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表 題
掲載日
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小沢一郎新代表と「山猫」
2006.04.11
「タルチェフ」に翻弄された日本政界
2006.04.04
「トミー」ではなかった松本智津夫被告
2006.03.31
「この生命誰のもの」を問う呼吸器外し問題
2006.03.28
「キュクロプス」なイラク派兵
2006.03.23
「パブリック・プレッシャー」の電気用品安全法
2006.03.20
表 題
掲載日
「犀」になった東京地裁
2006.03.20
「縛られたプロメテウス」を演じられない小泉純一郎首相
2006.03.15
「初めに音楽、次に科白」な量的緩和政策
2006.03.13
「バージニア・ウルフなんかこわくない」猪口邦子大臣
2006.03.09
三文オペラ国会
2006.03.03
人口減少と生活の質

2006.01.20

石橋湛山と小日本主義
2005.12.28
 
  小沢一郎新代表と「山猫」 Seibun Satow 「有陰徳者必有陽報」 
  『淮南子』

 民主党の代表選挙の際、小沢一郎候補は、映画『山猫』の科白「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない(We must change to remain the same)」を引用して、演説を締めくくっています。彼は、以前から、最も好きな映画としてバート・ランカスターとクラウディア・カルディナーレのダンス・シーンで知られるこの作品を挙げています。『山猫』は民主党の新代表の傾向を知らしめるのみならず、時代の変化に際することはどういうことなのかを語っています。
 『山猫(The Leopard)』はルキノ・ヴィスコンティ監督による伊米合作映画で、1963年の第16回カンヌ国際映画祭においてグランプリを受賞しています。淀川長治は、『淀川長治映画塾』の中で、「『風と共に去りぬ』に負けない立派な映画」と絶賛しています。欠点は、とても貴族に見えないアラン・ドロンのキャスティングくらいでしょう。音楽担当は、フェデリコ・フェリーニの『道』やルネ・クレマンの『太陽がいっぱい』、フランシス・フォード・コッポラの『ゴッドファーザー』でも知られるニーノ・ロータです。
 原作はジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサ(Giuseppe Tomasi di Lampedusa 1896~1957)の小説『山猫(Il Gattopardo)』です。ただ、こちらの方がもう少し長く、老公爵の死後まで続きます。作者は、小説の主人公同様、シチリアのパレルモの公爵家に生まれ、ダンテ・アリギエリやウィリアム・シェークスピア、スタンダール、マルセル・プルーストを愛読し、いくつかの文学エッセイを執筆していますが、スタンダールからの影響が顕著なこの作品が唯一の長編小説です。彼が亡くなった後の1958年に出版され、戦後イタリアで最初のベストセラーになっています。
 舞台は1860年のシチリア島です。この時期のシチリアは激動しています。反動的なウイーン体制の下、分裂していたイタリアで「統一運動(リソルジメント:Il Risorgimento)」が全土で起き、1843年以降、ジュゼッペ・マッツィーニによる共和国構想がイタリア南部で強く支持されています。その頃のシチリアは、ナポレオン・ボナパルト没落後の1816年に再興されたブルボン家のナポリ王フェルディナンド4世が興した両シチリア王国に属しています。欧州各地で革命が勃発した「革命の年」とも呼ぶべき1848年初頭、フェルディナンド2世治世のシチリア島民も蜂起し、住民へ立憲議会制を与えることを国王に認めさせ、さらに、退位を宣言します。フェルディナンドはナポリ領内で反動派の支援を受け、同年9月、軍隊をシチリア島に送り、翌年5月にパレルモを降伏させます。しかし、1859年にフェルディナンド2世の子フランチェスコ2世が後を継ぐと、翌年、北イタリアがオーストリアの支配から解放された後、統一主義者のジュゼッペ・ガリバルディは1000人の義勇兵と共にシチリア島を征服し、61年、シチリアはヴィットーリオ・エマヌエーレ2世の新しいイタリア王国の一部となります。赤シャツ隊上陸前夜から始まる『山猫』はこうした歴史的・社会的激動を背景にした作品なのです。
 シチリア島で最も由緒ある貴族で、「山猫」の紋章を戴くサリナ公爵ドン・ファブリツィオ(バート・ランカスター)は、政治的変動にショックを受けつつも、以前と変わらぬ貴族としての生活を守り続けています。甥のタンクレディ(アラン・ドロン)はガリバルディに憧れて、イタリア統一運動に参加していますが、公爵は、価値観が異なっているにもかかわらず、革命派のその恐れを知らぬ若者に愛情を注いでいます。しかも、公爵の娘コンセッタも彼と結ばれることを願っているのです。そんなある日、サリナ家は田舎の別荘に出掛けます。一家が到着すると、村長のドン・カロゲロ(パオロ・ストッパ)が彼らのための歓迎会を催します。彼は抜け目なく時代の流れを見通して成り上がり、無教養で、品のない新興ブルジョアジーです。