ニッポン維新(134)民主主義という幻影―20

撚糸工連事件が起きた時、「ネオ・ニューリーダー」と呼ばれて将来の総理候補と目され、世間からは「クリーン」と見られていた自民党の政治家が私にこう言いました。「検察に捕まる政治家は我々の身代わりだ。検察も大物を一人捕まえれば10年は動かない。10年に一度首をすくめていれば、それからの10年は安泰だ」。

つまり検察に摘発された政治家は、他の政治家もやっている事をやっただけで、運が悪かったに過ぎない。しかし「検察は正義」という風潮の中で捜査を批判する訳にもいかない。批判すればたちまち選挙に落選し、ただの人になってしまう。検察も日本の政治を潰すところまではやらないだろうから、摘発はせいぜい10年に一度だろう。誰かが犠牲になれば、しばらくは安心して政治が出来るという訳です。

ところが事態はそのようにはなりませんでした。検察が10年振りに政治家を摘発した撚糸工連事件の2年後にリクルート事件が起きました。この事件で「リクルート」から未公開株を受け取った政治家の名前が次々とメディアで明らかにされ、その中には前述の発言をした政治家も含まれていました。

ロッキード事件の影響で大企業は政治献金を行なわなくなり、代わってベンチャー企業が政治献金の主役になったと前に書きましたが、「リクルート」はまさにベンチャー企業の雄でした。学生時代に「リクルート」の前身である「大学新聞広告社」を創業した江副浩正氏は、就職情報誌の発行を皮切りに様々な情報サービス分野に事業を拡大し、若手財界人として押しも押されぬ存在となりました。その江副氏が自民党の派閥の領袖や総理候補と目される政治家に軒並み未公開株を配っていたのです。

ただし未公開株を受け取っても、それが違法という訳ではありません。職務権限を持つ者が、未公開株の提供の見返りに行政を捻じ曲げなければ犯罪とは言えません。多数の政治家が未公開株の受け取りを公表されましたが、検察が摘発した政治家は中曽根内閣で官房長官を務めた藤波孝生衆議院議員と公明党の池田克也衆議院議員の二人だけでした。この時も検察は与野党一人ずつを起訴してバランスを取りました。

リクルート事件はロッキード事件と並び日本の政治に大きな影響を与えた節目の事件です。まず検察はこの事件から「巨悪に切り込む正義の味方」というイメージを国民に売り込む演出を行なうようになりました。家宅捜索に入るところをテレビに撮影させるようになったのです。私は検察と警察の両方を取材した経験がありますが、リクルート事件の前までは捜査機関が家宅捜索の映像を撮影させる事はありませんでした。
容疑が固まる前の段階での家宅捜査を衆人環視の中で行う事は世間に予断を与えます。裁判が始まる前から容疑者を「クロ」と思わせてしまいます。従って検察も警察も家宅捜索は取材させずにこっそり行なっていました。それが容疑者に対する人権的配慮であり、冤罪を生み出さない民主主義社会のルールだと考えられていました。

ところがリクルート事件では隊列を組んだ捜査員が威風堂々と捜索に赴く様子がテレビに映り、押収物を入れた段ボール箱がトラックに積み込まれる様子も放送されました。いかにも多数の証拠品が押さえられたように見えますが、中身のほとんどは証拠品とは関係ない物である事を検察官自身が認めています。「リクルート」の捜索では同社が発行する雑誌が目一杯詰め込まれたと言われています。

つまりリクルート事件から検察は検察に都合の良い演出を堂々と行い世論を誘導するようになりました。その頃、知り合いの警察幹部が私に「このようなやり方はナチスの宣伝相ゲッベルスが編み出した手法だ」と言いました。行政権力がメディアを使って国民を誘導すれば、権力は常に「正義」でいられます。「司法もそれに縛られる」と警察幹部は言いました。国民が「クロ」と思い込んでいる被告を無罪には出来ないからです。

こうしてゲッベルスの手法が検察の捜査に定着し、それを誰も正面から批判する事をしませんでした。ロッキード事件以来、政治家は巨悪であり、「政治とカネ」の追及が民主主義政治の最大課題だと国民が思い込むようになったからです。(続く)