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表 題
掲載日
【民主党前原代表の“資質”を問う】
2006.03.03
【憲法改正国民投票法案を考える】
2006.03.03
【“民営化”効果はやはりウソだった】
2006.02.13
【格差拡大論争・ライブドア事件の意味するもの】
2006.02.13
【だから拙速な米国産牛肉輸入再開に反対したのだ】
2006.01.31
【ASEANからも見放されるニッポン】
2006.01.19
【株で20億円儲けて税金2億だけとは〜小泉税制が日本を蝕む】
2005.12.28
【屈米の果ての牛肉輸入再開】

2005.12.20

【小泉劇場なる流行語】
2005.12.20
【撤退理由の見つからない自衛隊】

2005.12.17

 
 

【民主党前原代表の“資質”を問う】


 偽メール問題で民主党が受けたダメージは深刻だ。小泉政治を終わらせる中心勢力になるべき存在だけに民主党の先行きを憂慮する。
 この問題で、騒ぎを起こした永田寿康衆議院議員が2月28日、謝罪会見し、民主党執行部は、永田議員を半年の党員資格停止処分、野田国対委員長が辞任したことで、“一定のけじめをつけた”としている。しかし、自民党から「弱体化した前原民主党のほうがやりやすい。責任を深追いするな。」とまで言われ、国民から見放されつつある深刻な事態なのに、生ぬるいけじめで死に体の前原体制を9月の代表選まであと半年も続けるというのか。

(傷を深めたのは代表自身)
 民主党の傷をこれほど深めてしまったのは、前原代表自身だ。永田議員が最初に質問した2月16日、小泉首相が即座に「ガセネタ」と一蹴し、メールの信憑性に疑問が出た。それなのに党として本格的な検証を行わずに、22日の党首討論で、「疑惑について確証がある」と言い切って、自ら窮地に追い込んでしまった。強気に虚勢を張り続けて墓穴を掘る、政権交代を目指す大政党の代表として、判断力、深い思慮等の資質に欠けていると言わざるを得ない。

(前原代表の判断力に疑問)
 前原代表の“危ない”一面はアメリカ産牛肉の輸入再開問題でもあった。
 1月30日の予算委員会で民主党議員が「輸入再開以前に現地調査を実施するという、閣議決定した答弁書に反する」と追及し、マスコミは「閣議決定違反が判明」と報じた。ところが、「日本政府の現地調査前に輸入が再開された」のは去年12月に報道済みのことで、“新たに判った”のは、「事前調査を行うという政府答弁書を11月に民主党議員に出していた」ことだった。
 そこから導かれた帰結は、民主党は輸入再開決定に際して、「国民の食の安全よりアメリカの利益を優先した」と強く政府を批判したのに、答弁書との食い違いをアピールして輸入再開を止めさせなかったことだ。年明けの国会で追求材料にするため、答弁書のことを伏せていたとしか考えられない。この民主党の“不作為”でアメリカ産牛肉の輸入が1か月余り続いたのだから「党利党略のために国民の食の安全を犠牲にした」と批判されて然るべきものだ。
ところが、この“危ない事実”に基づいて前原代表は予算委員会で「かなり多くの国民が危険な肉をずさんな管理によって食べさせられた可能性が極めて高い」と小泉首相を追及した。ここでも代表としての判断力に疑問符が付く。

(民主党再生なければ小泉政治は終わらない)
 国会での得点稼ぎを狙う余り、「社会常識からは許されない」ことを簡単にやってしまう若手議員、それをコントロールできない執行部。民主党の中に“ホリエモン的”要素を見る国民も多いことだろう。
政権交代を訴えてきた二大政党の一方として、党の危機管理能力や政権担当能力への国民の信頼感を失ってしまった民主党の痛手はあまりにも大きい。
 それでも財政破たん、市場原理主義による格差の極大化に突き進む小泉政権、ポスト小泉の小泉政治は民主党の再生がなければ、終わらない。もちろん我々も全力を尽くすが、政権交代の中心勢力になるべき存在は他にないからだ。民主党には、一刻も早く「党の顔」を代表の資質として恥ずかしくない人物に変え、“社会常識”ある政党として再生することを望みたい。

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【憲法改正国民投票法案を考える】


 日本弁護士連合会は憲法改正国民投票法案に対する「意見書」を2月18日付で出した。憲法改正の具体的手続きを定める国民投票は、国民の基本的な権利行使にかかわる国政上の重大問題なのに、法案の与党案では国民主権の視点が重視されていないという立場からの見解だ。
 国民投票法案をめぐっては、通常国会が対決色を強めたことから、自民・公明・民主3党による法案作りが難航し、3月末に共同提案して今国会中に成立という与党側のシナリオは崩れてきている。また、国民的な議論も盛り上がっていない。しかし、ここにきて民主党が偽メール問題で自民党に“大きな借り”をつくる形になり、前原執行部が改憲指向なこともあいまって法案作りが動き出す可能性も出てきた。
 そこで、日本弁護士連合会の意見書提出を機会に、論点を整理したい。

