ニッポン維新(139)民主主義という幻影―25

「歪んだ正義」を書いたのは産経新聞の宮本雅史記者です。宮本氏は18年間検察の捜査を取材し続けてきた人物ですが、はじめは「検察=正義」という見方に凝り固まっていたと言います。ところが長く取材するうち検察の捜査に疑問を抱くようになりました。その疑問が一気に噴き出したのが東京佐川急便事件でした。

宮本氏によれば、検察が金丸氏の献金問題を立件するためには、右翼団体による「ほめ殺し」の真相、東京佐川急便が捻出した裏金の行方、金丸氏が受け取った5億円の使い道を解明しなければなりません。ところが「ほめ殺し」の真相はいまだに謎のままです。また東京佐川急便が捻出した裏金は20億円近いとされますが、金丸氏に渡った5億円以外は全く解明されませんでした。さらに献金は選挙費用として派閥の議員60人に分配されたと言われましたが、それも特定されないまま検察は捜査を打ち切りました。検察は何も解明していませんが、しかし「金丸=巨悪」のイメージを国民に植え付けました。

宮本氏は検察OBや検察首脳に疑問をぶつけました。すると「政界のドン」を追いつめた検察とは全く逆の構図が浮かび上がってきました。検察の捜査で分かった事は、東京佐川急便から金丸氏への献金は「金丸個人」ではなく「政治団体」への献金で、参議院選挙用の陣中見舞いでした。そこに違法性があったとしても時効で立件は不可能でした。金丸氏を起訴して裁判に持ち込めば検察は敗北し、ずさんな捜査の実態が明るみに出る事が自明でした。

そこで検察は取引を持ち掛けます。略式起訴の罰金刑で終らせる事を条件に、献金先を「政治団体」ではなく「金丸個人」に、献金の時期を時効にかからないよう変更を要求しました。検察は捜査で得られた供述調書を差し替える必要に迫られていたのです。献金先が「政治団体」であれば処罰の対象は秘書止まりで金丸氏は処罰されません。「最初に政治家ありき」でメディアに「金丸=巨悪」のイメージを報道させた検察は窮地に立たされていたのです。要求を飲まなければ竹下派の政治家事務所を家宅捜索すると「脅し」ました。

金丸氏が要求を受け入れた事で検察は窮地を脱しました。宮本氏の取材に対して検察首脳は「もし小沢一郎氏の主張を取り入れて金丸氏が検察と争う事になっていたら検察は打撃を受けた」と答えています。それほど危うい捜査を特捜部は行なっていたのでした。そして特捜部は捜査経過を上層部に報告せずにマスコミを利用する手法を採っていたと検察首脳は明かします。

マスコミを操作して世論を作り、国民に金丸氏を悪玉と思い込ませ、それが盛り上がった段階で、はじめて検察首脳に報告するやり方を採っていたと言うのです。その一方で検察は金丸氏を事情聴取もせずに略式起訴の罰金刑で処理しました。検察のマスコミ操作で作り出された国民の怒りは検察に向かいました。検察庁の建物にペンキが投げつけられ、検察の威信は地に堕ちました。

失墜した威信を回復するため検察はどうしても金丸氏を逮捕する必要に迫られました。総力を挙げた捜査の結果、無記名の割引金融債を購入していた事実が分かり、東京地検特捜部は金丸氏を所得税法違反で逮捕します。「政界のドン」の逮捕は大きな反響を呼び、検察は東京佐川急便事件の醜態を晒されずに済みました。しかし宮本氏は匿名性のある割引債を金丸氏が購入していた事実をなぜ検察が知りえたのかに疑問を持ちます。元検事から背後に永田町の権力闘争があった事を示唆されます。検察は金丸氏を倒そうとする政治勢力に利用されたと言うのです。

まともな取材をする記者に「出入り禁止」の脅しをかけ、メディアを自在に操れるようになった検察は、まともな捜査をやる必要がなくなりました。「最初に政治家ありき」で事件のストーリーを作り上げ、ストーリーに合った供述だけを取り上げて調書を作成すれば、「巨悪」に立ち向かう「検察=正義」の構図が出来上がります。世論が高まれば裁判所も事件の構図を覆す事が出来なくなります。こうして「政治家は巨悪」のイメージが作り出され、国民は歪んだ正義を正義だと思い込まされてきたのです。

東京佐川急便事件の後、地方の首長が摘発されたゼネコン汚職事件、村上正邦参議院議員が摘発されたKSD事件、そして鈴木宗男氏が摘発された事件などいずれも同じ捜査手法が採られていると宮本氏は指摘します。なぜ検察は歪んだ組織になったのか。宮本氏の疑問に元検察首脳がこう答えました。「検察の堕落の原因はロッキード事件にある」。宮本氏はロッキード事件の再検証に乗り出しました。(続く)