ニッポン維新(101)改革のためにー1

2011年、辛卯(かのとう)の年が明けました。「辛」は草木が枯れて新しい芽が生まれようとする状態を表し、「卯」は扉を開いた形を表していると言われます。今年を創造的破壊によって新しい時代を拓く年にしたいものです。

さて菅総理大臣と谷垣自民党総裁の年頭会見には絵空事を聞かされた気がしました。二人ともこれまで私が指摘してきたわが国の政治構造を理解せず、国民に対して空証文を振りかざしただけのように見えました。

民主党政権は昨年の選挙で参議院の過半数を失い、思い通りの政策を実現することが出来なくなりました。わが国の政治構造では参議院の過半数を確保しないと与党は野党の要求を受け入れざるを得ません。政治技術の未熟な菅政権は、いまやヨレヨレの状態です。

野党第一党の自民党にしてみれば菅政権のヨレヨレを目の当たりにすれば、自分たちの要求を飲ませて民主党を譲歩させ、ヨレヨレの政権を続けさせるより、一気に解散・総選挙に追い込んで、権力を奪取しようと考えます。

従って菅総理が何を言っても自民党は協力する筈はありません。大連立を持ちかけられても「総理の座を明け渡すのが条件だ」と言うことになります。民主党政権がこの状態を脱するには公明党と組むしかないのですが、その兆候は見えません。たちあがれ日本や新党改革に協力を求めているのは公明党との協議が進んでいない証拠です。

そんな状態の中で菅総理がいかに政策課題をあげつらっても、政権意欲を示しても私には虚しく聞こえます。意欲を強調すればするほど、政権運営が上手くいっていないことの裏返しに聞こえます。一方、自民党の谷垣総裁は「解散に追い込む」と叫んでいます。しかしこれも容易に実現はしません。

自民党は1年半前に国民から愛想をつかされたことを忘れているのでしょうか。民主党の支持率が下がっても自民党の支持率が思ったほど上がらないのは、今でも国民は自民党に愛想をつかしたままだからです。国民の心に響く政策も政治姿勢も打ち出すことなく、ただ「解散」を叫んでも意味はないのです。

そして衆議院で多数を持つ民主党が簡単に解散する筈もありません。自民党の麻生政権がそうであったように、解散を任期満了まで先延ばししたいと思っている筈です。それまでは低支持率にじっと耐え、耐え切れなくなれば総理の首を替えるだけです。

また仮に自民党が解散に追い込めたとしても、そして選挙に勝利して政権を奪い返したとしても、自民党も参議院の過半数を握っていないのです。相変わらず「ねじれ」が続き、こちらも非力な状態で政権運営はすぐ行き詰まります。だから谷垣総裁がどんなに力んで「解散」を叫んでも、私には虚しく聞こえてしまうのです。

政治に休みは許されません。非力であろうがなかろうが日々の政策遂行は続けなければなりません。しかしそれだけでは「小さな政治」です。この国がどのような構造にあるかを正しく認識し、その構造を変えていく努力をしなければ、新しい政策は効果を発揮できません。大事なことは構造改革と日々の政策とが一体となった「大きな政治」を行うことです。

日本は今、人類が経験したことのない世界最先端の少子高齢化社会を迎えようとしています。誰にとっても未知の世界でどこにもモデルはありません。日本はこれまでの百年、「欧米に追いつき追い越せ」でやってきました。一時は高度経済成長を成し遂げました。しかしこれからは違います。他国の真似ではやれないのです。これまでの成功体験を引きずることなく、独自の道を切り拓いていかなければならないのです。創造的破壊が必要です。

一昨年、半世紀に及ぶ自民党政権が交代したことはそうしたことの表れです。そして一昨年の総選挙の民主党マニフェストにはわが国の構造を変える根本の要素が含まれていました。構造変化を招く政策は既得権益から集中攻撃を受けるものです。政権交代後、わが国のメディアでは民主党マニフェスト批判の大合唱になりました。

日本のメディアが既得権益で、構造変化を望まない勢力の一味であるからです。ところがそれに影響されて民主党の中からもマニフェストの見直しが叫ばれるようになりました。情けない話です。そこで今一度この国の正体をしっかりと見つめ、どこをどう変えなければならないかの考察を行う必要があります。政策はそれに沿って作らなければなりません。(続く)