しかし、村長の娘アンジェリカ(クラウディア・カルディナーレ)にタンクレディは惹きつけられ、タンクレディは、所属連隊に復帰後、公爵に手紙を送り、アンジェリカとの挙式の手配を懇願します。公爵夫人(リナ・モレリ)は彼を裏切り者と罵り、公爵も娘の傷心に胸を痛め、それ以上に、その縁組に貴族としての誇りが傷つけられるのを感じます。結局、わだかまりを胸の内に秘めながらも、身分違いの結婚を認めるのです。大舞踏会が開かれ、アンジェリカは、その父親と違い、平民の娘と思えない気品を漂わせ、ドン・ファブリツィオも彼女の求めに応じてダンスをします。しかし、その大仰なダンスは見事だったとしても、場にそぐいません。それは大いなるデカダンスを体現しているのです。貴族の時代は終わり、ブルジョアの時代が来ています。歴史は、一人の人間の思いとは関係なく、流れていきます。公爵は自らの老いといずれ訪れる死を実感するのです。「山猫と獅子は退き、ジャッカルと羊の時代が来る。そして、山猫も獅子もジャッカルも羊も自らを地の塩と信じているのだ」。
 映画の世界は新イタリア王国成立の前です。しかし、統一後、シチリア島は産業発展からとり残され、大量の移民がアメリカ大陸へ渡り、マフィアの活動が活発化していきます。統一後のイタリアにおける最大の政治問題は南部問題です。ヴィスコンティも映画『若者のすべて』(1960)でこの問題を扱っています。南部のルカニア出身のロッコとその兄弟が北部のミラノで苦悩し、挫折していくのです。重工業地域の北イタリアと一次産業を中心とする南イタリアの経済格差が一向に改善されていません。1960年代にはバノーニ計画によってターラント製鉄所やアウトストラーダが建設され、南部での重工業発展と社会基盤の整備を推進しましたが、格差が縮小しているとはいかに政府よりの人物であっても信じていないでしょう。北イタリアは、現在、欧州でも最高の所得水準の地域であるのに対し、南イタリアの失業率は北部の4倍に達しています。与党の一翼を担う北部同盟はたいした産業もなく、北の税金を浪費し、腐敗と暴力に塗れた南部から北部は分離すべきだと主張しています。
 けれども、「ジャッカルと羊の時代」、すなわち近代以前、シチリアは地中海の交通の要所としてさまざまな文化が入りこみ、独自の歴史を辿っています。紀元前4世紀、プラトンは、失敗するものの、シチリア島のシュラクサイの若き僭主ディオニュシオス2世を指導して哲人政治の実現を試みています。
 多くのシシリアンの作家がそうしたシチリアの独特な歴史を多方面から描いています。『山猫』は、後に、社会問題への視点が欠けているとレオナルド・シャーシャによって批判されます。彼は推理小説『真昼のフクロウ』(1961)・『人それぞれに』(1966)でマフィアを告発し、『モロ事件』(1978)において関係者の膨大な書簡を読み解きながら、国家とテロの問題に切りこんでいます、さらに、ヴィンチェンツォ・コンソロは、1976年、同じ歴史的背景を用い、『反山猫』とも言うべき『無名水夫の微笑み』を発表しています。しかし、いずれの作家の登場も『山猫』なくしてはありえません。戦後シチリア文学は『山猫』に対する批判として形成されてきたのであり、その意味で、この小説はドン・ファブリツィオとして位置づけられます。克服されるべき存在として、歴史や社会の変化におけるデカダンスとしてそれはあるのです。
 『山猫』には、新旧や動静のコントラストが描かれていますが、歴史的・社会的変化がそうであるように、それは単純ではありません。表面的には、公爵は旧=静、タンクレディや村長は新=動を表わしています。しかし、新しい時代の流れに乗っている者の方が、むしろ、保守的な価値観や権威を欲しているのです。タンクレディはガリバルディに貴族主義的な英雄を見出して統一運動へと身を投じ、アンジェリカへ貴族的な教養や立ち振る舞いを要求します。また、アンンジェリカの父ドン・カロジェロはこれからの時代は家柄ではなく、才覚だと見せつけながらも、貴族との血縁関係を喜びます。彼らは自分の旧さに無自覚です。
 一方、ドン・ファブリツィオは新しい時代の到来を認めようとしつつも、心の内ではその変化を嘆きます。彼は「山猫と獅子」の時代の人間であり、「ジャッカルと羊の時代」には馴染めません。自分の旧さを自覚しています。ただ、デカダンスとして、克服されるべき存在として生きざるをえないことを認知し、「変わらずに生き残るためには、変わらなければならない」と言うのです。この認識においては彼は新=動です。公爵は、歴史の流れに対し、諦念と矜持をもって臨んでいます。公爵の科白の中の「地の塩」が示す通り、変化は塩辛いものです。決して甘美なものではありません。
 旧=静を最も体現しているのは、映画ではあまり触れていませんが、公爵の娘コンチェッタです。彼女は、父の死後、その憂いと嘆きを受け継ぎ、老いていくのです。
 淀川長治は、『山猫』を含め、ヴィスコンティの映画を「敗北の歌」と呼んでいます。確かに、『山猫』にはデカダンスが溢れています。「山猫と獅子は退き、ジャッカルと羊の時代が来る。そして、山猫も獅子もジャッカルも羊も自らを地の塩と信じているのだ」。この「地の塩」という意識が歴史の変化と共に生きるには不可欠なのだということを『山猫』は告げているのです。 〈了〉
 註: 塩は地上、すなわちこの世において生命の維持に不可欠であるのはもちろん、古来から調味料や防腐剤、殺菌、清めの道具として用いられていますが、「地の塩」は『新約聖書』に由来します。


