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 「奇っ怪ニッポン」 2005年  「日刊ゲンダイ」で連載中・・・  gendai.net 
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利権集団を駆逐する「孤立を求めて連帯を恐れず」の哲学

2005年12月29日 掲載


 政治・官僚・業界、更には学者・報道。これらで構成される「政官業」は利権分配のトライアングル(三角形)であり、「政官業学報」は現状追認のペンタゴン(五角形)。予(かね)てから繰り返し申し上げてきた認識を、年の瀬に今一度、提示しておきましょう。
  政治家改め政治屋と、その周囲に群がる官僚と業界。彼等に関しては、改めて説明を加える必要もありますまい。学者とは、したり顔で審議会の委員を務める御用学者。報道とは日本独特の記者クラブ制度に安住する新聞とTVです。
「改革」なる2文字を連呼しながら、実際には弱肉強食で優勝劣敗な社会を構築し、そこで生ずる利権を囲い込む。或る意味では民主主義の対極に位置する集団です。にも拘(かかわ)らず何故(なぜ)、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しているのでしょう?
  竹中平蔵と狡猾な仲間達が構築した「B層理論」に該当する人々に観客民主主義の幻想を与え、屈従専制主義を蔓延させる。即(すなわ)ち、所在無げに日がな一日TVの前で時間を無為に過ごす人々の頭脳に、「構造改革」なる羊頭狗肉な代物の刷り込み作業を実践してきたのが、政官業学報の現状追認ペンタゴンなのです。
  竹中氏とは“刎頸(ふんけい)の友”な、それも未(いま)だ有限会社組織の広告代理業者が昨年末に「郵政民営化・合意形成コミュニケーション戦略」と銘打って作成した資料に拠れば、「B層」とは知能指数が低く、故(ゆえ)に刷り込み作業を繰り返せば、いとも容易に「構造改革」へ付和雷同し得る人々を意味します。
  而(しか)して、「通信と放送の融合」といった多分に21世紀的な美辞麗句を掲げたIT利権に集う人々は、どぶ板式の旧来型選挙に生きてきた人々と、実は然して変わらぬ心智で前述のトライアングルやペンタゴンを今夏の総選挙で構成したのです。
  些(いささ)かの解説を加えれば、利権で集う人々は、候補者の乱立・共倒れを防ぐべく、調整します。利権分配さえ保障されれば、呉越同舟で一致団結して選挙戦を闘うのです。
  他方、理念で集う人々こそは「勝利」の為に、小異を残して大同に就くべきにも拘らず、犬も食わない主義主張を言い出して、候補者の一本化は疎(おろ)か、共同戦線を組む事すら叶わず、死屍累々の死票だけが生まれてしまうのです。
  戦後60年どころか、2400年前のソクラテスの昔から、利権という現実に集う政治ならぬ政事が生き長らえ、理念という理想に集う政治が暫(しば)しの合間しか、力を持ち得ない理由です。
  結果、「政権交代」の一点に於(お)いて自公以外の全政党がユナイテッド・インディヴィジュアルズとして連帯すべきだったにも拘らず、45年前の安保闘争同様、建前としての「連帯を求めて、孤立を恐れず」の愚行を再現してしまったのです。
  とまれ、予算編成権を有する政権与党としての自公政権の維持に留まらず、IT、環境等の新手のハコモノ利権に集う面々を駆逐するには、本音としての「孤立を求めて、連帯を恐れず」の哲学を抱き、「怯(ひる)まず・屈せず・逃げず」に立ち向かわねば。それこそが、新党日本のみならず野党各党が抱くべき気概だと思います。


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小泉・口先男の「改革、加速。」の正体見たり
 
2005年12月22日 掲載

 昭和50年代前半の流言「口裂け女」ならぬ「口先男」なる呼称こそは御存知、“刎頸(ふんけい)の友”たる秘書官・飯島勲氏との二人三脚を続ける宰相・小泉純一郎氏に相応(ふさわ)しい、と改めて確信しました。「改革、加速。」と大書きした新春用ポスターと共に彼は「財政収支の悪化に歯止めを掛ける次年度予算」と胸を張ります。新規国債発行額を30兆円以下に抑制する、との「公約」ならぬ“口約”が漸(ようや)く実現するから、でしょうか?
 阿呆(あほう)も休憩休憩(やすみやすみ)にして頂きたい、と思わず茶々を入れたい気分です。何故(なぜ)って、小泉治世ならぬ乱世の僅(わず)か4年間で、国家財政は250兆円も借金が増大しているのです。1時間に60億円もの速度で悪化しているのです。「借金、加速。」「改革、後退。」を断行してきた御仁が今更、「改革、加速。」と甘言を弄した所で、世界一の借金国なる汚名を返上する目処(めど)すら立たないのが実態です。
 言語単純・意味単純なワンフレーズ・ポリティックスを身上とするらしき彼は、「小さな政府」を目指すのだ、と一つ覚えの如くに繰り返します。
 他方で税収は景気回復で4.3%も増大する、と取らぬ狸(たぬき)の皮算用を弾いているのです。
 企業業績が好調だから、と豪語します。が、冷静に内訳を捉えれば、個人に「ハードワーク」「ハードライフ」を強いる増税予算なのです。夫、専業主婦、子供2人の年収700万円サラリーマン世帯は、税金と社会保険料で合わせて来年度に5万円近く増加し、年収800万円サラリーマン所帯では今後2年間で13万円近くも増加するのです。
 国民負担の増税規模は、何と2兆円に達するのが次年度予算です。既に「増税国家」なのです。消費税を上げる前に徹底した歳出削減を、と“巧言”していた宰相・小泉の正体見たり、ではありませんか。
 而(しこう)して彼は、「06年9月迄の任期中は上げない」との発言を「07年度も上げない」と修正しました。次なる宰相の治世に関しても“広言”し始めるとは、田中角栄・竹下登の両氏に続く「キング・メーカー」としての自分を画策しているのかも知れません。
 前述のポスターは、4年半前の首相就任時に撮影の写真を、それも白髪の具合を修正して再利用しているのだとか。「巧言令色、鮮(すく)なし仁」な人生色々を歩んできた宰相・小泉は、写真写りを修正する前に、出身母体の森派・清和会や秘書・飯島氏、更には公明党・創価学会も固唾(かたず)を呑んで見守る「耐震強度偽造問題」の修正改め解明こそを、男子の本懐とすべきではないのかな。


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松岡洋右の言説と酷似する小泉首相の高言
 2005年12月15日掲載


 東南アジア諸国連合(ASEAN)首脳との会談で小泉純一郎首相は、「靖国参拝は戦没者に哀悼の誠を示すもの。何(いず)れ時間が経(た)てば理解される」「戦争を美化するのではなく、二度と戦争を起こさない事を誓うもの」と“高言”しました。
 マレーシアのアブドゥラ・バダウィ首相やフィリピンのグロリア・アロヨ大統領が日中関係に懸念を表明したにも拘(かかわ)らず、「(1対1の)首脳会談に応じないのは理解出来ない」と、温家宝首相に“欠席裁判”の判決を下し、シンガポールのリー・シェンロン首相との個別会談でも「首脳会談が無くても(日中、日韓)関係が良好なのは、如何(いか)に両国との関係が強固かという事」と彼は“巧言”したのです。
 それは、A級戦犯として逮捕された外務大臣・松岡洋右の言説と酷似してはいまいか。と感じていた僕は、気鋭の批評家として一目を置く佐藤清文氏がインターネット上の「Alternative Media今日のコラム」で「松岡洋右と小泉純一郎」と題して展開する論考に、痛く共感しました。
 「日本は、戦前、孤立主義に傾きながら、それを世論が後押ししたという歴史があります。そこには、松岡洋右というアジテーターの存在があるのです」との一文で始める佐藤氏は、山口県に生まれ、親戚を頼って渡米し、オレゴン大学卒業後に外務省、満鉄(南満州鉄道)を経て、山口2区から衆議院議員となった松岡が、「幣原喜重郎外務大臣の
対米英協調・対中内政不干渉方針を厳しく批判し、その威勢の良さからメディアや言論人、大衆から支持を受けていく」過程を検証します。
 満州事変が起きた1931年、「英語によるスピーチが巧みであるという理由で、ジュネーブの国際連盟特別総会に首席全権として派遣され」、「1時間20分に及ぶ演説を準備原稿無しで」行います。「小泉首相が自らの政策を『三位一体改革』と命名したように、日本を十字架のイエス・キリストに譬(たと)え」、「欧米諸国は日本を十字架上に磔刑(たっけい)に処しようとしている」が、「イエスが後世になって理解されたように、日本の正当性は必ず認められるだろう」との。
 翌年の総会で、「満州国」建国を民族独立運動とは認めず、自治政府として日本を含む列強の共同管理下に置くべき、とのリットン報告書が可決されるや彼は閉会前に退席します。「言うべき事をはっきり言った」「国民の溜飲(りゅういん)を下げた」「聯盟(れんめい)よさらば」と帰国した彼を日本のメディアは熱狂的に歓迎し、「国民精神作興」「昭和維新」を掲げて全国遊説を行う彼が設立した「政党解消連盟」の会員数は200万人に達したのです。
 1978年、A級戦犯の合祀を靖国神社が強行した際、昭和天皇の意を汲んだ宮内庁は具体的に「松岡洋右」の名前を挙げて、合祀に抗議し、それ以降、天皇は靖国神社を訪れていない事実をも明かす佐藤氏は、「聖域無き構造改革」「痛みを伴う改革」といった惹句でテレビの前の国民を“魅了”する誰かさんとの酷似を慨嘆するのです。「不戦の誓いを新たにする為に参拝しているのだ」と強弁する宰相は、その歴史を如何に反芻(はんすう)するでありましょう? 佐藤氏の論考はhttp://eritokyo.jp/ 右上の「今日のコラム」をクリックで閲覧可能です。

