ニッポン維新(136)民主主義という幻影―22

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竹下総理が議院証言法を改正して証人喚問のテレビ撮影を禁止しても、中曽根氏は証人喚問に応じようとはしませんでした。野党はそれを理由に予算審議を拒否して国会は紛糾します。3月末までに成立しなければならない予算が成立しません。竹下政権は窮地に追い込まれました。

「予算を人質に取る」という言葉がありますが、野党は常にスキャンダル追及と予算審議を絡ませ、予算審議をボイコットする口実にスキャンダルを利用しました。しかし国民生活に直結する予算と政治倫理の議論とはまったく別の問題です。本来ならば別々の委員会で議論すべき問題を同じ予算委員会で取り上げる慣習がこの国では続いてきました。理由はテレビで放送される委員会が予算委員会だけだからです。つまりスキャンダル追及の目的は真相を解明して政治倫理の確立を図るのではなく、国民にパフォーマンスを見せつけて与党に打撃を与え、野党に有利な取引をする事なのです。そのため証人喚問も予算委員会で行なわれ、予算が取引の人質になるのでした。

結局、竹下総理は予算を成立させるために自らの退陣を決意します。総理の「首」が取れれば野党も鉾を収めます。予算案はたいした議論もされずに成立しました。霞が関の官僚が作成した予算案が国会のチェックを受けずに成立するのです。そして国民はスキャンダル追及に目を奪われていると国民生活がしわ寄せを受ける事を知らないのです。

中曽根氏は与野党攻防が山場を越えた事を見届けてから、ようやく静止画放送の証人喚問に応じました。喚問では相変わらず「秘書がやった」を繰り返しますが、もはや怒りの矛先は中曽根氏に向かいませんでした。国民の目は「ポスト竹下」に注がれていました。

実はリクルート事件は日本の権力継承の仕組みを破壊しました。それまで日本政治は自民党長期政権が続き、残念ながら国民が総理を選ぶ「政権交代」は行なわれませんでした。自民党の5つの派閥のリーダーが総理候補と目され、自民党の派閥抗争によって権力者の交代が行なわれてきました。

従って自民党の派閥のリーダーは資金力と政策力を競わなければなりません。それぞれが後援者と学者、官僚、ジャーナリストを周囲に集め、総理になるための準備を行ないました。佐藤栄作政権の後には「三角大福中(三木、田中、大平、福田、中曽根)」の5人が総理候補と名指しされ、実際に全員が総理に就任します。その次には「安竹宮(安倍、竹下、宮沢)」の3人が誰もが認める総理候補でした。

「三角大福中」の最後の総理となった中曽根氏は、「戦後政治の総決算」を掲げて電電公社や国鉄の民営化に取り組みました。その後を継いで「安竹宮」のトップランナーになった竹下氏は、「シャウプ勧告以来の税制改革」を政権の課題としました。将来の少子高齢化に備え、直接税中心のアメリカ型税制から、間接税を取り入れたヨーロッパ型の税制にしようとしたのです。それが消費税の導入でした。

ところが消費税の議論が始まった矢先にリクルート事件が起き、野党の審議拒否によって消費税法案は強行採決せざるを得なくなりました。その頃、自民党最大派閥を擁する竹下総理は、自分の後には安倍晋太郎氏を、その次に藤波孝生氏を総理にしようと考えていました。それは自民党内で暗黙の了解となっていきました。

藤波政権を作るために竹下派の羽田孜氏、安倍派の森喜郎氏、宮沢派の加藤紘一氏らが協力し、学者や官僚を集めて政策課題を作る勉強会が作られました。「税制改革」をやった竹下政権の次の安倍政権は「政治改革」を、その次の藤波政権は「地方分権」をやり遂げる事が課題とされました。明治政府の「廃藩置県」で始まった中央集権体制を作り変え、地方自治体に大幅に権限を委譲しようとしたのです。

藤波勉強会が始まった丁度その時にリクルート事件は起きました。藤波孝生氏は永田町でも飛びぬけて誠実な人物でしたが、リクルート事件によって「汚れた政治家」となり、総理になる目も消えました。さらに竹下総理の次が約束されていた安倍氏が病に倒れ、自民党には総理になる準備をした人物がいなくなりました。

竹下氏は安倍氏がやるはずだった「政治改革」を前倒しし、自民党内に「政治改革推進本部」を作って、宮沢派の重鎮伊東正義氏を本部長に、後藤田正晴氏を本部長代理に指名しました。そして竹下氏は伊東正義氏を後継総理に望みましたが、本人が固辞したため、総理には誰もが予想しない中曽根派の宇野宗佑氏が就任する事になりました。

何の準備もない総理の誕生がこの時から始まります。権力者を育成する仕組みはなくなり、厳しく鍛えられる事のない政治家が総理に就任するケースが続く事になりました。「政治とカネ」の追及は日本政治を漂流させる事になるのです。(続く)