(投票方式と報道規制が対立点)
以下、与党案、民主党案、弁護士会の主な対立点だ。
▼ 最大の対立点はマスコミ報道や国民投票運動を規制するかどうかだ。与党案は、報道の一部規制や公務員・教育者の運動の制限を盛り込むのに対し、民主党案は報道の自由を保障するとする。弁護士会は「できる限りの情報提供がなされ広く深い国民的議論が必要であり、表現の自由、国民投票運動の自由が最大限尊重されなければならない」としている。
▼ もう一つ、「投票方式」も大きな対立点だった。改憲案全体について一括投票するか、変える条文毎に賛否を問う個別投票にするかだ。個別投票を取る民主党に対し、自民党は元々、一括投票の方が9条を変更しやすいという考えだったが、法案作りを進めるため民主党に歩み寄り、個別投票に転換した。弁護士会は「憲法改正に国民の意思を十分かつ正確に反映させる」には「個別の条項ごとに賛否の意思を表示できる投票方法とすべき」としている。
▼ 憲法改正の承認に必要な「過半数の賛成」の定義について、与党案では「有効投票総数の二分の一」、民主党案では「投票総数の二分の一」。弁護士会は「極めて重要な問題を問うのだから、少なくとも総投票数の過半数で決すべきだ」としたうえで、国民投票が有効に成立するための投票率に関する規定を設けることを提案している。
 このほか、発議から投票までの周知期間や投票権者は20歳以上か18歳以上かなどで対立点がある。
 日本弁護士連合会の意見書は、国民主権とそれに基づく代表民主制、基本的人権の尊重、平和主義を基本原理とする憲法を尊重し擁護する立場からのもので、我々もこの見解を基本的に支持する。

(“押し付けられた”憲法観を排す)
 また、都道府県レベルの弁護士会からは、憲法9条の徹底した平和主義を後退させる改憲論を容認することはできないとする宣言などが出されている。
 今、自民党、そして民主党の中で改憲論議が進められている背景には、現行憲法は「戦後、占領軍から押し付けられたもの」という考えが基底にある。
 しかし、こうした見方には私たちは与しない。確かに現行憲法はGHQ主導で作られた。だが当時、新憲法が作られることになって、日本各地で多くの団体や個人が自主的に憲法案を作成した歴史を忘れてはならない。そうしたものを汲み上げて作られたのが、徹底した平和主義の理念を持つ日本国憲法なのだ。
 GHQによって押しつけられた憲法とばかり決め付けるのは、その意義を矮小化するだけだ。当時の市民による参加と行動の民主主義の現われが日本国憲法であり、依然として「新しい」憲法なのだ。我々はそうした考えに立って、今後「憲法問題」に対していく。


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【“民営化”効果はやはりウソだった】

 2月7日、国土交通省の国土開発幹線自動車道建設会議が開かれ、高速道路整備計画の未開通区間全ての建設を決めた。無駄な高速道路の建設中止を目指したはずの道路公団の民営化だったが、結局、一部区間の着工先送りや建設コストの削減にとどまり、これからも赤字高速道路がどんどん作られ、国民の負担も膨らむことになった。何のための民営化だったのか。

(「新直轄方式」で国民負担増)
 新たに建設が決まったのは、9000キロ余りの高速道路整備計画のうち、事業主体が決まっていなかった未開通区間1,276キロで、1,153キロは民営化された高速道路会社が有料道路として建設し、残り123キロは「新直轄方式」で建設される。
 この新直轄方式というのが曲者だ。道路公団民営化をめぐる小泉劇場のどたばたの中で決まった。
  民営化会社は、45年以内に借金を返済できる範囲で高速道路を建設するとされるが、明らかに採算性が低い区間は建設費を税金で負担し、通行料を無料にする「新直轄方式」で建設するという制度になった。
  何のことはない。本来、建設費の借金は通行料収入で返済するはずの日本の高速道路に、「民営化」のどさくさにまぎれて税金を投入し、国民負担で無駄な高速道路を作り続ける。この新直轄方式に、既に決まっているものも含めると3兆円も税金を使うことになった。財政が破たんしようとしている時にだ。
 これだけではない。旧道路4公団が分割民営化された6つの道路会社は、今後45年間で合わせて43兆円の借金を返さなくてはならない。ところが、日本が人口減少時代に入って車の通行量も当然減るのに、過大な通行料金収入の予測に基づいて返済計画を立てており、いずれ行き詰ってまた税金の投入が必要になるのは確実だ。 事実上、45年後、日本の高齢化が最も高まり、人口の減少を加速されている2050年頃の人たちに法外なツケを先送りする無責任さだ。将来の国民負担がどこまで増えるのか判らない、「小泉改革の民営化」の実態が明らかになったのが今回の赤字高速道路建設継続の決定だ。