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「喫煙小屋」と銘打つ朝日新聞の教条主義
 2005年12月8日掲載


 「長野県庁に喫煙小屋がお目見え でも…『外で吸いたい』」と見出しを打って、「喫煙者の権利」ならぬ「我が儘(まま)」を認めぬとは如何(いかが)か、と“高言”する「朝日新聞」全国配信2日付記事を、まずはお読み頂きましょう。
 「長野県は1日、県庁の敷地内に屋外喫煙所を設置した。れんが造りの洋風小屋をイメージしたおしゃれな建物で、群馬県の企業から無償で借りた。県は1年前、全国の都道府県で初めて敷地内の全面禁煙に踏み切った。ところが、昼休みなどに路上でたばこを吸う職員が続出。周辺住民から苦情が出ていた。初日から早速、多いときには15人ほどの職員で混雑。広さは10平方メートル足らずで、職員は『頭がくらくらする。外で思いっきり吸いたい』と充血した目で話していた」。
 15年9月に学校を含む県有施設の建物内禁煙を実施すると共に、喫煙者への様々な禁煙サポートを行う中で新たに職員700名の禁煙を実現し、その実績を踏まえて昨年12月から敷地内禁煙へと移行しました。
 この間、県本庁舎の正面玄関前に禁煙タクシー専用乗り場を設置し、全面禁煙の飲食店には「空気のおいしい店」ステッカーを付与する等の取り組みを行いました。
 他方、県有施設で唯一、敷地内ならぬ建物内喫煙をも“治外法権”として続行し続けた県民の選良たる面々が集う県議会棟でも実施を求める文書を6回に亘(わた)って県議会議長宛に送達しました。
 斯(か)くなる過程を経て、敷地内禁煙に議会側も与(くみ)し、更には受動喫煙を防止するべく、分煙スペースとしての屋外喫煙所を、本庁舎北側の議員会館敷地内に設ける運びとなったのです。
 未(いま)だ禁煙へ踏み出す覚悟を抱くには至らぬものの、周囲の路上で喫煙する勇気は何故か持ち合わせ、故に住民から苦情が寄せられていた職員に対する最大限の配慮が、今回の屋外喫煙所です。空港等で見掛けるガラス張り喫煙所と同じく、高性能な換気機能を完備した快適な空間です。
 にも拘(かかわ)らず、本県の取り組みに共鳴し、無償提供して下さった群馬県伊勢崎市の(株)カガミの誠意を嘲笑(あざわら)う「朝日」は「喫煙小屋」なる用語を大見出しに組み込みました。喫煙者を劣悪な空間へと押し込む、人権無視のアパルトヘイト施策であるかの如き印象を意図的に、教条主義的「朝日」読者に与えます。
 「頭がくらくらする。外で思いっきり吸いたい」との発言は、公僕の風上にも置けぬミーイズムの極致です。早い話が、飛行機の機内が分煙だった往時、自身は愛煙家にも拘らず、他人の煙は吸いたくないと禁煙席に座り、吸いたい時だけ喫煙席に移ってプカプカしていた身勝手野郎と同じ屁理屈なのですから。
 一体全体、担当記者は如何なる心智で執筆したのでしょう(苦笑)。が、それ以上に理解不能なのは、長野総局なる組織のキャップ、デスク、総局長、更には本社社会部の担当責任者も、この記事は不味(まず)いぜ、と露(つゆ)思わずに出稿した驚愕的センスが、「朝日」社内に横溢(おういつ)している事実です。
 若しや、全国紙の中で最も小泉ファシズムを礼賛する昨今の自紙面に対する忸怩たる思いが、「禁煙ファシズム」に物申す、今回の迷走記事を誕生させたのでしょうか。だとしたら益々、「朝日」は末期的ですっせ。

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周回遅れのサッチャリズムの弊害
 2005年12月1日掲載


 「耐震強度偽造問題」は、構造計算書を偽造した建築士、施工を実施した建設会社や販売会社の責任を明確にすべきであります。改めて申し上げる迄もなく。
 が、そうした責任追及、或いは建造物の再建のみでは、解決しないのも事実なのです。何故(なぜ)って、実は今回の事象は、「官から民へ」の掛け声の下に周回遅れで、サッチャリズムの民営化路線を驀進(ばくしん)する小泉純一郎内閣の根幹に係(かか)わる問題なのですから。
 イギリスで鉄道事故が多発するのは何故でしょう? 民営化で「上下分離」されたのが原因です。線路等の下部を保有する会社と、運行等の上部を担当する会社に分離されたイギリスでは、採算が取れにくい下部会社は保線等の費用を削減し、結果、事故の度に責任の押し付け合いが横行しています。
 加えて今春、学校給食の民営化が齎(もたら)した弊害は、イギリス全土で総選挙の大きな争点となりました。80年代に学校給食を民営化して以降、ファストフード型のチキン・ナゲットやハンバーガーが主流となっていたのです。
 立ち上がったのは弱冠30歳の料理人ジェイミー・オリヴァー。2児の父親として彼は、ロンドンのテムズ川右岸に位置するグリニッジ地区の小中学校に乗り込み、給食改善運動を始めます。同じ金額で、野菜や魚や果物を用いた給食を提供すると共に、チキン・ナゲットが実は、鶏の皮と骨を砕いた中に小麦粉を混ぜた揚げ団子だった衝撃的事実をTVの前で明かしました。
 ジャーナリストの阿部菜穂子女史に拠(よ)れば、「サーヴィスの効率化を図り、メニューの選択肢を拡げる」との惹句(じやっく)と共にマーガレット・サッチャー政権は、学校給食制度を廃止する権限を自治体に与え、引き続き存続する自治体には民間給食業者を入札選定する事を義務付けました。
 その結果、20年間で学校給食は、調理からは程遠い「冷凍食品や加工食品を温めて子供達に配分する事のみ」な代物と化してしまったのです。
 日本に於ける建築確認業務の民営化も、今回の偽造計算に留(とど)まらず、奥深いのです。構造計算という数値的領域に留まらず、都市計画という哲学的領域が実は、一つ一つの建築確認に本来は求められているからです。
 マンションに象徴される大型建造物や商業施設の計画に、地域住民が反対していたとします。自治体が建築確認業務を行う場合には、地域住民の同意を求めます。他方、民間機関に申請した場合には、構造物として建築基準法に違反していなければ、半ば自動的に許可されていくのです。
 無論、果たして日本の行政機関の役人が如何程の、人間性を回復する都市計画の哲学を持ち合わせているのだ、との意見も有りましょう。事実、サッチャリズムも元はと言えば、自主自律・自己責任の心智からは対極に位置する公務員への市民の反発が原動力でありました。ですが、仮に建設を許可する場合でも、その形状や色彩に関する行政指導は、民間機関が建築確認を担当した場合には、殆(ほとん)ど効力を発揮しなくなってしまうのです。「美しき日本の私」である読者諸氏にとっては、由々しき現実なのです。


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「消費者が見えなくなった」と呟いた中内イズム
 2005年11月17日掲載


