ニッポン維新(146)民主主義という幻影―32

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造船疑獄事件の「闇」の部分を松本清張氏が『日本の黒い霧』で描いています。事件の背後にはアメリカのCIAがおり、CIAは緒方竹虎副総理を吉田総理の後継に据えようとしていました。

緒方竹虎氏は戦前に朝日新聞主筆を経て小磯内閣の情報局総裁となり、戦後はA級戦犯容疑で公職追放されますが、1952年に政界入りし、当選1回ながら吉田内閣の副総理に就任していました。内閣情報調査室の設立に尽力した緒方氏は、それとは別にアメリカのCIAに匹敵する強力な情報機関を作る構想を抱いていました。その構想は外務省の抵抗で実現しませんでしたが、CIAは緒方氏の動きを高く評価し、吉田政権に見切りをつけて緒方氏を後継にしようとしたのです。

緒方氏は世間から「清廉な政治家」と見られてきました。ところが造船疑獄の捜査が拡大すると自身に及ぶ恐れがあったと松本清張氏は指摘しています。そのため緒方氏には捜査の拡大を阻止する一方、吉田政権が打撃を受けて退陣に追い込まれる状況を作る必要がありました。そこに検察から検察庁法14条の存在を耳打ちされ、緒方氏は指揮権発動に抵抗する犬養法務大臣を説得したのです。

また事件の発端となった「計画造船」も、アメリカ統合参謀本部のシナリオによるものだと松本清張氏は指摘しています。当時は冷戦で米ソの緊張が高まっていました。アメリカはソ連の潜水艦の能力を想定し、わずかな改造で戦時輸送船に切り替わる船を日本に作らせようとしました。それが「計画造船」だったと言うのです。

海運業の復興は表向きの理由で、アメリカの軍事上の要請から日本政府は造船に力を入れ、そこに国民の税金が投入されました。それによって潤った業界から与党に資金が流れ、それが偶然発覚し、特捜部にとって初めての政界捜査となったのです。

1948年の昭電疑獄は、アメリカ占領下の日本で、GHQ内部の権力闘争から計画的に事件が仕組まれ、GHQ内の民主化路線派が一掃されて事件は終りました。しかしその余波で芦田政権は総辞職に追い込まれ、芦田氏が無罪を勝ち取るまで10年もの歳月が流れました。

一方で1954年の造船疑獄は、独立後の日本がアメリカの軍事シナリオによって「計画造船」を行ない、業界から与党に金が流れますが、偶然それが発覚すると「見えない力」で強引に幕引きされました。私はこの二つの事件に戦後の疑獄捜査の原型を見る思いがします。

1975年、反共国家アメリカはベトナム戦争に敗れ、反共イデオロギーを見直す必要に迫られました。翌76年、アメリカ議会はアメリカの軍需産業と世界の反共主義者との癒着関係を暴露します。それがロッキード事件として世界的なスキャンダルとなりました。ロッキード社の日本での秘密代理人は反共主義者児玉誉士夫でした。そして疑惑の中心は対潜哨戒機P3Cの導入を巡る児玉と政界との関係でした。

造船疑獄の背景にはソ連の潜水艦に対抗するための「計画造船」がありましたが、ロッキード事件はソ連の潜水艦を探索するP3Cの導入が背景でした。造船疑獄では日本の業界から与党に金が流れたのに対し、ロッキード事件はアメリカ企業から秘密代理人児玉を経由して与党政治家に金が流れたと見られました。

ところが東京地検特捜部はP3C疑惑の捜査に全く手をつけませんでした。児玉誉士夫とその通訳である福田太郎が、突然入院したり急死したためです。代わりに全日空のトライスター導入を巡って田中角栄前総理が逮捕されました。国民は前総理の逮捕に驚き、事件の本筋を見失いました。

民間会社が自前の資金で航空機を買う話と、政府が国民の税金で航空機を買う話とでは問題の本質が違います。民主主義社会が厳しく監視しなければならないのは国民の税金の使い道です。しかし特捜部は早々にP3C疑惑に幕をおろし、一方で逮捕された田中角栄氏は、逮捕から17年を経て死亡した後に、収賄の証拠とされた「嘱託尋問調書」の証拠能力が最高裁によって否定されました。

田中逮捕の頃、政界では「三木内閣による逆指揮権発動」との声があがりました。造船疑獄で吉田内閣が佐藤栄作氏を逮捕させないよう圧力をかけたのとは逆に、三木内閣は自らの政敵を逮捕させるよう検察に圧力をかけたと言うのです。私にはロッキード事件と昭電疑獄や造船疑獄が相似形に見えています。元検察首脳は「造船疑獄が特捜部の対政界捜査の元凶である」と宮本氏に語りましたが、その構図は今日に至るまで続いてきたと私は思います。(続く)