(郵政民営化も同じ構図)
 「郵政民営化」も同じだ。
現在の郵政公社は、貯金と簡易保険の黒字で郵便事業の赤字をカバーして全国の郵便局網を維持している。
  民営化で貯金と簡易保険が別の民間会社になったら郵便局網を維持できないため、2兆円の基金を設けることになっている。
  ところが赤字の郵便局は全国で14000局もある。それらの郵便局の維持経費を穴埋めすれば、基金なんてすぐに底を付いてしまう。
  そうすると郵便局をどんどん廃止せざるを得なくなるが、無制限な廃止は抵抗が大きいだろうから、またまた税金を投入して郵便局網を維持することになり、国民負担は際限なく膨らむだろう。
 しかも、郵貯と簡保の資金が財政投融資の制度で特殊法人や国営金融機関に流れて無駄遣いが行われているのを改革する、という郵政民営化の本来の目的は全く進むめどが立っていない。道路公団が民営化会社になろうが郵貯・簡保資金が流れて無駄な高速道路が作り続けられるのがいい例だ。
 民営化自体の弊害が大きいだけでなく、本来の目的を果たせず、税金投入という国民の負担ばかり増えるのは郵政民営化も道路公団民営化と全く同じ構図だ。
 結局つけは国民に来る。小泉劇場に何度騙されても学習効果のない国民が悪いと言ってしまえばそれまでだが、財政破たんが迫る日本には時間がない。
 小泉政権、そしてポスト小泉の自公連立政権を一刻も早く終わらせ、真の改革を進めなければ、「信じられる日本へ」の道は開けない。

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【格差拡大論争・ライブドア事件の意味するもの】


 小泉首相の「格差が広がっているのは誤解」発言、そしてライブドア事件をきっかけに、小泉政治を総括する論議が始まった。去年の衆院選で自民党を圧勝させた国民やマスコミも、我々が批判してきた小泉政権の市場原理主義の弊害に、ようやく気づいたということなのだろう。
 まず小泉発言。行き過ぎた競争主義による「勝ち組」「負け組」の二極化批判に反論するため、内閣府に資料を作らせた。資料では「格差拡大の論拠として、所得・消費の格差、賃金の格差等が主張されるが、統計データからは確認できない。」と言うが、当然のことながら各方面から袋叩だ。

(小泉政権5年で広がった貧富の差)
 格差拡大を示す数字には事欠かない。
小泉政権の5年間で、正規の従業員として働く労働者は300万人減少した一方で、パートや派遣などの非正規従業員は200万人以上増えた。貯蓄がない世帯は過去最高になり、生活保護を受けている世帯は30万近く増えて100万世帯を超えた。そしてニートの数も49万人から64万人に増えた。
 これを貧富の差が広がっていると言わずに何と言うのだろう。
アメリカ流の弱肉強食の市場原理主義をそのまま持ち込み、金持ち優遇税制や福祉の切捨てなどを進めた小泉=竹中「構造改革路線」の行き着いた先だ。富める者はますます富み、貧しいものは貧しいまま、そして中間層も貧困層に転落する不安を抱えた格差社会だ。

(“錬金術を政治が後押し”)
 そしてライブドア事件。ホリエモン、堀江貴文前社長を古い体制への挑戦者として持ち上げてきたマスコミは、「人の心は金で買える」と言い切り拝金主義を蔓延させたなどと、一斉に批判している。
 しかし掌を返した批判には違和感もある。
プロ野球の球団数を減らして一リーグ制にする動きに異議を唱えて堀江氏が近鉄球団買収に名乗りをあげた時、私たちは拍手を持って迎えた。
  ナベツネこと読売グループの渡辺恒雄会長らが既得権益を守ろうとする“抵抗勢力”、堀江氏が“改革者”に見えたからだった。
 渡辺氏らは新球団のオーナーに「よりましな」という基準で楽天の三木谷社長を選んだ。結果的に不明を恥じるしかない。
  そして今、渡辺氏は日本の将来が心配だと言って、社会格差拡大や小泉首相の靖国参拝を批判している。“タカ派”として戦後政治を生きてきた渡辺氏までが危機感を持つ日本社会の病巣は重い。
 また、経済評論家の内橋克人氏は「努力したものが報われる社会を、と叫び続けた怪しげな政治スローガンの真意が、実は一攫千金の成り金や富裕層優遇を正当化するレトリックに過ぎなかったことが、けた違いの報われ方を享受したホリエモン錬金術によって暴露された。」と書き、錬金術を政治が後押ししたと批判した。(朝日新聞)全く同感だ。

(真に“努力したものが報われる社会”を)
 堀江氏個人については、批判されるのは「違法な行為をした」という一点に限られるべきだろう。だが事件が与えた最も深刻な影響は、違法なことをしなければ、大きな「勝ち組」にはなれない格差社会を暴露してしまったことだ。
 堀江氏が若者の熱狂的な支持を受けて時代の寵児になったのはなぜか。閉塞感が広がる中で、既成の体制に挑戦するという夢に多くの人が共感したからではなかったか。ところが、サクセスストーリーは虚構だった。
 格差が広がり階層が固定化されつつある社会では、時には運よく「小さな勝ち組」になれる人はいても、まっとうな事をやっていたのでは体制を打ち破るほどの「大きな勝ち組」にはなれないことを明らかにしてしまった。
 「努力したものが報われる社会を」と小泉純一郎は叫ぶが、努力をしたくてもその機会を十分与えられない人が増え、機会の不平等が結果の不平等を拡大している。努力が報われると言う前提条件がすでに破たんしているのだ。
 若者たちに失望感が広がり、ニートの人たちが更に増えるかもしれない。
 格差の拡大を止め、階層が固定化された社会にしない。そして“誰もが挑戦できる”機会の平等を確保し、“公正な”競争社会を築く。これしか人口減少高齢社会に入った日本で「活力ある社会」を維持する道はない。それがライブドア事件の貴重な教訓だ。