 あなたがたは地の塩なのです。けれども、塩に塩気がなくなれば、その塩は何によって塩味がつけられるのでしょう?もう何の役にも立たず、外に投げ捨てられ、人々に踏みつけられるだけです。
(『マタイによる福音書』5章13節)

 Vos estis sal terrae; quod si sal evanuerit, in quo salietur? Ad nihilum valet ultra, nisi ut mittatur foras et conculcetur ab hominibus.
(“Evangelium Secundum Matthaeum” V: xiii)

 You are the salt of the earth, but if the salt has lost its flavor, with what will it be salted? It is then good for nothing, but to be cast out and trodden under the feet of men.
(“The Gospel According to Matthew” 5:13)


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  「タルチェフ」に翻弄された日本政界 Seibun Satow  詐欺師は、しばしば、喜劇の舞台に登場する人物です。喜劇には社会を諷刺する機能もありますので、詐欺師は権力の不正や腐敗を表象する役割を担っているのです。中でも、モリエール(Moliere)の生み出した「タルチェフ」は演劇における詐欺師の一つの定型になっています。
 モリエールは、1664年、喜劇『タルチュフ(Tartuffe)』を発表します。ところが、ルイ14世により5年間の上演禁止を命じられ、修正された後の決定版が初演されたのは1669年となりました。聖職者の偽善と腐敗をイメージさせると判断したためです。モリエールは、『タルチェフ』のエピローグで、王の警吏に「私たちは、詐欺を目の敵とされる国王陛下の下、生きています。そして、いかなるいかさま師の術策をもってしても,これを欺くことはできないのです」と宣告させています。この劇はモリエールのみならず、フランス演劇における最高傑作の一つです。
 2人の娘を持ち、裕福で善良なオルゴンは若く美しいエルミールと再婚しました。そんな彼の前に、宗教熱心なタルチェフという男が現われます。彼の献身ぶりにすっかり感心したオルゴンは娘婿に迎えることを決めます。しかも、彼のずる賢い甘言に惑わされて、オルゴンは実の息子との縁を切り、全財産をタルチェフに相続させるとまで考えてしまうのです。そこで、タルチェフの本当の姿に気づいたエルミールとオルゴンの娘たちはオルゴンにそれをわからせようとさまざまな策を練ります。ドタバタの挙げ句、最後にはオルガンもタルチェフの策略を知るのです。
 政界はタルチェフのような人物に翻弄されました。堀江貴文元ライブドア社長と西沢孝出版社役員は喜劇の登場人物にはうってつけでしょう。自民党や民主党だけでなく、小泉純一郎首相に至っては、イラクが大量破壊兵器を所有しているというアメリカの報告を鵜呑みにして、自衛隊を派遣してしまいました。
 ただ、モリエールの劇と違う点は、騙された人物が必ずしも善良とは言いがたいことです。『タルチェフ』には、「外見の輝きに目が眩み、何とたやすく間違った意見をつくってしまうことだろう」という有名な科白があります。しかし、胡散臭く、怪しげな外見であるにもかかわらず、「何とたやすく間違った意見をつくって」しまった彼らが発するにはふさわしくないのは間違いありません。しかも、「私たちは、詐欺を目の敵とされる政治の下、生きています。そして、いかなるいかさま師の術策をもってしても,これを欺くことはできないのです」というエピローグを迎えるとしたら、それはあまりにも白々しいでしょう。

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  「トミー」ではなかった松本智津夫被告 Seibun Satow  あれからもう10年以上が経ちます。オウム真理教が陰湿な破戒と殺人を行い、世界を震撼させてから、すでにそれだけの年月がすぎたのです。その教団は改名し、今でも活動を続けています。一方で、被害者や遺族への経済的補償や精神的なケアも依然として不十分なままです。
 公判を通して、松本智津夫被告は不規則発言を繰り返したかと思えば、無表情に口を閉ざし続けました。はっきり言って、なめた態度と感じた人も多いでしょう。彼は決してトミーになろうとはしませんでした。むしろ、ノラやフランクです。
 暴力性と奔放性で知られるザ・フーは、1969年、ロック・オペラ『トミー(Tommy)』を発表します。このバンドの他の作品同様、リーダーのピート・タウンゼントの手によるもので、音楽以外の方面にも多大な影響を与えています。この傑作は後に映画化され、現在でも、ブロードウェイ等で上演されています。
 トミーは母親ノラの愛人フランクが父ウォーカーをランプのスタンドで殴り殺すのを目撃します。フランクから「お前は何も見なかったし、何も聞かなかった」と言われて以来、トミーは視力と聴力を失っただけでなく、まったく喋れなくなります。「僕を見て、僕を聞いて、僕を感じて」という心の叫びは誰にも届かず、彼は孤独感に苛まされます。成長したトミーはピンボールの世界王者となり、大金を手にし、その上、ある日、トミーの眼と耳、口の能力が15年ぶりに回復するのです。この奇跡により、トミーは自分を救世主だと思うようになり、世界中に彼の信者が現われるのですが、ノラとフランクはそれを利用して教団に金を集め、私欲のために浪費します。信者は、教祖の到達した世界を体感するために、目を隠し、耳に栓をつめ、口にコルクを銜えてピンボールを弾くのです。しかし、次第に信者は暴徒化し、ピンボールの台を叩き壊して、ノラとフランクを惨殺してしまいます。生き残ったトミーは孤独に戻るのですが、今まで覚えたことのない希望が彼には沸き起こるのです。「僕は自由だ(I’m free)」というトミーの心の叫びと共に幕が閉じます。
 東京高裁は、3月27日、弁護団が正当な理由もなく、控訴趣意書の提出を遅延したと判断し、弁護側の控訴を棄却して、裁判手続きの打ち切りを決定しました。弁護団の異議が認められなければ、控訴審の公判が一度も開かれないまま、彼の死刑が確定します。
 オウム真理教事件は、被害者や遺族はもちろんのこと、松本被告自身を含め、誰にも「僕は自由だ」という思いを抱かせはしませんでした。憤りとやりきれなさをもたらしただけです。『トミー』と違い、結局、彼はそんなものしか残せない教祖にすぎなかったのです。

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  「この生命誰のもの」を問う呼吸器外し問題 Seibun Satow  富山県射水市の射水市民病院において、入院患者7人が延命措置を中止されて死亡しました。病院によると、意識もなく、回復の見込みのない患者だったそうです。それに関わった外科部長はいずれの家族の同意をとっていたと証言しています。その一方で、7人以外の患者の人工呼吸器を外しかけたケースもあり、その家族はそういった説明もなく、そうした行為を頼んだこともないと主張しています。少なくとも、尊厳死を考える際に重要な患者本人の意思の確認は十分ではなかったようです。
 安楽死や尊厳死は非常に難しい問題ですが、ブライアン・クラーク(Brian Clark)は演劇『この生命誰のもの(Whose Life is it Anyway?)』でそれを扱っています。この作品は、1981年、ジョン・バダム(John Badham)監督によって映画化され、リチャード・ドレイファス(Richard Dreyfuss)が迫真の演技を見せています。交通事故で四肢の機能を失った若い彫刻家ケン・ハリソンは病院内で一生をすごすことを拒否するために、訴訟を起こします。しかし、それは彼にとって死を意味します。「脳以外の働きが不可能な人間を生かしておくほど残酷なことはない」と彼は安楽死を求めるのです。裁判の結果、ケンに病院の外へ出る許可の判決が下されますが、彼は、結局、それを選択せず、新しい生き方を模索していくのです。
 この演劇と今回の出来事との間には明確な違いが二点あります。一つはすでに触れた患者自身の意思確認の点であり、もう一つは第三者による法的な根拠に基づく審査の点です。けれども、日本には、裁判所が判決の中で触れたことはあるものの、いまだに延命中止に関する国による明確な指針がありません。
 19世紀、フリードリヒ・ニーチェは「神の死」を宣告しました。20世紀は、科学技術の八手に伴う延命治療器のために、譬えるなら、その神の死も決定不能に陥ってしまいました。21世紀は神が尊厳死を迎える時代でしょう。それに向けた合意形成とガイドラインの作成に本腰をあげる時期が来ていることを今回の出来事は告げているのです。


