ニッポン維新(163)情報支配―13

私は取材記者として検察庁、警察庁、警視庁、労働省、官邸、自民党、外務省、郵政省などの記者クラブに所属しました。また一時期はアメリカ連邦議会の記者クラブにも所属した経験があります。

日本と外国の記者クラブの大きな違いは、所属する主体が個人か組織かという問題です。外国では取材活動の実績が認められれば個人でも所属できますが、日本では日本新聞協会に加盟する新聞社、通信社、テレビ局が所属し、そこから社員が記者クラブに派遣されます。そのためフリーランスや雑誌記者、外国人特派員などは記者クラブから排除される事になり、長らく問題となってきました。しかし2009年の政権交代以降は、民主党の意向もあって主要な記者クラブにはフリーランスや外国人記者の加盟が認められるようになりました。

それでは記者クラブの問題は解消されたのでしょうか。全く解消されてはおりません。問題はそれほど単純ではないのです。官僚機構とメディアが作り出す「ムラ」の関係は変わらずに続いています。その関係の奥深さを知ってもらうために私の個人的な経験をいくつか紹介します。

私は放送記者として記者クラブで仕事をする前に、4年間ほど報道ドキュメンタリー番組のディレクターを務めました。ディレクタ-の仕事は、社会事象の中から取り上げるテーマを決め、その問題についてまず一人で取材を始めます。資料を漁り、関係者の話を聞き、現場を訪れて問題の構造を捉えます。それから視聴者に問題を理解してもらうためにどのような番組作りが良いかを考えて企画書を書き上げます。

企画書が会社の承認を受ければ、いよいよ取材班を編成して本格的な取材に入ります。すると事前に新聞や書物で得ていた知識と現実とが違う事に気づかされます。現実を探っていくと新聞や書物に書かれていた事とは違う本音があるのです。取材をするたびに、人間社会の裏表には複雑な絡み合いがある事を見せつけられました。物事は一方からだけ見ると判断を誤るとつくづく思いました。

そうした経験を経てから記者クラブに所属した私に記者クラブの取材は全く異なるものでした。特に私の場合はロッキード事件を捜査する検察庁の記者クラブが最初の経験だったため違和感は尚更でした。様々な記者クラブを経験した後に振り返ってみても、検察を担当する司法記者クラブは、記者が自らの手を縛り、権力の言うがままになる異様な記者クラブでした。

赴任した直後に先輩記者が取材のルールをいろいろ教えてくれましたが、そのほとんどは「自由に取材をすると記者クラブから制裁される」という話でした。取材を許される対象は幹部だけで、現場で捜査する検事に接触すると逆鱗に触れるとか、取調室のあるフロアーに立ち入ってはいけないとか、記者クラブが厳しい自主規制を設けて勝手な取材をさせないようにしていたのです。

また記者クラブの取材には表と裏がある事もわかりました。表は「定例会見」で、裏が「夜回り」取材です。定例会見は公式見解を発表する場でそのまま記事にできますが、夜回り取材は非公式の懇談の場ですから基本的にオフレコです。記事にする場合も発言者を特定できないように配慮します。当局の本音を知りうるのは夜回りですから、各社がしのぎを削るのは夜回りです。フリーランスや外国人記者に記者クラブが開放されても定例会見に出席できる程度ですから取材は限定されています。

その夜回り取材で記者と官僚とが交わす言葉はほとんどが禅問答です。官僚は決して直截にものを言う事はありません。発言がニュースになっても、自分が話したのではないと言い逃れができるようにします。記者からの質問に対し、関係のない天気の話で暗示をしたり、表情でヒントを与えるやり方です。

ロッキード事件の夜回りでは政治家逮捕の時期を巡り「蝉が鳴く頃」が禅問答のキーワードなりました。記者は禅問答から逮捕の時期を推し量るのです。ところが田中角栄逮捕の前夜、検察幹部は禅問答でもヒントを与えませんでした。ただ「口なしのコーチャン」と呼ばれ、口が堅いために記者たちから敬遠されていた特捜部長がその夜奇妙な行動をみせたのです。

特捜部長を夜回り取材する記者はほとんどなく、その夜も私を含めて3人だけでした。普段は家にも入れずに追い返されるのですが、その夜は家に入れてもらえたのです。ところが「マスコミは馬鹿だ」と言ったきり後ろを向いて何もしゃべりませんでした。それが私にはヒントになりました。翌日の政治家逮捕を暗示していると思いました。

最近になって検察のリークが問題視されていますが、検事が直接記者に何かをリークする事は考えられません。検察とは関係のない第三者に情報提供させ、その事実関係を確認しに来た記者に、何も言わずに何らかの素振りをすれば、あとはメディアが勝手に世論操作をしてくれるのです。(続く)