ニッポン維新(152)情報支配―2

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昨年の「3・11」は日本の統治機構が抱える脆弱性をまざまざと見せつけました。地震と津波に襲われた福島第一原子力発電所に深刻な事故が起きた時、現場の情報を政府は的確に把握する事が出来ず、国民のパニックを恐れて情報を小出しにする一方で、指令塔となるべき官邸に大局を見るための情報は届けられず、最高責任者はいたずらに騒ぎ立てるだけだった事が明らかになっています。

国民のパニックを恐れて情報を小出しにするやり方には、国民を愚民として低く見る官僚特有の意識が染み付いています。私は頻繁に繰り返された枝野官房長官の記者会見に官僚的体質に取り込まれた政治家の姿を見る思いがしました。しかも放射能予測装置スピーディーの情報が国民の伝えられる事はなく、避難民は放射能が向かう方向に避難させられていたのです。

当初私はパニックを起こさせないために官邸の判断で情報を隠蔽したのかと思いました。それなら隠蔽の責任は政治家にあります。ところが総理にも官房長官にも情報は伝えられていないと言うのです。結局、官僚は官邸に伝えたと言い、官邸は知らなかったという、誰も責任を問われない訳の分からない話になりました。

意図的かどうかは別に結果として隠蔽された情報は、しかし外国には流れていました。文部科学省は事故直後にアメリカ軍にスピーディーの情報を提供した事を国会の事故調査委員会で認め、また外国のインターネットサイトにはスピーディーの予測画面が流れていました。しかし日本国民にとって必要な情報が日本国内に流れる事はなかったのです。

さらに驚いたのは官邸で開かれた原子力災害対策本部の議事録が作成されていなかった事です。今年1月22日の夜のNHKニュースがその事実を報じました。民主主義国家では考えられない話です。私は翌日の朝刊各紙がどう報道するかに注目しました。ところがどの新聞もその事実を報道しなかったのです。これには議事録が作成されていない以上に驚きました。一体新聞は何のために存在しているのか。恐ろしくなるような話でした。

私は議事録を公表すると政府に都合の悪い事があり、そのため議事録をない事にしようとしたのではないかと疑いました。これも官僚が良く使う手法で、メモを作っても外向けにはない事にするのです。会議に出席した官僚は必ずメモを作りますが、それは自分の役所のために作るので外に対してはない事にするのです。

しかし原子力災害対策本部の議論は国家の命運にかかわる重大な議論です。官僚が役所のためにメモを作成するのとは違うレベルの話です。きちんと議事録を作成すべきですが、公表すると国家にとって極めて不都合な事が起こるので議事録はない事にしたのかと思っていました。ところが本当に作成していなかったようなのです。

一方、国会では2009年の7月に福田康夫政権の下で公文書管理法が成立し、2011年の4月から施行される事になっていました。この法律は行政機関に行政文書の作成を義務付け、それを国民に公開して民主的な行政を推進しようというものです。「ねじれ国会」でしたから、自民党と民主党が協議の上で法案を成立させていました。にも関わらず重要会議の議事録が作成されていなかったのです。

重要な政府の会議は録音すべきではないかという素朴な疑問が生まれます。これに対して岡田克也副総理は否定的な考えを述べました。それをやれば重要な議論は公式の会議ではない場所でなされてしまうと言うのです。しかしそうであっても公式の会議は録音すべきだと私は思います。その記録があれば、タテマエの議論と現実に実行された事との乖離から、議事録のない非公式協議の内容を読み解く事もできます。

いずれにしても検察や警察に対して「取り調べの可視化」が言われている時に、行政府の会議が記録されない事など許されるはずはありません。民主党政権は外交文書の公開に積極的な姿勢を見せていましたが、根本のところでは自民党時代と変わりない事が分かります。しかし日本では何故これほど情報を隠蔽する体質が強固なのか。それを解明する必要があります。過去に遡り「情報支配」の実態を探ります。(続く)