ニッポン維新(121)民主主義という幻影―7

NHKはイギリスのBBCをお手本に作られた放送局です。国民の受信料で運営され、公共目的の放送が義務付けられています。ところがNHKが「国会中継」を放送してきたのに対し、イギリスではBBCに議会中継を認めませんでした。そこにイギリスと日本の違いがあります。

イギリス議会がテレビ中継を認めない第一の理由は、アメリカと同様に政治家がテレビを意識して国民に迎合すれば民主主義は死滅すると考えるからです。「ポピュリズム」は衆愚政治を生み、政治の質を低下させ、ひいては独裁者が誕生する危険性が増すとイギリス人は考えます。もう一つの理由はジャーナリズムに対する考え方の違いです。BBCは公共放送といえどもジャーナリズムです。従って常に政府批判を行なっています。BBCには編集権がありますから議会をどのように編集しても自由です。議会も政府もそれに介入は出来ません。であるが故にBBCの編集次第で「ポピュリズム」に陥る危険があるとイギリス議会は考えました。

これに対してNHKは政府批判をした事がありません。毎年の予算が国会の承認を必要とするからです。国会の多数を占める与党が予算を承認しなければNHKの経営は行き詰ります。政府と与党は一体ですからNHKに政府を批判する事は出来ません。NHKはBBCと違い「公平・中立」を看板にしながら、実は政治に縛られた放送局なのです。

NHKが行政官庁(総務省)から放送免許を受けるのに対して、BBCは王室から放送免許を受け、政治のチェックは10年に1度となっています。従ってBBCをお手本にNHKは作られたと書きましたが、根本の所が違います。一方は政治権力に縛られ、もう一方は政治権力から自由です。それが議会中継の考え方にも影響していたのです。

しかしブライアン・ラムの証言を聞いて、C-SPANのような従来のジャーナリズムとは異なる「もうひとつのジャーナリズム」が実現すれば、「ポピュリズム」の危険はなくなるとイギリス議会は考えました。テレビ中継を認める動きが議会の大勢になります。

ところがそうした動きにストップをかけたのは「鉄の女」サッチャー首相でした。サッチャーは「アメリカとイギリスは政治制度が違う。大統領制のアメリカで通用しても議院内閣制のイギリスには通用しない」と言って反対しました。

確かにアメリカとイギリスの民主主義には制度の違いがあります。イギリスは女王を元首とする君主制国家です。そして同時に民主主義国家です。君主は「君臨すれども統治せず」で、政治を行なうのは国民から選挙で選ばれた国会議員です。その国会議員が首相を選ぶので多数党の党首が首相に就任します。首相は内閣を組織しますが、内閣と議会の多数党とは一体です。これを議院内閣制と言います。

一方、アメリカは君主のいない共和制国家です。国家元首である大統領は直接国民から選ばれます。大統領は内閣を組織し、その内閣を監視する議会の議員はこれも国民から選ばれます。議会の多数党と大統領の所属政党が同じとは限りません。議会の多数と大統領が対立すれば政治は機能不全に陥ります。それを避けるためアメリカでは議員は政党の党議拘束に縛られない仕組みになっています。

しかしイギリスでは議会の多数党が内閣を組織しますから、選挙で掲げた多数党のマニフェストが内閣の政策となります。それを保証するため議員は党議拘束で縛られます。少数党の野党は政策の修正を要求して国民にアピールするしかありません。議会でどれだけ修正を勝ち取れるかが勝負です。従って野党は政府・与党を攻め続けます。ここに「攻める野党と守る与党」の構図が出来上がります。

サッチャーは「攻める野党の方が守る与党よりかっこ良く見える。それを国民に見せれば野党が有利になる」と言って反対しました。しかしそれでも議会の大勢はテレビ公開を認める方向に動きました。アメリカの現実がサッチャーの反対論より説得的だった訳です。

こうして1989年、ベルリンの壁が崩壊し戦後の冷戦体制が終わりを告げた時にイギリスに議会中継専門テレビ「パーラメンタリー・チャンネル」が誕生しました。しかしアメリカと違ってイギリスにはケーブルテレビが未発達でした。そこでアメリカのケーブルテレビ会社が「パーラメンタリー・チャンネル」を経営し、その素材をBBCと民放の地上波テレビ局も使えるようにしました。

地上波局は「編集」をしても構わないが、無編集で放送をする「パーラメンタリー・チャンネル」がなくなれば、議会審議のテレビ公開は中止するとイギリス議会は決めました。そのためBBCと民放は「パーラメンタリー・チャンネル」が経営を続けられるように資金面や技術面で協力する事になりました。(続く)