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表 題
掲載日
ドイツW杯と「ヴィルムヘルム・テル」と感傷と
2006.06.13
「クリスマス・キャロル」と村上世彰元代表
2006.06.07
「目黒の秋刀魚」と改正道交法
2006.06.06
「エルヴィス・オン・ステージ」に反する訪問

2006.06.02

「棒縛」にも懲りない社会保険庁
2006.05.26
「人形の家」と劇場型民主主義

2006.05.24

「甦るオッペケペー」から見た教育基本法論議

2006.05.21

表 題
掲載日
「セールスマンの死」を増やした小泉内閣の5年間
2006.05.16
「素晴らしき休日」の後には…
2006.05.11
「ロボット」と無駄の効用
2006.05.10
「検察官」の到着と日本社会
2006.04.20
「ベニスの商人」も真っ青な消費者金融
2006.04.17
 
  ドイツW杯と「ヴィルムヘルム・テル」と感傷と Seibun Satow  ドイツにおいて、サッカーのW杯が開幕し、日本にも高揚感と落胆をもたらしています。
 近代に入って以来、日本にとってドイツは、明治憲法を始めとして、さまざまな面で深い関係があるのは周知のことでしょう。そうした日独交流史の中で、最初に紹介されたドイツ文学はフリードリヒ・フォン・シラー(Friedrich von Schiller)の歴史劇『ヴィルヘルム・テル(Wilhelm Tell)』(1804)です。
 スイスのシュヴィツ州・ウリ州・ウンテルワルデン州は、神聖ローマ皇帝から勅書を賜り、自治が認められていました。ところが、14世紀になってオーストリアのルドルフ王が皇帝となると、自治権を無効にし、代官を派遣して統治させるようになります。ウリ州に住むヴィルヘルム・テルは、横暴な代官ゲスラーの帽子に敬意を示さなかったため、息子の頭に乗せたリンゴを矢で射落とせと命令します。見事に成功したものの、失敗して息子が死んだ時には、ゲスラーを殺す覚悟だったことが代官に知られ、捕まってしまいます。しかし、テルはうまく逃げ、待ち伏せて、ゲスラーを射殺します。これをきっかけに、スイス各州で民衆が一斉蜂起し、オーストリアからの独立運動が本格化していくのです。
 1804年と言えば、フランス革命が全欧州に影響を与えていた時期です。革命に触発されて、ドイツの若者の間で自由主義的な思想が流行し、精神的高揚が生まれています。けれども、当時のドイツは40余の小国に分かれ、シラーが小説『招霊妖術師』で諷刺したように、時代遅れの宮廷政治に支配されていました。政治的停滞への苛立ちが精神的高揚につながったのです。老害と気紛れ、嫉妬、前例主義、迷信深さが政治に蔓延し、絶望的な停滞に陥っていました。才能ある者はそれだけで疎まれ、排除されやのです。
 シラーもそうした冷や飯を食わされた一人です。彼は、1789年イエーナ大学の歴史学教授に就任するまで、安定した職に就けず、おまけに上映禁止処分を受けるなど苦しい生活を送らなければなりませんでした。彼の生涯は自由への衝動と権力への抵抗で貫かれます。
 シラーは、『素朴文学と感傷文学について』(1795-96)において、かつての「素朴」な時代と違い、現実と理想が乖離した近代を生きているのであり、現実を言葉によって理想化しなければならないとして、それを「感傷」と呼んでいます。感傷は自己憐憫を意味しているわけではないのです。理想は芸術の中にのみあることを自覚しなければなりません。
 死の前年に発表されたこのアンチヒーロー劇も彼の感傷主義に基づいています。舞台は「素朴」の時代であり、主人公は伝説上の人物です。しかも、シラーはスイスに足を踏み入れたことさえありません。スイスの地図と風俗画を眺めて、想像して書いたのです。
 けれども、スイスの人々は、これほどスイス人の気質や言動を捉えた作品はないと誇りにしています。感傷によって創造された理想は現実を活性化することもあるのです。
 W杯でどのような結果が出るかはわかりません。しかし、「感傷」の時代を生きる人間として現実に対処することは必要でしょう。

