ニッポン維新(144)民主主義という幻影―30

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ここでもう一つの疑獄事件に触れておかなければなりません。1949年に東京地検に特捜部が生まれ、出来たばかりの特捜部が1954年に初めて政界捜査に切り込んだ「造船疑獄事件」です。事件の端緒は偶発的でした。金融業者から詐欺罪で訴えられた人物が、大手の海運会社からも金を借りて焦げ付かせていた事が分かり、海運会社の幹部らが浮き貸しをした特別背任容疑で逮捕されます。

山下汽船の家宅捜索から、計画造船の利子を軽減する法案を成立させる見返りに海運業界が政界に金をばら撒いていた事を示すメモが見つかりました。敗戦によって日本の海運業は打撃を受け、海運業の復興は大きな政治課題でしたが、その裏側で海運と造船業界が政界に贈賄工作を行っていた事実が明るみに出たのです。

船の建造価格の3パーセントから5パーセントがリベートとして造船会社から海運会社に払い戻され、それが賄賂として政界にばら撒かれていました。そこで東京地検特捜部は政界捜査に乗り出します。与党自由党の政治家3人が逮捕され、さらに幹事長の佐藤栄作氏と政調会長の池田勇人氏が取り調べを受けました。

与党の幹事長が逮捕されれば時の第三次吉田内閣は崩壊します。しかし日本が独立した後の激動期にあって、混迷する政局を打開するために保守合同が模索されていました。事件が日本政治の安定を損なう恐れもありました。

1954年4月19日、佐藤栄作氏を逮捕するかどうかの検察首脳会議が開かれました。政治家を逮捕する際に必ず開かれる重要会議です。2日間にわたって行なわれた会議の結論は「逮捕」でした。佐藤藤佐検事総長が犬養健法務大臣に会議の結果を報告し、逮捕の許可を求めます。犬養大臣は即答を避け、翌日書面で回答しました。書面には「別途指示するまで暫時逮捕を延期して、任意捜査すべし、この指示は検察庁法第14条に基づくものである」と書かれてありました。法務大臣の指揮権発動です。

これで逮捕はなくなりましたが、佐藤栄作氏は造船業界から受けた5500万円の寄付を届け出なかった政治資金規正法違反の罪に問われました。しかしその容疑も裁判が結審する前に日本の国連加盟の大赦令で免訴になります。スタートしたばかりの東京地検特捜部が政治家、運輸官僚、造船・海運会社社長ら32人を起訴した「造船疑獄事件」は、こうして法務大臣の指揮権発動で尻すぼみとなりました。

「政治権力が検察に不当な圧力をかけた」と世論は反発します。犬養法務大臣は辞職し、吉田政権もその年のうちに総辞職に追い込まれました。「東京地検特捜部が初めて独自の捜査力を発揮できる画期的な事件になるはずだったのに、政治権力に屈服を余儀なくされて終息した」(野村二郎著『検察の半世紀』より)。これが造船疑獄の定説となります。国民は「検察は被害者で政界が加害者」と思い込みました。

それ以来、政治家が絡む事件が起こると「検察が永田町の圧力に潰された」とか「赤レンガ(法務省)の介入で特捜部が圧力を受けている」などの報道がしばしばメディアに流れます。それほど造船疑獄事件の指揮権発動は国民に強烈な印象を与えました。

ところが前に紹介した産経新聞のベテラン司法記者宮本雅史氏は元検察首脳から「この指揮権発動には裏があり、ナゾが多い」と言われます。その人物は「ロッキード事件が捜査手法の元凶なら、造船疑獄事件は対政界捜査の元凶だ」と言うのです。宮本記者は造船疑獄事件の真相を取材し始めました。(続く)