ニッポン維新(122)民主主義という幻影―8

ここでなぜアメリカやイギリスがそれほど「ポピュリズム」を警戒するのかについて説明します。戦後の日本人は「戦前は天皇制軍国主義、戦後は国民主権の民主主義」と教え込まれました。戦前は「悪い時代」で戦後は「良い時代」と言う訳です。こうして日本人の心の中に民主主義は平和憲法と並ぶ「絶対的な正義」として植えつけられました。

ところが欧米では民主主義は必ずしも「絶対的な正義」ではないのです。C-SPANが自らを「民主主義を強くするテレビ」と言うように、民主主義は強くする努力を怠ると「最悪の政治制度に堕落する」と考えられます。堕落のきっかけとなるのが「大衆に媚びる政治=ポピュリズム」です。

民主主義先進国がそうした考えを持つのは歴史の教訓です。民衆が政治に参加する仕組みを作り出したのは古代ギリシアの都市国家アテネでした。一人が統治をする王制や少数のエリートが統治する貴族制に対して民主制が生まれました。それはペリクレスという優れたリーダーによって紀元前5世紀に完成されました。

30歳以上の市民から抽選で選ばれた「500人評議会」が政治を運営し、30歳以上の市民から抽選で選ばれた6000人が任期1年の陪審員を務める「民衆法廷」が司法権を握り、成人市民全員が参加できる「民会」が最高議決機関となります。

他の都市国家とは違い、アテネには貧富の差のない政治が生まれ、それによって学問や芸術が発展し、ギリシア文化が花開きました。しかしペロポネソス戦争でアテネは王制のスパルタに敗れます。戦争の最中にペリクレスが死ぬと民衆を扇動するデマゴーグが現れ、アテネの民主制は混乱に陥りました。

その頃アテネにいた哲学者ソクラテスは無知な民衆によって死刑判決を受けます。ソクラテスの弟子であるプラトンは民主制に疑問を抱きました。「民主制は貧乏人も政治に参加させるが、貧乏人は目先の欲望に捉われて理性的な判断が出来ない」とプラトンは考えます。プラトンは民主政治を批判しました。

プラトンの思想は弟子のアリストテレスに受け継がれます。アリストテレスはアレキサンダー大王の家庭教師となりますが、一人が統治をする王制、少数エリートが統治をする貴族制に対して、多数が全体のために行なう政治を共和制と呼びました。そして堕落した王制を独裁制、堕落した貴族制を寡頭制、堕落した共和制を民主制と呼んだのです。

英雄ヘラクレスがアルゴ船の乗組員から置き去りにされた伝説を引用し、アリストテレスは「民主制では平等を追求するあまり有能な人物を追放する傾向がある」と言っています。「平等」を口実に有能な人物の足を引っ張るのは戦後の日本に顕著な傾向かもしれません。ただアリストテレスは独裁制や寡頭制よりは民主制の方がましだとも言って、プラトンよりは民主制を擁護しています。

偉大な哲学者が民主制を批判したのですから、西洋の知識人は民主主義を「絶対的な正義」とは考えません。民主主義は衆愚政治と紙一重と考えられます。それがその後のヨーロッパの歴史で実証されます。

古代ギリシアに代わって地中海世界を支配した古代ローマは民主制を避け、平民の代表から構成される「民会」と終身貴族による「元老院」が合議で統治をする共和制を取り入れました。それが一人に権力を集中させず、衆愚政治も避ける仕組みと考えられました。

ところがジュリアス・シーザーが現れ、大衆から熱烈な支持を受けて終身の独裁官に就任します。ここに共和制のローマは独裁制のローマ帝国に代わりました。「大衆の人気=ポピュリズム」は帝国と独裁制を生み出したのです。

ポピュリズムが独裁を生み出す歴史はその後も続きます。「自由、平等、博愛」を掲げたフランス革命は絶対君主を打倒して共和制国家を誕生させ、近代民主主義の基礎を作りました。ところが一介の軍人であるナポレオンに大衆の人気が集まり、ナポレオンは共和国から皇帝の位を授けられます。皮肉な事に民主主義革命は独裁者を生み出したのです。第二のシーザーの誕生でした。

第一次世界大戦で敗れた帝政ドイツはドイツ共和国となり、国民主権を認め男女平等の普通選挙法を取り入れた民主的なワイマール憲法を作ります。しかし少数意見を尊重するあまり少数政党が乱立し、内閣は連立を余儀なくされ、政治は不安定な状態に陥りました。

また国民の請願権や国民投票など直接民主制を認めた事で、大衆行動に訴える政党が増え、国民の政治不満はむしろ増大します。そこにナチス台頭の余地が生まれました。ヒトラーは民主的な憲法によって生まれ、大衆の支持によって独裁権力を獲得します。ここに第三のシーザーが生まれ、世界は第二次世界大戦に追い込まれて行ったのです。

このようにポピュリズムは独裁政治を生み出す歴史を繰り返してきました。国民を政治に参加させても、国民に迎合してはならない。それが歴史の教訓として欧米人には染み付いているのです。(続く)