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  「キュクロプス」なイラク派兵 Seibun Satow  合衆国政府は、イラク戦争により犠牲となったイラクの民間人が3万人を超えたと発表しました。しかも、治安は悪化する一方で、本格的な政権の発足にも目処が立っていません。ジョージ・W・ブッシュ大統領は3月21日の記者会見で、自らの任期中の米軍の撤収は困難と認めました。極めて薄い根拠と甘い見通しに基づいて始まった戦争は、今や破壊と混乱をイラクにもたらしているのです。
 ブッシュ政権でさえ、その開戦根拠の希薄さを認めているのに、小泉純一郎首相は、いつもの通り、自らの政治判断の非を謝罪する気はないようです。小泉首相は、「イラクは大量破壊兵器がないことを証明しなければならない」や「どこが危険であるかなど私にわかるわけがない」、「自衛隊が活動している地域が非戦闘地域」などエウリピデスのサテュロス劇という茶番劇『キュクロプス』の科白まがいの国会答弁を繰り返し、自衛隊を派遣したのです。
 「キュクロプス」と呼ばれる一つ目族の巨人ポリュペモスは「俺に手出しをできるものは誰もいない」と豪語し、オデュッセウスに名前を尋ねます。彼は「『誰もいない』だ」と名乗り、この人食い巨人にしこたまワインを飲ませて泥酔させ、その目をつぶしてしまうのです。

  コロス 一体誰にやられた?
 ポリュペモス やりやがったのは「誰もいない」だ。
 コロス それなら誰もやっていない。
 ポリュペモス 「誰もいない」が俺の目玉をつぶしたのだ。
 コロス それなら目玉はつぶれていない。
 ポリュペモス からかいやがって。「誰もいない」はどこにいる?
 コロス 誰もいないならどこにもいない。

 ポリュペモスは巨体を揺すりながら、オデュッセウスを呪い、悪口雑言を吐き出し、この劇は終わります。ポリュペモスは、存在しないアルカイダとの関係ならびに大量破壊兵器を理由に侵攻したものの、「誰もいない」自動車爆弾に苦しめられるイラクでの米軍に似ています。
 劇には終焉があります。けれども、今のイラクには幕の下りる時期が見えません。小泉政権はこの終わりのない茶番劇をまだ続ける気でいるのです。

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  「パブリック・プレッシャー」の電気用品安全法  Seibun Satow  楽器に関する知識が皆無な経済産業省により、この春から、音楽の焚書に相当する電気用品安全法が実施されようとしています。音楽関係者や中古楽器の販売業者、音楽を愛する人たちの正当な批判によって若干の修正がなされたものの、その法の趣旨は依然として時代錯誤です。マーシャルのアンプやローランドの電子ピアノに心ときめいたことのない官僚にとって、PSE法はシールの発行が新たな天下りの確保につながることでしかないのでしょう。
 1979年、細野晴臣・坂本龍一・高橋ユキヒロのイエロー・マジック・オーケストラはワールド・ツアーを行いました。人民(中山)服を身にまとい、ポップでメロディアスの曲に、コンピューターを使った音の処理を加えた彼らの斬新さはオーディエンスに衝撃を与えました。ただ、当時はメモリーの容量が小さく、テクノ・サウンドの曲は15分程度までしか続けられなかったため、『デイ・トリッパー』のような楽曲も演奏したのですが、それらからは技術の確かさが伝わっています。
 ライブの模様は『パブリック・プレッシャー(公的抑圧)』に収録されました。しかし、このアルバムには残念な点があります。ツアー・メンバーの渡辺和津美のギターが契約の事情からカットされているからです。
 けれども、これははるかにましなのかもしれません。今なら、公的抑圧のため、『パブリック・プレッシャー』は無音のアルバムになっていたに違いありません。


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  「犀」になった東京地裁  Seibun Satow  ウジェーヌ・イヨネスコ(Eugene Ionesco)は、1958年、寓話劇『犀(Rhinoceros))』を執筆しました。その型破りな作風により評価されていなかったのですが、この劇以降、最も注目される文学者と見なされるようになります。
 主人公ベランジェの住む街に犀が数頭現れ始めます。最初は、誰も気にとめません。そのうちに、犀の数は増え、ベランジェ以外みんな犀になってしまいます。ベランジェも犀の真似をして、同化しようとしますが、結局、それを彼は断固拒否し、人間として生きることを決意するのです。「僕は絶対に負けないぞ(Je ne capitule pas)」。
 しかし、東京地裁は犀になってしまったようです。それどころか、犀にならなければならないと人々に訴えてさえいるのです。
 アメリカの健康食品会社の日本法人への課税処分に関する読売新聞の報道をめぐる民事祖訴訟において、3月14日、東京地裁の藤下健裁判官は読売新聞記者が取材源についての証言を拒絶したのには理由がないという判決を下しました。「取材源が、守秘義務の課せられた国税庁職員である場合、その職員は法令に違反して記者に情報を漏らしたと疑われる」以上、「取材源について証言拒否を認めることは、間接的に 犯罪行為の隠蔽に加担するに等しく、到底許されない」と述べています。犀になって大勢に順応しろというわけです。
 しかし、東京高裁は、東京地裁と違い、犀にならなかったベランジェの正しさを認めているのです。3日後の17日、東京高裁(雛形要松裁判長)はNHK記者の取材源秘匿を「知る権利の前提」と認定しました。「僕は絶対に負けないぞ」という決意は決して踏みにじられてはならないのです。


