ニッポン維新(107)改革のためにー7

 ナチスの宣伝相ゲッベルスはメディアを使って世論操作を行う天才でしたが、その手法を見事に取り入れたのが日本の検察です。捜査が始まる前から摘発される対象はメディアによって「悪」のイメージを作り上げられ、捜査に乗り出す検察は常に「正義の味方」になります。国民世論は検察の捜査を支持する側にまわりますから、裁判所も検察が起訴した人間に無罪の判決を出しにくくなります。

私はロッキード事件を捜査する東京地検を取材したことがありますが、当時の検察は世論を味方にすることに全力を傾け、捜査が批判されないよう細心の注意を払っていました。メディアを完全に統制下に置き、記者は決められた幹部にしか接触を許されません。それを無視して取材をすると記者クラブから排除されます。 

取材する側が密室で行われる取り調べのウラを取る術はありません。検察の発表をそのまま報道することになります。戦後間もない頃は取調室の前まで記者が押し掛けて取り調べ検事を直接取材したようですが、今では取調室に近づくことすらできません。そんなことをすればまた記者クラブから追放です。

検察官は「一体の原則」と言って個々の検事が勝手に捜査を進めることは出来ません。常に上司に判断を仰ぎながら検察庁が一体となって捜査を進めます。特に政治に関わる事件では政治的偏りがないよう配慮しなければなりません。政治家の捜査には検事総長以下最高幹部が加わり、強制捜査ともなれば必ず幹部会議の決定を必要とします。

ところが小沢一郎民主党代表の秘書が逮捕された西松建設事件では、私が知っている検察とは全く異なる捜査が行われました。西松建設が裏金を作り複数の政治家に献金をしているという報道は事前に流され、複数の自民党の政治家が疑惑を持たれていました。そこまではいつも通りの展開です。ところが逮捕されたのは小沢氏の秘書だけ。それも検察幹部会議も開かないまま執行されました。

容疑は、西松建設から受けた献金を西松建設の政治団体からの献金と偽って政治資金収支報告書に記入したというものです。私の感覚ではそれが事実でも逮捕されるほどの悪質な犯罪とは言えません。まして本人が政治団体からの献金だと認識している限り、それを起訴して有罪にすることは難しいと思われます。しかも逮捕は政権交代がかかった衆議院選挙直前でした。選挙や国会に影響を与える時期の捜査はやらないのが民主主義国家の検察で、日本の検察も勿論その事は分かっている筈です。

この異例の捜査をどう考えたら良いか。私は有罪にするのが目的ではなく、政権交代前に小沢氏を民主党代表から辞任させることが狙いの捜査だと思いました。小沢氏が辞任をすれば「けじめをつけた」として起訴は見送られるのです。案の定、メディアや野党からは「辞任すべし」の大合唱が起こり、民主党の中からも「おかしな捜査だが、いったんは引け」との声が上がりました。

ところが小沢氏は「何も不正なことはない」と「徹底抗戦」を表明しました。この対応を見て私は金丸事件を思い出しました。佐川急便から竹下派会長の金丸信氏への政治献金が問題になった時、小沢氏は裁判で徹底抗戦すべきだと主張しました。一方、法務大臣をやった梶山静六氏は略式起訴で決着する道を勧めます。金丸氏は梶山氏に従い上申書を書き罰金20万円を支払って決着させようとしました。裁判で争うとなると長期戦を覚悟しなければならないからです。

ところがその決着が国民の怒りに火をつけ、批判の矢面に立たされた検察は一転して脱税容疑で金丸氏を逮捕しました。小沢氏はその頃から長期戦を覚悟してでも検察と戦うことを考えていたことが分かります。おそらく胸中には、郷里の先輩であり庶民宰相として日本の民主主義を確立しようとした原敬氏が「金権政治家」のレッテルを貼られ、真面目な国鉄職員に刺殺されたことに対する思いがあり、「政治とカネ」の問題を決着させないと日本には民主主義が確立されないと考えている。私はそう受け止めました。

小沢氏は検察が起訴せざるを得ない状況を作り出し、起訴させることで検察と戦う道を選びました。起訴の後で代表を辞任した小沢氏は、鳩山由起夫氏を民主党代表にして衆議院選挙を戦い、初の政権交代を成し遂げました。西松建設事件は検察が政権交代を阻止する勢力であることをあぶり出しましたが、その裏をかいて政権交代を実現させた小沢氏は与党の幹事長に就任したのです。

そこから小沢氏と検察との長期戦が始まりました。西松建設事件で有罪に出来ない検察は、小沢氏の過去に遡って事件探しを始めました。これほど日本の政治を象徴する出来事はありません。つまり自民党と民主党の戦いで政権交代してもそれだけでは権力の交代が実現しないのです。

欧米の民主主義国でこうした事は起きません、欧米のように小選挙区制を導入し、二大政党を作り、選挙で政権交代しても、日本には横からの力で政治をコントロールする検察と司法がある。それを何とかしなければ民主主義は実現されないと小沢氏は考えたのだと思います。ここに本格的な戦いの幕が切って落とされました。(続く)