 「時代と共に変わる『よい品』を、だれでも、いつでも、どこでも、欲しい量だけ買える仕組みを作る」との信念で「流通革命の道の一筋」を疾走し続けたのが、「主婦の店ダイエー」の創設者・中内氏でした。
 しかし、「『戦争の世紀』と決別し、人間が自由に、自主自律、自己責任で生きる『人間化(ヒューマナイゼーション)の世紀』をつくる。そのために、世界の中の日本人、アジアの中の日本人として一人ひとりがどう考え、どう行動すべきか。流通科学大学の教職員、学生、卒業生と共に国民的議論を巻き起こしたい」と晩年、語った彼は同時に、「消費者が見えなくなった」と呟(つぶや)きました。
 「私は生ある限り、日々の暮らしを自分の目で見つめ、自分の買いたい品を自分で選ぶことの重要性を、物やサービスの提供を通じて訴えていく。たとえ『売り場の牛乳一本』といえども、私には理念を具体化したものだから」 “ディテールからの変革”を実践し続けた彼の危機感を、「大企業ダイエー」であるが故に就職ならぬ就社したのであろう社員の多くは残念ながら共有し得ず、「選べる社会へ『人と物の関係』を変える」筈が、仕入れ先等へ居丈高に接する「選べない『人と物の関係』」をダイエーに齎(もたら)してしまったのです。誰もが指摘する点です。
 が、他方で「主婦は、使う側・買い手側の立場に立つことに目覚め、強くなった」と中内氏が大いに期待した消費者の側に実は、「『自主自律、自己責任』の原則」が稀薄だったが故に、我が儘(まま)な
消費者が「量産」されてしまった。これも又、真理なのではありますまいか。
「J・F・ケネディ大統領が提唱した『消費者の4つの権利(安全である権利、知らされる権利、選ぶ権利、意見を聞いてもらう権利)』を持つ生活者として主体的に考え、発言し、行動する」とは即ち、インフォームド・コンセント(情報開示)された側がインフォームド・チョイス(情報選択)する意識を抱き、「だれでも、いつでも、どこでも、欲しい量だけ買える仕組み」を共に維持し、充実させる謙虚な意欲と行動が不可欠なのです。
 それは「権利と義務」などという使い古された時代遅れなトレード・オフの認識を超えた、優勝劣敗な新自由主義とも、官僚統制的な社会主義とも異なり、旧来的イデオロギーとも無縁な「第三の道」の実現であり、これこそは、アンソニー・ギデンスが唱える遥か前から実は、中内氏のミッションだったのです。
 が、権利としての「インフォームド・チョイス」には熱心でも、それを維持し、充実させる上での「自主自律、自己責任」を必ずしも的確には多くの消費者が認識し得ていなかった。それが“流通の真実”を彼が真っ当に求めれば求める程、ファッションとしての“流通の幻想”を求める消費者との乖離(かいり)を生じさせる悲劇へと繋(つな)がったのではないか。失意に近い境遇の中で、けれども、「ネアカ のびのび へこたれず」をモットーに流通科学大学で次代の革命児を養成せんと教壇に立ち続けた中内氏の矜持(きょうじ)と諦観を、創業者の社葬を敢えては行わなかった新生ダイエーの経営陣は果たして如何程(いかほど)に理解しているのでしょうか。


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「すき焼き食いたい」の一念の中内イズムを想う
 2005年11月10日掲載


 83歳で逝去した中内氏のお別れ会が11月3日、神戸市西区に位置する学校法人中内学園流通科学大学で開かれました。
 9時から18時迄、訪れられる時間に訪れて、写真の前に一輪のカーネーションを捧げた後、万年筆や時計を始めとする彼の持ち物が展示され、講演のヴィデオが流れる空間に、居られるだけ居る事が出来る学園葬。
 20年近く前、彼に招かれて毎月、お互いが捉える社会状況を語り、共に様々な流通の現場を視察し、ダイエー社員と議論し合う。数年間に亘(わた)っての記憶を僕は辿(たど)りながら、「時代と共に変わる『よい品』を、だれでも、いつでも、どこでも、欲しい量だけ買える仕組みを作る」事に人生を捧げた彼に相応(ふさわ)しいお別れ会の時空だと感じました。
 「『戦争の世紀』と決別し、人間が自由に、自主自律、自己責任で生きる『人間化(ヒューマナイゼーション)の世紀』をつくる。そのために、世界の中の日本人、アジアの中の日本人として一人ひとりがどう考え、どう行動すべきか。流通科学大学の教職員、学生、卒業生と共に国民的議論を巻き起こしたい」。
 「第1次世界大戦は石炭と鉄の取り合いで始まり、第2次世界大戦は石油の奪い合いで勃発した。流通が機能し、世界中に食料や資源が行き渡れば、人が殺し合い、物を取り合うことはなくなる。
 私はこの信念を戦争を知らない世代に伝えるために流通科学大学を創設した」。「日本経済新聞」の「私の履歴書」で今から6年前に述べた彼の原点を、哲学も気概も無き小泉・竹中亡国コンビの市場原理主義が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する今こそ、我々は虚心坦懐に拳々服膺(けんけんふくよう)すべきではありますまいか。「人々の日々の暮らしが姿を消し『お国のために』が前面に出てきたとき、戦争が始まった。流通が消え、配給が登場した」。
 「私は『すき焼き喰いたい』の一念で飢餓戦線から生還し、食いたいものが腹いっぱい食える社会を作ろうと決意した。その超リアリズムの旗印が『主婦の店ダイエー』だった」。
 「作る側・売り手側が『この牛肉はうまいよ』と薦めても、主婦が自分で食べて口に合うかどうかで買う買わないを決める。ささいなことだが、日々の暮らしの中で主体性を持って商品を選択し結果に責任を持つ。この『自主自律、自己責任』の原則こそが、『大和魂さえあればなんでもできる』式の精神主義のまん延を防ぎ、世界の孤児への道を二度と歩まない基盤となる」。「選べない社会から選べる社会へと『人と物の関係』を変える。当たり前でなかったことを当たり前にして、その当たり前を維持する」。
 「自分の買いたい品を自分で選ぶことの重要性を、物やサービスの提供を通じて訴えていく。たとえ『売り場の牛乳一本』といえども、私には理念を具体化したものだから」。「それが私の考える『流通革命』である」。
 へーっ、中内さんは九条護憲の理想主義者だったのかい、と死者に鞭打つが如き冷笑を行う向きも、ここはウラジミール・プーチンか金正日が統治する国かと錯覚する程に大政翼賛な朕(ちん)・小泉純一郎の御代(みよ)を反映して、居られましょう。
 が、であればこそ、真っ当に疾走し続けた中内氏なる異才の軌跡を、次週の拙稿でも伝える責務が、僕には課せられているのだと痛感します。


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靖国強行派を三役に揃えた大惨事小泉内閣
  2005年11月3日掲載 

 今春に中国の王毅(ワンイー)駐日大使が明かした「紳士協定」の存在を十分認識した上で猶(なお)、「郵政民営ワンワン思考停止共和国・小泉オオカミ少年独裁党・大政翼賛イエス中央委員会最高忠臣幹部会議」(畏友?勝谷誠彦)と囁(ささや)かれる大惨事改め第三次小泉内閣を、「朕・小泉純一郎」は組閣したのでしょう。
 即ち、王大使は半年前の4月27日、「政府の顔である首相、外相、官房長官の3人は靖国神社に参拝しない」との、中曽根康弘内閣時代の86年に日中政府間で結ばれた「紳士協定」に、自民党外交調査会に於ける講演で言及しています。
 中曽根首相の公式参拝が物議を醸した翌年に後藤田正晴官房長官が発表した、「戦争への反省と平和友好への決意に対する誤解と不信さえ生まれる恐れが有る」との談話と相前後して結ばれた「紳士協定」です。
 無論、20年近く前の話です。反故(ほご)にする云々という次元の事柄ですらない、と一笑に付す向きも居られましょう。とは言え、逆に王大使は今春、「(首相、外相、官房長官以外の)他の政治家が(A級戦犯を合祀(ごうし)する靖国神社に)参拝する事は問題にしない」とシグナルを送ってもいるのです。
 その“三役”に何(いず)れも揃って参拝強行派の小泉・麻生・安倍トリオが就任した今回の組閣を、中国と韓国に留まらず、香港の中立系メディアも警戒感を表明しているのは、天然資源無き島国ニッポンとして少しく深刻に捉えるべきではありますまいか。
 良くも悪くも、今後の国際関係は、アメリカと中国を基軸に展開していく のです。面積的にも人口的にも産業的にも軍事的にも。何れの国家共に、一筋縄では行かぬ厄介な存在です。が、であればこそ、その間に位置する日本は、EU諸国とアメリカの間で“同時通訳”を務めるイギリスを、学ぶべきと考えます。
 良い意味で中国の突出を防ぐ事は、中台紛争の勃発を防ぐ上でも肝要です。それは、極東の安定にのみエネルギーを注ぎ続けられぬアメリカにとっても、望ましき日本の貢献なのです。
 思い起こせば、フランスはドイツの突出を防ぐべく、EUを創設しました。が、その点を深く認識すればこそイギリスは、国内の反対を敢えて押し切ってもEUに加盟し、それは結果としてフランスの突出を防ぐ展開へと繋(つな)がっています。更には、アメリカとEU諸国との緩衝国として、様々な問題の“同時通訳”を務める努力が結果として、国際関係に於けるイギリスの地位向上を齎(もたら)しているのです。
 アジアの東端に位置する日本が学ぶべき点は多々、存在します。にも拘(かかわ)らず、「民営化」の美名の下にマーガレット・サッチャーの市場原理主義的改革が齎した、貧富の差が拡大し、社会階層が固定化された“実績”のみをイギリスから学ぶ朕・小泉は、夜の歌舞伎町で肩が当たったチンピラが、眼付けやがったな、と言い掛かりを付けるが如き風情で、中国を挑発しているのです。
 その心智は、アイスクリーム好きな安倍晋三官房長官とて同じです。而(しか)して、僕は思います。その彼が5月の連休にワシントンを訪れ、複数の要人と会談して以降、果たして歴史観や政治家としての哲学や言葉を安倍は持ち合わせているのか、とアメリカ政府中枢部が憂慮し始めている事実をこそ、日本のメディアは調査報道すべきなのだと。