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  「縛られたプロメテウス」を演じられない小泉純一郎首相 Seibun Satow  小泉純一郎内閣総理大臣は、就任以来、日本国内に対し痛みに耐えてことを口にしてきました。けれども、言い出した小泉首相自身は痛みに耐えているとは見えません。特に、外交では、痛みがどういうものなのかさえ知らないような振る舞いをしています。靖国問題によって、東アジア諸国との外交関係は停滞を続けています。にもかかわらず、小泉首相によれば、日本は将来のアジア共同体でリーダーシップを発揮するつもりでいるのです。
 確かに、アジアにおいて、日本にはリーダーシップが求められています。しかし、それは自己主張ではないでしょう。むしろ、自己犠牲です。
 それはアイスキュロスの悲劇『縛られたプロメテウス』におけるプロメテウスの姿です。プロメテウスは、人間に火をもたらしたため、激怒したゼウスにより、ヘパイストスのつくった縛めでカウカス山の山頂に縛りつけられ、鳥に肝臓をついばまれる罰を下されるのです。「おお、尊きわが母よ、万物に等しく光をめぐらす大空よ、見届けたか。俺が不法の仕打ちを受けているのを!」
 シモーヌ・ヴェイユは、『ギリシアの泉』の中で、プロメテウスを賞賛します。「プロメテウスは人間たちの師であり、彼らにすべてを教授した。ここでは、そうしたのはゼウスであると言われている。だからそれは同一のものだ。両者はただ一つのものなのだ。ゼウスが人間たちに叡智への道を拓いたのは、プロメテウスを磔刑に処することによってであったのだ」。
 日本は痛みに耐える自己犠牲のリーダーシップに徹することにより、アジアを「叡智への道」へと導くことも可能なのです。しかし、小泉首相はこうしたプロメテウスの高潔な忍耐を理解できないようです。メディアが評価するほどではなく、この英雄を演じられる役者の力量は彼にはないのでしょう。


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  「初めに音楽、次に科白」な量的緩和政策  Seibun Satow  日本銀行の福井俊彦総裁は、2月9日、5年間続いた量的緩和政策からの転換を記者会見で発表しました。デフレに苦しんできた日本経済は回復状況にあると日銀が判断したのです。この政策をめぐって、中央銀行としての資質に疑問符がつくと見られてきた日銀と目先のことばかり気にする政府との間で綱引きが続き、押しの強いエコノミストや短絡的なメディアもあれこれ意見を言い、いささか喜劇じみていました。
 それはアントニオ・サリエリ(Antonio Salieri)のオペラ『初めに音楽、次に科白(Prima la Musica e poi le Parole)』を彷彿させます。これはジョバンニ・バティスタ・カスティ(Giovanni Battista Casti)による台本のオペラ・ブッファで、1786年2月7日、ウイーンのシェーンブルン宮で初演されています。伯爵の命令によって4日間でオペラをつくるはめになったものの、作曲家と台本作家は口論を繰り返し、おまけにわがままなプリマドンナが口をはさむという楽屋ネタの喜劇です。お客はそっちのけで、登場人物はみんな自分の思惑を主張しているだけなのです。
 量的緩和政策は、その採用以来、「思惑が第一、政策は次に」という状態が続いていました。この破天荒な政策は、お粗末な政治のために、やっつけ仕事して始まり、ずるずると引き延ばされてきたのです。
 サリエリは、ヴォルフガング・アマデウス・モールラルト殺害の犯人として描かれた映画『アマデウス(Amadeus)』において、すべてを懺悔した後、「私はお前たちに赦罪を言い渡す。私はお前たちに赦罪を言い渡すのだ(I absolve you. I absolve you all)」と口にします。しかし、異常な政策を招いてしまった責任者は告白さえしていません。彼らに「赦罪を言い渡す」ことはまだできないのです。

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  「バージニア・ウルフなんかこわくない」猪口邦子大臣 Seibun Satow  猪口邦子少子化・男女共同参画担当大臣は、先に、入院を含む出産関係費用を国が全額負担する「出産無料化」制度の導入を検討していく考えを表明したのですが、その少子化対策は尻すぼみになりつつあります。
 猪口大臣は、劇場の登場人物にふさわしく、マーサのように振舞っています。彼女は、あたかも、エドワード・オールビー(Edward Albee)の演劇『バージニア・ウルフなんかこわくない(Who's Afraid of Virginia Woolf?)』に出てくる杯が手放せない女性です。
 大学教授夫妻のジョージとマーサは、訪れたニックとハニーに、21歳になる息子のジムのことを尋ねられます。ジムのことは口外しないと夫婦の間で約束していたにもかかわらず、マーサはあれこれ話し出します。しかし、ジョージは息子が昨日交通事故で死んだと告げます。実は、ジムは最初からいなかったのです。ジョージはニックに「真実と幻想…誰にその違いがわかる?(Truth and illusion...Who knows the difference?)」と問います。コミュニケーションもなくなり、冷めきった夫婦関係を続けていくために、2人が作り上げた幻想にすぎなかったのです。
 猪口大臣の少子化対策はジムのようです。小泉内閣が存続する目的で、作り出された想像の産物でしかありません。しかし、ジムが実際にはいないことを人々はもう知っています。そろそろ幕引きの時間でしょう。
 なお、このタイトルはディズニー映画の『三匹の子ぶた』の挿入歌『狼なんかこわくない(Who's Afraid of the Big Bad Wolf?)』をもじっています。そう考えると、3月6日の民主党の蓮舫参議院議員の国会質問に、狼から将来を担う子ぶたをどう守るのかという内容が含まれていたのは、偶然にしては随分とできすぎた話です。


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  三文オペラ国会 Seibun Satow  いわゆる4点セットで始まり、与党側が不利と予測されていた今国会は、ガセネタのメール問題でおかしな展開をし、他の問題に対する追求がおろそかになっただけでなく、予算もあっさりと成立してしまいました。

 それはまるでベルトルト・ブレヒトの『三文オペラ』のクライマックスを見ているようです。同情も共感もできない悪漢メッキースが絞首台に立つと、そこへ女王の使者が馬に乗って現われ、彼に恩赦を与え、年金と貴族の称号を授与して、理由のないハッピー・エンドを迎えます。さらに、全員による次の合唱で幕を閉じるのです。

不正をあまり追求するな
この世の冷たさに遭えば
不正もやがて凍りつくさ
考えろ、この世の冷たさを。


 小泉政治は「劇場型民主主義」などと言われますが、ブレヒトは観客が俳優や物語に感情移入するのを妨げ、劇を批判的に観る「異化効果」を唱えています。その意味でも、今回の国会は、「三文オペラ国会」と呼ぶにふさわしいでしょう。

