ニッポン維新(138)民主主義という幻影―24

リクルート事件から4年後の1992年に東京佐川急便事件が起きました。この事件で「政界のドン」と呼ばれた金丸信自民党副総裁のヤミ献金問題が発覚します。しかしこれも謎の多い事件で、真相はいまだに闇の中ですが、この事件によって「55年体制」は崩壊し、自民党長期政権は終止符を打つ事になりました。事件は中曽根総理の「禅譲」路線から始まります。自民党傍流であった中曽根総理は退陣後いかにして自分の影響力を保持するかに腐心しました。そこで後継総理を選挙で選ぶのではなく、中曽根氏の指名で決める事にします。かつて自民党にはなかった権力継承のやり方でした。選挙をやれば最大派閥を擁する竹下氏が圧勝するのは確実です。しかし「禅譲」となれば安倍氏や宮沢氏にも目が出てきます。「安竹宮」の3人は中曽根氏に頭を下げ忠誠を競い合います。それが中曽根氏の狙いでした。

そこで奇妙な事件が起こります。四国に本部を持つ右翼団体が「竹下さんを総理にしよう」と都心を街宣車で練り歩き、交通妨害をしたのです。「ほめ殺し事件」と呼ばれました。竹下氏は中曽根総理から「右翼を抑えられないようでは総理になれない」と言われます。

困った竹下氏は金丸氏に助けを求め、金丸氏は佐藤守良衆議院議員の紹介で東京佐川急便社長の渡辺広康社長に仲介を依頼します。渡辺氏は中曽根康弘、安倍晋太郎両氏のタニマチとして知られ、広域暴力団稲川会の石井進会長とも親しい間柄でした。京都にある佐川急便本社の佐川清社長は田中角栄氏と同郷で角栄氏のスポンサーでしたから、渡辺氏はそれと張り合うように安倍、中曽根両氏との関係を深めていたのです。

石井会長の仲介で「ほめ殺し」は終わり、竹下氏が中曽根総理の後継総理に就任しました。渡辺氏は政府与党の実力者となった金丸氏とのつながりが出来ます。ところがバブル経済が崩壊すると稲川会の債務保証をしてきた東京佐川急便は返済不能となった巨額負債で倒産寸前となりました。

佐川急便本社は渡辺社長をはじめとする東京佐川急便幹部を背任容疑で告発し、東京地検特捜部は渡辺社長らを逮捕しました。その捜査の中から金丸氏への5億円のヤミ献金が発覚します。金丸氏の秘書は政治資金収支報告書の記載漏れを認め、金丸氏は略式起訴の罰金刑となりました。

この時、ヤミ献金を認めず徹底抗戦して裁判で争うべきだと主張したのが小沢一郎氏です。反対に申告漏れを認めて略式起訴に持ち込むよう進言したのが法務大臣を務めた梶山静六氏でした。この「一六戦争」で竹下派内は分裂し、それが自民党分裂のきっかけとなるのです。

一方で金丸氏の亡くなった妻の遺産を調べていた東京国税局は、所有する割引金融債に申告漏れのある事を突き止めました。93年3月、東京地検特捜部は金丸氏を脱税容疑で逮捕します。特捜部は金丸事務所から金庫を運び出す様子をメディアに撮影させ、30億円を越える現金が中に入っていたと発表します。また自宅の床下からは金の延べ棒が見つかったとも発表しました。延べ棒は北朝鮮から貰ったものだという噂が流れ、「政界のドン」はあっという間に「悪の権化」に転落しました。

しかし当時政治取材をしていた私は釈然としません。渡辺広康氏とあれほど近かった中曽根氏や安倍氏への献金が捜査対象とならず、金丸事務所の金庫に入っていた資金が金丸氏個人の金であるかのように発表されからです。おそらく安倍、中曽根、宮沢氏などの事務所にも数十億の現金はあったはずです。それは派閥を運営するのに必要な資金だからです。それが金丸氏だけ狙い撃ちにされました。

また逮捕容疑となった脱税も事業家だった亡き妻の相続問題がきっかけで、割引金融債の購入に金丸氏がどれほど関わったかは不明です。そして金丸氏は自宅の床下に金の延べ棒が隠されていた事実を知りませんでした。保釈された日に私が金丸氏に面会すると、金の延べ棒が自宅から出てきた事に本当に驚いていました。

金丸氏は公判中の1996年に病死します。そのため裁判は打ち切られ、謎だらけの事件の真相が明らかになる事はありませんでした。それから7年後の2003年、ベテランの司法記者が一冊の本を出版しました。「歪んだ正義」(情報センター出版局)という本で、東京地検特捜部の「闇」に迫ったノンフィクションです。その記者が本を書く気になったのは東京佐川急便事件の捜査のお粗末さに愕然としたからでした。(続く)