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  「クリスマス・キャロル」と村上世彰元代表 Seibun Satow  村上世彰M&Aコンサルティング元代表がインサイダー取引の容疑で逮捕されました。発足時40億円だった投資資金が7年間で4000億円にまで膨れ上がっていますから、それはファンドの経営において手に余るものであり、破滅は時間の問題だったでしょう。
 村上代表に対し、金の亡者という非難が投げかけられています。守銭奴と言えば、「エベネーザ・スクルージ(Ebenezer Scrooge)」がその代名詞です。彼は、チャールス・ディケンズ(Charles Dickens)の『クリスマス・キャロル(A Christmas Carol,)』(1843)の登場人物で、欲深く、冷酷で、金儲けのことしか興味のない自己中心的な初老の商人です。
 クリスマス・イヴの夜に、帰宅したスクルージは、かつての共同経営者で、10年前に亡くなったマーレイ老人の幽霊の訪問を受けます。マーレイは、今のような金の亡者でいるといずれ自分みたいになってしまうと諭し、新しい生き方を3人の精霊、「過去のクリスマスの霊」・「現在のクリスマスの霊」・「未来のクリスマスの霊」が教えてくれると伝えます。過去の精霊は、スクルージが忘れていた若き頃の自分を思い起こさせます。孤独ながらも、素直な少年だったのです。現在の精霊は、彼をロンドンのあちこちへと連れて行き、貧しくとも、明るく、愛で結ばれたクラチットの家族を見せます。けれども、クラチットの末子ティムは病気がちで先は長くないのです。未来の精霊は真っ黒な布に身を包み、一本の手だけを前に差し出した姿をしています。自分の姿がないのです。第3の精霊はエゴイスティックな強欲が何をもたらすか示します。さらに、ティムも亡くなり、誰からも見向きもされない荒れ果てた墓が自分のものだとスクルージは知って、愕然とします。夜明けと共に、目を覚ました彼はそんな未来をまだ変えることができると改心し、愛を大切にして、人のために生きようと決意するのです。
 当時の人々は『クリスマス・キャロル』を活字でのみ理解していたのではありません。役者に興味のあったディケンズは英米で公開朗読会を行い、中でも、『クリスマス・キャロル』は最も人気があった演目です。彼はヴィクトリア朝におけるこの精霊だったわけです。彼が使った朗読会用の自著には離し方に関する数多くの書き込みが残っています。
 ディケンズは社会小説の確立者であり、分冊小説の形式によって、資本主義の矛盾や社会問題を鋭く批判しています。ペーソスのある平易な文体ながら、詳細な人物描写と具体的な細部、物語世界の多重性という作風のディケンズの著作は、英語圏において、エドワード・ギボンの『ローマ帝国衰亡史』等と並んで、必読書と見なされています。多くの起業家も彼の著作を子供の頃に読んでいますが、トーマス・エジソンもその一人です。
 村上元代表は「もの言う株主」を訴えてきました。けれども、彼が体現してしまったのは「金がものを言う」です。かつてアメリカでもそうしたアクティビティファンドが盛んでしたが、村上ファンドと似た状況に陥り、結局、今は主流ではありません。クリスマスまでにはまだ半年以上あるというのは、村上元代表にとって、幸いだったかもしれません。


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  「目黒の秋刀魚」と改正道交法 Seibun Satow  この6月から改正道交法が施行されています。民営化の一環として導入された民間駐車監視員による違法駐車の減少と交通渋滞の緩和を目的としているわけですが、怠慢な広報はいつものことながら、駐車料金をケチって路上駐車をするしみったれはともかく、宅配便や引越、介護タクシーなども杓子定規にも取締りの対象となっているようです。
 杓子定規というのはしばしば笑いのネタになるものです。江戸落語『目黒の秋刀魚』にもそうした杓子定規が見られます。
 よく晴れた初秋のある日、殿様が家来を連れて、目黒不動参詣を兼ねて遠乗りに出掛けました。昼頃に目黒に到着すると、ある農家から秋刀魚を焼く匂いが漂ってきました。家来から秋刀魚の味を聞かされ、自分も食べてみたいと殿が所望します。秋刀魚は下魚ですからおやめくださいと家来が頼んでも聞く耳を持ちません。結局、家来は農家からその秋刀魚を譲ってもらい、殿に差し出します。殿は初めて口にした秋刀魚の味にすっかり魅了されてしまいます。それからというもの、秋刀魚のことが頭から離れません。しばらくして、親戚に呼ばれた際、家老から好みの料理を申しつけてくださいと言われた殿は秋刀魚を希望します。日本橋の魚河岸から最高の脂の乗った秋刀魚を取寄せるのですが、杓子定規にも、お腹を壊しては大変と家老は秋刀魚を蒸し、小骨を抜いて殿に差し出すのです。イメージとまるで違う秋刀魚を前に、殿は「なに、これが秋刀魚と申すか。間違いではないのか?確か、もっと黒く焦げておったはずだが…」と呟きながら、一口食べたものの、油の抜けた秋刀魚の不味さに顔を歪め、「この秋刀魚、いずれより取り寄せたのか?」と尋ねます。家老が「日本橋魚河岸にございます」と答えると、殿はこう納得するのです。「あっ、それはいかん。秋刀魚は目黒に限る」。
 昔の上様は下々の生活の実態を見たことがありませんから、それを知りたいと思っていたものです。この殿もそういう動機で、当時東京の郊外だった目黒まで足を伸ばしたのです。それに比べると、道交法改正を推進した官僚や政治家は、これだけ杓子定規な運用に疑問を抱かないのですから、人々の生活の実態など知る気もなかったようです。
 古典落語は、テレビのバラエティ番組と違い、ネタがバレていても、何度でも楽しめるものです。「あいつの『目黒の秋刀魚』はいつ聞いてもいいね」とお客に思わせることが、落語家の技量でしょう。繰り返しの中で、磨かれていく誰にも真似のできない噺家の味を落語を通じて観客は感じるのです。
 今回の道交法改正で最も困っているのは、自動車を仕事に使っている人たちです。彼らには、噺家同様、毎日の繰り返しの中で、蓄積してきた知識や技術というものがありますが、改正によりそれがうまく使えなくなっています。にもかかわらず、民間駐車監視員の団体は天下りを受け入れています。ノウハウが民間にはないからという理由です。
 まったくお後がよろしい話です。