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朕・小泉支離滅裂振り極まれり
  2005年10月27日 掲載

 「このままでは大きな政府になってしまう。もっと小さな政府にする。私は、税金の出来る限り少ない国にする」
 10月13日に参議院で開催の郵政民営化特別委員会に於ける“高言”です。而(しか)も、その舌の根も乾かぬ24日、彼は「消費税率の大幅引き上げの方向性」を了承するのです。どころか、年金目的財源として消費税率8%を提案した民主党に対し、「(引き上げ分が)果たして3%で足りるのか。
年金だけでいいか、他の社会保障はどうする」と挑発する有り様です。
 いやはや、この人物の支離滅裂振りを、専門医が早急に診断すべき、と痛感します。言わずと知れた朕(ちん)・小泉純一郎なる人物の話です。支離滅裂振りは、これに留(とど)まりません。
 思い起こせば、“真夏の夜の夢”ならぬ“真夏の悪夢”と後世、語り継がれるであろう総選挙の最中に臣・武部勤が、僕も出演した各党代表討論番組の中で、2007年度の消費税率アップを「公言」するや、透かさず「07年度は早い。1、2年は消費税を上げる環境は来ない」と“巧言”で打ち消したのです。
 冷静に読み直す迄もなく、正に矛盾した無責任な“広言”です。何故って今年は05年。07年は2年後。なのに、“ゆとり教育”の「成果」で数学ならぬ算数の学力すら低下したのか、マスメディアは選挙期間中の発言の矛盾を批判もせず、垂れ流し翼賛報道に徹しました。
 支離滅裂振りは、更に留めを知りません。「郵政民営化で小さな政府を
る」「郵政民営化は改革の本丸だ」と叫び続けていた宰相・小泉は、「郵政民営化と財政再建は無関係」と件(くだん)の委員会で宣(のたま)ったのです。
 「郵政民営化が実現すれば、経済も外交も福祉も好転する」と大言壮語した自分を忘れてしまったのでしょうか。僅(わず)か4年間で250兆円も赤字国債を増発し、総額1000兆円と前人未到な世界一の借金国を実現した人物の思考回路を解明し得たら、ノーベル医学賞です。
  改修した商店街の仕舞た屋や集落の空き家を借り受けて、「宅老所」なる地域密着型のデイサービスを長野県では300箇所近くで展開しています。が、こうした福祉事業への国からの支援は有りません。建物を新築する場合にのみ、補助金が“降って”来るのです。改革とは名ばかりな20世紀型の発想に基づく、相変わらずなハコモノ福祉行政だから、税金を際限なく増やし続けざるを得ない国家運営に陥ってしまうのです。
 とまれ、消費税率アップは不可避だが、自分の在任中には上げない、と植木等も真っ青な無責任サラリーマン宰相は、来年には「楽隠居」すると公言しています。
 そこで提案。ここは北朝鮮かと見紛う位に拍手喝采(かっさい)な国会演説に自己陶酔気味な国民的指導者には、少なくとも後3年間は、国民奉仕に徹して頂きましょう。朕・小泉の下で消費税率がアップし、国債は暴落し、他方で、野口悠紀雄氏や森永卓郎氏、金子勝氏が鋭くも喝破している様に、郵政民営化の経済効果は何も無かった事が判明するまで。ねっ、可成(かな)り秀逸なアイディアでしょ。首相に留まって頂く国民署名運動の音頭取りを、杉村太蔵君や山村美紗様の生まれ変わりと評判な片山さつき嬢は行うべきですぞ

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「黄色いバナナ」日本人の中国観を糺す
 2005年10月20日掲載

 戦後の日本国民は、「黄色いバナナ」です。外見は紛れもなく黄色人種であるにも拘(かかわ)らず、中身は白色人種を気取ってきたのです。更には近時、「脱亜入欧」ならぬ「脱日入米」の如き“非国民”な輩が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しています。即(すなわ)ち、親米ならぬ従米一辺倒な何処(どこ)ぞの宰相を例に挙げる迄もなく。
 とは言え、ソビエトとアメリカが東西両横綱として君臨していた20世紀の終焉に続いて、世界の警察官ならぬ保安官を任じるアメリカが全てを牛耳る一極社会が出現するかと思いきや、人口や面積に留まらず、隣国・中国の勃興は著しく、米中2大国の様相を呈しつつあるのです。
 そんな話は認めたくない、と妙な優越感を抱く「黄色いバナナ」な日本国民は色を成すかも知れません。が、「メディア ソシオ―ポリティクス」と題してインターネット・サイトで連載の第45回で立花隆氏も述懐するが如く、「中国は先端技術の分野でも基礎科学の分野でも、世界のトップ集団の中に居る」のです。「文化大革命の時代に教育システムと学術研究の分野が徹底的に破壊され」「十分な教育が受けられなかった」世代が「あらゆる分野の指導部から消え、特に科学技術の分野の指導部は一斉に若返り」、「中国の先端科学技術の研究は、殆(ほとん)どあらゆる分野で今、急速に世界のトップグループに追い付きつつある」。
 その上で、氏は述べます。「抗日戦争(と、それに対する勝利)は中国という国家の原点(誕生する切っ掛け)」で、「そこが見えてこないと、日本と中国のあるべき関係の原点が判らなくなる」にも拘らず、「若い人は無教育故に、年輩の人は情報の欠落故に」「現代日本人の知識の中で殆ど欠落しているのが、あの日中戦争」「を始めた時、日本人は一体何を考えていたのか」「という最もベーシックな知識である」。
  「若い人の為に言っておけば、あの時代の日本は、あわよくば中国全土を征服して、中国に天皇制を押し付け、大日本帝国の一部にしようとしていた」。「『元』だって『清』だって異民族支配の帝国だったではないか。今度は日本が中国を支配して新帝国を築いたって良いではないかと考えていた」。
  「大東亜戦争が目的とした『大東亜共栄圏を作り、八紘一宇(はっこういちう)の世界とする』というスローガンは」、「更にその上で、ヨーロッパに覇権を確立したドイツ、イタリアと組んで、世界を再分割する・新世界秩序を作るという発想だった」。
  「冗談と思うかも知れないが、本当なのである」。「この時代の大日本帝国指導者達の誇大妄想的グランドデザインを」「判らないと、日本人の歴史認識の欠如が何時(いつ)までも続く」と。
 何時までも「名誉白人」を気取るのではなく日本は、中国やシンガポール、マレーシア、タイ等と共にアジア版EU結成を目指して奮闘すべきなのです。それは結果として中国の突出を防ぎ、中台紛争の勃発を防ぎ、更には米欧亜の3本の弓の叡智(えいち)を生み出す事へと繋(つな)がります。
  のみならず、トニー・ブレアが内外の反対を押し切ってEU加盟を決断したイギリスが、逆に独仏を始めとする大陸諸国とアメリカの同時通訳的立場を獲得したように日本も又、アメリカと中国の“仲介役”としての使命を帯びるのです。
 だけどまぁ、「言語単純・意味空疎」な魔女顔宰相が人気を博する限り、ソフトパワーとしての日本の未来は期待出来ませんなぁ(苦笑)。


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「国が大きすぎると無責任主義が蔓延する」
 2005年10月13日掲載

