ニッポン維新(125)民主主義という幻影―11

C-SPANの議会中継も内容が変化しました。初めは議会から提供された本会議の映像を放送していただけでしたが、「ポピュリズム」の弊害がないと分かると、議会はC-SPANに委員会審議を撮影する許可を与えました。C-SPANは委員会も中継する事になりましたが、どの委員会を中継するかは議会からも政治家からも指図を受けません。C-SPANが独自に決めます。「議会が国民に見せるのではなく、国民が議会を監視する」のでなければ「民主主義を強くする」事は出来ないからです。

C-SPANは政治家の「馴れ合い」を防ぐため、前日の夕方まで中継する委員会を決めません。中継する委員会を決める会議はC-SPANの中で最も重要な会議と位置づけられています。C-SPANが「もう一つのジャーナリズム」である事を証明する会議だからです。

こうして委員会の中継も始まりましたが、C-SPANが中継に選んだのは議員同士が論争する委員会よりも、議員が立法のために参考人を呼んで議論する「公聴会」でした。議員同士の論争はどうしても党派色が強くなり、選挙を意識したパフォーマンスが多くなるからです。

そもそも大統領制のアメリカでは、議院内閣制のイギリスや日本と違い議会に党議拘束はありません。大統領も議員も国民から選ばれますから、議会の多数党と大統領の所属政党が異なるのが普通です。そこに党議拘束をかければ、大統領と議会との間に「ねじれ」が生じ、大統領は自らの政策を実現する事が出来なくなります。

その弊害を避けるため、議員は所属政党の政策に縛られずに、個人の判断で法案への賛否を決めます。選挙区の有権者がその判断を支持してくれれば問題はないのです。従って議員同士の論争もイギリスや日本に比べれば党派色は弱いのですが、それでも議員同士が論争すると政治的駆け引きやパフォーマンスが多くなります。

C-SPANはそうした論争よりも政策の中身が分かる「公聴会」を放送する事を選びました。例えば湾岸戦争の時、アメリカ議会は200人を超す参考人を議会に招いて「公聴会」を開きました。大統領に戦争権限を与えるかどうかを議員が決めるためです。

歴代の国防長官や国務長官、軍人、中東専門家、経済学者、ジャーナリスト、外国の政治家などが議会に呼ばれ、議員たちと戦争の可否について議論しました。その議論を踏まえて議員は戦争に踏み切るかどうかの採決に臨みました。この「公聴会」をC-SPANはすべて放送しました。

C-SPANが「公聴会」を重視するのは、「公聴会」の議論の方が政治的パフォーマンスに傾きがちな委員会の議論より国民にとって勉強になるからです。実は日本の国会でも「公聴会」は開かれており、学者や有識者が国会に呼ばれて議員と議論しているのですが、NHKはそれを放送しません。

日本では予算委員会の最初の2,3日だけが放送され、そこではなぜか予算を巡る議論よりスキャンダル追及が多く行なわれるのです。3・11の東日本大震災が起こった直後の3月23日、参議院予算委員会は「公聴会」を開きました。本来は23年度予算案について有識者の意見を聞く場でしたが、未曾有の災害が起こった直後だけに、災害からの復興について意見を聞く事になりました。

この時、「公聴会」に呼ばれた京都大学の藤井聡教授は「東日本復興5年計画」を緊急提案し、議員たちと議論を交わしました。そこで述べられた内容は5月に文芸春秋社から「列島強靭化論」というタイトルで出版されベストセラーになりました。それほど内容のある議論をわが国ではNHKを含め新聞もテレビも全く報道をしませんでした。国会中継と言えばいつもお決まりのスキャンダル追及が垂れ流されるのです。党利党略の議論を流すのが国会中継なのです。

しかしアメリカではC-SPANによって国民は「公聴会」を好んで見るようになりました。すると国民の関心はさらに政策の決定プロセス、つまり法案がどのような議論の中から生まれてきたかに移っていきました。

ワシントンDCには共和党系、民主党系、独立系など数多くのシンクタンクがあり、政策形成の競争をしています。そのシンクタンクの議論の中から法案が生まれ、それが議会に提出されて立法化されます。つまり議会は政策の最終出口ですが、国民は最終出口の議論より入り口の議論に興味を持ち始めたのです。

そこでC-SPANはシンクタンクの議論を撮影して放送するようになりました。今では議会を放送する時間よりシンクタンクの議論を放送する時間の方が長くなりました。「議会中継専門テレビ」は「政策専門チャンネル」の顔も持つようになりました。(続く)