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  「エルヴィス・オン・ステージ」に反する訪問 Seibun Satow  小泉純一郎内閣総理大臣は、繰り返し、今国会の会期の延長はしないと発言しています。6月末の訪米と7月のサミットという外交日程が控えているため、それを優先したのがその理由と見られています。
 今回の渡米には、エルヴィス・プレスリーの邸宅だったグレイスランド招待が含まれています。小泉首相が、パキスタンのパルヴェーズ・ムシャラフ大統領同様、エルヴィスのファンダということはよく知られています。しかし、この訪問は反エルヴィス的です。
 テネシー州メンフィスにあるグレイスランドは合衆国の国定史跡です。しかし、それだけではありません。そこには、8月16日の命日の一週間前より、全世界から熱狂的な信奉者が巡礼に集まります。さまざまな催し物が行われますが、最も重要な儀式は、老若男女やプロアマを問わない無数の物真似大会です。
 しかし、彼らが演じるのは、ラフな身なりに、撫でつけられたリーゼント、長いもみあげ、激しく前後に振られる腰、不明瞭な発音で、『ハートブレイク・ホテル』を叫ぶ若きロックンロールの革命児ではありません。白のジャンプスーツに身を包み、暑苦しく太り、髪をくしゃくしゃにしながら、大汗にまみれ、息も絶え絶えで『サスピシャス・マインド』を歌うキング・エルヴィスです。それはDVD『エルヴィス・オン・ステージ(Elvis: That’s Way It Is)』で見られる貫禄ある姿です。
 ロックのファンの多くはこの時期のエルヴィスを評価しません。確かに、現在にまでつながるロックのイメージを創造したのは50年代のエルヴィスです。
 にもかかわらず、エルヴィス主義者が晩年のステージを真似するのは、キリスト教の十字架行ではありませんが、計り知れないキングの苦悩を追体験するためです。キングの苦悩に浸ることで、私は大切な何かを失ってしまったのではないかという喪失感を埋め合わせ、魂を癒すのです。パックス・アメリカーナの50年代からアメリカの威信は、唯一の超大国となりながらも、没落しています。アメリカがどうしてこうなってしまったのかというアメリカ自身の苦悩がエルヴィスに投影されているとも言えるでしょう。「エルヴィスは白人のアメリカ人に目線を下げるということを教えた」(ジェームズ・ブラウン)。
 8月15日の夜9時をすぎると、あの日を迎える深夜に向けて、すべての人がキャンドルを手に、「瞑想の庭」に達する頃には涙が溢れ出し、墓に向かって収束する「キャンドルライト」をクライマックスにして、聖なる悲嘆にくれます。参加者はキングの魂とヒーリングを体験するわけです。エルヴィスは、50年代と違い、特定の世代だけでなく、老若男女、国籍と関係なく魂を癒し続けているのです。
 おそらく、小泉首相が癒しを求めてかの地を訪れるわけではありません。人々に喪失感を与えているのは彼の政治自身だからです。「目線」を上げた自分の写真をよく使う小泉首相は訪問する前に、「目線を下げる」ことの意味を学ぶのが先決でしょう。

