ニッポン維新(124)民主主義という幻影―10

一方「パーラメンタリー・チャンネル」の元祖とも言えるアメリカのC-SPANは、放送内容が次第に変化していきました。当初は議会から提供された映像(本会議のみ)を放送するだけでしたが、それだけでは放送時間が埋まりません。とはいえ新規ベンチャーのC-SPANに潤沢な番組制作費はありませんでした。そこで考えられたのがマンションの一室を簡単なスタジオにし、そこに政治家を一人ずつ呼んで、政治家に視聴者が電話で質問をする番組です。言わば日本のラジオ番組「子供電話相談室」の政治版です。視聴者からの質問と政治家の答えが番組のすべてですからスタジオセットは要りません。ブルーのカーテンをバックに政治家が座り、それと直角の位置に司会者が座り、カメラは政治家と司会者を映すだけです。司会者が質問者を紹介すると電話の声がスタジオに流れ、その質問に政治家が答えます。質問は1問限りで、次々に質問者が紹介されます。その合間に司会者はゲストの政治家に、どのような政治活動に力を入れているか、政治家になったきっかけは何かなどを聞き出して政治家の人間像を浮き彫りにします。

出演した政治家にはコーヒーカップなどの記念品を贈呈し出演料は支払いません。司会者はC-SPANの社員が交代で務めますから極めて安上がりな番組です。しかし視聴者はアメリカを動かしている政治家に日頃から抱いている疑問をぶつける事が出来るのですから貴重なチャンスです。

そしてこの番組が凄いのは質問者を全く選別しない事です。「編集をしない」というC-SPANの方針がここにも貫かれています。通常のテレビは番組を面白くするため、ディレクターがあらかじめ質問を選別して演出を施します。しかしテレビ局が面白いと思う質問が、世間の声を反映しているとは限りません。逆に現実を歪める場合が多々あります。

「視聴率を追求しない」方針のC-SPANはそうした演出を一切排除します。面白かろうがなかろうが視聴者から電話がかかった順番に政治家につないでいきます。事前の打ち合わせや演出はなしですから全くぶっつけ本番です。つまりスタジオの政治家は質問を事前に知らず、馴れ合いは出来ないのです。

それが番組に緊張感をもたらし、政治家の素顔を見せてくれる事になります。国民の質問に答えるのは政治家の仕事の基本です。従ってよどみなく答えるのが普通ですが、時には答えに窮する政治家がいます。答えをごまかす政治家もいます。質問に怒る政治家もいます。優しく教え諭す政治家もいます。そうした様々な反応が視聴者に政治家の素顔を見せてくれるのです。そしてそれが政治家と国民との壁を取り払い、政治と国民の距離を縮めていくのです。

上手く答える政治家だけが評価されるとは限りません。答えられなくとも誠実さを感じさせる政治家が評価される事もあります。またパフォーマンスを見抜かれて評価を下げる政治家もいます。政治家にとって真剣勝負の番組となりました。この番組に出てこない政治家は政治家の資格なしと見なされるようになりました。毎朝1時間放送されるこの番組「コール・イン・ショー」は、C-SPANの看板番組となりました。

湾岸戦争が起きた1991年1月、世界中のテレビがバクダットから戦争の実況中継を行ないました。その時C-SPANだけは全く戦場の映像を流しませんでした。お金がないために特派員と機材をイラクに送る事が出来なかったからかもしれません。しかしC-SPANは他のテレビとは異なる戦争報道を行ったのです。

アメリカ軍がバクダットを空襲したその日、C-SPANはスタジオに軍事関係の政治家を次々に呼んで視聴者に電話で質問をさせました。視聴者は空爆に踏み切ったアメリカ国家の真意を問いただしました。深夜になり出演する政治家がいなくなってもC-SPANは電話受け付けをやめませんでした。アメリカ中から様々な考えの国民が戦争に対する想いを語りました。電話による国民参加の大討論番組が24時間続きました。

その翌日から1週間、C-SPANは週刊誌「タイム」の編集会議を生中継しました。ベテランの編集者たちが戦場から送られてくる情報を基にどのような紙面を作るか激しく議論します。国民が見た事のないメディアの内側が初めて公開されました。「企画を考えたC-SPANも偉いが、それを受け入れた『タイム』も偉い。戦場のシーンはなくともこれは立派な戦争報道だ」。メディア批評家たちは戦争報道で名を上げたCNNよりもC-SPANを絶賛しました。

議会中継専門テレビとして始まったC-SPANは次第に議会中継だけでなく、「政治専門チャンネル」、または「民主主義チャンネル」としてアメリカに根付いていきます。(続く)