に参画した経験のない民主党議員たちを権力の内側に入れ、政治の裏表を知らしめてから政権交代を図る狙いもあったと思います。しかし未熟な人間ほど未熟さを指摘されると反発するものです。小沢氏の「大連立」構想は民主党によって否定され、選挙にすべての期待が集まりました。そしてこの時に生まれた小沢氏と民主党との溝は解消されないまま政権交代が実現するのです。(続く)