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  「棒縛」にも懲りない社会保険庁 Seibun Satow  社会保険庁の地方組織である社会保険事務所が、去年の11月から今年の3月にかけて、本人の申請があったわけでもないのに、無断で保険料を免除したり、納付を猶予したりしていました。国民年金保険料の未納者が急増しているため、未納率を低く見せかける組織的な操作と推察され、総数は4万人分以上と見られています。
 社会保険庁と言えば、つい最近まで、年金資金の運用に関して厳しく批判されたばかりです。その運用実態が露見したこともあって、未納率が高くなったのですが、彼らはまったく懲りていません。社会保険庁はまるで狂言『棒縛(ぼうしばり)』の太郎冠者・次郎冠者のようです。
 『棒縛』は小名狂言の二人冠者物に分類されます。登場人物は次郎冠者(シテ)と太郎冠者、主人です。ただし、和泉流では、太郎冠者がシテとなります。
 自分の留守中に、太郎冠者と次郎冠者が酒を盗み飲みしていると知った主人は、今日こそは戒めてやろうと思います。一計を案じ、次郎冠者を棒に、太郎冠者を後ろ手にそれぞれ縛りあげます。喚く二人を置いて、主人は安心して出かけていきます。けれども、仕打ちに腹を立てた二人は、逆にファイトを燃やし、協力して酒を盗み飲みします。すっかり酔いが回り、謡い出すだけでなく、縛られたままの姿で舞まで始めてしまいます。そこに、主人が戻ってきます。ご機嫌の二人はそれに気づかず、盃に映った主人の顔を見ても、酒を飲まれやしないかという主人の「執心」だろうと思い込みます。しかも、それを面白がり、主人の顔を貶す始末です。とうとう主人が怒りを爆発させ、次郎冠者を追いかけで幕となります。これは「追い込み」と呼ばれるオチで、ドリフのコントでもお馴染みでしょう。
 この『棒縛』での舞や謡の多くは能や舞楽などのパロディです。例えば、最後の方で太郎冠者と次郎冠者が一緒に謡う「月は一つ 影は二つ みつ(三つ=満つ)汐の 夜の盃に しゅ(主=酒)を乗せて 主とも思わぬ 内の者かな」は、能『松風』の「月は一つ 影は二つ 満つ汐の 夜の車に月を乗せて 憂しとも思わぬ 潮路かなや」を捩っています。かつての観客は、観劇する際、それを承知しているのが前提でした。元ネタに対する観客=演者=作者の共通理解を基盤に狂言の舞台は成立し、笑いはより多層になるのです。
 しかし、社会保険庁は人々が何も知らないことを前提にして動いています。共通理解など彼らの眼中にないのです。年金は老後の生活にいくばかりかの笑いがあるようにさせるものでもありましょう。ところが、彼らときたら、その笑いを奪おうとしているのです。社会保険庁は、ありとあらゆる手を尽くして、酒を盗み飲む二人の冠者のような組織だと承知して接していかなければなりません。行動を改めさせようとしても、縛りあげる程度では彼らに効き目はないのです。

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  「人形の家」と劇場型民主主義 Seibun Satow  「私はね、まず人間なのよ」。ノーラは夫のトルヴァルにそう告げ、「人形の家」を出て行きます。ヘンリック・イプセン(Henrik Johan Ibsen)による『人形の家(Et Dukkehjem)』(1879)のクライマックスです。
 ノーラは8年前にトルヴァル・ヘルメルと結婚し、3人の子供を儲け、彼から「ベイビー」や「うちのリス」、「可愛いヒバリ」と呼ばれ、何不自由のない生活を送っています。けれども、以前、夫が病気になった時、彼女はイタリアへの転地療養の費用を亡き父親の署名を偽造して借り、今も夫に内緒で返済しているのです。とことが、その金を貸したクログスタが不法行為を理由に銀行を辞めさせられそうになり、頭取のトルヴァルにとりなしてくれなければ、例の秘密をばらすと彼女を脅します。夫がそれを知れば、すべてを捨てて自分をかばうと思った彼女は彼を首にしないように夫へ頼みます。事情を知らない彼は妻の言葉に耳を貸さず、クログスタを解雇してしまいます。夫が秘密を知ることとなるのですが、かばうどころか、銀行の頭取としての自分の体面をどうしてくれるのかと彼女を激しく叱責します。そこへ後悔したクログスタから謝罪の手紙が届き、夫も冷静さを取り戻します。しかし、ノーラは夫の偽善さにしらけ、自分は彼から人形として扱われていただけと悟ります。夫との長い口論の後、すべてを清算するため、彼女は家を出るのです。
 『人形の家』は女性解放運動を推進し、カタルシスを拒み、リアリズムに基づく近代演劇の原型となった演劇史上の画期的な作品です。しかし、意義はそれにとどまりません。
 この作品は非常に演劇の特性を踏まえています。演劇において、真の主役は登場人物ではありません。舞台です。演劇では、暗転しない限り、その場所を動かすことができません。カメラのサイズとアングルで表現する映画やテレビと違い、出来事の連続によって物語を展開させることができないのです。その代わり、舞台への人の出入りを用いて物語を展開させます。場面設定は、ですから、完全に開かれても閉じられてもいない半開きの場所が好まれます。ノーラの家は新しい社会を感じさせるモダンな集合住宅です。けれども、閉塞感が強く、物語の行き詰りが印象付けられます。そういう「人形の家」からノーラが出て行く結末は、劇場を後にする観客がこの続きを考えていくことにつながるのです。
 2000年くらいから、メディアで「劇場型民主主義」という用語がしばしば使われています。小泉純一郎内閣総理大臣はそれに長けていると言われるのですが、「サプライズ」という出来事を乱発する彼の手法は典型的なテレビ型であっても、劇場型ではありません。「小泉バラエティ」ならともかく、「小泉劇場」は奇妙です。「劇場型民主主義」を使うメディア関係者はあまり劇場に足を運んでいないのかもしれません。近頃、批判的姿勢を欠き、カタルシスに溺れ、こうした言葉を安易に用いたメディアから先の選挙報道に関して自省の声が聞こえます。しかし、全国的に、特定勢力への迎合がまだまだ見られます。
メディアは権力者の「人形」であることをやめ、真の劇場型民主主義に寄与すべきでしょう。


