ニッポン維新(180)09年政権交代を総括するー8

07年の参議院選挙で民主党が大勝し、次の総選挙での政権交代が確実な情勢となった時、私は民主党の中枢にいる政治家が必ずスキャンダル攻撃を受けると予言しました。自民党に政権交代を阻止する手段はそれしかないと思われたからです。
かつて自民党は社会党の委員長が替わる度にその身辺のスキャンダルを探りました。本人だけでなく身内も含めたスキャンダルを掴み、それを政治の取引材料にするためです。取引に応ずればスキャンダルは表面化しませんが、取引に応じないとスキャンダルはメディアにリークされ、その政治家は社会から叩かれます。従ってスキャンダルがないからと言って政治家が清廉とは限りません。逆にスキャンダルで叩かれた政治家は信念を曲げずに取引に応じなかった可能性があるのです。こうした政治の裏側を見てきた経験から、私は小沢代表が第一の攻撃目標になると見ていました。なぜなら自民党は民主党を全く恐れていませんでしたが、自由党との合併によって自民党の裏表を知り尽くす小沢氏が加入した事に脅威を抱いていたからです。政権交代は民主党の支持者を固めるだけでは実現しません。自民党に投票してきた国民を自民党から引きはがす必要があります。しかし鳩山由紀夫氏や菅直人氏が民主党のリーダーでいる限りその可能性は低いと見られていました。
総選挙直前の09年3月、不幸にも私の予言は的中し、小沢氏の公設秘書が東京地検特捜部に逮捕されました。容疑は西松建設を巡る政治資金規正法違反です。私は司法記者として東京地検特捜部を取材した経験がありますが、かつての特捜部なら事件にしない程度の容疑です。しかも突然逮捕したのですから驚きました。検察OBもみなこの「無理筋」の強制捜査に驚きました。しかし世間を驚かせるところに捜査の目的はあったのです。
特捜部の狙いは、秘書を起訴して裁判に持ち込み有罪にする事ではなく、総選挙を前に高揚する民主党議員に冷や水を浴びせ、選挙で不利になると思わせて「小沢切り」を促す事です。その狙いが見え見えなのにメディアは検察の言いなりの報道を連日繰り広げ、民主党も検察のシナリオ通りに動いていきました。
世界の民主主義国では国民の代表を選ぶ選挙を前に政治家を摘発する捜査など絶対に許されません。それを許せば警察や検察という強制力を持つ権力が政治を操る事になり、民主主義の根幹が揺らぐからです。私が担当した頃の検察には選挙前の捜査を避ける抑制が働いていました。しかし常識をかなぐり捨てて検察は動き出したのです。政権交代を過剰に恐れる勢力が検察の背後にいた事が分かります。ところが政権交代を訴える民主党はこれに対抗しませんでした。「大連立」を民主主義の否定と捉える「民主主義の無知」に加えて、民主主義の根幹を揺るがす検察の動きに抗議の声を上げなかったのです。私には民主党が何のために政権交代を訴えているのかが分からなくなりました。
公設秘書に対する強制捜査は取引のためです。小沢氏が民主党代表を辞任するなど政治の一線から身を引けば、起訴は見送るというシグナルを検察は送っていました。それに従うように民主党の中から「身を引け」という声が上がります。小沢氏に対して取引に応じるよう促したのです。すると小沢氏は民主党内の声を無視して検察との戦いを宣言しました。起訴する気がなかった検察は慌てます。過去にさかのぼってあらゆる容疑を探し始めました。一方の小沢氏は公設秘書の起訴を見届けたうえで代表を辞任し、鳩山由紀夫氏を代表に自らは選挙を仕切る幹事長に就任しました。
この国の権力構造を見てきた私には政権交代以上に重要な戦いの始まりに見えました。政権交代以上に重要な戦いとは、第一に戦後一貫して日本政治を陰で操ってきたアメリカとの戦い、第二に明治以来日本を統治してきた官僚機構との戦いです。戦後の日本政治は与野党の戦いというより、与野党が戦っているように見せながら実はアメリカと官僚機構との戦いの歴史でした。そのアメリカと霞ヶ関の双方の意向を受けて動いてきたのが特捜検察です。造船疑獄事件、ロッキード事件、佐川急便事件など戦後の疑獄史は、いずれも検察がアメリカや国内の一方の政治勢力と組むことで摘発した政治的色彩の強い事件です。その真実から国民の目をそらさせてきたのがメディアでした。しかし政権交代が現実味を帯びた事で真の権力の存在が国民の前にあぶり出されてきたのです。(続く)