(社会保障制度充実で不安社会克服を)
 一方、貧困者の増加、経済格差の拡大などから生じている人々の将来不安。特に競争に勝ち残れない人たちが医療や福祉など生活に最低限必要な権利さえ奪われつつあり、かつ社会保障制度への不信が不安を増大させている。
 不安社会を克服するのが国の役割なのに、小泉政権の市場原理主義は「格差ある社会は活力ある社会」と言って逆に不安をあおり、それが活力を生むという誤った考えだ。
 私たちは安心の確保のためには社会保障制度の充実が緊急の課題だと考える。
 潮目は変わった。福祉切捨ての「小さな政府」というスローガンはもう終わりにする時だ。そして人に優しい「福祉国家」を目指して不安社会を克服する。「信頼できる日本へ」を実現するにはこの方向しかない。
 我々は福祉国家、そして公正な競争社会を目指して今後、具体的政策を提示してゆく。


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【だから拙速な米国産牛肉輸入再開に反対したのだ】


 1月30日の衆議院予算委員会で中川農水相は、アメリカ産牛肉の輸入再開で「事前に担当官を派遣し、BSE(狂牛病)対策の輸出条件が守られているか現地調査する」とした民主党議員への答弁書に反して、事前の調査をしなかったことを認めた。答弁書は閣議決定されており、閣議決定に反した輸入再開決定だったことに農水相は陳謝した。
 政府は輸入再開を決定した後の去年12月13日からアメリカで現地調査し、「輸出条件が守られていることを確認した」という報告書を発表していた。
ところが、BSEの原因物質がたまりやすく除去が義務付けられている「特定危険部位」の背骨のついた牛肉が成田空港で見つかり、明らかな輸出条件違反に政府はアメリカ産牛肉を再び全面禁輸措置にした。
  BSE検査のないアメリカ産牛肉の輸入再開を政府が決めた際に我々は「圧力に負けた屈米の果てに、国民の食の安全よりアメリカの産業界の利益を優先させた」と批判したが、閣議決定違反、輸出条件違反と相次いで明るみに出たことは、あらためて小泉政権の食の安全軽視を裏付けた。

(輸出条件は保証されていない)
 輸入再開時に合意された輸出条件は▼脳や脊髄など「特定危険部位」の完全除去▼原因物質がまだたまらない生後20か月以下の若い牛に限定、の2点だった。
 BSEはヒトに感染すると新型ヤコブ病を発症し確実に死に至る恐ろしい病気だが、問題はアメリカではBSEの検査が殆ど行われておらず、特定危険部位の除去も生後31か月以上の牛でしか行われていないのに対し、日本では万全を期して「全頭検査」が行われているという“安全意識の違い”だ。アメリカの圧力に譲歩を重ねた日本政府が受け入れたのが上記の輸出条件だった。
 ところが日本政府の現地調査でも、アメリカ政府がお膳立てした施設を回るだけで輸出条件が守られているかどうかを全く保証しないことが明らかになった。

(“生後20か月以下”は全く不明)
 実は「特定危険部位」は日本に持ち込まれてからでも目視、目で見て調べれば判るからまだいい。もっと問題なのは、もう一つの輸出条件の「生後20か月以下」で、目で見ても判らないからだ。
 アメリカでは子牛が生まれても日本のように耳にタグを付ける牛の個体識別が行われていない。このため生後20か月以下と判別するのも「肉の色や骨の成熟度を目で見て肉質を格付けする手法を用いる」という、客観性のない、非常にあいまいな方法で行われる。その怪しい判別でさえ、本当に行われているかどうかは日本側では全く判らない。BSEの原因物質がたまりやすい高齢の牛の肉が混ざっているかもしれないのだ。

(今度こそ毅然とした対応を)
 輸入再開にあたってアメリカの業者にしっかり対策をとらせるから安全だとした日本政府の責任は重いが、政府内では責任のたらい回しだ。アメリカ産牛肉のリスクを評価した食品安全委員会は「輸出条件遵守を確認するのは厚労省と農水省の責任」と予防線を張り、厚労省と農水省は「輸出条件を守るのは輸出国政府の責任」と主張している。
 一方、ゴリ押しの挙句、牛肉の安全を保証すると約束したアメリカ政府は明確な輸出条件違反に、さすがに今のところは低姿勢だ。しかし、いつもの高圧的な態度で再び輸入再開を迫ってくるのは時間の問題だ。
 しかし、アメリカの言い分を鵜呑みにして受け入れるのは、我々は絶対に認めないし、食の安全を重視する日本の消費者も納得しないだろう。
 輸入再開を認める最低条件は、もう一つの輸出条件「生後20か月以下」が確実に保証されることだ。現在、牛の飼育ではトレーサビリティーのある日本やEUだけでなく、オーストラリアやカナダでも個体識別が行われ、アメリカだけが「世界標準」に達していない。そのアメリカでも08年から個体識別が義務付けられることになっている。当然、政府はアメリカに個体識別の前倒し実施を求めるべきなのだ。それが出来れば、日本の消費者の中にはアメリカ産牛肉を食べてもよいと思う人が増えるだろう。アメリカ側もゴリ押しで輸出しても消費者にそっぽを向かれてしまえば元も子もないと考え時なのではないか。
 我々はなにも反米主義をあおろうとしているのではない。ただ、自分たちの基準を「グローバルスタンダード」だとして、意識の異なる他国に押し付けてくるアメリカに異議を唱え、日本政府には最低限、国民の命や安全を守るためには、毅然とした対応を貫いて欲しいと求めているのだ。

