ニッポン維新(172)情報支配―22

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日本のテレビは、イギリスの公共放送BBCを真似たNHKと、アメリカの三大ネットワークを真似た民放の二元体制で成り立っていると説明しました。日本のメディアが英米型であるのはそのせいかもしれません。一方でフランスやドイツなどヨーロッパのテレビは公共放送や民間放送よりも国営放送が主流です。
私たちは国営放送と聞くと国家権力の宣伝機関と考えがちですが、ヨーロッパの国営放送は国民を国家の言いなりにさせてしまうテレビではありません。主権者である国民の税金で運営される訳ですから、多様な国民のニーズに応えて多様な情報を伝達するメディアです。
本来テレビは国民の共有財産である電波を使いますから、民間放送であっても公共性が求められます。娯楽番組に偏らず、報道番組、教養番組、教育番組を放送する事が求められています。しかし80年代に多チャンネルのケーブルテレビがアメリカに登場したことでメディアの世界に大きな変化が起こりました。
地上波テレビは生き残りをかけて視聴率競争に力を入れ娯楽性が強まります。一方、多チャンネルの世界は地上波テレビに出来ない事をやろうとします。視聴率を無視しても経営が成り立つ仕組みが作られ、議会専門チャンネルのように視聴率は取れなくとも専門性の高いテレビが登場しました。
出版社に大衆向けの書籍を作る出版社と専門書を作る出版社があるように、テレビ界にも娯楽を優先する局と専門情報を流す局とが共存し、棲み分けるようになりました。それが80年代以降のアメリカのテレビです。
ところが日本では多チャンネルテレビの参入を新聞社とテレビ局が一体となって抑え込み、結果として多チャンネルテレビが育たず、地上波テレビの視聴率競争だけが激しくなりました。今ではどこを向いても娯楽番組だらけです。報道番組も教養番組も教育番組も大衆向けにすることが要求され、それが情報の画一化を招いています。
大衆の関心を引こうとすれば複雑な説明は嫌われます。問題を二者択一化し、さらに勝つか負けるかの競争の世界に持ち込めば視聴率は上がります。80年代からの日本のテレビはNHKも含めて大衆化路線を強めていきました。テレビ局と系列関係にある新聞社もテレビの視聴率と同様に販売部数を競い合うため同じ傾向を強めます。
こうして日本のメディアはヨーロッパの国営放送やアメリカの多チャンネルとは対極の画一的な情報の世界となりました。従って国民は数多くのテレビチャンネルと新聞メディアによって多様な情報を得ていると錯覚していますが、実は情報過疎に陥っている可能性が高いのです。
国民は自国のメディアを通してしか物事が見えませんから、長らく問題の本質に気づきませんでした。しかし2000年代に入ると、NHKの不祥事や新聞社の系列支配の実態が明らかにされて、国民はメディア不信に陥りました。それが受信料不払い運動や新聞の不買運動に現れます。
1997年におよそ5380万部だった新聞の発行部数は2011年に4830万部と550万部も落ち込み、テレビの視聴率も総世帯で1997年度の71.2%が2011年度には64.7%に低下しました。そこで新聞やテレビに代わってメディアの主流に登場したのがインターネットです。インターネットによってようやく国民は多様な情報に接する機会を得る事が出来るようになりました。
とはいえインターネットにあふれている情報は玉石混交です。しかも明らかにどこかの権力が意図的に国民を洗脳しようとするディスインフォメーション(虚偽情報)が横行しています。多彩な情報の世界に必要なのは情報を「読み解く力」です。それを身に着けないと、多様に見える情報によって思いもよらぬ方向に国民は導かれていきます。
80年代にテレビの世界が多チャンネル化し、世界が多彩な情報に対応するための試行錯誤を繰り返していた頃、日本は全く逆の一極集中に向かい、国民はメディアによる情報支配に気づきませんでした。新聞やテレビをジャーナリズムと信じ込み、情報を鵜呑みにする癖がついています。
しかし大組織から発信される情報を鵜呑みにする時代は終わりました。個人や専門機関が発信する多様な情報の中から「玉」と「石」とを見分けて「納得できる情報の世界」を個々人が作る事が必要です。日本国民は今その入り口に立っているのです。(続く)