ニッポン維新(140)民主主義という幻影―26

東京佐川急便事件によって検察の「歪んだ正義」を知る事になった宮本氏は、元検察首脳から「問題の根源はロッキード事件にある。華々しい結果ばかりが持ち上げられ、捜査の疑問点などが全く議論されずに封印されてきた」と言われました。宮本氏はロッキード事件の見直しに取り掛かります。

ロッキード事件で検察が描いたストーリーは、ハワイで行なわれた日米首脳会談でニクソン大統領からトライスターの購入を要請された田中角栄氏が、ロッキード社の代理店である丸紅の檜山広社長から「請託」を受け、全日空の機種選定に影響力を及ぼし、見返りに5億円の賄賂を受け取ったというものです。ところが様々なジャーナリストの取材によって日米首脳会談でトライスター導入の要請はなかった事が明らかになっています。また検察は全日空の機種選定でロッキード社とダグラス社が激しい売込み合戦をしていた事を事件の背景としていますが、航空業界を取材していた同僚記者から全日空は当初からトライスター導入に傾いており、そもそも田中角栄氏に圧力をかけてもらう必要などなかった事を教えられます。

田中角栄氏は丸紅からの「請託」の事実を一貫して否認しました。受託収賄罪の立件に必要な「請託」の有無は取り調べ段階での檜山広丸紅社長の供述調書だけが証拠です。ところが檜山氏は裁判で自らの調書を否定し、「恫喝され、あきらめて調書に署名した」と証言していました。

また丸紅が田中角栄氏に5億円を提供したのは全日空がトライスター導入を決めてから10ヶ月も経ってからでした。丸紅が「請託」をして導入が決まったのであれば、すぐにでも謝礼をするのが常識です。さらに現金の受け渡し場所とされたのは英国大使館裏の路上など四箇所ですが、現金を渡した丸紅の伊藤宏氏と運転手の松岡克浩氏の供述調書と法廷での証言を付き合わせると、取り調べ検事の言葉に誘導されて調書が作成された事が分かります。

宮本氏は本当に丸紅から田中角栄氏に5億円が渡ったのか、それはトライスター導入に関わる賄賂だったのか、事件の構図全体に疑問を抱きます。ロッキード捜査に関係した元特捜検事に宮本氏は取材を重ねました。するとある検事から「ロッキード事件は奥が深いんだ」、「ロッキード事件を追及する事は検察に挑戦する事になる」と言われます。つまりロッキード事件を検証する事はタブーだと言うのです。

1993年、田中角栄氏が死亡してロッキード裁判は「公訴棄却」となりました。その時宮本氏は最高検幹部から「誰も田中の判決を書きたくなかった。これで最高裁もホッとしただろう」という言葉を聞きます。そして最高裁は検察がストーリーを作るための拠り所としたロッキード社幹部への「嘱託尋問調書」の証拠能力を否定する判決を下しました。日本の最高権力者を受託収賄罪で立件した証拠は事件後17年を経て否定されたのでした。

田中角栄氏の死でロッキード事件のすべては封印されました。検察の捜査手法は問題点を指摘される事もなく特捜部の中で生き続ける事になります。特捜部を「最強の捜査機関」と賞賛したメディアは、国民の代表である政治家を「巨悪」と国民に思わせ、国民を「政治とカネ」のマインドコントロールにかけていきました。

それが日本の民主主義を根底から歪めてきた事を私は再三指摘してきました。国会は国民生活に関わる議論よりスキャンダル追及に血道を上げるようになり、より良き国民生活を実現するために切磋琢磨するはずの与野党は常にスキャンダルを巡って対立しました。

先進民主主義国ではありえない政治の構図です。与野党の非難合戦の裏側で、官僚が作った法案は厳しいチェックを受けずに成立していきます。そして「政治とカネ」のマインドコントロールは政治資金規正法を厳しくし、政治家に対する献金の額を制約するようになりました。献金額の減少は政治家の活動を制約します。

政治家の武器は情報です。正確な情報を集めるために優秀なスタッフを雇い、学者や官僚、ジャーナリストの中に、そして外国にも独自の情報網を構築しなければなりません。ところがわが国の政治家は独自の情報網を構築する事が出来ず、霞が関の官僚情報に頼るしかなくなりました。

すると官僚は都合よく働いてくれる政治家に本当の情報を提供し、敵対する政治家には低レベルの情報しか提供しません。こうして与野党に情報格差が生まれます。政策論争で与野党の議論はかみ合わなくなり、野党が政府を追及する姿勢を国民に見せつけようとすれば、スキャンダル追及が最も有効な手段という事になります。こうして国会は国民生活の議論から離れていくのです。(続く)