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【ASEANからも見放されるニッポン】


 小泉首相が年初から中国と韓国を刺激した。2006年1月4日、年頭の記者会見で、中韓両国との関係改善に向けた具体策を尋ねられた彼は、直接それには答えずに「外国政府が一政治家の心の問題に対して、靖国参拝はけしからんと言うのは理解できない。」と述べた。両国は当然、反発。
理屈は通らなくても、とりあえず中国・韓国に強い姿勢を示すと、ナショナリズム的気分をくすぐられた若者などが又、「中国ウザイ韓国ムカツク」と言って小泉人気が盛り上がるのだろうか。しかし、こんなことを繰り返している間に、この国はASEAN諸国からも見放されはじめているのを知っているのだろうか。アジアで日本だけが孤立する不安が日ましに高まる。

(国際的孤立を深めるニッポン)
 戦後60年だった去年は、太平洋戦争を省みて近隣諸国との友好を確認し合うべき年だったが、12月にマレーシアで開かれた第一回東アジアサミットは、日本の孤立が際立つ場になってしまった。小泉首相の外交配慮に欠けた言動が中韓両国の強硬な姿勢を招き、恒例だった日中韓3国の首脳会談は開けなかった。見かねたASEAN各国の首脳が小泉首相に日中関係修復への努力を求めた。異例のことだ。協調路線をとるASEANでは、対決姿勢を振りかざす日本の外交手法は全体の協力を阻害するとみなされていると言う。小泉純一郎がいかに力んで見せようとも、ジャッジ役のASEANは日中対立の責任の多くが日本にあると見ているのだ。小泉政権が唯一頼りにするアメリカ政府内でも日中関係の悪化を懸念する声が出ているという。
中国と韓国を“反日同盟”に追いやり、今、ASEANに中国寄りの立場を強めさせている小泉外交の罪はあまりにも大きい。

(民主党までも)
 12月には更なる孤立要因も加わった。民主党の“前原”問題だ。
前原代表は講演で「中国は軍事力の増強、近代化を進めており、現実的脅威だ。毅然とした対応が重要。」と述べ、小泉政権以上の対中国強硬姿勢を示し、岡田克也前代表時代のアジア重視の外交政策を転換した。前原代表はその後の訪中で案の定、胡錦涛国家主席ら要人との会談を断られた。民主党代表が中国に行って国家主席と会談できなかったのは初めてで、前原代表は韓国からは訪問自体を断られた。憲法改正・集団的自衛権論者で右翼体質の前原代表が、小泉首相でさえ言わない「中国脅威論」をあえて口にし、民主党が培ってきた中国とのチャンネルも失ってしまった責任は重い。

(中国は戦争責任に限定して対応)
 日中、日韓関係の修復には靖国問題は避けて通れないが、中国は一般国民と指導者層を区別し、問題を戦争責任に限定する対応をしてきた。「A級戦犯を祀った靖国神社を首相が参拝することだけは、戦争責任をないがしろにする行為で認められない」という論理だ。韓国もこれに習っている。日本から侵略を受けた中国、植民地支配を受けた韓国としては譲れない一線なのだろう。
“論点すり替えの名人”小泉純一郎がいくら「情の問題」と言っても、国際政治の場では中国・韓国の明確な論理の前に通用しない。
我々の仲間にも戦没者を悼むため靖国に参拝する立場の政治家がいるが、「中国・韓国を抵抗勢力に見立てて靖国を“小泉劇場”にしてしまった結果だ。心の問題と言うなら、心の中で静かに手を合わせればよい。」と怒る。
さらに小泉首相は「一つの問題で、自分たちと意見が違うから首脳会談を開かないということも理解できない。」とも話すが、政治家が言葉を尽くして話をするのが外交であり、相手が会う気がないと言うなら職業外交官任せにするのではなく、自ら会談を求めて相手と同じ目線で話す努力をなぜしないのか。

(追い詰められたコイズミ)
 首相の参拝については自民党のかなりの議員を含め各党とも、やめるべきだという考えで一致している。連立与党の公明党は「小泉首相の後継は中韓との関係を修復し、国民の不安解消に取り組む内閣でなければならない。」と言い、靖国に参拝しないことが後継総理の条件と主張している。
マスコミでも、あの渡辺恒雄読売グループ会長が戦争体験に基づいて反対するなど、主要新聞で首相参拝を支持するのは産経だけだ。
対抗勢力を巧妙に生み出すことで人気と求心力を維持してきた「小泉流」は、外交では中国との対決姿勢を示すことで対米従属の真の姿を覆い隠し、ナショナリズム的世論を盛り上げるのに成功してきた。だが、もう限界だ。「それでも小泉は屈しない」とまた言うのだろうか。