 「『超』整理法」で一世を風靡した野口悠紀雄氏が「週刊ダイヤモンド」で連載する「『超』整理日記」は、誤解を恐れず申し上げれば、題目から想像する以上にースペクティヴ=視野の拡がりを感じさせる内容です。
 「『郵政民営化が日本活性化の出発点』とのスローガンは何(いず)れ検証される。あれだけ大騒ぎをして行った民営化なのに、経済活性化の効果は何もない事が何れ明らかになる」。何故なら「公務員数や財政支出の削減が言われた」が「郵政事業は完全に独立採算で行われていたので、こうした効果は実は無いのだ」と断言する彼は、第284回目の連載で「『小さな政府』よりも『小さな国』を」と唱えています。
 これは、「増税無き財政再建」を掲げる「新党日本」の主張と通じます。のみならず、弁証法的議論が未だ期待出来ぬ、どころか、「報道ステーション」なる“呆童(ほうどう)”番組の仕切屋に象徴されるが如く、凡(およ)そ論理にも成り得ぬ単純矮小化した言説が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する日本社会を抜本「改革」するなら、日本列島を複数に分割すべき、と10年程前から唱えてきた僕の言説とも似通ってます。
  氏は語ります。「統治単位が大き過ぎると無責任主義が蔓延する。それよりも、幾つかの国が競争し合い、成果を競い合う方が良い」。「国が大き過ぎると、人々の活動実態や要望が把握出来なくなる。国の規模が小さければ、これらを適切に政治過程に反映させる事が出来る」。
 「実際、世界を眺めてみると、人口が1億人を超える国の多くは中央集権的統治体制は採らず、連邦制を採っている。例外は、工業国の中では、
中国と日本くらい」。
 素(もと)より、面積も人口も程良い国家が存在した欧州では、冷戦構造の崩壊と共に更に、小規模な国家が増加しています。人口29万人のアイスランド、4万人のルクセンブルクを始めとして、399万人のアイルランド、441万人のクロアチア、455万人のノルウェー、521万人のフィンランド、540万人のスロバキア、716万人のスイス、888万人のスウェーデン、983万人のハンガリー。
 故に総務省主導の市町村合併は、役人・議員天国を齎(もたら)す平成の大悪行なのです。大宮、浦和、与野、岩槻の4市合併で誕生したさいたま市は、職員と議員の給与を4市の中で最も高額だった市に合わせ、職員数も更に増やし、他方で訪問介護と乳幼児医療は4市の中で最も発展途上の市に合わせました。
 NTTドコモは全国9ブロックで構成されています。国家としての日本も「壮大なる実験」を行うべき、と僕は予(かね)てから講演の際に述べてきました。
 単なる9分割ではありません。例えばイギリス、フランス、イタリア、スペイン、韓国、スウェーデン、フィンランドといった具合に使用言語も変え、それぞれの国のカリキュラムで授業を行い、メディアも使用言語のみならず、海外から教授陣を招いた明治初期の大学同様にスタッフも一新して「壮大なる実験」を10年間に亘(わた)って実施すれば、阿呆(あほ)な議会制民主主義もジャーナリズムも、多少ならず異なる心智の議論や報道が為され始め、結果、ゆかりや太蔵に付和雷同する老若男女も、少しは減少するかも知れません。
 嬉々としてアメリカの植民地化を邁進(まいしん)する現在の日本の弱肉強食的「改革」よりは数十倍、意味ある人道的「実験」です。

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「少子高齢化にふさわしきゼロベース予算の導入」 
2005年10月6日掲載


 「職員の人件費こそ最大の事業費」との考えに基づく“ゼロ予算事業”に続いて、信州・長野県では次年度に向けて“ゼロベース予算”を実施します。過日は部局長の合宿も行い、予算策定はシーリングからゼロベースへと抜本的発想転換が為(な)されるのです。
 予算編成に於(お)ける概算要求額に天井を設けるシーリングは、一律の削減率で事業予算を見直し勝ちです。結果、通学路の歩道の整備も、山の中の道路建設も、同じ比率で予算削減が行われる羽目に陥ります。必要な事業の進捗(しんちょく)が遅れ、他方で、首を傾げる事業も生き残ってしまうのです。
 就任以来の4年間で547億円の累積債務(借金)を減少させ、全国47都道府県で唯一、5年連続でプライマリーバランス(基礎的財政収支)を借金超過から返済超過へと転換し、財政健全化を図る信州・長野県は、その成果を更に発揮すべく、“ゼロベース予算”を導入するのです。
 少子高齢社会に相応(ふさわ)しき、増税無き財政健全化の根幹を成す思想です。全ての事業を一旦(いったん)白紙に戻し、ゼロベースで必要性を検討するのです。それは、三位一体の改革と称する、早い話がシーリングの発想で補助金も交付税も削減する羊頭狗肉な縮み志向の「改革」とは対極に位置します。
 ゼロベースで見直す過程で、時代が今や求めていない事業は、その途中であっても中止の決断を下せます。逆に、時代が強く求めている事業は進捗度が早まり、充実度も深まります。東海道新幹線や黒部ダムが完成した物質主義の往時に感じた社会変化の「スピード」を、21世紀に生きる私達は脱・物質主義の下で、その中身の質を転換し、成し遂げていかねばならぬのです。
 
“ゼロ予算事業”は、調査費や会議費や事業費が計上されねば仕事が始まらない、と信じて疑わなかった公務員の世界に一大発想転換を齎(もたら)しました。予算の3割を占める人件費は、自分達の権利のみに非(あら)ず。実は納税者への奉仕に向けられるべき事業費なのだ、との。
 そのゼロ予算事業に関して、全国の都道府県、区市町村の議員や職員の視察が相次いでいます。のみならず、県内の市町村長も注目しています。唯一、その価値に気付いていないのは、地元の新聞社やTV局、県議会議員だったりします。
 とまれ、ゼロベース予算に関して僕は総選挙中、竹村健一氏に説明しました。与野党党首が出演する「報道2001」オンエア前に楽屋で。すると、彼は実に興味深そうに聞き入り、それを踏まえて恐らくは前回の「報道2001」が、経済財政諮問会議の本間正明委員も招いてゼロベース予算の特集を放送するに至ったのです。
 脱ダム、宅幼老所、ヤミ金110番、原産地呼称管理制度、木製ガードレール等々、信州・長野県が取り組む数多くの改革は、他の自治体でも鋭意、取り入れられています。それは、誇りでこそあれ、埃ではない筈です。
ゼロベース予算も、その新たな試みです。
 的確な認識、迅速な行動、明確な責任を掲げる信州・長野県の改革を、「拙速」の一言で切り捨て勝ちな地元の県議やメディアは、はてさて、ゼロベース予算を如何(いか)に「評価」するのでしょうか。

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「貧乏人から最も沢山の税金をふんだくる国」
 2005年9月29日掲載


 「これからの日本は良い方向に進む」と考える国民が59%。と「讀賣新聞」は世論調査の結果を報じています。昨年7月の参議院選挙後よりも10%増加しているのだとか。本当にそう思っているのだとしたら、苛(いじ)められるのが大好きなM体質な国民性だって事なのかな。
 何故って今や“日沈むニッポン”は、畏友・森永卓郎氏の言葉を借りれば「日本は世界の中でも貧乏人から最も沢山の税金を取っている国」なのです。事実、6月に提出された政府税制調査会は、「日本は先進国の中で最も課税最低限が低い」と明言しているのです。
 言わずもがなの解説を加えれば課税最低限とは、一定の収入以下の世帯には課税しない限度額を示します。
夫婦に子供2人の家庭の場合、日本は325万円。他方、ドイツは500万円、フランス403万円、アメリカ358万円、イギリス359万円。いやはや、一目瞭然。物価が最も高い日本が、最も低所得者層に国税ならぬ酷税国家なのです。
 のみならず、今や日本はアメリカと並ぶ金持ち優遇国なのです。日本に於(お)ける所得税の最高税率は、80年代には70%でした。現在は37%と半減しています。
 他方、ビル・クリントン政権下で日本を上回る39.6%へと引き上げたのがアメリカです。その後、富裕層に優しい政権だと非難を浴びるジョージ・ブッシュの下で金持ち減税を行ったとは言え、その数値は35%。殆(ほとん)ど日本と変わらないのです。
 更には従米・屈米が基本方針の“朕・小泉純一郎”内閣は、売却益を一律10%とする株式投資減税を行い、自社株売却で140億円を得た堀江“ベトベト体質”貴文氏への課税も、僅か14億円に留まっているのです。
それらは全て、元祖従米・屈米主義者で経済財政諮問会議議長として君臨する宮内義彦オリックス会長等の提言に基づく金持ち優遇策であります。
 繰り返しますが、にも拘(かかわ)らず今日日(きょうび)のジンギスカン人気と軌を一にしてか、従順な子羊ちゃんと化したM体質な奇っ怪ニッポン国民は、この国には明るい未来が期待出来る、と儚(はかな)い夢を信じているのです。
 とは言え、同じく「讀賣新聞」の「国家観」に関する調査結果は、極めて興味深い内容です。「明確な長期目標や国家戦略を持つ国」だと捉(とら)える人は17.4%に留まり、逆に71.4%が「明確な長期目標や国家戦略に欠ける国」との認識を抱いているのです。
 而(しか)して、「国の指導者が国民全体の利益に配慮している国」20.2%、「国の指導者が自分達の利益を優先しがちな国」72.9%。「国際社会でしっかりと自律した国」23.0%、「他国の顔色を窺っている国」73.6%。が、その国民は若(も)しや、朕・小泉純一郎こそが「国民全体の利益に配慮し」「明確な長期目標や国家戦略を持ち」「しっかりと自律した国」を造り上げる偉大なる領主様だと魔法に罹(かか)ってしまっているのでは???
いやぁ、だとしたら、それ程までに予知能力無き国民へと育て上げてくれた戦後の日本教職員組合(日教組)に、自民党は国民栄誉賞を授与すべきかも知れません。
 

