ニッポン維新(95)国民主権を阻む壁―10

中曽根康弘氏と小泉純一郎氏にはもう一つ大きな共通点があります。自民党内の強い抵抗を押し切って選挙を行い大勝した事です。二人はその勝利によって佐藤栄作、吉田茂に続く長期政権をものにしますが、しかし「殿様」と「横町のあんちゃん」のその後の身の処し方は対照的でした。

中曽根氏は「総裁任期二期2年」という自民党の党則を変えて三期目を実現しようとしました。党則を変えるためには選挙で自民党の議席を増やす必要があります。中曽根氏は議席を増やすため衆参ダブル選挙を画策しました。現職総理が長期政権を狙う事に自民党内はみな反対でした。衆参ダブル選挙は至難の業でした。

その針の穴を中曽根氏は「恐喝」と「買収」によってくぐり抜けます。最終場面では「死んだふり」という奇策でダブル選挙に持ち込みました。当時、中曽根氏の後継を狙っていたのは安倍、竹下、宮沢の三氏です。安倍、宮沢両氏の背後には福田赳夫、鈴木善幸という中曽根嫌いの元総理がおり、ダブル選挙に賛成する筈はありません。

竹下氏も前年に田中角栄氏に反逆して創政会を立ち上げたばかりで、後見人の金丸氏共々政権獲得を悠長に待つ状況にありません。残る河本派も二階堂グループも反中曽根の立場でした。全派閥が反対する中で中曽根氏がターゲットに選んだのは竹下氏です。竹下氏を陥落させれば、盟友関係にある安倍氏と金丸氏を竹下氏に説得させる事が出来ると計算したのです。

そこで竹下氏の「すねの傷」に塩がぬり込まれました。前年に騒がれながら下火になっていた「金屏風事件」が再び写真週刊誌に掲載されました。スキャンダルを「恫喝」の材料に使って揺さぶるのは政治の世界の常道です。しばらくして竹下氏がダブル選挙を認める発言を行いました。すると安倍氏も賛成に回ります。恐らく竹下氏の説得があったと思われます。二階堂氏には秘かに選挙資金が渡されたとの噂が流れました。金丸氏は最後まで態度を明らかにしませんでしたが、ぎりぎりのタイミングで賛成に回ります。しかし本音は賛成でなかった事が後に分かります。

周囲がみな賛成に回った事で宮沢氏も反対できなくなりました。こうして実現した衆参ダブル選挙で自民党は結党以来最高の300議席を獲得しました。中曽根三期目就任が確実な情勢に見えました。ところが金丸幹事長は「世代交代」を理由に辞任を表明、中曽根総理は三期目就任を言い出せなくなりました。中曽根氏には特例として1年だけの続投が認められました。

小泉氏は郵政民営化で自民党内が二分され、法案が参議院で否決されたのを受けて衆議院を解散させました。そして分裂選挙を戦う事で自民党296議席の圧勝を実現します。自民党で郵政法案に賛成しなかった議員は公認せず、公募の候補者を「刺客」として擁立したためメディアが面白おかしく「刺客選挙」を盛り上げました。それが自民党を圧勝させたのです。

しかし小泉氏は中曽根氏のように三期目を目指さず、後継に政治経験が未熟な安倍晋三氏を指名して裏から操る事を考えました。自民党と公明党で衆議院の三分の二を越す巨大与党が誕生しています。政権運営は万全で、続投も可能でしたが、小泉氏は裏にいて小沢氏が実現させた小選挙区制を中選挙区制に戻し、再び自民党一党支配の構造を作ろうと考えました。自民党一党支配が幕を開けた「55年体制」に代わる「05年体制」の創始者になろうとしたのです。

ところが安倍氏を後継にした事が誤算でした。自由に操れると思っていた安倍総理は、小泉氏が離党に追い込んだ郵政民営化反対組を復党させ、小泉氏とは異なる道を歩み始めました。安倍総理は巨大与党を背景に国会で次々に対決法案を成立させるなど強硬姿勢を強めます。これが国民の反発を買いました。しかも小泉政治によって国民生活は苦しさを増しました。07年の参議院選挙で自民党は大敗し、再び「ねじれ」が生まれます。

政権運営が厳しくなった自民党に代わって「政治は生活が第一」を掲げる小沢民主党が政治の主導権を握りました。安倍総理は臨時国会召集直後に政権を投げだし、続く福田康夫総理も1年で退陣します。「自民党をぶっ壊す!」と叫んだ小泉氏の言葉通りになる政治状況が生まれました。(続く)