(一刻も早いアジア外交正常化を)
 日本外交がやるべきことは決まっている。中国や韓国など近隣諸国と信頼関係を再構築し、これから世界で最も繁栄する可能性のあるアジアの地域作りにリーダーシップを発揮する。そしてアジアの一員である自覚の上に立って、アメリカを始めとする世界の国々との外交を進めることだ。一刻も早く。
しかし、9月の小泉退陣後にしかそれが期待できず、それまで日本の国益が損なわれ、国民の不安が続くというのも情けない話ではあるが。


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【株で20億円儲けて税金2億だけとは〜小泉税制が日本を蝕む】


 みずほ証券が株式売却の過った注文を出した問題は、この国の“勝ち組”の異常な実態と、それを助長する金持ち優遇税制を浮き彫りにした。この株取引で得た利益は、千葉県市川市の27歳の男性が20億円、東京・六本木の24歳の男性が5億6千万円と信じられない額だ。
 問題はこの先だ。20億円の利益に対する税金は、所得税と住民税を合わせた税率がわずか10%、2億円を払えば18億円ボロ儲けなのだ。アルバイト代だって同じ10%の税金が天引きされ、わずかな預貯金の金利にも20%が課税されるのに。小泉政権が2003年に株式投資減税を行った結果、株の売却益に対する課税は一律10%になった。我々はライブドアの堀江貴文社長が自社株の売却で140億円を得た時も低すぎる税金を指摘した。それでも彼は、自分で会社を立ち上げた「創業者利得」だから儲けて当然という人もいるだろうが、今回の利益は一瞬の取引なのだ。
その一方でサラリーマン増税が着々と進む。

(2006年から更なる税負担増)
 12月15日、自民党と公明党は06年度の与党税制改正大綱を決めた。
配偶者特別控除の廃止の他、老齢者控除の廃止による年金課税の見直しなど既に増税路線が敷かれているが、国民が最も影響を受ける所得税と住民税の「定率減税」は06年で半減、07年で打ち切られる。これによって最高で年29万円の“増税”になる。更にフリーターの徴税強化や住宅ローン減税の縮小なども予定されている。合わせると国民全体でおよそ4兆円もの税負担増になる。

 一方で、法人税の減税は大半が延長された。新聞はこれを、税を取りやすい所から取る姿勢で「家計に冷たく、企業に優しい」流れが加速されたと評した。

 そして問題の金持ち優遇税制。住民税の税率がこれまでの3段階から10%に一本化されるのに伴って、所得税の最高税率は37%から40%になるが、所得税と住民税を合わせた最高税率は変わらない。
 これについて経済ジャーナリストの荻原博子さんは毎日新聞で「99年に景気対策で行った減税には、定率減税だけでなく法人税の引き下げ(34.5%から30%)と高額所得者の所得税率引き下げ(50%から37%)もあった。景気が良くなったことが定率減税廃止の理由なら、法人税率と高額所得者の所得税率も一緒に元に戻すべきではないか。」と書いている。全く同感だ。

(金持ち優遇税制をやめ格差拡大の是正を)
 日本は一定の収入以下の世帯には課税しない課税限度額が先進国の中では最も低い、つまりより低所得者まで所得税が課税される国なのに、かたや金持ち優遇税制で富める者は益々富む。それが弱肉強食の小泉=竹中路線による市場原理主義がもたらした成果だ。

そんな“小泉改革”を衆院選で多くの国民が支持した。

 だが、これでは勤勉な国民性によって、輸出で外貨を稼ぎ、それを国内消費に回して成り立つこの国を維持してゆくことはできない。
金持ち優遇策が「まじめに努力して、堅実に働く」という人々の“気持ち”を蝕んできているからだ。「努力が報われない世の中」という意識が蔓延してきてしまった社会、昨今問題になるニートの増大もその現れだ。
 社会格差の拡大を食い止め、アメリカのような貧富の差の大きい国にはしない。そしてこの国を支える国民の労働意欲を保つ。
そのための一歩が株式譲渡益への課税を重くして所得税の最高税率も上げ、金持ち優遇の小泉税制にストップをかけることだ。
経済的な“勝ち組”だけがいくらのさばってもこの国に未来はない。

行き過ぎた市場原理主義を正して「信じられる日本へ」。

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【屈米の果ての牛肉輸入再開】


 
アメリカからBSE(狂牛病)の検査を受けていない牛肉が日本市場に入って来る。政府はBSEの発生で2年前に行った北米産牛肉の輸入禁止を12日、解除した。
世論調査で3分の2の人が輸入再開に反対する、消費者の強い不信は無視した。アメリカに弱腰の歴代自民党政権だが、それでもこれまでは圧力や要求にいささかの抵抗は試みてきた。それなのに今回、ヒトに感染すると新型ヤコブ病を発症し確実に死に至る、命に関わるBSE問題でも抵抗した気配すらない。国民を犠牲にする小泉政権の対米従属は、異常としか言いようがない。もはや日本の消費者の賢明な選択に期待するしかない。

(アメリカが「世界標準」)
  BSEについて日本は、未解明の点が多いことを前提に、全頭検査をすることが食の安全に繋がるという考えに立っている。他方、アメリカは病原体がたまりやすい脳などの特定危険部位を取り除けば、病気の牛の肉が流通しても安全だという考え方で、BSEの検査はサンプル的にしか行っていない。


