10/09/16 後世に遺るべき哲学と覚悟を見た

「お集まりの皆様、そして国民の皆様、小澤一郎で御座います」と語り始めた、投票直前の決意表明こそは、18世紀の政治家にして思索家のエドマンド・バークに通じる哲学と覚悟です。
「思い起こせば、私は27歳で衆議院議員に初めて立候補した際、選挙公報にこう綴りました。『このままでは日本の行く末は暗澹たるものになる。こうした弊害を無くす為、先ず官僚政治を打破し、政策決定を政治家の手に取り戻さなければならない』と。意志無き政治の行き着く先には国の滅亡しかありません」。「私は官僚無用論を言っている訳ではありません。・・・問題は政治家が、その官僚をスタッフとして使いこなし、政治家が自分の責任で政策の決定と執行の責任を負えるかどうかという事であります」。
と述べた後に、「私は40代で偶々(たまたま)、国務大臣、自民党幹事長に就任するという機会が有り、国家はどう運営されているのか、その実態を権力の中枢で悉(つぶさ)に見続けて参りました。そこで見た官僚主導の、例えば予算作りでは、各省のシェアが十年一日の如く、殆(ほとん)ど変わる事がありませんでした。官僚組織というのは、そういうものであります」と述懐します。
2つの職務を「知事」に、そして官僚を「役人」に置き換えたなら、無論、彼の心智には及びも付かぬとは言え、僕が在任6年間、日々、痛感していた葛藤です。而(しか)して、以下の一文に改めて、日本のバークたる小澤一郎を感じたのです。
「私には夢が有ります。役所が企画した、丸で金太郎飴の様な街ではなく、地域の特色に合った街作りの中で、お年寄りも小さな子供達も近所の人も、お互いが絆で結ばれて助け合う社会。青空や広い海、野山に囲まれた田園と大勢の人達が集う都市が調和を保ち、何処でも一家団欒(だんらん)の姿が見られる日本。その一方で個人個人が自らの意見を持ち、諸外国とも堂々と渡り合う自律した国家日本。そのような日本に創り直したいというのが、私の夢であります」。
フランス革命を否定した保守政治家、と日本では浅薄に「評価」され勝ちなバークは実は、人々の革命への要求を先取りするような、その結果、人々が革命など必要としなくなるような賢明な政治こそ抱くべき矜恃、と看破していました。とまれ、「記者クラブ」メディアの中で何故か産経新聞のみが全文をウェッブ掲載する決意表明は、歴史の審判に耐え得る哲学と覚悟の作品なのです。

2010/09/16