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  人口減少と生活の質

 2005年の年末、厚生労働省が日本の人口減少が始まったことを公表し、メディアもいささかヒステリックなまでにそれをとりあげ、人口減少社会の恐怖のシナリオを描いています。しかし、この予測は30年前にすでに判っていたことで、いつもながらの政府の無策を含め、今さら驚くべき事実ではありません。
 慌てた政府は少子化対策として、第二子以降の出産にかかる出産費用を全額補助することなどを検討するようです。その一方で小泉純一郎首相は、義務教育への国庫補助金の削減を熱心に進めています。けれども、出生率が下がる理由を「子供の教育にお金がかかるから」と考える人が最も多いのです。子供のいる家庭の家計を最も圧迫している教育費です。中でも高等教育における奨学金の貧弱さは世界的に見て異常であり、それを受けられるのはごく少数に限られています。ミュージシャンのタケカワユキヒデは、教育費のために、コンサート活動に出ていると公言しています。加えて、昨今では、給食費の滞納が130万人にも及ぶ状況があります。出生数を上げるため、産むだけ産ませたら、後は自己負担で何とかしてくれというわけです。
 そして政治家の中には「産めよ殖やせよ」とばかりに、家庭を大事にしろと道徳イデオロギーへの回帰を唱える者がいます。しかし、それは人口を増やすこと自体が目的になり、女性を無機的な子供を作る道具、子供を無個性的な数としか見ずに、女性を家庭に縛りつければいいという発想ではなはだしい時代錯誤です。現に先進国の中で出生率が1.5を超えて比較的高いのは、家庭や家族制度の意識が崩れたフランス、イギリス、北欧諸国などです。これらの国々では婚外子、つまり事実婚やシングルマザーが生む子供が非常に多いのが特徴です。
 先進国では価値観やライフスタイルの多様化で少子化は必然的流れで、人口減少高齢社会は避けられませんが、今の社会の仕組みを維持するために、子供を増やそうというのは本末転倒です。しかし、そうはいっても極端に低い出生率、そして急激な人口減少は余りにも影響が大きく、ある程度は出生率を上げて人口減少を緩やかにするのが望ましい形なのは間違いありません。
 そこで問われるのが「生活の質」の問題です。高度経済成長期、大量生産大量消費という量のイデオロギーが中心でしたが、今、人々は多様性・個人性に基づいた「質」を求めています。それに応えるには量の政治から質の政治への転換が必要です。量のドグマから脱却できていない政策を少子化対策として羅列したところで効果は見込めません。
 態度の変更が必要なのです。いかに「生活の質(Quality of Life: QOL)」を上げるかという問題において、「生活の質」を測る尺度として、「人間開発指数(Human Development Index: HDI)」が参考になります。国連は、1993年以来毎年、この指標に基づき、「人間開発報告書(Human Development Report: HDR)」(http://hdr.undp.org/)を公表しています。
 「人間開発」は人々が人間の尊厳にふさわしい生活ができるように支援するという途上国援助の発想です。その指数は各国の生活の質や発展度合いを示す指標であり、元々は援助の必要性を表す数字です。「人間開発指数」は一人当たりのGDPや平均寿命、就学率などの変数を組み合わせて算出しますが、「生活の質」を計測できる点により、先進国の「住みやすさ」を比較するのにも使えます。

2005年版(http://hdr.undp.org/reports/global/2005/pdf/hdr05_HDI.pdf)によると、この「人間開発指数」のトップ30は次の通りです。

1.ノルウェー 2.アイスランド 3.オーストラリア 4.ルクセンブルク 5.カナダ 6.スウェーデン 7.スイス 8.アイルランド 9.ベルギー 10.アメリカ 11.日本 12.オランダ 13.フィンランド 14.デンマーク 15.イギリス 16.フランス 17.オーストリア 18.イタリア 19.ニュージーランド 20.ドイツ 21.スペイン 22.香港 23.イスラエル 24.ギリシア 25.シンガポール 26.スロベニア 27.ポルトガル 28.韓国 29.キプロス(南キプロス) 30.バルバドス

