ニッポン維新(151)情報支配―1

前回まで特捜部の疑獄捜査とそれを支えてきたメディアが、どれほどこの国の民主主義を歪めてきたかについて書いてきました。情報を独占しているが故にメディアを意のままに操る特捜部は、ついに国民の代表を選ぶ選挙にまで影響力を及ぼし、国民主権と敵対するようになりました。情報を独占する権力とそれに迎合するメディアの問題を解決しないと、日本の民主主義は真っ当なものになりません。

民主主義にとって情報は極めて重要です。よく言われる事ですが、かつては力の強い者が争いに勝って政治を行ないました。政治を変えるには力で権力者を倒すしかありません。政治の変革には必ず血が流れました。しかし民主主義は国民に支持された者が政治を行なう仕組みです。力の争いではなく政策を選ぶ事で政治を変える事が出来ます。

従って国民に対する説得力が武器となります。それには世界や国内の情勢をいち早く掴み、それを分析して対応策を練り、国家が向かうべき道を指し示す必要があります。つまり情報の収集、分析、発信能力が政治にとって何よりも重要です。それが今の日本政治に十分でしょうか。とても十分とは言えないと思います。

何よりも情報を握っているのが政治家や政党ではなく、霞が関の官僚機構である事が問題です。霞が関は「日本最大のシンクタンク」と呼ばれ、外交・行政情報を独占しています。最大であるだけでなく日本で唯一のシンクタンクです。それが自民党長期政権を支えてきました。自民党は情報を霞が関に依存し、反面、社会党をはじめとする野党に霞が関の情報はほとんど渡らないのが実情でした。

与野党の情報力の差は歴然となります。当然ながらそれは政策形成力に影響します。国民が政策を選ぶ事で政治を変えるという政権交代が日本で実現しなかった理由の一つがここにあります。官僚機構の情報独占が日本の民主主義を歪めてきたと言っても過言ではありません。

そして国民に判断材料を与えるメディアも霞が関に頼って報道を続けてきました。記者クラブの大半が霞が関の官庁にあり、ニュースの7割は官庁の発表に基づくものだと言われています。新聞社やテレビ局が独自に取材したニュースはほとんどないのが実情です。情報の世界は「官高民低」であり、知らないうちに官の論理が国民の脳裏に忍び込むのです。

しかも官庁は次第に広報体制に力を入れるようになり、発表される文章も昔と違って新聞社やテレビ局がそのまま原稿に使えるほど洗練されたものになりました。そこにはもっともらしい「ウソ」がちりばめられていますが、メディアには「ウソ」を見抜く力がなく、役所が発表した内容をそのまま国民に伝えています。こうして国民は洗脳されてしまうのです。

特捜部とメディアの関係でも見たように、日本のメディアは記者クラブ制度の下で自分たちだけが官庁の情報にアクセスしようとするため、官庁と対立することをしません。そうした癒着関係が私の体験では年を追うごとに密接なものになっていきました。

一方で3・11の大震災の時には、原子力災害対策本部の議事録が作成されていなかった事や、放射能の予測装置スピーディーの情報が発表されなかった事など信じがたい事態も起きました。ところがスピーディーの情報は原発事故直後にアメリカ軍には提供されていた事が判明しています。一体この国の情報は誰のためにあるのかという問題がつき突きつけられています。

情報を支配する者が国民を支配する現代において、情報が官に独占されている状態は好ましいものではありません。何がそれを許してきたのか。官とメディアの関係、官と政治の関係を情報の面から探っていこうと思います。いくら選挙に参加しても、いくら政治を批判しても、それだけでは決して政治が良くならない事が分かると思います。

そして国民も「情報公開」や「説明責任」を声高に要求するだけでは本当に必要な情報は出てこないことを知るべきです。「情報公開」も「説明責任」もアメリカが言い出した事ですが、日本とアメリカでは言葉の使われ方が違います。日本ではここでも官に有利な意味づけになっているのです。そうした事を含めて日本人が最も疎いと思われる情報の世界にメスを入れたいと思います。(続く)