ニッポン維新(142)民主主義という幻影―28

日本経済は1980年代にピークを迎えました。85年には日本が世界最大の債権国に上り詰め、アメリカが世界一の債務国に転落します。アメリカにとって屈辱的な出来事でした。93年に就任したクリントン大統領はアメリカ経済の再生を政策の柱とし、「日本に追いつき追い越せ」を政権の目標にしました。

クリントン政権は学者、経営者、労組代表、官僚らを集めて日本の経済構造を徹底的に分析します。アメリカ議会の上下両院合同経済委員会も長期にわたる公聴会を開いて、『日本の経済的挑戦』と題する分厚い報告書を作成しました。90年代前半のアメリカは日本をソ連に代わる「仮想敵国」と見ていました。

徹底分析の結果、「日本は異質な国で、アメリカが理解できる相手ではない。日本と交渉しても意味はないので数値目標を作りそれを実現させるしかない」との結論に達します。日本にはアメリカの要求を無理矢理飲ませるしかないと言うわけです。日米関係に深刻な亀裂が生まれ、「日米戦争が再び始まる」と言われました。その時、クリントン大統領が名指しで非難したのが日本の「大蔵省、通産省、東大」です。大統領はこれを「日本の三悪」と呼びました。

戦後の日本経済を主導してきたのは大蔵省と通産省で、そこに人材を供給してきた東京大学は「アメリカの敵」と言うわけです。そして「三悪」を潰せば日本経済は弱体化し、アメリカが優位に立てると大統領は示唆したのです。「政官財の癒着構造」というフレーズがアメリカから発信され、官僚の言いなりだった日本のメディアも官僚批判を始めました。そこに「ノーパンしゃぶしゃぶ」のリークと大蔵官僚の逮捕があったのです。

日本に律令制が導入されてから現代に至るまで日本経済の中心に位置付けられていた大蔵省はこの事件を契機になくなりました。同時に戦後の輸出主導型経済を支えてきた通産省も輝きを失い、日本経済は「失われた時代」を迎えました。こうして「仮想敵国」日本はアメリカにとって脅威でなくなり、90年代後半の日本は「バッシング」から「パッシング(無視)」される国に変わりました。

もし検察がアメリカの意向に沿って捜査を行なったとしたら恐ろしい話です。しかし中国との国交回復を成し遂げた田中角栄元総理がロッキード事件で逮捕された事を思うと、私にはそうした疑念を拭い去る事が出来ません。アメリカの対日外交の基本は日本がアメリカの意向を無視して周辺諸国と手を結ぶ事を許さないからです。ソ連と平和条約を結ぼうとした鳩山一郎氏や北朝鮮と国交を樹立しようとした小泉純一郎氏はアメリカの逆鱗に触れて目的を達することができませんでした。田中角栄氏だけが日中国交回復を成し遂げ、しかしその後刑事被告人に転落したのです。

日本の検察がアメリカのCIAと交流し、検事がアメリカに留学する制度がある事は知られています。官僚が外国留学や国際交流を重ねる事を批判する気はありませんが、大蔵省の若手官僚を強引に逮捕したこの接待汚職事件に、私はアメリカの影を感じてしまうのです。だとすれば日本の捜査機関は国民主権の下にあるのではなく、外国の権力の下にある事になり、日本は民主主義国家でない事になります。

石塚氏がこの本の原稿を書き終えた時、小沢一郎民主党代表の公設第一秘書が突然逮捕される西松建設事件が起きました。石塚氏は「あとがき」に「驚きと違和感を禁じえない捜査だ」と書いています。そして「特捜部はまたも振り上げた拳を下ろすため、さらなる捜査という重荷を背負い込んだように見えてならない」と続けています。ベテラン司法記者の見立てどおり、検察は西松建設事件だけでは有罪を勝ち取れないと思ったのか、陸山会事件に捜査を拡大させていきました。(続く)