 先に挙げた変数の項目を考慮するならば、日本はもう少し上位にあるはずだと思われるかもしれません。平均寿命世界一、一人当たりのGDPや就学率も世界トップクラスなのですが、変数は9種類ほどあり、それらを加味すると、この順位になるのです。
 実は、日本は93年に1位だったのですが、以降、徐々に順位を下げています。参考までに、前年度は9位でした。生活の質を向上させる政策を欠いているのは明らかです。
 この統計で注目に値するのは、2位のアイスランドでス。この北大西洋の小さな島国の人口はおよそ30万人程度ですから、新宿区の人口に相当します。その内の18万人が北海道ほどのアイスランド島にある首都レイキャビック周辺に居住しています。議会は「アルシング(Altingi)」と呼ばれ、千年以上前の930年に発足し、一時外国に支配されて中断したものの、現在に至るまで続く「世界最古の議会」です。
 文化面では、長編叙事詩アイスランド・サーガは二〇世紀文学に多大な影響を与え、中上健次もそうした継承者の一人です。また、ミュージシャンのビョークはハウスミュージックを取り入れたユニークなサウンドにおおらかなボーカルを乗せた曲が世界的にヒットしただけでなく、映画『ダンサー・イン・ザ・ダーク』(二〇〇〇)で主演し、見ているのがつらくなるほどの迫真の演技により、カンヌ国債映画祭で最優秀主演女優賞に輝いています。
 アイスランドは小国ながら、戦後、何度か決定的な場面で世界の注目を集めています。東西冷戦構造の時代、軍隊を持たないこの共和国には米軍基地があると同時に、エネルギーはソ連が供給しています。冷戦の最前線どころか、両陣営が相互浸透しています。中立も飛び越えているのです。そのため、挑戦者ボビー・フィッシャー対王者ボリス・スパスキーのチェスの世界選手権(1972)も、ロナルド・レーガン大統領とミハエル・ゴルバチョフ書記長による米ソの首脳会談(1986)も、アイスランドの首都レイキャビックで開催されています。両国にとって、最も信頼できる国という立場を持っていたのです。
 軍隊はありませんが、国連への貢献も人権やPKO、難民の受け入れ等で目覚しく、北欧統一候補として、2009年から10年の国連安保理非常任理事国に立候補しています。欧州諸国、特に北欧との関係は密接かつ協力的で、EU未加盟ながら一切孤立はしていません。
 国内的は自然環境が厳しく、天然資源も乏しいにもかかわらず、人間開発指数を高くしている知恵と工夫が見られます。土壌が溶岩質で農業にはあまり適さないため、アイスランドの産業は従来、漁業に依存する比率が高く──貨幣や紙幣に、魚介類の絵が使われています──、共通漁業協定を受け入れられないことを理由にEUへの加盟も拒否してきましたが、近年、ソフト・パワーを生かした産業の多様化に努め、ソフトウェア製品やバイオテクノロジー、金融サービスなどが盛んになっています。
 社会の電子化も進んでおり、携帯電話やインターネットの普及率が極めて高いうえ、『日本経済新聞』によると、クレジット・カード決済は全消費の70%を超え、世界で最もキャッシュレスな社会の一つです。ちなみに、日本は10%以下です。
 さらに、小さな島国である以上、地球温暖化による海面上昇は解決しなければならない切迫した問題です。エコエネルギーの研究開発や化石燃料による電力供給からの脱却への取り組みを進めていて、エネルギー供給の中で再生可能なエネルギーは72%を占め、世界最高です。こうした取り組みを学ぼうと、世界各国から留学生や研究者がやってきています。また、観光も盛んで、エコツーリズムやホエール・ウオッチングなどを目当てに訪れる海外からの観光客が増え続けています。2003年より羽田からチャーターの直行便が毎年3便就航し、それ以前と比較すると、日本人観光客も3倍に増えています。
 失業率は3%台と低く、経済成長率は04年で7.7%、国民一人当たりのGDPも日本を上回って世界最高水準をキープしています。国家財政も、97年以来、黒字が続いています。
こうした知恵を生かした経済的な成功を背景に「生活の質」も追求しています。
 水道代を始め、教育費や医療費などは全て無料で、羨ましいことに、どの家庭にも温泉がひかれているのです。このようにソフト・パワーへの産業転換により好調な経済を維持し、生活の質を向上させたアイスランドが長年に亘り、人口開発指数の上位にランクインしているのも当然のことです。
 そのアイスランドの人口は微増ながら増え続けています。人々にとって住みやすい国であるから、結果として人口が増えているのです。
 アイスランドに関するこれらのデータの多くは外務省のホームページ(http://www.mofa.go.jp/mofaj/area/iceland/kankei.html)でも確認できます。けれども、日本政府にはアイスランドの実践から何かを学ぼうという気はあまりないようです
 人口減少にうろたえるよりも、日本はそれを受容し、その前提に立って、「生活の質」を向上させる政策を打ち出すべきでしょう。さらなる多様性・個人性・グローバル性の社会的認知が不可欠です。奨学金を拡充するなどして教育費の負担を政府・自治体・教育機関が大幅に軽減させ、経済的な理由で勉強を断念する人が減れば、QOLの向上につながります。人口をハード・パワー的な資源としか捉えていない日本を尻目に、人口の少ない国の方が人間開発指数の点では上位にあります。人的資本はソフト・パワーなのです。「大国」意識を捨て去り、ソフト・パワーを重視した小日本主義の認識に向かうならば、住みやすい国となり、結果として、人口も減少傾向が落ち着き、さらに微増に転じる見込みがあります。今の日本にとって、最も問題なのはこの「大国」意識にほかならないのです。

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  石橋湛山と小日本主義  戦前、全体主義化・軍国主義化していく日本の潮流に対して、『東洋経済新報』の石橋湛山はそれを「大日本主義の幻想」と厳しく批判し、「小日本主義」を唱え、植民地や軍備の放棄を訴えています。残念ながら、「大日本帝国」の政府も軍部も、メディアも、世論も彼の提言に耳を傾けることなく、戦争を続行・拡大し、破滅へと向かっていくのです。
 湛山にとって、「大日本主義」は政治的・軍事的ヘゲモニーを偏重し、領土・資源などハード・パワーが国力だという発想です。一方、彼の「小日本主義」は経済的・文化的ヘゲモニーがより重要であり、技術や人材といったソフト・パワーをいかに活用できるかがが国の実力であるという思想です。湛山にとって、「大」はハード、「小」はソフトを意味します。つまり、「小日本主義」はソフト・パワーとしての日本ということなのです。

