ニッポン維新(108)改革のためにー8

3月11日に起きた巨大地震と津波によって日本は壊滅的な打撃を受けました。太平洋戦争に次ぐ規模の被害になると思います。我々は今、戦後最大の危機に直面しているのです。

資源小国の日本は戦後エネルギーを中東の石油と原子力に依存してきました。しかし今回の地震で原子力発電所は破壊され、原発の未来は暗いものになりました。一方、中東も政情が不安定となり、日本経済の二つの生命線が脅かされています。日本は今、これまで通りの生き方を続けていくことが可能かどうかの判断を迫られています。

まさにこの危機によって政治の判断が問われる事になりました。法令を遵守し、規則に縛られる官僚的思考では危機を回避出来ません。大胆な発想と知恵でしか未曾有の事態を乗り切ることは出来ないのです。我々は3・11以前の「常識」は通用しないと考えなければなりません。

ところが日本の政治の動きには疑問符のつく事ばかりです。国家的危機になれば与野党が対立する場合でない事は自明です。一定期間を区切って協力体制を作り、与野党を問わず阪神大震災や東海村の原発事故を経験した政治家を災害対策本部に登用する必要がありました。そのためには与野党が敵対する統一地方選挙を一定期間延期しなければなりません。

ところがそうした措置はとられませんでした。統一地方選挙は被災地だけが延期の対象となり、間もなく与野党は選挙戦を戦う事になります。それなのに菅総理は自民党の谷垣総裁に副総理としての入閣を要請しました。選挙があるのに大連立など出来る筈がありません。そして菅総理が小沢氏や鳩山氏など党内の代表経験者に協力を求めたのも被災後1週間も経ってからの事でした。この総理には挙国一致で危機を乗り切る考えがないのです。

それまで震災対応で登用されたのは菅総理の「お友達」ばかりです。そして菅総理自身を含めテレビでの露出を意識しているように見えました。危機を政権延命に利用しようという姿勢です。総理が被災後すぐに現地視察を行い、また東京電力に乗り込んだパフォーマンスを見ると、危機の全体像を把握して国家の改革と再生を熟慮するリーダーでないことが分かりました。

危機になればリーダーは人を動かす役目です。自分から動くと的確な判断を誤る可能性があります。総理が原発事故の沈静化に全力を挙げるのは当然で、陣頭指揮をとる事も大事です。しかし問題はそれだけではないのです。日本の危機につけこむ外国勢力との戦いが始まっています。日本経済の中枢をさらに強化する必要もあります。それなくしては被災地復興もままならないからです。とにかく後ろにいてじっと全体像を見つめる人間がいなければ危機は乗り切れないのです。

小泉総理以来、総理は記者のぶら下がり取材に毎日応えるのが仕事になりました。「国民への説明」が大事だという理屈です。しかしそんな事をやっているリーダーは世界中一人もいません。説明は「報道官」の仕事で、リーダーにそんな暇はないのです。しかし菅総理は小泉政治の悪習を踏襲してきました。それが危機になっても続いています。日本の政治が悪習から抜けきれないうちに危機が起きたことは不幸です。

そして驚いたのは自民党の谷垣総裁と菅総理が復興のために増税を検討しているという報道です。復興には巨額の資金が必要でしょう。しかしそれを増税で賄おうとする発想が分かりません。復興を成し遂げるには何よりも日本経済の再生が必要です。今のままでは被災地のみならず経済全体が落ち込んでいきます。政治はそれを食い止めなければなりません。

そのためには国民や企業に負担を負わせるのではなく、国が借金してでも費用を捻出すべきです。国民と企業を元気にすることを優先し、経済に活力を取り戻すことが大事です。子供手当や高速道路の無料化は国民を元気にする費用です。それよりも削れる予算はあるはずです。危機だからこそ思い切った「仕分け」がやれるのです。危機は改革のチャンスなのですが、官僚の論理に洗脳された政治家が如何に多いことかと思いました。

それにしても09年の西松建設事件さえなければ、政権交代で小沢一郎氏が総理に就任していました。小沢総理ならばこの危機にどう対応したかとつくづく思います。政治の裏表を知り、官僚機構の裏側を知り尽くしてきた小沢氏なら、菅総理の対応とはまるで違った筈です。この未曾有の危機をバネに日本の構造改革に着手するシナリオが書かれていたと思います。

こうして危機が訪れてみると、「政治とカネ」の追及が本来の政治の仕事にどれほどの意味があったかと思います。しかしこれまでの日本政治は「政治とカネ」の追及に明け暮れ、政治の本筋を見失ってきました。そこを変えないとこの国の再生など不可能です。次回は前回に引き続き再びその問題に戻って改革への道筋を探ります。(続く)