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 「奇っ怪ニッポン」 2006年1月〜12月   「日刊ゲンダイ」で連載中・・・  gendai.net 
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この痴呆国家の行く末を見よ 
2006年12月27日 掲載

 「The State of The World」と題する400頁近い写真集を購入しました。150カ国に230支局を張り巡らす通信社のロイターが契約する報道カメラマンが、21世紀に入ってから撮影した537枚のカラー写真集です。
 政治・経済に留まらず、「デジタル時代の文化」と銘打った節には、カンヌ映画祭に於ける12枚の写真も収録されています。その中には、お騒がせ娘のパリス・ヒルトンが露出度の高いドレスを着て、群がるカメラマンの前で、これ見よがしに科を作る瞬間を写した1枚もあります。
 が、その圧倒的大多数の写真は、災害であったり戦禍であったり犯罪であったり貧困であったりを捉えているのです。
 新世紀に入っても、地球に暮らす人々にとって、喜怒哀楽の中の怒りや哀しみは軽減されず、逆に増大していると痛感させられます。有史以来、戦争や紛争の無かった年は皆無である、との公理を想い出しても猶。
 他方、日本国内での写真は、僅かに3頁で登場しているのみです。
阪神・淡路大震災や地下鉄サリン事件は何れも前世紀に発生した事象だった、という公理を差し引いても猶、「報道」に値する事象が日本には数少ないのであろうかと、暫し考え込まされます。
 1枚は、原宿で撮影した少女です。唇と顎にピアスを差し込んだ彼女の、焦点が定まらぬ眼を、「報道」したかったのでしょうか。
「科学と技術」の項に2枚1組で紹介されているのは、それぞれ展示会で発表された、水槽内をソーラーパワーで動くクラゲ型ロボットと、「ドラえもん」のタケコプターを模したマイクロ・ロボットです。微細な技術に優れた日本を「報道」したかったのでしょう。
 が、後者を開発した、プリンターを始めとする情報関連機器で著名な長野県に本社を置く企業は、今世紀初頭に連結決算で1兆3千億円台を達成する一方で、赤字欠損を“選択”した結果として、3年間に亘って法人事業税の支払額が0円、法人県民税の支払額が年80万円でしかなかった事を想い出しました。
 企業が富み、国民が貧しい格差社会が深刻化し、人類が経験した事もない速度で超少子・超高齢社会が進行しているにも拘らず、未だ危機感無き飽食社会が蔓延する日本を象徴する少女と商品の写真です。
 最後の1枚は、法治国家ならぬ痴呆国家の道を歩み続ける奇っ怪ニッポンを象徴する、我らが小泉純一郎元首相です。首相官邸で撮影した件の1枚は、イエメンのアリ・アブドッラー・サーレハ大統領が土産品として手渡したアラビアの短剣を、朕・コイズミが喜色満面で抜き出しています。
 巧言令色なワンフレーズ「偽造改革」ポリティックスで5年半に250兆円も借金を増加させた人物が、歌舞伎好きに相応しき「見得」を切る瞬間を捉えた1枚は、その所作を冷ややかに眺めるサーレハ大統領の沈着冷徹な表情とも相俟って一際、実体無き「改革」に翻弄され続けた痴呆国家の行く末を、世界が如何に認識しているかを物語っています。


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富すれば鈍す、地位は人を堕するの典型 
2006年12月20日 掲載

 貧すれば鈍するだけでなく、富すれば鈍する人間も多いのです。即ち、地位が人を作るのでなく、地位が人を堕するという訳です。
 公私混同な“老いらくの恋”で耳目を集める税制調査会会長にして大阪大学大学院教授の本間正明氏は、意外にも嘗て、神戸“海上市営”空港の建設に疑問を抱いて活動を続けていた僕に、幾つかの助言をしてくれた人物だったのです。
 至近に2つの空港と新幹線の駅が存在し、加えて起債残高3兆円の震災都市は財政再建団体転落寸前の状態。にも拘らず、膨大な分量の鉄鋼と砂利を用いる埋立事業こそが起死回生の一打、と信じて疑わぬハコモノ行政を転換せねば、ニッポンに未来は到来せず。
 にゃんと本間氏は、空港建設の愚を僕が市民に判り易く伝える上で、“弟子筋”だった跡田直澄教授と共に、陰の参謀的存在だったのです。が、その後、宰相・小泉純一郎から経済財政諮問会議民間議員に任命されるや、御用学者の1人と化していくのです。
 因みに、現在は慶應義塾大学教授の跡田氏も、神戸市と同じく財政破綻寸前状態な堺市で行財政見直し懇談会会長を務める一方、自身が取締役に名前を連ねる日本エコロジーシステムなる休眠状態の企業が、51億円に上る下水汚泥肥料化事業を堺市から受注。
 のみならず、今年3月に本格稼働するや悪臭が発生し、作業は中止状態だと報じた「毎日新聞」大阪本社版の記事には、跡田教授の起用は本間教授の「腹心」であったから、との記述も見られます。“李下に冠を正す”彼も又、宰相・小泉純一郎の任命で2002年から、慶應大学に加えて内閣府経済社会総合研究所に籍を置いているのです。
 年間50回「もの」会合が開催されるので原宿の官舎を借り受けた、との本間氏の弁明も嗤えます。1年52週。詰まりは週1回の会合に過ぎないのですから。富すれば鈍する、地位は人を堕する、の新格言に相応しき行状ではありませんか。
 とまれ、耐震偽装に端を発した小泉“偽計”内閣時代の尻拭いを一方的に押し付けられて四苦八苦の安倍晋三お坊ちゃまは、居直り上手だった“人生色々”な色好き純ちゃん師匠に対し、PL法の適用を検討すべきではないのかな。
 何故って、1回2000万円にも上る費用を日本最大手の広告代理店・電通に“丸投げ”していた「タウンミーティング」の偽計取引も、年間7億円もの制作・運営費用でNTT系列企業が請け負っていた「小泉内閣メールマガジン」も、随意契約で“偽計取引”を行った最高責任者は小泉純一郎だったのですから。
 言わずもがなの解説を加えれば、平成6年制定の製造物責任法(PL法)は、プロダクト・リライアビリティの略。製造物の欠陥に因り、人の身体や財産等に被害が生じた場合の製造業者の損害賠償責任を定め、被害者の保護を図る事を目的とする法律です。
 本間氏の任命も純ちゃん。何れも法外な費用を税金から垂れ流したタウンミーティングとメールマガジンの発案も純ちゃん。その命に従って官房長官を務めていた安倍ちゃんだけが責問されるって、変じゃないの。5年半の偽計内閣が生み出したならぬ膿み出した腐臭は元から絶たねば、ねっ。

