ニッポン維新(175)09年政権交代を総括するー3

アメリカは泥沼化したベトナム戦争を終わらせるために共産主義の中国と手を結びました。密使として秘密外交を行ったアメリカのキッシンジャー大統領補佐官は、中国の周恩来首相に対し、日米安保条約は日本の暴発を防ぐ「ビンのふたである」と説明し、アメリカが日本の領土に基地を置き自由に使う事は、日本を「封じ込める」戦略だと言ったのです。
またアメリカは金本位制からの離脱を表明し、1ドル360円の固定相場制を終わらせました。輸出主導型の経済成長を続けてきた日本経済はそれからの円高によって大打撃を受けます。そしてアメリカ国内では「反共主義からの脱却」が唱えられるようになりました。共産主義との戦いを正義と信じて戦場に赴いた米軍兵士が見たのは民衆の支持を失った「反共親米」政権の姿でした。「反共イデオロギー」に疑問が生まれます。アメリカは「反共」ではなく「民主主義」を旗印に掲げるようになりました。それが「反共親米」を掲げたフィリッピンのマルコス政権や韓国のチョン・ドゥファン政権をアメリカが追い落とす事につながります。長期単独政権の自民党も安泰とは言えない状況が生まれました。
特に80年代に日米貿易摩擦が激しくなり、85年に日本が世界最大の債権国にアメリカが世界最大の債務国に転落すると、アメリカの日本批判は激しくなります。その頃、アメリカ議会は二度に渡って調査団を日本に派遣し、日本の政治制度を研究し始めます。政権交代のない政治構造がなぜ続いているのか、それがアメリカに好ましい事なのかを検証し始めたのです。
さらに91年の湾岸戦争で日本を見る目が決定的になりました。湾岸戦争はその後のイラク戦争と違いアメリカの戦争ではありません。国連が武力行使を認めた国際社会対イラクの戦争です。当時の小沢一郎自民党幹事長は自衛隊派遣を主張しましたが党内から反対に遭い、代わりに日本は1兆円を超す巨額の資金を提供する事になりました。しかもその決定に国会は関与せず、国民的な議論もありませんでした。
アメリカは日本の姿勢を侮蔑の言葉を発します。「資源のない日本にとって経済の生命線は中東の石油である。その中東で戦争が起ころうとしている時に国会も開かず、国民的議論も行わず、ひたすらアメリカに資金提供を申し入れてきた日本は大国になりえない。所詮はアメリカの属国である」と。
冷戦期に「反共の防波堤」としてアメリカの庇護下にあった日本が、高度経済成長を成し遂げると、アメリカは日本経済をソ連の軍事力に代わる「脅威」として「仮想敵国」扱いするようになりましたが、「仮想敵国」どころか「属国」にすぎない事が分かると、具体的な行動に乗り出しまします。
クリントン大統領が「大蔵省、通産省、東大」を「日本の三悪」と名指しで批判し、経済成長の司令塔であった官僚機構の弱体化を図ると共に、「年次改革要望書」を日本政府に突き付け、日本に国家改造を強制するようになったのです。(続く)