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  「甦るオッペケペー」から見た教育基本法論議 Seibun Satow  1899年、川上音二郎一座はアメリカへ興行旅行に出かけます。サンフランシスコ公演で女形が亡くなった事情から、音二郎の妻貞が急遽代役を務めることになりました。近代日本初の女優「貞奴」の誕生です。さまざまな苦難に直面しましたが、日本のユニークな舞踊と貞奴のエキゾティックな美貌が評判を呼び、欧米中で話題となります。1901年には欧州公演を行い、1964年のアメリカでのビートルズさながらに、「マダム貞奴」は社会現象化し、パリの社交界にも招待され、彼女を真似した着物風の「ヤッコ・ドレス」が流行します。クロード・ドビュッシーやアンドレ・ジイド、パブロ・ピカソは彼女の舞台を絶賛し、彫刻家オーギュスト・ロダンは彼女にモデルとなって欲しいと懇願したものの断られ、フランス政府はオフィシェ・ダ・アカデミー勲章を授与します。浮世絵が印象派の画家に衝撃を加えたように、音二郎一座と貞奴は西洋の文化の創造に影響を与えたのです。
 部分的ですが、当時の模様は録音され、CD『甦るオッペケペー』(1997)で聴くことができます。1903年、苦労の末、エーリッヒ・ホルンボステル=オットー・アブラハムが一座の音楽を五線譜に起こしたのを皮切りに、一座は日本音楽の考察につながっています。
 国会では、教育基本法論議が活発化し、「愛国心」や「伝統と文化を尊重し,我が国と郷土を愛する」といった表記をめぐって政党間で争われています。しかし、「愛」を筆頭に、こうした文言が法律に馴染むとは思えませんし、日本の「伝統」ではこんなのは「野暮」と呼びます。教育と文化が不可分であるとすれば、そもそも日本文化に対する中途半端な知識や貧弱な理解を露呈しているだけです。論議中の「国」は為政者のことにすぎません。
 川上音二郎は自由民権運動の活動家であり、かの「オッペケペー節」は世情に対する諷刺です。教育勅語を中心に据えた愛国教育は守旧派による民権派への抑圧から始まっています。政府にとって、彼は好ましい人物ではなかったのです。また、音二郎一座は女優を使うなど従来の常識から見れば少々奇妙奇天烈です。けれども、明治時代、彼の一座ほど欧米に日本の伝統や文化を伝えたものはいません。
 音楽だけではありません。最近、政府は日本文学の海外への紹介に熱心です。しかし、日本文学は、「日本人の、日本人による、日本人のための文学」、すなわち日本人が日本の地において日本語で書いたものだけを指しません。在日の作家は言うに及ばないでしょう。多和田葉子はドイツに居住し、日本語だけでなく、ドイツ語でも作品を書いていますし、水村美苗は日本語と英語を同時に小説で用いています。また、万葉集の英訳者としても知られるリービ英雄は、ネイティヴではない日本語によって、小説を発表しています。文化が国と直結しているわけではないのです。
 むしろ、思い込みや思いつきの権威主義的な強要に対する批判的姿勢の育成の方が、今日の教育において、有意義です。今の基本法論議からこれが欠落している点に気づかず、政治的課題を教育へ解消しようとするオッペケペーぶりが問題なのです。