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二人羽織の後は二人のお坊ちゃん哉 
2006年12月13日 掲載

 道路特定財源の一般財源化に反対する面々も賛成する面々も、その何れもが「真に必要な道路」は建設せねば、と唱和する世界一の借金国・奇っ怪ニッポン。1時間に66億円もの速度で負債が殖え続け、日本全体が夕張化現象に陥る惨状を御存知ないのか、その余りに貧困な言語力と想像力に失笑を禁じ得ません。
「真に必要」かどうかの尺度は、如何なる根拠で如何なる人物が判定するのでしょう? 公共事業撲滅派の面々が好んで用いる「無駄な公共事業」という惹句と同様、如何様にも解釈可能な、極めて抽象的な言い回しでは有りませんか?
 総論賛成・各論反対ならぬ総論抑制・各論推進が、都会・田舎を問わず、全国津々浦々の街で展開されているのです。即ち、脂ギッシュな族議員が跳梁跋扈するのは真っ平だけど、自分が通勤に、子供が通学に利用する道路だけは整備して欲しい。いやはや、人間、欲を言い出せば切りが無い、何とも厄介な存在です。
 況して、道路特定財源の一般財源化には、トヨタ自動車の奥田碩氏を始めとする日本経済団体連合会の面々も、公然と「反対」しています。中身の無い小泉“羊頭狗肉”改革には諸手を挙げて賛同していた経済人が、今回は「守旧派」で「造反組」なのです(爆)。
 とび職出身の刺青を入れた国会議員だった祖父のDNAを多分に受け継いだのか、凄む・居直るのが十八番だった小泉前首相と、自画自賛な回顧録を早くも上梓した、怪僧ラスプーチンの如き相貌の飯島前秘書の二人羽織とは、良くも悪くも現政権は異なるのです。
 ぶら下がりの記者軍団に向かって「私の指示で」と殊更に指導力を誇示はしてみるものの、体調が優れないと直ぐに目の回りに隈が出てしまう気弱な安倍首相も、英単語を会見で多発する割には記者から「センシティヴ」の意味を12日に尋ねられて、言葉に詰まってしまった塩崎官房長官も、一直線なオフェンスと無防備なディフェンスが身上の“お坊ちゃん”そのものであります。
 何故か、朝日“論座”文化人も産経“正論”文化人も無批判に礼賛する司馬遼太郎なる人物の言葉を、多少の皮肉を込めて拝借すれば、「この国のかたち」でなく「この国の在り方」こそが今、問われているのです。
 ハコモノ公共事業好きな全国各地の首長や議員に一般財源化のオヤツを上げたところで、福祉や教育の人的サーヴィスは一向に充実せぬ儘、豪壮な施設や校舎が林立するだけでしょう。他方で現在、道路特定財源の中から電線地中化に向けられているのは、僅か3%にも満たないのです。
 安倍ちゃんは「私の指示で」、道路特定財源の3%ならぬ30%を電線地中化に振り向け、今後10年間で全ての駅前から半径500m以内の電線地中化を貫徹する、と宣言しては如何でしょう? 狭い道を登下校する子供もベビーカーのママも、配送トラックの運転手氏も大喜び。
 奇しくも、電力会社や電話会社のコンクリート製電柱が腐食して転倒する事故が多発しています。「造るから直す」へと在り方を転換してこそ、望ましい公共事業。道路も電柱も維持修繕こそが肝要です。
 ま、もう一つ肝要なのは、「良妻」昭恵女史が優柔不断な安倍ちゃんに決断を促せるか否か、ですけどね。フィリピンで乳児院の子供達をパシャパシャと、その嫌がる表情すら察知し得ずにカメラを向けちゃう鈍感さですから、う〜む(爆)。