 嵐山の「小日本主義」は素朴なヒューマニズムでも、信仰告白でもありません。経済から国内外の情勢を見た提言なのです。グローバルな観点から日本ならびに世界経済を捉え、経済活動を産業連関に基づく波及効果から認識すると、保護主義的なブロック経済を志向し、資源を確保するために、膨大な軍事費を使い、領土を拡大するようなハード・パワーに依拠するよりも、自由貿易とソフト・パワーに立脚するほうがはるかに有意義だと湛山は主張するのです。
 経済が国際問題化したのは第二次世界大戦後のことです。戦前、世界各国は金本位制のネットワークによって結ばれていましたから、経済が破綻しそうになったら、その国がそこから離脱すれば済みました。そのため、経済が国内問題として捉えられ、国際的な連携に乏しかったのです。しかし、それがファシズムを招いたという反省から、戦後、経済は国際社会において最重要課題となり、世界規模の連携が不可欠となっています。
 しかも、東西冷戦構造解体以後、グローバリゼーションの進展と共に、酷寒間の相互依存は経済のみならず、広範囲に及んでいます。イギリス学派のへドリー・ブルは、一九七七年、古典的名著『国際社会論─アナーキカル・ソサイエティ』を発表し、国際秩序の不安定さの理由として世界政府の不在を挙げる学説に対し、確かに、国際社会には国家のような中央政府が存在しない「アナーキカル・ソサイエティ」であるけれども、強まる相互依存性によって秩序が形成されると主張しています。まさに今日の世界は「アナーキカル・ソサイエティ」であり、いかなる問題もドメスティックではいられません。
 驚異的にも、湛山が本格的に小日本主義を論じた最初期の批評『大日本主義の幻想』を発表したのは大正一〇年(一九二一年)です。一九二〇年代はローリング・トゥエンティーズにあたり、世界的な規模で同時代的に大衆社会が出現しています。花開いた大衆文化の勢いは経済や文化の力が政治以上に社会を動かすという潜在性を顕在化し、それ以降の二〇世紀を予感させてます(実際、湛山は、『百年戦争の予想』の中で、二〇世紀は一九〇一年に始まるのではなく、この時期から続く「百年戦争」の時代だと書いています)。けれども、この時期に、世界的に見ても、湛山のような理論を語っていたのはイタリアの思想家アントニオ・グラムシなど極めて少数です。ソフト・パワー論の提唱者ジョゼフ・ナイはグラムシの文化的ヘゲモニー論の影響を受けています。湛山は、この意味で、二〇世紀の日本を代表する思想家の一人です。
 湛山は官僚主義の糾弾者として知られていますが、それは大日本主義が官僚主義に基づいているためです。日本の官僚機構が本格的に指導するのは一九二〇年代に入ってからです。それ以前、政府の施行する政策は単発的で、場当たり的でしかありません。けれども、第一次世界大戦後、急速に都市化=産業化が進み、生活用水や農業用水に加えて、産業用水、電力用水など計画的・総合的な水の利用が不可欠になったのです。そこで、第一次世界大戦を通じて、戦争遂行のためにヨーロッパ諸国で形成された国家総動員体制を日本の官僚機構も導入します。大日本主義はこの官僚機構によって実行されていきます。そのため、彼の大日本主義批判はつねに反官僚主義を帯びているのです。
 全体主義は、湛山によれば、官僚主義の一種です。官僚機構が機能しなければ、民衆を画一的に統率などできないからです。彼は、後の作品の中で、ファシズムも、ナチズムも、スターリニズムも、官僚主義だと切り捨てています。全体主義のハード・パワー偏重は官僚主義の反映です。
 湛山は、『大日本主義の幻想』以降、「小日本主義」に基づいて、理論を展開し、さらに発展させていきます。外交にしても、産業振興にしても、地方自治にしても、教育にしても、この原理から具体的な提言を行っています。
 地方自治の問題において、湛山はラディカルな地方分権論者です。府県を廃止して、市町村だけにした上で、地方に権限を委譲すべきだと主張します。規模が小さいほうが広い公共性に立てるし、産業連関が見え、また需要に応じた供給を実行できるので、経済的非効率が減り、さらに、中央への依存心がなくなって、地方に自主開拓の精神が生まれるというのです。彼の理想は全国一律ではなく、独自のソフト・パワー発信としての自治体です。国の役割は地方自治体の補完なのです。
 教育も、立身出世や滅私奉公、国体観念の涵養ではなく、ソフト・パワーを創出できる人材の育成が主眼となります。それには「真の個人主義」、すなわち「自己開拓精神の培養」が教育の目標とならなければなりません。人的資本が日本の最大の財産ですから、小日本主義は、当然、素朴な自由放任とは異なるのです。
 こうした提言はことごとく無視されてきましたが、湛山はそれにめげるような人物ではありません。それどころか、彼は、終戦直後の一九四五年八月二五日に論説『更正日本の進路―前途は実に洋々たり』において、科学立国で再建を目指せば日本の前途は洋々だと訴えています。実際、戦後日本は、対外的に技術立国として認知されていきます。
 その後、政界に転身し、大蔵大臣や通産大臣を経た後、一九五六年、退陣した鳩山一郎首相の後任として、湛山は内閣総理大臣に選出されます。プラトンならば、彼を「哲人宰相(Philosopher-Prime Minister)」と呼んだことでしょう。民衆からの期待も高く、ようやく湛山の時代がきたかと思われたのですが、遊説中に肺炎にかかり。それを理由に退陣してしまいます。在職期間はわずか六五日です。
 湛山に代わって岸信介が首相の座につき、多くの夢が頓挫しました。中華人民共和国との国交正常化もその一つです。岸内閣以降、湛山の政治理念とは逆に、永田町と霞ヶ関は、全般的に、新たな大日本主義を推進していきます。科学産業を重視したとしても、それを規模の経済によって認めるとすれば、それは小日本主義ではありません。事実、日本企業のほとんどが中小企業でありながら、それを系列というヒエラルキーに押しこめてきたのです。小日本主義はへドリー・ブルの言う意味でアナーキーであり、ヒエラルキーとは無縁です。
 けれども、もはやハード・パワーの時代ではありません。先に触れたグローバリゼーションの所以だけでなく、立命館大学の佐々木雅幸教授が一九九〇年代の東京都産業連関表を分析した結果、劇場の文化事業、すなわちソフト・パワーと建設事業、すなわちハード・パワーの経済効果に驚くべき傾向があったと報告しています。それぞれの事業の東京都地域の単位を1としますと、生産誘発効果の点では、ソフトが1.88単位なのに対し、ハードでは2.27単位なのですが、東京都内への誘発効果に限定すると、ソフトが1.51単位なのに、ハードは1.39単位となり、逆転してしまうのです。この理由は産業構造の高次化です。東京都はサービス業など第三次産業が主流ですから、波及効果の点では、建設事業はそれほど経済を活性化しないのです。石原慎太郎東京都知事は大日本主義の政治家として有名ですが、小日本主義的なソフト・パワーが東京都を活性化させるのです。これは東京都だけではないでしょう。一九六〇年、第三次産業従事者の割合は全産業の中で最大になり、八〇年代前半には、第一次産業従事者は10%をきっています。ちなみに、イギリスは一八三〇年代にこの比率に達しています。建設事業への新規投資よりも芸術文化への投資のほうが雇用を拡大できる可能性が高いというわけです。都市の文化政策が、産業構造の変化に伴い、文化の創造・発信を促し、政治的・経済的言説の転換につながります。現実的に、日本はソフト・パワーをいかに活用していくかが政治的課題になっているのです。
 今まさに石橋湛山の小日本主義の理念が現実化されるときが到来していると言っていいでしょう。

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