 当初、政府は毅然とした態度を取り繕い、輸出再開を求めるなら全頭検査をしてほしいとアメリカに要望。ところが、アメリカのやり方が「世界標準」で日本の全頭検査は非科学的と拒否されると、とたんに屈米の怪しい動きが始まる。

 食の安全性を確保するのが任務のはずの食品安全委員会が、なぜか“自主的”に「日本国内の全頭検査を見直すかどうか」検討を始める。そして「生後20か月以下はBSEにかかっても病原体の蓄積が少なくて検出できない」と答申し、厚生労働省は全頭検査から20か月以下を除外。(BSEが見つかった一番若い牛が21か月だったためだが、現在も都道府県が自主的に20か月以下も検査)この裏で、政府は20か月以下で特定危険部位を取り除くのを条件に輸入再開を目指すことをアメリカ側と合意。今回、食品安全委員会が「条件が守られれば、北米産は国産牛肉とリスクはほぼ変わらない」と答申し、輸入禁止は解除された。小泉首相は「科学的知見に基づいて判断」と繰り返したが、食の安全よりアメリカの利益を優先させた“政治決断”に他ならなかった。

(“見るだけで確実にトシが判る”)
  輸入再開で最大の問題だったのがアメリカでは牛の個体識別が行われず、生後20か月以下と確実に判定できないことだ。トレーサビリティーが普及した日本やEUだけでなく、オーストラリアや今回、一緒に輸入再開されるカナダも個体識別が行われ、アメリカだけが「世界標準」に達していないのだ。そこでアメリカは「肉の色や骨の成熟度を目で見て肉質を格付けする手法を用いれば、20か月以下を見分けることができる」と強引に主張。見ただけで確実にトシが判るなんてアメリカ人ってすごい。普通の日本人なら真に受けない。

 アメリカの言う「世界標準」を根底から覆す警告もある。新進の研究者、青山学院大学の福岡伸一教授は「BSEの病原体はプリオンというタンパク質とされるが、プリオン説は立証されていない仮説にすぎず、プリオンがたまりやすい脳などが危険部位で、たまらない部位は安全だと考えるのは危険」と言う。


(早くも責任逃れ)
 今回、食品安全委員会は「20か月以下・危険部位除去の輸出条件を確認するのは厚労省と農水省の責任」と予防線を張り、一方の厚労省・農水省は「輸出条件を守るのは輸出国政府の責任」と主張し、早くも責任逃れの様相だ。要するにアメリカ産牛肉を食べた人が新型ヤコブ病にかかって死亡しても、日本国の政府は責任を負わないと云うことなのだ。これが屈米の果てに国民の食の安全への責任を放棄した今度の輸入再開の実態だ。

(消費者に判断材料を)
  現実にアメリカ産牛肉が出回ってくる以上、今後、買う買わないは「消費者の判断・選択」の問題になる。マスコミの世論調査によると「輸入再開されても買わない」が3分の2を占め、消費者の不信は強い。


 消費者の自由な選択が成り立つためには全ての選択肢が明示される必要がある。しかし「米国産」と原産国の表示が義務づけられるのは精肉だけで、輸入牛肉の大半は表示義務のない加工品と外食や給食の材料になる。食の選択に最も無防備な子供たちなどにリスクがしわ寄せされる。(農水省は外食産業には自主表示するよう要請していると言い訳しているが…)既にアメリカに屈してしまった日本にとって緊急にしなければならないのは、消費者が判断材料にできるよう、全ての食品・食材について原産国表示を義務づけることだ。

(更なる圧力)
  解禁されたアメリカ産牛肉は今年中に日本に到着するが、生後20か月以下の牛に限定すると輸入禁止前の1割程度の量にしかならず、アメリカは「30か月以下まで認めろ」という更なる圧力を早くもかけてきている。輸出したいなら、相手国に合わせてBSE検査をする、こんな当たり前のことをやらないゴリ押しを従米屈米の小泉政権はまた、受け入れるだろう。


 EUはBSE以前に、牛の飼育に「成長ホルモン」が使用されていることを理由にアメリカ産牛肉の輸入を禁止している。アメリカからどんなに圧力がかかっても屈しない。

 それなのに日本は小泉純一郎がブッシュにすり寄るだけでなく、国民を犠牲にしてまで情けない、などとは今更言うまい。

 自らの安全を守り、アメリカの傲慢なやり方にしっぺ返しをできるのは、日本の消費者の選択しかない。

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【小泉劇場なる流行語】


 2005年の流行語大賞、なんと「小泉劇場」とライブドア堀江貴文社長の「想定内」だった。「小泉劇場のプロデューサー兼演出家」として表彰されたのは自民党の武部勤幹事長。分譲マンションを買った人たちが悲惨な目に遭っている耐震強度偽造事件で、「悪者探しに終始すると景気がおかしくなる」と発言したあの人だ。この人物、BSE=狂牛病が国内で初めて発覚した2001年秋に、「感染源解明は、そんなに大きな問題なのか」とのたまわった当時の農林水産大臣である。消費者、生活者は切り捨て、徹底して業界サイドに立つ。弱肉強食の小泉純一郎的市場原理主義の本質を象徴している。