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夕張の惨状は日本の縮図
 2006年12月6日 掲載

 奇しくも夕張市の人口を1万倍すると日本国の人口。同じく夕張市の負債を1万倍すると日本国の借金。石炭産業の栄枯盛衰に翻弄された夕張市の惨状は、決して特殊な事例ではないのです。
どころか、政府のみならず全国の自治体が抱える借金も加えれば、夕張市以上の負債を一人ひとりの日本国民は背負っている事になります。
 にも拘らず、放漫経営のツケは夕張市民が払うのが筋だ、と北海道庁や総務省は傍観者の姿勢なのです。それって、違うんじゃないか。現場主義と直接対話を掲げる新党日本は3日、4日の両日に亘って夕張市を訪れました。
 夕張市立総合病院には現在、内科と整形外科に2名の医師が勤務するのみ。他科は週1回、札幌や旭川の大学病院から医師が訪れ、産婦人科に至っては閉鎖されています。医師を確保せねばと東奔西走する担当者と面談し、これこそは道庁が主体的に取り組むべき業務、と改めて痛感しました。
 故に長野県では県の担当部署がリーダーシップを発揮して、大学や農協の医療機関から中山間地域の病院へと医師を始めとするスタッフを派遣する制度を整えました。夕張市単独では解決し得ぬ問題なのです。
 のみならず、閉山に際し、炭鉱会社が経営していた病院を引き継いだのが、件の市民病院です。而も、その際に国や道からの支援は皆無に等しかったのです。
 説明を加えます。“一山一家”で全てを賄ってくれていた炭鉱会社から、医療に留まらず、様々な住民サーヴィスを引き継ぐ際、それらは国策だった燃料政策の転換で生じたにも拘らず、何れも夕張市の負担でした。
 炭鉱会社からの事業の引き継ぎで生じた、本来ならば国や道も協力すべきだった負の原資を一手に引き受けざるを得なかったのが、夕張市の転落の発端です。
 他方で、町興しの一環として観光事業に取り組むなら、起債(借金)は幾らでも認めるよ、と甘い言葉を国も道も囁きます。建物と道路と公園の建設にしか起債を認めない、日本のハコモノ行政の弊害です。
観光事業こそ夕張に未来を齎す新文化産業、と広告代理店や金融機関も甘い言葉を囁き、雪だるま式に負債は膨れ上がっていったのです。 
 士族の商法が成功する訳もなく、無用の長物と化したハコモノ文化施設の残骸が全国に点在しています。まさに、夕張の問題は全国の縮図なのです。
 財政再建団体へと転落する自治体とは、会社更生法が適用された企業と同じです。とするならば、主要債権者の国や道や金融機関が中心となって再生計画を立案し、株主であり社員である市民に説明し、実行に移すのが筋です。
 ところが、国も道も金融機関も、破綻した会社の役員(市役所)が再建計画を作成するのを傍観しているのです。加えて、債権者は損切りを行うでもなく、負債は社員(市民)が全額返済すべし、とニベもないのです。国と道が起債を許可し、金融機関が貸し付けに同意したにも拘らず。
 更には、財政破綻の発覚から半年を経ても猶、道知事も副知事も夕張市に足を踏み入れていないのです。既に夕張市民は棄民化、難民化させられているのです。


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復党の諸氏よ、そんなに自民党の水は甘いのね
2006年11月29日 掲載

 思わず嗤っちゃうではありませんか。「たった1つの政策で党を追われるのは、情に於いて忍びない」と自由民主党の片山虎之助参議院幹事長が宣うに至っては。
 たった1つの採決で党から追い出したのは誰だったのですか? その暴挙を止めなかったのは誰だったのですか? 実は朕・小泉純一郎こそ、民主主義への元祖「造反組」だったのです。
 物の本を紐解く迄もなく、一人ひとりの議員は一つひとつの法案に関し、賛成・反対を自らの信念と判断に基づいて表明する。大統領も首相も、個々の議員の投票行動を強要出来ない。アメリカでもイギリスでも、それが民主主義国家の議会に於ける採決です。
 入れ墨の政治家だった祖父のDNAを多分に引き継いだのか、自分の思う通りにならなかったから、テーブルを引っ繰り返した。議会の議決よりも自身の妄想が優先される。思えば小泉郵政解散とは、北朝鮮に象徴される独裁主義国家、全体主義政党の劇場にこそ相応しかったのです。
 安倍晋三首相の指導力云々を喧伝する前に、混乱を産み出した元凶たる朕・小泉に突撃インタヴューを敢行するTV局が皆無なのは、不思議でなりません。現在も彼は、国民の税金で生活する国会議員なのですから。
 が、今少し冷静に捉えれば、平沼赳夫氏のみが復党しなかった今回の展開も、風呂屋の書き割りレヴェルだった小泉劇場と同様、何とも始末に負えない“ヤラセ劇場”なのです。
 来年10月、郵政株式会社が本格稼働します。即ち、その段階で郵政民営化は既成事実となるのです。始末書を提出せずとも、平沼氏が復党可能な環境が整います。であればこそ、岡山県が地盤の彼は、「来夏の参院選では後援会を挙げて自民党候補を応援する」と会見で公言したのです。
 苦戦が予想される岡山県選出の片山虎之助氏にとっては、有り難き援軍です。屈辱的な文章を認めずとも復党出来る平沼氏も、存在感を増します。相も変わらず蚊帳の外に置かれているのは、今日も満員電車に揺られる給与所得者です。
 サラリーマンの年収は8年連続で下落。所得税と住民税の定率減税は半減。老年者控除と配偶者控除も全廃。而も、参院選後には消費税率の更なる引き上げ。SMクラブのM嬢ですらビックリなお仕置きに耐えねばならぬのですから。
 お前なんか出て行け、と小泉・武部コンビに三行半を突き付けられ、挙げ句の果てには「刺客」まで送り込まれたにも拘らず、恭順の意を尽くして復党した11名も、不可思議です。
 何故って、復縁して下さい、と三つ指突いて頭を下げるべきは、追い出した側だからです。もっと、自分を高く売れば良いのに、雑巾掛けも厭いません、と土下座するとは主客転倒。
 政党助成金が欲しいなら、12名で政党を結成すれば宜しい。なのに、いと恋しや利権体質の自民党。そんなに自民党の水は甘いのね、と改めて認識させて頂いた今回の復党騒動です。
 しっかし、居丈高に復党へのハードルを引き上げた中川秀直幹事長の言動は殆どイジメそのもの。教育基本法を変えた所で、児童・生徒のイジメが無くなる訳もありまちぇーん。


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ほんの少し行動するだけで政治は変わる
2006年11月22日 掲載

