ニッポン維新(130)民主主義という幻影―16

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政権を奪う野党のない政治は、民主主義のコストを払わずに、国家総ぐるみの経済成長を可能にしましたが、一方でこの国の政治を世界に例のないいびつなものにしました。国民が参加する選挙では政権交代が行われず、自民党内の派閥抗争で総理をすげ変える擬似的政権交代が常態化したからです。

かつての中選挙区制では定数が最大5議席だったため、自民党内には5つの派閥が生まれました。そして派閥のリーダーは将来の総理候補と認知され、お互いが権力闘争に鎬を削りました。自民党総裁選挙は、国民が参加出来ないにもかかわらず、次の総理を決める選挙として国民の一大関心事になりました。

派閥抗争が泥沼化しないように自民党は5人のリーダーを次々総理に就任させる事にします。党則で総裁任期を2年2期までと決め、短期で交代させるようにしました。欧米のリーダーが8年から10年の時間軸で自らの政策を実現するのに対し、日本のリーダーは短期で代わります。「一内閣一仕事」と言い、総理は一つの課題を成し遂げれば次の総理と交代する。そして国家の長期的ビジョンは霞が関の官僚機構が作るという構造が作られていきました。

政党の私的な選挙は法律に縛られないので買収も公然と行なわれます。しかも同じ政党内では政策論争も大した意味はありません。私的な政党の内側の選挙ですから国民が批判してもそれほど効果はありません。国民の手の届かないところで権力者が決まる。これが日本が民主主義ではなかった何よりの証拠です。

一方、政権奪取をしない野党もおかしくなりました。過半数の候補者を擁立しない社会党が獲得目標としたのは三分の一以上の議席でした。憲法改正は衆参両院の三分の二を超える賛成がなければ実現しません。つまり社会党は政権交代を目指す代わりに憲法改正をさせない議席数を目標としたのです。

そのため社会党は自他共に認める「三分の一政党」となり、自らを「護憲政党」と規定するようになるのです。政権交代はしないが憲法は守る。それが社会党の存在理由となり、「政権交代はなくとも憲法を守る事が民主主義である」という錯覚を国民に植えつけました。

政権を取らない野党は政策に責任を負う必要がありません。政権を取らなければ無責任に反対しても困る事にはならないからです。そのため「何でも反対社会党」と揶揄されるほど、社会党は自民党の政策に反対し続けました。本音では賛成でも外向けには反対の姿勢を取り、最後は自民党に押し切られた形にするのです。

ヨーロッパの福祉国家では間接税が財源の主要な柱です。物を買うと20%程度の付加価値税が取られます。その代わり国民の医療費や教育費はすべて国の負担で行ないます。「ゆりかごから墓場まで」と言われる仕組みです。社会党はヨーロッパ型福祉国家を目指していましたから基本的に間接税に反対の筈がありません。ところが国民が消費税に反対と見るや消費税反対の姿勢を打ち出しました。

その後、自民党と連立して村山政権が誕生し自らが政権を担うようになると、今度は消費税率を3%から5%に上げる法案に賛成しました。社会党はどこまで政策と真面目に向き合い、消費税導入に反対し、その後の税率アップに賛成したのかが分かりません。

その社会党が政権追及の最大のターゲットにしたのは政策ではなく「政治とカネ」の問題でした。国民に最も分かり易い攻撃材料だったからです。権力者の恥部を暴いて引き摺り下ろす事ほど大衆を喜ばせるものはありません。古代ギリシアの民主主義でも「陶片追放」と言って民衆が権力者を追放できる仕組みがあり、有能な人物が大衆から妬まれて追放される例がありました。

民主主義は大衆に支持されないと成り立ちませんが、だからと言って大衆に迎合すると判断を誤るというのが歴史の教訓です。欧米がポピュリズム政治を警戒するのはそのためですが、日本では最高権力者であった田中角栄氏がロッキード事件で逮捕されると、「政治とカネ」の追及に国中が舞い上がりました。

予算委員会は予算の審議よりも「政治とカネ」の追及に力を入れるようになりました。NHKの国会中継でそれを見ている国民に政治家はダーティというイメージが刷り込まれていきます。厳しく吟味されなければならない予算案の審議時間は減り、霞が関の官僚たちが作った予算案がそのまま成立するようになりました。「政治とカネ」の追及は、政治の力を弱める一方で官僚の力を強め、官僚機構の思う壺となりました。(続く)