ニッポン維新(168)情報支配―18

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自由市場経済を信奉するアメリカでは政治を使って新規参入を阻止することなどありえません。むしろ政治は新規参入を促進させる側に立ちます。大企業が強くなり過ぎれば独占の弊害で消費者の利益は損なわれ自由市場が機能しなくなるからです。政治の役割は新規参入を促して競争を活性化する事なのです。

従ってアメリカの三大ネットワークはケーブルテレビの参入に対し、自分たちの努力で解決する道を考えました。三大ネットワークは宇宙に衛星を打ち上げ、広範囲に降り注ぐ電波で対抗しようと考え、「BS放送で巻き返す」と宣言しました。ところがアメリカでBS放送が実現する事はありませんでした。デジタル技術の開発によってBS(放送衛星)ではなくCS(通信衛星))での放送が可能になったからです。

BSとCSの違いは出力の大きさです。出力の小さなCSの電波を受信するには直径が2メートル以上の大型アンテナが必要です。一般家庭では取り付けられない大きさです。そのためCSを使って通信を行ってきたのは政府機関や企業、大学などの大組織で、一般家庭向けには出力の大きなBSの打ち上げが必要でした。

しかしBSはCSより重量が大きいため、打ち上げ費用は高く、チャンネル数にも限りがありました。ところがデジタル技術の開発で、CSでも小型のアンテナで受信できるようになり、しかも多チャンネルの放送も可能になったのです。そのためアメリカではBSを作りましたが打ち上げられずにお蔵入りとなりました。

アメリカでお蔵入りになったBSを買ってきたのが日本です。80年代の日本はアメリカとの貿易摩擦に苦しんでいました。日本からの一方的な製品輸出にアメリカの反日感情が高まりジャパン・バッシングが起きていました。それを解消するため中曽根政権はアメリカから輸入するものを探し、お蔵入りになっていたBSに目を付けたのです。

こうして日本はアメリカが打ち上げなかったBSを打ち上げ、世界にはないBS放送を始める事になりました。その背景には1985年に世界一の金貸し国となった日本の別の思惑もありました。「戦後政治の総決算」を掲げた中曽根内閣は、世界的な情報化社会の到来を前に戦後GHQによって解体された戦前の国策通信会社「同盟通信」の復活を考えていたのです。

同盟通信は日中戦争直前の1936年に設立された「軍国日本の宣伝機関」で、国内新聞社191社とNHKを組合員とし、電通の通信部門と朝日、毎日、読売などの大新聞社によって作られました。いわば「大本営発表」の総元締めです。敗戦後は民主化政策を掲げたGHQによって解体され、電通、共同通信、時事通信の3社に分割されていました。

世界に冠たる経済大国に上り詰めた日本に必要なのは、国際社会からの情報収集と情報発信を行う国策会社であると考えた中曽根政権は、電通と共同通信と時事通信の3社を再び統合して大通信会社を作るのではなく、公共放送のNHKに戦前の同盟通信の役割を負わせようとしました。

NHKの技術研究所が開発したハイビジョン技術をBS放送によって世界に普及させ、NHKを世界最大の放送局にしようと考えたのです。しかしNHKの財政を支えているのは国民の受信料です。そこで国民の利益になると説明しなければなりません。そこでNHKはBS放送を「電波の届かない離党などへの難視聴対策」と説明しました。

しかしBS放送が「難視聴対策」でない事はすぐにわかりました。「難視聴対策」なら地上波の総合放送や教育放送と同じ内容でなければなりませんが、NHKのBS放送はそうではなく、しかも地上波とは別料金で運営される事になったからです。こうして日本は世界のどの国もやっていないBS放送で、ハイビジョンを世界に普及する事に全力を挙げる事になりました。

一方、世界ではCSを使った衛星放送が普及していきました。こちらはケーブルテレビと同じで100チャンネル近い多チャンネル放送の世界です。そこには既存の放送局とは異なる新規ベンチャーが参入するようになりました。そしてアメリカの三大ネットに代表される既存テレビ局が老舗のデパートなら、ケーブルテレビや衛星放送の多チャンネルは個性を売り物にする専門店という「棲み分け」が確立していきました。

こうして80年代の終わりから日本のメディア界は世界の潮流を外れ、独自の道を歩み出す事になりました。それが90年代に入ると自滅的とも言える不祥事を連発させていくのです。(続く)