 沖縄県知事選挙の結果には、注目すべき点が有ります。実は64.54%の投票率は、同じく保革対立だった前々回の76.54%と比べ、12%も低下しているのです。
 日本に存在する米軍基地の9割近くが沖縄に集中しているのは、或る種の異常事態に他ならない。恐らくは日本に暮らす誰もが認めざるを得ない現実です。日米両政府間で「普天間返還」が合意してから既に今春で10年。にも拘らず、総論賛成・各論反対が相次ぎ、未だ沖縄県以外で受け入れを表明した奇特な自治体は皆無です。
 他方、この10年間に通常の公共事業費とは別に、3400億円もの「沖縄振興」予算を政府は投入しました。が、失業率は47都道府県で最悪。県民所得は国民所得の7掛けに留まっています。
 実は、総事業費の7割を国が負担してくれても、8割もの金額が東京や大阪のゼネコンへと還流していくのです。僕が「『脱ダム』宣言」を発するに至った、それが大型公共事業の実態です。即ち、地元は持ち出し。孫請け、ひ孫請けで地元業者が参加しても、自律の道とは程遠いのです。
 少しでも基地問題を改善したい。しかし、それは与党直結の知事の下でも膠着状態だったではないか。況や、安保廃棄を声高に語る社民党や共産党が、民主党を差し置いて地元で牛耳る野党共闘の元では・・・・・・。
地域循環型の経済や雇用を確立したい。しかし、その具体的処方箋を与党も野党も示し得ていないではないか。斯くなる虚脱感が「低投票率」を生み出したのです。
「讀賣新聞」の調査では、名護市辺野古に移転する政府案への賛成者は僅か22%。反対68%。「中央との太いパイプ」を誇示する新知事に投票した県民とて、半数近い49%が反対。賛成は38%に留まり、前途多難です。
 畏友・森永卓郎氏が進行するニッポン放送のラジオ番組「朝はニッポン一番ノリ!」では、今回の知事選の勝敗が安倍晋三政権の基盤強化に繋がる訳でもなかろう、との認識のリスナーが6割に上っている、との調査結果も発表されました。
 寧ろ、先週末に実施された福岡、尼崎の2市長選挙の勝敗にこそ、着目すべきです。
福岡市長選は、誤謬無き候補を擁立し続けるのは我が党のみ、と一人カラオケを熱唱し続ける共産党が独自候補を擁立し、畏兄・小沢一郎氏を私淑する元市会議員も立候補する中、民主党が推薦する新人が、自公推薦の現職を打ち破りました。
公明党の冬柴鉄三国土交通大臣の選挙区でもある兵庫県尼崎市では、国務大臣を歴任した自民党の政治家が父親の候補者が、10万票を獲得した元客室乗務員の現職市長・白井文女史に対し、その半数に満たない4万7千票で惨敗しました。
驚く勿れ、投票率は39.87%。雨が降ろうが槍が飛ぼうが投票所に足を運ぶ善男善女の組織票の前に、本来ならば彼女が惨敗しても不思議ではないのです。田中康夫が目標だと公言し、ガラス張り市長室を設けようと予算を提出するも、守旧派議員が大半を占める市議会で否決され、受難の4年間だった白井文女史の勝利に密かに驚愕しているのは、最早、全国各地で支持組織が壊滅状態な自民党でありましょう。
 私利私欲とは無縁の有権者が、ほんの少し行動するだけで政治は変わり得る1つの事例です。


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今や環境、IT、医療がハコモノ利権3姉妹
2006年11月15日 掲載

 重厚長大産業の代表格たる造船会社は今や、製鉄会社と並んで環境プラント産業の牽引役です。日立造船に至っては、「『脱ダム』宣言」ならぬ「『脱造船』宣言」も発し、耳目を集めています。
その反応の凄さに恐れを為して、造船事業からの全面撤退に非ずと13日の社長会見で否定はしてみたものの、旧日本鋼管の造船部門と統合設立したユニバーサル造船へと既に全面移管しているのですから、今や造船事業に関しては単なる株主に過ぎないのです。
 創業の歴史を封印しても傾注する程に環境プラント産業とは美味しい商売なのか、と訝る読者諸氏の為に、畏友・横田一氏が本紙で喝破した「安倍内閣を直撃する“沖縄爆弾”」の記事を再録しておきましょう。
「沖縄市のゴミ処理施設が実績のあるストーカー炉ではなくガス化溶融炉になった背景に政治家が関与したと指摘する文書が出回ったこともあります。大物議員の意を受けて、地元選出の議員が沖縄市幹部に口利きをしたという内容で、新規参入組のガス化溶融炉メーカーが札束を持って営業攻勢をかけていたのも間違いありません」。
 更には自治体発注のゴミ焼却炉建設工事を巡る談合事件で、39億円近い損害賠償を求めて名古屋市が提訴する一件も紹介しておきましょう。
 公正取引委員会が6月に談合認定したにも拘らず、三菱重工業を始めとする複数社が損害請求に応じないのに業を煮やした名古屋市は、議会の同意を得て12月にも名古屋地裁に訴える、と報じられています。
 ガス化溶融炉に象徴される環境プラント事業が、新たな利権ハコモノ行政と化している事実は、以下の客観的数値からも明らかです。
 ゴミ1トン当たりの焼却炉建設費を比較してみましょう。韓国2000万円、英国1600万円、米国1500万円、シンガポール1200万円に対して、日本は5200万円と3倍から4倍もの高値受注なのです。仮に処理能力が100トンの施設であるなら、それぞれの建設費用は100倍となります。
 驚く勿れ、この中に土地の収用代金は含まれていません。純然たる建設費用なのです。更には、これらの金額は何れも、製鉄や造船を出自とする日本の企業が受注した金額です。
 詰まりは土地代別で、同等のプラントを請け負いながら、日本の企業はお膝元の母国では高値安定どころか暴利安定の美味しい状況を貪っているのです。即ち、そこには企業間の談合に留まらず、利権を求めて政治家の暗躍が生じます。
 福島県のダム汚職、和歌山県のトンネル汚職、更には前2者同様に一旦事業が始まると不透明な補正予算が組まれていく橋梁。これらがハコモノ利権3兄弟と呼ばれていました。が、今や環境とIT、医療が新たなハコモノ利権3姉妹。旧来型公共事業と異なり、その予算化を表立っては批判しにくい3姉妹です。
 而も構造上、ガス化溶融炉は24時間365日、その火を消す訳にいきません。ゴミの分別収集を国民に強いながら、燃やすゴミが足りなくて、その全てを炉に投下している全国の自治体が大半です。結果、人口1人当たりのゴミ焼却量は、何と大量廃棄の米国よりも2倍も多いのが、「美しい国、ニッポン」。って現実を、美しいカタカナ言葉が得意な安倍晋三様は御存知でしたかな。