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  「セールスマンの死」を増やした小泉内閣の5年間
 
Seibun Satow
 60過ぎのウィリー・ローマンの頭には、もはや自動車事故を装って自殺し、家族に生命保険金を遺してやることしかありませんでした。彼はアクセルを思いきり踏みこむのです。
 アーサー・ミラーによる戯曲『セールスマンの死(Death of a Salesman)』はこうして終わりを迎えるのです。1949年、エリア・カザン演出によるブロードウェーで初演されると、資本主義社会の矛盾を描いた内容だけでなく、映画のフラッシュバックを取り入れる等の斬新な舞台が話題となり、700回以上のロングランを記録しました。これは、間違いなく、20世紀を代表する演劇作品の一つと言っていいでしょう。
 ウィリー・ローマンはかつては口八丁手八丁で商品のイメージを売ることにかけては右に出る者がいないセールスマンでしたが、34年目の今では顧客の大部分が代替わりしたりなくなったりし、成果はさっぱりで、5週間前から固定給なしの歩合制だけになっています。彼は2人の息子の将来に期待していました。けれども、高校時代にはフットボールの花形選手だった長男ビフは父親の浮気現場を目撃して家を飛び出し、30過ぎても定職につかず、次男ハッピーは百貨店に勤めているものの、覇気がなく、女たらしという状態です。25年のローンでブルックリンにマイホームを購入し、自動車や電化製品のローンの支払いなどに追われ続けて、貯金もありません。おまけに、家の周囲に高層建築が建ち並び、日照も失われてしまいました。妻のリンダは追いつめられていく夫を何とか励まし続けます。その姿に息子たちは目を覚まし、スポーツ店を経営するのですが、失敗してしまいます。しかも、ウィリーは社長からとうとうクビを言い渡されます。不仲だった長男と和解したその夜、彼はある決意を抱いて自動車を走らせるのです。葬式になれば、昔馴染みの連中が全米中からやってくると信じていた彼の葬儀が行われますが、参列したのは妻と2人の息子、それに隣人のチャーリーだけでした。
 「考えてごらん。一生かかって働いて家の借金を返す。やっと自分のものになった時には、誰もそこに住む人がいないなんて(Figure it out. Work a lifetime to pay off a house. You finally own it and there's no one to live in it)」。そうウィリー・ローマンは口にします。経済的成功だけが公認された幸福であり、それを追い求めることで逆に破滅し、失敗のリスクもすべて個人へとおしつける社会に彼は生き、死んでもつきまとっているのです。「成功できる」は、「成功しなければならない」へと容易に転換してしまうものです。
 小泉純一郎首相は、今年の2月に国会で、「格差が出ることが悪いとは思わない」と答弁しました。小泉内閣の5年間は、その言葉通り、貧富の格差を拡大させ。こうした「セールスマンの死」を増やし続けたのです。ウィリーは「実社会では、目立つ男、他人の関心をひく男が出世するんだから(Because the man who makes an appearance in the business world, the man who creates personal interest, is the man who gets ahead)」と言い聞かせて息子を育てますが、小泉首相にこそふさわしい信条でしょう。


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  「素晴らしき休日」の後には… Seibun Satow  「素晴らしき休日」の後には、しばしば、意外な事態が待っているものです。商社に勤めるジョニー・ケイスの場合もそうでした。休日にレーク・プラシッドで知り合ったジュリア・シートンの家を後日訪ねた彼はその豪邸に驚かされます。彼女はアメリカ金融界の大立者エドワード・シートンの娘だったのです。
 フィリップ・バリー(Philip Barry)による喜劇『素晴らしき休日(Holiday)』は、このように思いもよらぬ展開をしていきます。
 彼女には姉のリンダと弟のネッドがいました。ジュリアと違い、社交界にも参加しないリンダをエドワードはあまり愛していませんでした。リンダも家庭的な温かみのないこの館を「博物館」と呼び、亡き母が晩年をすごし、やさしい雰囲気の漂う遊戯室へ閉じこもっています。弟のネッドだけがリンダを理解してくれたものの、シートン家の跡継ぎという重圧に彼は押し潰され、酒に溺れています。
 ジョニーとジュリアの婚約発表が館で盛大に行われますが、リンダがいません。彼が遊戯室へ呼びに行くと、そこにはリンダとネッド、それにジョニーの親友の大学教授のニックとスーザンのボター夫婦も一緒でした。スーザンはリンダの学校時代の先生だったのです。みんな、パーティを忘れて、すっかり盛り上がってしまいます。
 そこへ現われたエドワードに、ジョニーは取り引きが成功し、大金を手にできたので、仕事を辞め、人生を考えてみたいと告げます。人生において、金儲けは一義的な目的ではないと言う彼にジュリアとエドワードは当惑し、リンダは共感します。
 シートン家流の生活を2、3年してみると決めたジョニーに、ボター夫妻が欧州留学へ赴くこととになり、同行を勧めます。エドワードの権威主義的振る舞いに嫌気がさし始めた彼は、ジュリアに一人の女性として今すぐ結婚し、自分と共に欧州へ来てくれないかと申し出ます。ところが、ジュリアは一人で行けばいいと冷ややかに答えるのです。リンダはジュリアがジョニーを本気で愛しているわけではなかったと知ります。出帆10分前、ジョニーはボターの船室へ飛び込み、その直後、リンダも駆けつけるのです。
 これがブロードウェーで初演されたのは1928年です。ウォール街の活況に伴い、拝金主義が蔓延し、禁酒法に代表される非寛容なピューリタニズムが昼の社会を得圧すると同時に夜を支配する暗黒街が享楽的なお楽しみを提供していた時代です。そんなアメリカから欧州へ渡り、自分自身を探す「パリのアメリカ人」も現われます。『素晴らしき休日』はこうした時代を諷刺し、大ヒットしています。
 小泉純一郎首相を始め、与党や閣僚の多くが連休中に外遊へ出かけ、いろいろな思惑を抱きながら、さまざまな発言をしています。ジョニーは、人生の目的を「素晴らしき休日」ではなく、思いもがけず、その後に見つけました。彼らが政治の目的をいかに考えているのかは「素晴らしき休日」の後に、意外かどうかはさておき、見えてくるのでしょう。