  ニートやフリーター、低所得者層の人たちという弱者が「勝ち組」に乗ったかのような錯覚から衆議院選挙で小泉に入れてしまったのが「小泉劇場」だったが、その結果が早くも弱者を直撃している。負担増のラッシュだ。

 所得税と住民税の定率減税を2007年度にかけて廃止(=増税)、医療制度改革で06年度から70歳以上の人でも現役並みの所得があれば、窓口負担が2割から3割になる。年金保険料の引き上げも既定路線で、税金と社会保険料を合わせた家計の負担は、5兆円増になる。更に08年度からは、75歳以上の全高齢者からも健康保険料を徴収するほか、消費税率の引き上げもスケジュールにのぼり、「小泉劇場」では全く言われなかった負担増ラッシュだ。小泉に投票した人たちはこれを「想定内」と思っているのだろうか。

 企業の業績は史上最高と言われているのに給料には反映されず、景気回復が実感できない。自殺者も相変わらず先進国の中で最も多く、来年から人口が減少する時代になるというのに将来像が見えない。「小泉劇場」などと浮かれている場合ではない。豊かさを感じられないどころか、この先の貧困を予感させる日本。徹底的に無駄を省いて財政の借金を止め、弱肉強食の市場原理主義に歯止めをかけ、「信じられる日本へ」を実行する。日本には時間がない
 

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【撤退理由の見つからない自衛隊】


(来年前半にもイラクから撤退へ)
 イラクへの自衛隊派遣を更に1年間延長することが決まった。今度は「撤退」を見込んでいるという。
イラク復興特別支援法に基づく基本計画が12月14日で期限切れになることから政府は新たな計画を8日、閣議決定した。期間が一年で、「イギリス軍とオーストラリア軍の動向などを見極めつつ適切に対応」と明記。サマワのあるムサンナ州の治安を担当するイギリス・オーストラリア軍は来年5月で撤退する予定で、それに合わせて陸上自衛隊を撤退させる方針を強くにじませている。

 我々は最初からイラクへの自衛隊の派遣に反対し、一刻も早い撤退を主張してきた。イラクの人たちを助けるためと称し、実はブッシュ政権に従う従米・屈米の姿勢を示すだけのもので、アメリカが始めた国際法違反の大義なき戦争に加担することになるからだった。

その意味では自衛隊の撤退は誠に喜ばしい。

(撤退の理由が見つからない)
  ところが、最後に難問がある。
守ってくれる外国の軍隊がいなくなる以上、自衛隊も一緒に撤退せざるを得ないが、実は理屈の通る公式な撤退理由が見つからないのだ。

▼そもそも法律で派遣先を「非戦闘地域」に限定しており、治安維持がイラクの部隊に引き継がれるので危なくなるからとは口が裂けても言えない。

▼次に「イラクに居続ける」のを見せるのが真の-派遣目的だったが、見せる相手のアメリカ自身が駐留兵力を削減する方針で、自衛隊の撤退も認めてくれそうだからとも公式には言えない。

▼最後に、派遣目的が達成されたからという理由はどうか。

 陸上自衛隊の派遣は「人道復興支援」の名目だったが、元々、辺境のムサンナ州では戦争の被害が無く、「戦災復興」の仕事は最初から無かった。このため「水の供給」が大々的に宣伝されたが、日本の政府開発援助(ODA)でイラク人の手によってできるようになり、現在の主な活動は「公共施設の修復」になっている。自衛隊員が外務省に代わって地元民の要望にODA予算をつけ、一日およそ千人を雇用している。それが現地で好感を持たれ、武装勢力の攻撃から宿営地を守ることに繋がっている。武力行使を禁じられて「戦場」に行かされ、しかも「戦死するな」と無理な命令を出されている自衛隊員の苦労は察しても余りあるが、「ODAのゼニで安全を確保している」のが実態なのだ。これでは「支援」の要望がなくならず、いつまでも派遣目的は達成されない。

 それでも政府は「人道復興支援が進んだ」とこじつけて撤退理由にするのだろう。合理的な撤退理由が見つからないのは、「派遣」に合理的な理由がなく、従米・屈米ゆえの真の理由を糊塗してきたからに他ならない。

(日本の目指すべきものは何か)
  小泉政権はイラク派遣をきっかけに、今後、国会の承認なしに自衛隊を海外に派遣できるよう「恒久法」を作る準備を進め、更に憲法を改正し、アメリカとともに「海外で戦争のできる国」にしようと目論んでいる。

 ところが本家本元のアメリカは「大量破壊兵器」とウソまでついて始めたイラク戦争の泥沼に陥り、国内からも撤退を求める声が強まっているのに、ブッシュ政権は出口戦略を描くことさえできない。

 自衛隊の撤退は、同盟国への協力に名を借りた従米・屈米の姿勢から派遣した過ちを素直に認め、日本がこの先目指すべきなのは、単なるアメリカ追随主義なのか、それとも平和主義・国連中心主義を現実主義的に使うといった姿なのかを考える機会にしなければならない。その時こそ、国際貢献を言うなら軍事的な貢献でなく、徹底した平和主義に立ち、どんな災害や紛争の地にも行って援助活動をする組織を作って対応する、という我々の提案がひときわ輝きを見せることを確信する。

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