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ヤッシーの『車座集会』を今こそパクるべき 
2006年11月8日 掲載

 県民との直接対話の場たる「車座集会」が初めて開催されたのは、就任1ヶ月後の平成12年11月25日でした。
 爾来6年間、県内各地で開催された集会は、旧来型の政党や組合、団体等の十八番とも言うべき動員とは無縁だったにも拘らず、毎回、200人から500人の方々が訪れ、僕との間で活発な意見交換が行われました。
 冒頭の30分程、僕が県政の課題と取り組みを話した後は、何ら制約を設けず、自由に質疑。要望や提案に留まらず、時には知事への個人的批判も飛び出しました。
 進行役も務める僕は、意見を聞き終わると、自ら回答し、その場で答え切れない専門性の高い事項に関しては、担当責任者から翌日に直接、連絡を。1回2時間の車座集会は往々にして、3時間近くに及びました。
 その僕が今は無き「噂の眞相」誌で連載していた「東京ペログリ日記」で政府主催のタウンミーティングの謎に言及したのは、丁度1年後の平成13年11月22日付です。再録します。
 「小泉純一郎内閣のタウン“聖域無き構造改革”ミーティングは、開催一回に付き2千万円の出費。既にして都合10億円が投じられた費用対効果への疑問を知事会見で呈する。斯くも巨額な理由は簡単。日本最大の広告代理店に丸投げ状態だから。それでいて、件のエクセレンスカンパニーは、実施場所の都道府県庁に対して、御来臨の大臣諸姉諸兄を送迎すべく公用車を無償供与せよ、と文書で通告する。のみならず、翌日付地元紙及び全国紙地方面での当該記事を漏れなく午前中にFAXせよ、との付帯事項も」。
 「内閣府のタウンミーティング室も、正規職員のみで20名を数える豪華なる陣容。アルバイト嬢を含めても12名に留まる金融監督庁マネーロンダリング室との「格差」は歴然。思うに、テロリズム抑止の第一歩は資金洗浄の徹底解明に存する。ってな初歩的知識も無い儘にウィルヘルム・リチャード・ワーグナー好きな純ちゃんは、柳井某なる対米追従改め対米屈従の外務省改め“害・無能省”を象徴する外交官改め“害・厚顔”の手になる世紀の“異”訳「ショウ・ザ・フラッグ」を実践しちゃったのね」。
 「田中康夫の車座集会をパクるべきです」と教え子から助言を受けて学徒・竹中平蔵が小泉純一郎に囁いたのが切っ掛け、と複数の関係者が語る「タウンミーティング」が、やらせ発言騒動で揺れています。
八戸市で開催の「教育改革タウンミーティング」では、当日の発言者10人中6人が“サクラ”。「依頼発言者」なる符丁で「円滑に対話を進める」べく“仕込む”のが常態だった、と内閣府の担当者は居直るのですから、お口アングリです。
 “ゼロ予算事業”と銘打って、県職員の人件費のみで実施してきた車座集会とは異なり、開催地の公共施設を無償で借り受けながら、何故か2000万円も毎回出費している阿呆らしさに僕が疑問を呈してから漸く5年。風呂屋の書き割りの如き小泉“偽装改革”が白日の下に晒されています。
 はてさて、“平成のゲッペルス”を自任する世耕弘成広報担当補佐官は巨大広告代理店とのチームワークで今度は、疑う事を知らぬ全国津々浦々の善男善女に対し、如何なる安倍“偽装改革”を演出して下さるのかな?


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何処が「子育てフレンドリーな社会」だ!
2006年11月1日 掲載

