11/05/26 放射能をめぐるビックリな“神学論”横行◆日刊ゲンダイ

放射能は厄介な存在です。範囲・濃度・蓄積の何れも変幻自在な代物なのです。戦争というバクテリア=細菌の時代から、テロリズムというヴィールス=病原体の世紀に突入した現在を象徴していると僕には思えます。
航空事故や列車事故は、それが如何に空前絶後な規模であったとしても、悲劇は一定の場所、一定の時間、一定の社会グループに留まります。
原発事故は異なります。社会的にも地理的にも時間的にも、更には陸上・海上、空中・地中・海中を問わず、際限なく被害が連続・拡大し続ける蓋然性が高いのです。
抗生物質で根治可能なバクテリアと同じく、国家VS国家の戦争には休戦・終戦が訪れるのに対し、テロリズムはウサマ・ビンラーディンの生死に関係なく、終わりなき闘いです。仮令(たとえ)、飢餓や貧困は解消されたとしても、次なる格差が生じてくるのです。毎年、病原体が変化して流行するインフルエンザと同じヴィールスだ、と述べる所以です。
炉心溶融した福島第一原子力発電所の周辺は、「放射能に占領された領土」と冷徹に捉えるべきです。そこに暮らしていた国民は、一定の数値へと放射能値が下がる迄、「疎開」せざるを得ないのです。
とするなら、その間、何処で暮らし、何処で働くか、生きる意欲を彼等が保ち続けられる為の「意職住」の工程表こそ、政府は具体的に示すべきです。
にも拘らず、メルトダウン以降も毎月、数千億円のキャッシュフローが保証されている東京電力という地域独占企業体を如何に存続させるかの欺瞞に満ちた工程表を取り繕うばかり。他方で住民に対しては、如何なる金額を補償するか、本末転倒な、金額の多寡が論じられるのみです。
驚く勿(なか)れ、与謝野馨氏は20日、今回の原発事故は「神様の仕業」で「原子力事業者が事故の発生原因まで責任を負うのは有り得ない論議だ」と会見で言い放ちました。森喜朗氏もビックリな“神学論”です。日本原子力発電の社員だった与謝野氏は、一体、八百万(やおよろず)の神の中の誰の仕業だと説明するのでしょう?  
本来ならば、大々的に報ずべき暴言です。にも拘らず、発言を報じたのは時事、産経、赤旗と僅か数社。今や放射能の加害国だと全世界から見做(みな)されている地震と津波の被害国ニッポンのメディアは、関東大震災後に“好戦論”を展開し、開戦へと齎(もたら)した「朝日新聞」の心智に陥っているのです。