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「郵政反対議員の腰砕け隣人愛」
 2005年9月22日掲載


 いやはや、何とも意気地の無い選良が多過ぎます、奇っ怪ニッポン改め大政翼賛日本には。そりゃあ、議席数では単純矮小化の権化とも称すべき宰相・小泉純一郎率いる自由民主党・公明党“選挙互助会”が勝利したのかも知れません。
 が、皮肉にも十数年前の小選挙区制導入時に最も反対した国会議員の1人であった、今や「朕・純一郎」とさえ形容可能な人物に大勝を齎(もたら)した、その小選挙区に於(お)いて、郵政民営化賛成議員の得票数が計3389万票であるのに対して、郵政民営化反対議員の得票数は3419万票と、上回っているのです。
 だからって、小泉内閣は信任されず、なあんて乱暴な見解を述べる心算は有りません。とは言え、本来は郵政民営化賛成論者を自任する碩学の野口“超勉強法・超整理法”悠紀雄氏が慨嘆するように、今回の法案は「本質的な議論を欠いた郵政民営化論」だったのです。曰く、「今回の郵政民営化の議論は、『民営化論の行き過ぎ』や『過激な民営化論』ではなく、官と民の役割分担に関する基本認識を欠いた、単なる『変な議論』でしかない」。「一つの理由として、公務員数や財政支出の削減が言われた。郵政事業は完全に独立採算で行われていたので、こうした効果は、実は無いのだ」。「税金は使われていなかった郵政事業は、巨額の財政支援が為されていた旧国鉄とは異なる」。
  「『民営化』とは経営基本方針の決定を、民営化した当該企業に委ねる事。民営化した郵貯が資金運用に関し、如何(いか)なる判断を下そうとも政府が干渉する事は原則的に能(あた)わず。仮に政府が望む資金運用とは異なるハイリスクな投資であろうとも、合法的代物である限り、政府は干渉し得ず」。「意思決定の自由度が増えて国債
消化に問題が生じれば寧(むし)ろ、民間企業への資金提供に問題が生じる」。
 野口氏は「週刊ダイヤモンド」の連載で、「『民間で出来る事は民間に』というのが、郵政事業民営化に関して唱えられたが、それを言うなら、真っ先に民営化すべき代物は、年金だ」とも看破しています。
  「何故(なぜ)なら、積立方式の年金は、民間金融機関が提供出来るから」。「年金制度を国が用意するのは、『人々は愚かだから、所得をその日暮らしに使ってしまって老後生活に備えた貯蓄が出来ない』という認識に基づいている」。「だが、現代の日本国民はそれほど愚かではない。『老後生活は自己責任で』という原則を確立するのは十分可能」。
 「年金には多額の国債が投入されている。実際、日本財政の最大の課題は、これに対する財源をどうするかだ。
だから、仮に公的年金を民営化出来るなら、財政の基本的な問題は解決される」。
  にも拘(かかわ)らず、“良識の府”を自任していた筈の参議院に属する鴻池祥肇氏も中曽根弘文氏も、腰砕け状態です。更には、小選挙区で勝ち抜いた野田聖子女史に至っては、首班指名で「朕・純一郎」と明記する、と巧言しているのです。筆舌に尽くし難き辛苦を経ても猶(なお)、その相手を赦(ゆる)すとは、何たる隣人愛。聖子女史は聖母マリアの生まれ変わりでありましょうか。
 とまれ、彼等や彼女等に共通するのは、自由民主党に留まりたい、戻りたい私利私欲の一心のみ。そこには、国民の幸せの為には百万人と雖(いえど)も我行かん、の気概の欠片(かけら)すら、見当たりません。近い将来、「朕・純一郎」が徴兵制の導入を、と宣(のたま)った際にも嬉々として、保身の一心で諸手を挙げて大賛成するのでしょうか。


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「宰相・小泉が仕切った”ええじゃないか”選挙」
 
2005年9月15日掲載


 「数を背景に首相が強引な手法を取るのではと不安を感じる」63%。「自民党の獲得議席はもっと少ない方が良かった」56%。「讀賣新聞」の緊急世論調査の結果です。
「郵政民営化以外でも首相は改革を実現出来るか」との設問に対し、大いに実現出来るは21%に留まり、「余り実現出来ない」25%。「全く実現出来ない」10%。消極的評価の「多少は実現出来る」35%も加えると、実に7割もの国民が否定的見解を抱いているのです。
 実は“ええじゃないか運動”的空気が横溢していた今回の選挙期間中から既に、保守的と目される批評家は総じて、宰相小泉純一郎に批判的でした。堺屋太一氏は月刊「現代」で、「多くの政策法案を官僚に丸投げし」「大臣人事も官僚が左右する前例を作り」、更には予算も外交も「官僚主導の弊害」を招いた彼を、最後の将軍徳川慶喜に擬えます。
 京都大学の中西輝正氏は月刊「文藝春秋」で、「党が私を拒むなら、私を支持する党員だけで解散に打って出る」と巧言し、「クーポン(配給券)選挙」を強行した英国の首相 デイヴィッド・ロイド=ジョージとの相似性を看破しています。
 「自民党政治と日本経済のどん詰まりで『変人宰相』小泉が期待されたようなもの」と指摘されるロイド=ジョージは第一次世界大戦後、「党内でも自らに反対する者は公認せず、逆に自らを支持する候補者には」「仮令一度も自由党員であった事が無くとも」「自分で会って気に入れば『クーポン』を与えた」のです。
 「日本は『劇場型政治』というよりも更に一段と激しい、大群衆が 『剣闘士の戦い』に昂奮の声を挙げる『コロセウム(円形闘技場)型政治へと突入した』と捉える中西氏は、大勝を収めたロイド=ジョージが
「クーポン選挙」から程なく、「自らが『クーポン』を与えた陣笠代議士達の大反乱に因って、呆気なく政権から追い出され」、「自由党は細胞分裂を繰り返し、跡形も無くな」り、名誉革命以来200年続いた、自由党と保守党、二大保守の時代は終わりを告げた」点にも言及しています。
 それは、「戦後文化とそれに立脚した自民党をぶち壊した」彼を徳川慶喜に重ね合わせる、堺屋氏の認識とも軌を一にしています。
 「飽く迄も武士社会の中で変革しようとし」、「江戸の政治文化、幕府の慣例を破壊しても武士社会そのものを壊す事は思い付かない」。「武士が上で政治を担う、町人や農民はその下の現場で働くという社会構造そのものは変えられなかった」徳川慶喜の轍を踏まぬには、「武士に当たる官僚」「その官僚主導をぶっ壊さないといけない」のです。
 果たして小泉総理にその認識が有るか」と疑問視する堺屋氏も、逆に「強い官僚機構が有ると、国民は、そう酷い政策は出てこないと高を括り、ポピュリズムに酔い易く無責任に投票し勝ち」で、「官僚がポピュリズムを昂進させる」と分析する中西氏も、宰相小泉純一郎は自民党の終わりの始まりを齎す過渡期の人物だと捉えるのです。
 「信じられる日本へ。」を合い言葉に、投票日の3週間前に誕生した「新党日本」は、比例代表で164万3506人もの方々に支持を頂戴しました。全国11ブロックの半数に満たぬ5ブロックでの擁立にも拘らず、全体の2.5%の得票率です。
増税無き財政再建、年金通帳の導入、霞が関官僚政治の打破。3つの約束を果たすべく、引き続き、県知事であり党代表である田中康夫は宰相小泉にとって厄介な存在として粉骨砕身します。