「『美しい人間』を育てる教育の再生が急務だ。『美しい国』とは、美しい人のつくる国だ」と宣ったのは、自民党政調会長の中川昭一氏。失笑を禁じ得ません。チーム安倍に参画する面々の中に果たして、“美しい人間”は何人存在していると胸を張るのでしょう?
「デモで騒音を撒き散らす教員に児童・生徒の尊敬を受ける資格は無い。免許剥奪だ」とも高言する氏は、何故に以下の科白も広言しないのでしょう? 「授業で単位偽装を続けた教員に児童・生徒の尊敬を受ける資格は無い。免許剥奪だ」と。
 そりゃあ、言える訳もない。受験に有利な授業体制を、との暗黙の了解が生徒・父兄と学校の間に存在し、各都道府県の教育委員会、更には文部科学省も20年近くに亘り、“単位偽装”を黙認してきたのですから。
 畏友・勝谷誠彦氏の発言を引用すれば、「軍隊を自衛隊と言い換えて結局は容認していくのと同じく本音と建前を使い分けてズルズルと既成事実を認めていくこの国の姿がまたひとつバレた」。「この国の他の場所全てで行われている「法を作って遵守せず」という脱法行為が教育の現場でも横行していると考えるのが自然」なのです。
  しかも、「子供達に罪は無い」的な“日出ずる国”お得意な情念論が横行し、大山鳴動、自害した教員以外は誰も咎めを受けずに頬被りする奇っ怪ニッポン。一億総懺悔も無ければ、A級戦犯糾弾も行われず、「赤信号、みんなで渡れば怖くない」の無責任状態が全国津々浦々に蔓延しています。
 5W1Hの4Wしか教えぬ・覚えぬ“詰め込み教育”では、自分の言葉で自分の考えを語れる「美しい日本人」が育たない。こうした反省の上に立って誕生した筈の“ゆとり教育”が低きに流れ、児童・生徒、教員・役人の何れにも“怠惰の悪徳”を齎す結果となった落とし前を付けねばなりません。
 即ち、詰め込み教育、ゆとり教育の何れが増しか、といった二者択一マニュアル論から脱却して、“知識から知恵へ”の発想転換こそが急務です。想像力や洞察力、直感力を養う教育こそ、現在の日本に最も欠落しているのです。自分の言葉で自分の考えを述べる日本人を育成する上でも、技巧的ディベートの技術習得以前に、作文能力の鍛錬こそ、小学校の段階で復活させるべきです。が、今や、一人ひとりの児童・生徒の作文を評価するだけの知恵を持ち合わせぬ教員が大半です。
 而して、「美しい日本」を語る筈の所信表明で片仮名言葉を109回も多用し、「子育てフレンドリーな社会」、「未来に向けた新しい日本の『カントリー・アイデンティティー』」などと、言語も意味も不明な演説を、一国の最高責任者が、恥じ入るでもなく滔々と述べてしまうのが、奇っ怪ニッポンの惨状なのです。
 日本の教育を変えねば未来は無い。上下左右、イデオロギーを超えて誰もが憂う現状です。が、それは教育基本法を改正すればバラ色の未来が訪れる程に単純な話ではないのです。にも拘らず、法的な形さえ整えれば万全だと信じて疑わぬ面々は、更に若者が都会に流出して過疎化が進行するだけなのに、高速道路さえ通れば千客万来だ、と信ずるハコモノ行政病に他なりません。


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役立たず住基カードを年金に活用せよ
(苦笑) 2006年10月25日 掲載

 果たして自分は年金を受け取れるのだろうか。誰もが抱く懸念です。
9月に実施した「毎日新聞」の世論調査では実に6割の国民が、「日本の年金制度は近い将来、破綻すると思う」と回答しています。
 40代では実に77%に達しています。既に恩恵に浴している70代以上が37%に留まっているのと極めて対照的です。
「年金手帳」には、加入した年月日しか記されていません。これまで払い込んだ金額も、これから受け取れる金額も、何れも記されていません。知る由もありません。
 昨夏の総選挙で僕と荒井広幸は、「年金通帳」の導入を訴えました。手帳と通帳は似て非なる代物です。
通帳には現在の毎月・毎年の振込額、将来の毎月・毎年の受給額が印字される仕組みです。即ち、国家と国民の間で、信頼関係に基づく契約を結ぶのが年金制度であり、それを証明するのが年金通帳なのです。
 他方、「美しい国」を創るべく安倍晋三首相は24日、「ねんきん定期便」なる新サーヴィスの概要を了承しました。
「不安を緩和し、信頼を回復する」との触れ込みの下、50歳以上には最終的に受け取れる毎月の年金の見込額を、20〜49歳には払い込んだ保険料に応じた途中段階の毎月の年金額を、年1回、郵送で通知するのだとか。
 いやはや、何故に年1回なのでしょう? その郵便料金は如何ほどの天文学的数値に達するのでしょう? 転居先不明で返送されてしまう郵便数は何万、否、何十万通に上るのでしょう?
 年金通帳を導入し、市町村役場を始めとする行政機関の入口に端末器機を設置すれば、金融機関の預金通帳と同様に、何時でも何処でも誰もが最新の年金状況を、個別に把握可能なのです。
 縦しんば、年金通帳の印刷代が嵩む、などと笑止千万な難色を示す役人の抗弁が生じたなら、閑古鳥が鳴く既存の住基カードを活用したら、と提案致しましょう。
 総務省の肝煎りで導入された住基カードは、未だに全国で95万人の保有者しか存在しないのです。旅行先の霧の摩周湖でも雨の西表島でも、何処でも自分の住民票が取得可能、なぁんて囁かれたって保有価値ゼロ。当然の市場原理です。
 その維持運営費用は年間300億円を優に超え、密かに総務省も頭を抱えているのです。
因みに住基カードには10万文字が入力可能。氏名・住所・生年月日の3要素に留まらず、精神疾患や税金滞納の履歴をも入力する国家管理に繋がるのでは、と懸念されている巨大なITハコモノ行政の失敗を成功へと転化する上でも、一考に値するでしょう。
 無論、厚生労働省と総務省の既得権益死守騒動へと発展する可能性大です。が、真の改革とは、前例踏襲の役人から総スカンを食らい抵抗されてこそ、です。
霞ヶ関の皆々様に丸投げしたが故に郵政事業民営化も道路公団民営化も、官から民へと看板を付け替えただけで結局は、役人の焼け太りとなった小泉“羊頭狗肉”改革を超えて、真に「美しい国」へ進化させて、小泉・森Wパパの呪縛を断ち切りたいと安倍ちゃんも思うなら、年金通帳、住基カード改め年金カードは、更なる支持率浮上の観点からも狙い目ですぜ(苦笑)。

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「八方美人」安倍首相は”キャッチ22”状態
2006年10月18日 掲載

