ニッポン維新(92)国民主権を阻む壁―7

33年間も「ねじれ」から解放されていたため、1989年の時点では政界の誰もが「ねじれ」の深刻さを理解出来ませんでした。しかも野党第一党の社会党は政権獲得を狙わない政党です。そのため深刻な事態には至りませんでした。

参議院選挙で自民党が過半数割れを起こしたのはリクルート事件と消費税導入に対する国民の反発です。消費税についてはそもそも社会党は反対ではありませんでした。社会党が目標とするのはヨーロッパ型の福祉国家です。そのヨーロッパでは各国とも消費税に似た付加価値税が福祉財源の中心となっています。

ところがリクルート・スキャンダルの追及に力を入れるため、社会党は消費税法案の審議をボイコットしました。やむなく自民党は消費税法案を強行採決します。社会党はその強硬姿勢に反発して反対に回りました。従って社会党の反対理由は消費税の中身ではなく、過去に中曽根総理が「大型間接税は導入しない」と選挙公約した事を取り上げ、「公約違反」だと反対したのです。

参議院選挙で参議院の多数を得たことから、社会党は「消費税廃止法案」を提出して自民党を揺さぶりました。社会党がうまくやれば自民党政権は立ち往生し、消費税は廃止されたかもしれません。しかし当時の自民党幹事長は小沢一郎氏でした。小沢氏は「消費税廃止法案」と対決するのではなく、「消費税見直し法案」を提出して野党勢力の分断を図りました。その結果、消費税は廃止されることなく現在に至っています。

しかも小沢氏は「ねじれ」状態の中で日本の自衛隊を初めて海外に派遣する「PKO法案」まで成立させました。その成果を指して「ねじれ」があっても与野党がよく話し合えば政治は動くという人がいます。しかしそれは間違いです。何よりも政権交代を目指す野党がなかった事、そして小沢一郎という希代の政略家がいた事が「ねじれ」を深刻にさせなかったのです。現在は政権交代を目指す野党があるのですから「ねじれ」は深刻です。

1993年に初めて自民党は野党に転落しました。とは言っても国民が自民党に代わる政党を選んで政権交代が行われた訳ではありません。あくまでも比較第一党は自民党でした。自民党は過半数を得ることが出来なかっただけなのです。自民党が素早く動いて野党のどこかと連立を組めば、政権は維持できました。

ところが素早く動いたのは新生党の小沢氏で、8つの党と会派をまとめあげ、またたく内に細川政権を誕生させました。この時の選挙で国民が示した民意は自民党に「ノー」ではなく、社会党に「ノー」でした。1991年のソ連崩壊によって社会主義の神話が崩れたからです。社会党は党がなくなるほどの大惨敗を喫しました。自民党が過半数を割り込んだのは選挙の結果ではなく小沢氏らが自民党を離党したためです。このように細川政権は国民主権が生み出したものではありませんが、細川政権に国民は大きな期待を寄せました。初めて国民は政治が変化する事を実感したのです。

しかしそれもつかの間、細川総理は1年も経たずに辞任します。辞任の背後に何があったのかは未だに謎ですが、スキャンダル攻撃があったのではないかと見られています。国民の政治に対する期待は急速にしぼんでいき、社会党の村山富市氏を総理に担ぐ自社さの連立政権が国民の審判を経ずに誕生しました。

政党の離合集散が相次ぎ日本の政治は混乱します。そして村山総理の辞任を受けて誕生した橋本龍太郎政権によって再び「ねじれ」のない自民党政権が復活します。しかしそれも長くは続きませんでした。98年の参議院選挙で再び自民党は参議院の過半数を失い、それ以後は連立政権の時代が続く事になるのです。(続く)