ニッポン維新(131)民主主義という幻影―17

ロッキード事件はまことに奇怪な事件です。アメリカ上院の多国籍企業小委員会で、軍需産業ロッキード社の世界規模の贈賄工作が暴露されたのが始まりでした。ロッキード社は航空機を売り込むため、秘密代理人を通して世界各国の政府高官に多額の賄賂を贈っていたと言うのです。

西ドイツの国防大臣、オランダ女王の夫、イタリア副大統領などが秘密代理人として名指しされました。日本では右翼の大物である児玉誉士夫が秘密代理人でした。ロッキード社の対日工作は対潜哨戒機P3Cと民間航空機トライスターを売り込むため、児玉誉士夫を通して総額55億円の賄賂が日本の政府高官に流れたと言われました。

児玉誉士夫は戦前からの右翼で、戦時中は軍の特務機関を組織し、中国を舞台に謀略活動を行なった人物です。そのため占領軍によって戦犯として巣鴨プリズンに収容されました。ところが釈放されると全国の右翼団体の頂点に君臨し、日本の暴力団の総元締めとも言われました。それが何故アメリカの軍儒産業の秘密代理人なのか。巨額の賄賂は児玉から誰に流れたのか。アメリカ議会の暴露に日本は衝撃を受けました。

最近になって巣鴨プリズンから釈放された児玉がアメリカのCIAに雇われ、日本の反共工作に従事していた事実が明らかにされました。しかし当時は児玉を取材する事はタブーで、誰もその正体を突き止める事は出来ません。児玉が中国から持ち帰った財宝を自民党の前身である自由党の結党資金に提供した事で政財界に隠然たる力を持っていたからです。また占領軍の情報統制は日米の闇の部分に触れる事を許しませんでした。

しかしロッキード事件がそのタブーを破りました。メディアは国民に隠されてきた戦後史の闇の部分を取材し始めました。当局から発表がある訳ではありません。すべては新聞社とテレビ局の独自取材です。毎日がスクープの連続でした。メディアによって知られざる日米人脈が次々に明るみに出てきました。日本の新聞とテレビがこれほど生き生きと輝いていた時代はありません。

ところが戦後史の発掘作業は長くは続きませんでした。事件発覚から2ヵ月後にアメリカから東京地検に事件の資料が送られてきた事で取材の様相は一変します。各社とも東京地検特捜部の取材に全力をあげるようになりました。「これ以上日本の戦後構造が暴かれると体制全体が揺らぐ」と危惧した勢力がいたのかもしれません。こうして日米の闇の構造は解明されることなく封印されました。

事件の中心人物である児玉誉士夫は事件が発覚するとすぐに入院し、そのまま死亡しましました。児玉とロッキード社の通訳を務めた人物も謎の急死を遂げます。「死人に口なし」という訳で、特捜部の捜査が事件の中核に及ぶ事はありませんでした。防衛予算、つまり国民の税金で購入されたP3Cの贈賄工作はすべて闇に消えました。児玉とアメリカとの関係が暴かれる事もありませんでした。

代わって摘発されたのが民間航空機トライスターの売り込みに絡む田中角栄前総理の収賄事件です。特捜部は商社丸紅からの5億円の政治献金をロッキード社からの賄賂と認定し、最高権力者の地位にあった人物が逮捕されました。前代未聞の逮捕に日本中が騒然となりました。

田中氏は事件の2年前に金脈問題を追及されて総理を辞任していました。そのためロッキード事件は田中金脈問題と絡めて考えられるようになり、世界的な贈収賄事件という側面が忘れ去られ、特異な政治家の「政治とカネ」の問題にすりかわっていきました。

世界では西ドイツの国防大臣も、オランダ女王の夫も、イタリア副大統領も誰も逮捕されておりません。ロッキード事件で逮捕された政治家は日本の田中角栄氏だけです。世界では他国の情報を鵜呑みにして自国の政治家を逮捕する事などしないと言うことでしょうか。しかし東京地検特捜部はアメリカまで出向いてロッキード社の幹部を取り調べ、その供述調書を証拠として収賄と断定したのでした。

そして田中角栄氏は裁判で有罪とされましたが、最高裁はロッキード社幹部の供述調書を「証拠能力なし」と判断しました。田中角栄氏が死んで2年後の話です。私がロッキード事件を奇怪な事件と言うのはこうした経緯からです。

アメリカ議会が軍需産業の腐敗を暴いた理由はどこにあったのか。暴露した時期はアメリカがベトナム戦争に敗れた直後でした。建国以来初めて戦争に敗れたアメリカはベトナム戦争に介入した過ちを正そうとしていました。共産主義との戦いを正義と信じていたアメリカが、反共イデオロギーに疑いを持ち始めた時期です。

ロッキード社の秘密代理人は、西ドイツの国防大臣も、オランダ女王の夫も、イタリアの副大統領も、そして日本の児玉誉士夫も、いずれも反共主義者でした。アメリカ議会は軍需産業と反共勢力の癒着構造を断ち切ろうとしたのではないか。それがロッキード事件に対する私の見方です。しかし日本では、この事件が「政治とカネ」の問題にすりかわり、その後の日本政治を「政治とカネ」の呪縛にかけていくのです。(続く)