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「スウェーデン型年金通帳の導入が急務」
 2005年9月8日掲載


 フジテレビ、NHK、テレビ朝日の各局で日曜日に行われた党首討論の際、「任期中に消費税は上げない。上げるかどうかは次の首相が考える事だ」と自民党の小泉純一郎氏は語りました。加えて、マニフェストと称する120に上る公約の中に年金問題が一行も記されていない理由を田原総一朗氏から問われて、「それは前回の選挙で決着済みだ」と答えました。驚天動地です。 
 社会保険庁が発行するオレンジ色の年金手帳には、加入年月しか記してありません。掛け続けてきた金額も、将来の給付額も、明らかでないのです。だから、若者は現行の年金制度に期待出来ずにいるのです。
 僕が代表を務める新党日本は、他の政党に先駆けて、スウェーデン型の年金通帳を公約に掲げています。
 毎月の掛け金を印字します。1年分の掛け金に加えて、国費でプラスする金額も印字します。
 即ち、将来に受給する金額は毎年、国家と国民の契約として年金通帳に明記されるのです。
 安心、安全なシステムを構築する上で、年金通帳の導入は急務です。にも拘らず、多くの与野党は、年金の財源として消費税を含む増税は不可避だと述べています。認識不足な発言です。
 1時間に39億円、4年間で170兆円もの赤字国債(借金)を増やした小泉内閣とは対照的に、長野県では、不要不急の起債を抑制し、累積債務(借金)を547億円減少させました。更には、閉ざされた指名競争入札の比率が9割も占める国とは異なり長野県では逆に入札改革を徹底し、開かれた一般競争入札を9割近く
に拡大し、同規模、同品質の公共事業が従来の8掛けの金額で
実施可能となりました。
同様の取組を国でも実施し、加えて、小倉昌男氏を座長に外郭団体の抜本的統廃合を実施した長野県モデルに基づき、役人天国な特別会計等にもメスを入れれば、3年間で12兆円の歳出カットを生み出せます。基礎年金の充実や社会保障費の充当が、増税無しで実現可能なのです。
 サウスカロライナ州を筆頭にアメリカでは、減税を断行している10州で何れも、雇用と個人所得が伸び、更には人口も増加しています。少子高齢社会では、働かない人も含めた国民1人当たりの税負担能力は年々低下していくのです。従って、1人当たり支出額が減少する支出構造としなければ、働く人の税負担額は際限なく上昇し、挙げ句の果てには財政は破綻してしまいます。
 詰まりは、国家運営に於いても、常識をひっくり返すことにこそ、夢があるのです。47都道府県で唯一、連続して借金を減少させている長野県は、福祉・医療、教育、環境等の新分野に於ける雇用を創出し、完全失業率も全国で3番目に優秀、即ち低い自治体です。
 地方の現場に於ける実績を踏まえて、疲弊した国の制度や仕組みを根底から変える。動員型選挙とは無縁の僕が街頭演説を始めると、新宿でも渋谷でも銀座でも、老若男女が駆け寄ってきて、15分間の演説を、立ち去りもせずに聴き入って下さいます。
 ある種の意志を抱いて、妙齢の女性も壮年の男性も、握手を求めてきます。出勤途中の朝8時台の松戸でも、パソコン好きが集う秋葉原でも。今まで僕が経験した事のない不思議な風が、吹き始めていると思います。
信じられる日本へ。


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「『郵政民営』に凝り固まり、外交には頬かむり」
 2005年9月1日掲載


 成る程、小泉純一郎内閣の4年間で、ニッポンは変わりました。赤字国債170兆円も乱発し、1時間に39億円づつ借金が増大し、今や1000兆円と世界一の借金国なのですから。
 郵政民営化が進めば全てが上手く展開する、と一つ覚えの如くに小泉総裁は繰り返します。とするならば逆に、郵政民営化が進まないから170兆円も借金が増えたのでしょうか?
“三百代言”な彼の発言を仮に信じるとして、「郵政民営化は財政再建に効果が有るって言うけど、ホントかね。本当の民営化は五年も十年も先の話なんでしょ。それより今の景気だよ。何年も先のこと考える余裕無い」と本日(31日)付の「産経新聞」が紹介する大田区の町工場経営者の疑問に対し、如何に答える心算でしょう?
 「民営化」が全て、な筈の小泉政権下に於いて、163もの特殊法人の僅か1割しか民間法人化していません。而も、特殊法人向けと独立行政法人向けの総予算額は、変わらず同じ。詰まりは、民間法人への看板の付け替えに過ぎないのです。
 全国知事会で「国の行財政改革評価研究会」の座長を務める僕は、知っています。小泉内閣誕生後の4年間で、国家公務員数の削減は僅か1.5%に過ぎない事実を。比するに地方公務員数は同期間に7%も削減されているのです。
 加えて、依然として高止まりと言われる国家公務員の給与を100とすると、107.4%と焼け太りなが独立行政法人です。霞が関の官僚が宰相・小泉に反発しない理由が、読者諸氏にもお判り頂けるでしょう。

思い起こせば70年代初頭のオイル・ショック時、如何なる根拠を以てか、「諸悪の根源は商社」と乱暴な論調で当時のマスメディアは断じ、事の本質を明らかにしませんでした。郵政民営化が進まないから全ての改革が滞っている、と居直る宰相・小泉の論理は、似ています。
 「郵政陰謀説」に凝り固まった彼は公示日の第一声で、「郵政民営化が実現すれば、外交も良くなる」と絶叫しました。本当でしょうか?
  命を賭ける、と高言していた筈の拉致被害者問題は一体、どうなったのでしょう? 一日千秋の思いで待つ御高齢の御家族を弄んだ、と批判されても致し方ない宰相・小泉は、国連の常任理事国入りに関しても命を賭けていた筈なのに、今や興味すら示しません。1日に100名もの国民が自ら命を絶つ、混迷する国内状況から目を逸らさせるべく、外交を利用しているのです。
 公示日は、コーンパイプを片手にダグラス・マッカーサーが厚木基地に降り立ってから奇しくも60年目に当たる8月30日でした。軽井沢大賀ホール前の庭園で、僕は「新党日本」代表として、「脱『お任せ民主主義』宣言」を読み上げました。
  財政再建団体に陥り掛けていた信州・長野県の県知事に就任して4年半、全国47都道府県中46位だった財政状況を抜本改革すべく、不要不急の起債を抑制し、累積債務を4年連続で547億円減少させました。
 減少しているのは、長野県だけです。他方で、失業率は低い方から3番目です。 一地方自治体で行える改革を、国全体で行えない筈がありません。
 合い言葉は、「信じられる日本へ。」常識をひっくり返すことにこそ、夢がある。
「新党日本」は、私たちが日本で暮らし働き学ぶ事に勇気と誇りを取り戻せる社会に向け、真の改革を行います。


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逆境シックスで『信じられる日本へ。』
 2005年8月25日掲載