「安倍晋三首相は“キャッチ22”に直面している」と報じたのは10月3日付の「ニューヨーク・タイムズ」紙です。
「彼は、靖国神社に参拝するとも約束出来ないし、参拝しないとも約束出来ない」と続く件の記事は、「あいまいな日本の八方美人な私」を演じ続ける彼の心的苦悩に言及しています。
 が、“キャッチ22”。聞き慣れぬ単語です。訝しく感じていたら、秀逸なる記事を掲載するWEBサイトとして僕が以前から会員購読する「日刊ベリタ」の「時事英語一口メモ」に、解説が掲載されていました。
「どうしても上手くいかないディレンマ、或いはパラドックス。あちらを立てればこちらが立たず」。それが“キャッチ22”が意味する所で、アメリカのジョーゼフ・ヘイラーが1961年に物した小説「Catch-22」から来ているのだとか。
 ナポレオン1世の流刑地として知られるエルバ島。その南方に位置するイタリアのピアノーサ島に第二次世界大戦末期に置かれていた米空軍基地で勤務するヨッサリアン大尉が主人公。
 鳥居英晴氏の解説から引用すれば、「彼の願いは生き延びる事であった。狂気であれば、出撃を免除される規定が有り、彼は狂気を装い、何とか出撃を免れようとする」のです。が、好事魔多し、軍規22項には落とし穴=キャッチが「用意」されていました。
 仮に、出撃免除を受けるべく願いを申し出た瞬間、狂気の状態には非ずと認定され、彼は出撃に参加せねばならなくなるのです。
何故でしょう? それは、「現実的にして且つ目前の危険を知った上で自己の安全を図るのは合理的な精神の動きである」と軍規22項で規定されているからです。
 では逆に、出撃したいと欲するパイロットが居たら、どうなのでしょう? 無論、彼の精神は正気とは言えません。けれども、その彼が免除される為には願いを出さねばならぬのです。
が、出撃の狂気に陥った人物が辞退の願いを出す筈もなく、仮に出せば、そのパイロットは正気な状態だと看做されてしまうのです。
いやはや、「戦争が代表する現代資本主義社会の社会的不条理が如何に狂気じみたものであるかを読者に痛感させる」小説の題名である“キャッチ22”は、正に安倍晋三内閣の内憂外患そのものではありませんか。
「支那・朝鮮、何するものぞ」と差別用語ギリギリのネオコン体質な攘夷論者の熱烈支持で誕生した筈の内閣が、信心深き善男善女の平和主義に阿る一心尽で国辱外交を展開した、と国内問題化しているのですから。
 況や、後見人の小泉純一郎氏に、「来年は消費税の増税だ」と選挙応援に訪れた大阪9区で広言され、側近人の中川昭一氏にも「核武装を議論すべき」と高言されてしまう状況に至っては。
 参院選後の消費税増税は既に安倍内閣の合意事項とも認められず、嘗て自身も講演で小型核爆弾の検討を、と大言壮語した過去を認める訳にもいかぬ安倍晋三氏は、正に“キャッチ22”状態。はてさて、南カリフォルニア大学での遊学履歴をお持ちの彼は、その意味を御存知でありましょうか。
★「日刊ベリタ」
http://www.nikkanberita.com/

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嗚呼「美しい」ならぬ「曖昧な日本の私」
2006年10月12日 掲載

「外交的、政治的に問題化している以上、参拝したかしなかったか、するかしないか、それは申し上げる事はない」。
 いやはや、「美しい国、日本。」を目指す御仁が語る日本語は、古文・漢文の授業と同じく、凡人には難解極まりない代物なのかも知れません。
 況してや、政治こそは生活そのものであり、その生活を共にする人々を結び付けるのは言葉であり、政治こそは言葉そのものである、と信ずる僕にとっては猶の事。
 政治問題化、外交問題化していればこそ、国民や他国に対する説明責任が生じます。にも拘らず、問題化しているから「申し上げない」。詰まりは、都合の悪い事は「申し上げない」という居直りに他なりません。
 その論理展開を別の事象で例えたなら、「ヒ素が粉ミルクに混入していたかいなかったか、今後は混入を防げるか防げないか、社会的、道義的に問題化している今だから、それは申し上げない」と企業の最高経営責任者が会見で述べるのと同じです。万が一にも、こうした認識の経営者が存在したなら、厳しい社会的指弾を受けるでしょう。
 とまれ、「自衛隊が行く所が安全地帯」と宣った先代の小泉純一郎氏が“禅譲”したのも、こうした隠蔽体質を評価しての決断だったのかも知れません。凡そ「美しい日本の私」とは対極に位置する、「曖昧な日本の私」ではありませんか。
 「曖昧な日本の私」を演じる安倍晋三氏には、これ以外にも看過し得ぬ、論理的に矛盾した問題先送りが目立ちます。
 先の総裁選期間中にも、消費税に関する言語明瞭・意味明瞭な発言を一夜にして、言語不明瞭・意味不明瞭な発言へと変容させました。
 告示日の9月8日、「再来年の通常国会には、消費税増税を盛り込んだ法案が出るのか」と問われて、「結果として、そういう事になると思う」と答えました。それは、谷垣禎一氏ではなく、安倍晋三氏の発言です。
 が、翌日以降は「消費税の議論から逃げる心算はないが、消費税に逃げ込む心算もない、と私は考える」と明らかに変節しています。
 消費税増税に言及した事に「腰を抜かしそうになった」世耕弘成参議院議員が、言語不明瞭・意味不明瞭な件の発言に統一させた「成果」だと「文藝春秋」誌は看破しています。
 言語明瞭・意味不明瞭な政治家と揶揄された竹下登氏よりも、遙かにタチが悪い話です。「消費税に逃げ込む心算もない」とは、果たして如何なる意味でありましょう?
 来年の今頃も首相の座に留まっていたなら安倍氏は、「慌てて消費税に逃げ込む」のではなく、「悠然と消費税に立ち入る」のだ、と先代も真っ青な「安全地帯」すり替え発言を行うのでしょうか。或いは消費者=生活者の安全・安心な治安と福祉を充実する為の目的税だ、などと強弁して、生活税と名称変更でもする心算かも知れません。
「本当に核実験を実施したのかしてないのか、今後も行う能力が有るのか無いのか、外交的、政治的に問題化しているから申し上げられない」。お騒がせ“オオカミ中年”独裁者・金正日が仮に数日後に居直ったら、この野郎、と怒鳴るであろう「曖昧な日本」が抱える悲喜劇です。