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  「ロボット」と無駄の効用 Seibun Satow  予算が削減される中、科学技術に関しては、「あすの投資」として増加を認める方向ですが、そううまくはいかないようです。総合科学技術会議は科学研究に伴う「無駄」の必要性を説いていますけれども、既得権益を維持したい省庁や商品化につながる研究を重視すべきだという産業界、成果を挙げて国の収入を増やしたい議員や財務官僚の思惑が絡み合っています。しかし、「無駄」のない成果主義を追及した科学技術研究はやせ細ります。
 人間における「武佐」の問題を描いた戯曲としてカレル・チャペック(Karel ?apek)のSF『ロボット(R.U.R.: Rossumovi univerzalni roboti)』があります。人間から「労働」以外の「無駄」を除去し続けて誕生したのが「ロボット」であり、一方、ロボットにより苦役から解放された人間は生殖機能もなくし、無為徒食と化してしまうのです。
 この作品は「ロボット(robot)」という単語を生み出したことでも知られています。これはチェコ語の「労働(robota)」から派生しました。他に、世界的に浸透したチェコ語として「ドル(dollar)」と「ピストル(pistol)」が挙げられます。ドルはクトナー・ホラで鋳造した銀のコイン「ヨアヒムスターラー(joachimsthaler)」、ピストルは笛を意味する「ピーシュタラ(pi??ala)」に由来します。
 生理学者ロッサム博士が、偶然、生きた原形質を作り出すことに成功し、それを使って人造犬、次いで人造人間を誕生させます。その甥のエンジニアが人造人間から「無駄」を取り去り、労働をするだけの生命機械「ロボット」を開発します。ロッサム社はそれを万能型のロボット(通称R・U・R)として商品化して量産を始めるのですが、その社長ハリー・ドミンをヘレン・グローリーが訪れる場面からこの戯曲は始まるのです。
 10年後、労働から解放された人間は無為徒食となってしまい、ロボットはそれに反発し始めます。ドミンの妻となったヘレンは人間の生殖能力を喪失させたロボットの製造を停止させるため、生命創造の秘密を記した文書を償却します。ロボットはとうとう反乱を起こし、人間を一人だけ残して抹殺してしまいます。けれども、その秘密を知ることはできません。ロボットは再生産の方法がわからず、滅亡の道を辿る運命に愕然とします。しかし、男女一組のロボットの間に愛が芽生え、彼らが新しい人類の「アダム」と「イヴ」となっていく予感をさせて幕となります。
 1921年1月25日に初演されたこの戯曲の先見性は、ロボットを寓意として読むなられ、主人と奴隷の寓話や生命倫理の問題、商業主義、創造性など「無駄」に多岐に亘っています。ここのロボットはメカニカルではなく、バイオテクノロジーによって生み出された現代のゴーレムです。しかも、それはたまたまできたのです。また、「無駄」なはずの愛によって、新たな人類が誕生することになるのです。「無駄」の効用を忘れてはならないのです。
 そもそも、機械には、「無駄」な遊びが欠かせません。遊びのないブレーキ・ペダルの自動車に乗ろうと思う運転手はいないでしょう。