 「構造改革」の名の下に、就任後の4年間で170兆円もの赤字国債を発行したのが、「奇っ怪ニッポン」を率いる小泉純一郎&竹中平蔵コンビなのです。1時間に39億円づつ増加する日本の借金は今や1000兆円に達し、世界一の借金国です。
 食べるモノにも着るモノにも事欠かず、物質的には豊かな筈なのに、自ら命を絶つ国民が1日100人にも上り、未来への夢と希望が抱けぬ「日本を救い、国民を守り、霞が関を変える!」。
 荒井広幸、小林興起、滝実、青山丘、長谷川憲正の5氏と共に、映画「逆境ナイン」ならぬ“逆境シックス”として、「信じられる日本へ。」を合い言葉に新党「日本」が始動しました。
 日本長期信用銀行に6兆円もの国民の血税を注ぎ込んだ政府は、その僅か6千分の一に過ぎぬ10億円で海外の金融業者に、熨斗紙を巻いて譲渡したのです。程なく新生銀行は1兆円もの利益を上げるに至りました。
 我が日本を他国に売り渡すが如き、こうした悪夢が郵政民営化の先に齎されはしないのか? 政権与党には説明責任が求められています。
が、単純空疎が身上の宰相・小泉氏は言わずもがな、経済に詳しい筈の忠臣・竹中氏に至るも、郵貯・簡保の340億円(3兆ドル)が民営化後に、どうなるのか。長銀の二の舞になるのか否か、黙して語らずです。
 思い起こせば道路公団民営化も、霞が関官僚に丸投げしたが故に、計画されていた高速道路の殆どが建設される羽目に陥りました。而して、民営化後に通行料金が上がるのか下がるのか、未だ一向に判然としません。
 イタリアと日本の高速道路1km当たり建設費用は総じて同じです。 が、一足先に民営化したイタリアの通行料金は東京−神戸と同距離な
ローマ−ミラノが3300円と日本の4分の一なのです。様々なファミリー企業へと収益が流れ込む構図をも徹底的に解体せねば、民営化とは呼び得ぬ高額通行料金の儘です。
 実は、郵政事業の改革を、と郵政公社化の旗を最初に振ったのが畏友・小林興起でした。而して、執拗に従米・屈米を日本に迫るアメリカでは何故か、郵便事業は国営の儘です。一体、民営化の先の日本には何が待ち受けているのでしょう?
 なのに、その疑問に宰相・小泉は答える事も無く、戦後○×式民主教育で育った“成果”なのか、民営化にイエスかノーかの単純矮小化した恫喝を繰り返しています。
 靖国参拝に留まらず国家観も異なる公明党と、数合わせの為に選挙互助会を組む自民党は、復唱しますが、僅か4年間で170兆円も赤字国債を発行したのです。それでも「構造改革」内閣だと胸を張るのでしょうか。のみならず、年金や福祉、外交、教育と問題は山積。「郵政選挙」と呼び得る筈もないのです。
 4年半前の県知事就任時、長野県の財政状況は全国47都道府県中ワースト2位でした。財政健全化を掲げ、547億円の累積債務を減少させました。借金の額が連続して減っているのは、長野県だけです。而して、完全失業率は全国でも低い方から3番目です。
 思い起こせば第二次大戦中、フランスで君臨したナチス傀儡のビシー政権を打倒するべく、シャルル・ドゴールは国家主義者だったにも拘らず、共産主義者とも社会主義者とも連帯しました。
 小泉“売国”政権の悲劇から日本を救うべく、新党「日本」は奮迅します。1人でも多くの方々が投票所に足を運び、「信じられる日本」を取り戻すべく、冷静で賢明な選択をされますように。


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「重税国家・役人天国を画策する純ちゃん、平ちゃんコンビ」
 
 8月11日掲載


 「民営化という形さえ出来れば、民営化のメリットが無かろうと、弊害の方が大きかろうとお構い無し」な「首相が公約した『官から民』への構造改革」は、「巨大な私的独占企業を生むリスクの方が大きな内容」で、「名ばかりの『民営化』という手柄を優先した小泉郵政改革のツケは数年後、物流料金や金融コストの上昇という形で、消費者負担の増大となって跳ね返ってくる」。
 「日本経済新聞」出身の町田徹氏が看破するが如く、小泉・竹中“従米・屈米”コンビが画策した郵政民営化は、“羊頭狗肉”なる呼称すら用い得ぬ「構造改革」改め中身皆無な「亡国迷走」に他なりません。 
 にも拘らず、腹話術人形の如き相貌が売り物な平蔵ちゃんは、般若面を被った鬼女の如き形相と化した純ちゃんを御護り申し上げるべく、「法の中身よりも根本的考え方の問題だ」と未だ詭弁を弄しているのです。
  嗤っちゃいます。彼等こそ、「根本的考え方」が空疎なのです。「人口が減少する中で、大きな政府、重税国家、役人天国を作って良い筈が無い」と自分達に靡かぬ面々を罵倒する平ちゃん・純ちゃんコンビこそが実は、サラリーマン増税の下に重税国家と役人天国を画策する不逞の輩なのです。
 郵政民営化に賛成か反対か、が今回の総選挙の争点ではありません。政策研究大学院大学の松谷明彦教授が喝破するが如く、人口減少高齢社会に於いては、財政規模の縮小こそが真の「構造改革」で、その意味に於いて、増税か減税か、こそが争点たり得るのです。

 既に92年を境に、働き盛りの人口割合が急速な減少に転じている日出ずる改め日沈む国では、女性や高齢者の就業率上昇を以てしても、国民1人当たりの税負担能力低下は如何ともし難く、1人当たりの税負担額を縮小させる支出構造への転換、即ち、量の拡大から質の充実への発想転換に基づく「構造改革」こそ急務なのです。
 「中央から地方へ」と標語こそ尤もらしい「三位一体改革」なる代物は、早い話が、単なる税財源の陣取り合戦に過ぎず、ファミリー企業が温存された儘での道路公団民営化は通行料金の高値固定化を、大学等の研究機関の独立行政法人化も文部官僚の新たな天下り先の創出を齎すのみです。
 「アメリカの言いなりになってね、民営化したら全部向こうに乗っ取られちゃう。アメリカの金融資本力は日本の数十倍有りますから、怖いですよ。そういうものにどう歯止めを掛けていくかという話は全然出てこない。御粗末だね」。
 基本的には郵政民営化賛成論者の石原慎太郎氏ですら鋭くも先週5日(金)の会見で憂慮した点を、視野狭窄なマスメディアは指摘しようともしません。そもそも、アメリカでは未だ郵政事業は国営なのです。
 而して、「造反有理」な37人を除いても、現有の自民党213議席+公明党34議席のみで過半数の241議席を6議席も上回っているのです。自公で過半数、などと戯けた目標を“広言”した宰相・小泉純一郎こそは、稀代の“三百代言”香具師だと批判すらし得ぬ日本社会は、一体、何処へと堕ちていくのでしょう、ねっ。

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「早い話、小泉は『香具師』なのです」
 2005年8月4日掲載


 「郵政民営化法案が否決されたら日時を措かずに即、解散。それも2時間以内に必ず」と極めて親しい周囲に息巻いているらしき宰相・小泉純一郎の頭皮の下には果たして、ドミソと鯛味噌以外に如何なる脳味噌が詰まっているのでしょう?
 長野県辰野町出身の飯島勲秘書官に敬意を表し、信州味噌も調合されているのかも知れません(苦笑)。と思える程に支離滅裂な発言状態です。
「民営化は国民への公約だ」「法案否決は、国民の信託を受けた構造改革路線の否定だ」などと2日に開催の参議院郵政民営化特別委員会でも粋がっています。
 然れど、国民の圧倒的大多数は明確に、不要不急の「改革」だと意思表示しているのです。にも拘らず、「この程度の改革が出来ないで、大改革をやろうというのは烏滸がましい」と居直って委員会室が騒然となり、一時審議が中断した際も、当の本人は脂下がった表情で愉快犯としての自分を愉しんでいます。
早い話が、宰相・小泉は香具師なのです。念の為に解説を加えれば、縁日の際に露店を出して興行したり物販したり、更には露天商の場所割りをも仕切る“的屋”が香具師。宰相・小泉には、“如何わしき三百代言”こそ相応しい肩書なのではありますまいか。
 「この程度の事に反対して何故、行政改革、財政再建が出来るのか」と白々しくも居直る彼には、以下の修正済み発言をお返しすべきです。「この程度の事に拘泥するが故に、行政改革も財政再建も出来ない訳ね」と。考えても見て下さい。
 1000兆円を超す日本の累積債務は、僅か1時間に39億円もの勢いで増え続けているのです。
 その事実のみを以ても、財政再建ならぬ財政悪化の途を転げ落ちる奇っ怪ニッポンそのものです。
 のみならず、宰相・小泉誕生以来の“空白の4年間”、行政改革の名の下に独立行政法人なる組織が雨後の筍の如くに誕生しました。これらは官公庁から“天下り”を受け入れる為の方便なのです。第3セクター、外郭団体に象徴される手垢が付いた用語を差し替えたに過ぎません。
 にも拘らず「独立」なる単語に目眩ましされているのです。思えば、宰相・小泉が好んで用いる単語は並べて、羊頭狗肉な類です。香具師であり三百代言である所以なのです。が、その三百代言に未だ取り憑かれている救い難き善男善女が、「平和惚け、贅沢惚け」なニッポンには溢れているのです。旧自治官僚上がりの片山虎之助なる自由民主党参議院幹事長との“出来レース”質疑を終えた彼に、金魚の糞から脱却し得ぬ護送船団“談合”記者クラブの面々は、その代表格です。
 「今日の総理の答弁は『色々な配慮がされていた』と片山参院幹事長が評価しています。狙いは何処に有ったのですか」と温〜い質問を投げ掛け、「誠意を持って丁寧にね、判り易く答弁しようと心掛けたんですよ」と答えた彼に「よっ、小泉屋。出来レース」と歌舞伎の声掛けすら出来ない為体なのです。
 とまれ、信託も受けぬ「公約」に拘泥し続けた宰相・小泉は、解散でなく総辞職を選択すべきです。それが最大の「構造改革」でありましょう(苦笑)。


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