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  「検察官」の到着と日本社会 Seibun Satow  連日、偽装や談合、不要な随意契約といった不正や腐敗が伝えられます。よくもまあここまでやるよと呆れるほどです。その根本的な原因は官僚主義にあると言って過言ではありません。
 ニコライ1世統治下のロシアも、官僚主義の強圧性や欲深さ、御都合主義が蔓延していました。1825年の即位前から反動的として知られたこの皇帝は、欧州の自由主義的な流れに逆らい、秘密警察を創設して、自分の意にそぐわない者を次々と弾圧し、大学での哲学講座を禁止します。国内を管理するため、強固な官僚機構を整備し、対外的には、拡大政策を推進していきます。マニファクチュアの育成や鉄道建設、農奴問題など近代化政策に取り組む姿勢を見せつつも、内実は非常に消極的で、ロシアは発展から取り残されます。そうした強権的な体制では、当然ながら、不正や腐敗が横行します。
 ニコライ・ヴァシリヴィチ・ゴーゴリ(Николай Васильевич Гоголь)はそんな社会を喜劇『検察官(Ревизор)』(1836)によって諷刺しました。
 ロシアの田舎町に、検察官がサンクトペテルブルクから行政視察にやってくるというニュースが伝わります。町長や判事、慈恵院主事、校長、郵便局長等有力者は賄賂や横領などで甘い汁を吸っていましたから、その対策に追われます。そこへ、放蕩の挙げ句有り金を使い果たしたプレスタコーフが現われると、緊張していたお偉方は彼を検察官と勘違いしてしまい、あの手この手でプレスタコーフに取り入ろうとします。誤解に気づいたこのニセ検察官は彼らから金を巻き上げ、トロイカに乗って町を去っていきます。その直後、郵便局長が彼の手紙を開封して正体を知ってしまうのです。手紙の中でこき下ろされていた町の連中が青ざめていると、本物の検察官の到着が告げられ、一同が言葉もなく、固まったところで幕となります。
 ゴーゴリはこの上演によって一躍有名となりますが、プレスタコーフよろしく、国外へ逃亡します。体制の腐敗を諷刺したその内容が進歩派から喝采を浴びたものの、守旧派を激怒させたからです。天才詩人アレクサンドル・セルゲヴィチ・プーシキンは『検察官』を目にし、「わがロシアは何と悲しい国だろう」と嘆きました。
 『検察官』は、20世紀中、最も公演された戯曲の一つですが、その人気は官僚主義の弊害という普遍的な問題を扱っているからだけではありません。登場人物たちが凍りつくというエンディングはカタストロフィというもの自体を具現しています。それは自分たちの立っている世界がもろく崩れていく臨界状態に到達した瞬間にほかなりません。
 偽装や談合、不健全な随意契約に塗れた日本社会には、将来的には、こうしたカタストロフィは望ましいでしょう。取り繕うことなく、むしろ、そうなるための方策を推進すべきです。「自分の顔が曲がっているのに、鏡を責めて何になるのか」。さあ、「検察官」がやってきますよ。

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  「ベニスの商人」も真っ青な消費者金融 Seibun Satow  アイフルに対し、金融庁は、4月14日、強引な取立てなど5つの違法行為を理由にほぼ全店営業停止の行政処分を下しました。「合意は拘束する(pacta sunt servanda)」は、古代ローマ以来、金の貸し借りに対して適用されてきました。しかし、今日の日本ほどこれが拡大解釈されている社会は歴史上ないでしょう。消費者金融の20%以上の年利は多くの社会問題を誘発しています。平成15年版の犯罪白書によると、不明を除いて、消費者金融から借金をしている者が強盗群の66.1%、そのうち多重債務者は消費者金融からの借入れがある者の57.9%を占めています。また、年間3万人を超える自殺者の中にも消費者金融からの借金を苦にした人が少なからずいると推測されます。この現状と照らし合わせるなら、ウィリアム・シェークスピアの『ベニスの商人(The Merchant of Venice)』のシャイロックも慈悲深く見えるほどです。「悪魔でも聖書を引くことができる,身勝手な目的にな」。
 この物語の舞台は中世のベニスです。バサーニオは富豪の娘の女相続人ポーシャと結婚するために、友人のアントーニオから金を借りようとします。けれども、このベニスの商人の財産は航海中の商船にあり、金が手元にないので、ユダヤ人の高利貸しシャイロックを訪れます。アントーニオは期限までに3000ダカットを返済できなければ、シャイロックに彼の肉1ポンドを与える条件で合意します。ところが、彼の商船は難破し、金を用意できなくなってしまうのです。結婚指輪を交わしていたバサーニオとポーシャにそのことが伝わり、バサーニオが肩代わりをすると申し出ますが、シャイロックは受けとらず、契約通りアントーニオの肉を要求します。若い法学者に扮したポーシャがこの件を担当したものの、シャイロックは譲らないため、肉を切りとってもよいと判決を下します。喜ぶシャイロックにポーシャは「肉は切りとってもよいが、契約書にない血や髪の毛など他のものは一切切りとってはならない」と付け加えるのです。肉を諦めたシャイロックは、アントーニオの命を奪おうとした罪により財産の半分を自分の娘ジェシカに譲らざるをえなくなり、その上、キリスト教へ改宗させられてしまうのです。
 シャイロックは、『ベニスの商人』により、歴史上最低の悪徳金貸しとなったわけですが、これは明らかにユダヤ人差別です。ユダヤ人はトーラーとタルムードの二つを守らなければなりません。前者は律法、すなわちモーゼ五書(「創世記」・「出エジプト記」・「レビ記」・「民数記」・「申命記」)を指します。後者は律法学者が決めたユダヤ教徒として従うべき日常生活や商取引などのルールです。この二つを共通基盤としているため、ユダヤ人はお互いを信頼して金融や商業のネットワークを形成できたのです。そのタルムードで、ユダヤ教徒がとっていい利子は3%までと決まっています。トイチ(10日で1割)などもってのほかなのです。
 シャイロックが今の消費者金融を見たらこう言うに違いありません。「いかなる悪徳も外面にはいくらか美徳の印を見せている。それをせぬような愚直な悪徳はかつてない」。

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