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このダブルスタンダードな御都合主義よ
2006年10月4日 掲載

「核実験は断じて許されない。国際社会で厳しい対応を取る」。
 原水協(原水爆禁止日本協議会)や原水禁(原水爆禁止日本国民会議)の皆様が発した声明かと思いきや、第90代内閣総理大臣・安倍晋三氏の科白です。流石は「美しい国、日本。」を目指す御仁ならではの、傾聴に値する覚悟の程です。
 と素直には記せないのが、「美しい国、日本。」の誇る社会的共通資本たる山河や街並みを護り育むべく、「『脱ダム』宣言」や「『マンション軽井沢メソッド』宣言」を掲げて、「排他的な山国、長野。」の既得権益者と闘ってきた田中康夫の“哀しみ”です(苦笑)。
 何故って、安倍氏は今から4年半前に早稲田大学で講演した際、以下の見解を述べているからです。曰く、「日本も小型であれば原子爆弾を保有する事に何も問題は無い」、「核弾頭を付けた大陸間弾道ミサイル(ICBM)の保有も憲法上、問題無し」と。
 核保有国を目指そう、と広言した人物が、北朝鮮の核実験は罷りならぬ、と高言する。核実験に賛成する筈もない善男善女とて首を傾げざるを得ないダブルスタンダードな御都合主義です。
 況して、御用メディアの朝鮮中央通信が報じた今回の「核実験」声明は、「日中・日韓首脳会談を控えての北朝鮮特有の牽制球。アメリカを交渉に引っ張り出す為の脅しに過ぎぬ」、との冷静な認識を、防衛庁を始めとする関係者が一様に抱いているのですから。
 教条主義的な旧来型市民活動家の発言かと見紛う程に硬直した、冒頭で紹介の義憤を一国の宰相が抱くならば寧ろ、順法操業していた「美しい国、日本。」の漁船と船員を、領海侵犯と一方的な事実誤認の下に銃撃・拿捕し、人命を奪った後も1ヶ月半に亘って船長の身柄を拘束し続けたロシアに対してこそ、「厳しい対応」を取るべきではありませんか。
 が、「主張する外交で『強い日本、頼れる日本』」を目指す安倍氏の下で官房長官を務める、当時の塩崎恭久外務副大臣は、モスクワの地まで出向いて猶、「厳重抗議」に留めていたのです。
 果たして膨大に埋蔵されているのか否か、神のみぞ知る“捕らぬ狸の皮算用”とも悲観的見解も囁かれる東シベリアの天然ガス油田採掘で弱い立場の日本は、ここでも御都合主義なのです。
 にも拘らず、「『戦後レジーム』から、新たな船出を」と政権構想を掲げる安倍氏は、漸く帰国し得た船長が根室市で、「無防備な漁船員を撃つのはあってはならないこと。ロシア政府に怒りを持っている」と述べても猶、無反応です。
 社会主義から拝金主義へと「戦後レジーム」を一大転換したロシアに対しては、日本も“見ざる・言わざる・聞かざる”レジーム(体制)へと転換を図るが得策、との政治的判断だと嘯くのでしょうか。国民の生命と財産を護れずして、焉んぞ「強い日本、頼れる日本」を信じられんや。と慨嘆したい衝動に駆られます。
 因みに安倍氏は、「核保有国を目指そう」の広言が報じられた4年半前、「発言を外に一切出さない事を学校側も了解した。それを報じたのは学問の自由を侵す」と巧言し、失笑を買いました。
今春に靖国参拝をしたかどうか、公式に述べる必要は無い、と秘密主義を貫く氏は、矢張り、第三次岸信介内閣と呼ぶに相応しい心智の持ち主なのでしょう。

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見ざる・言わざる・訊かざるの第3次岸内閣の成立だ
2006年9月28日 掲載

 「私は特定の団体、特定の既得権を持った人達、或いは又、特定の考え方を持つ人達の為の政治を行う心算は有りません。毎日、額に汗して働き、家族を愛し、地域を良くしたいと願っている、そして、日本の未来を信じたい、そう考えている普通の人達、全ての国民の皆様の為の政治をしっかりと行って参ります」。
 忠実なる家臣としての奮闘振りが功を奏し、前任の暴君から“禅譲”を受けた第90代内閣総理大臣として最初の会見(9月26日)に於ける安倍晋三氏の発言です。
 おいおい、本当かよ、と驚愕しました。何故って、「信じられる日本へ。」を掲げる田中康夫が喋ったのかと思わず見紛う科白だったからです。
 「私達が学び、働き、暮らす社会は、一部の予め守られた既得権益者の為に存在するのではありません。私は、政治こそは生活そのものであり、その生活を共にする人々を結び付けるのは言葉であり、即ち私は、政治こそは言葉そのものであると。その思いを抱き、この6年間を過ごして参りました」。(8月31日)
 「『再チャレンジ』とは一体、国民の中の誰を想定しているのでしょう? 堀江貴文、村上世彰といったコンピュータの画面上で巨額の不労所得を追い求める中で自業自得とも言える自爆に陥った面々の『再チャレンジ』を意味するなら、それこそは『勝ち組』だけに優しい『格差社会』の更なる拡大に他ならず、額に汗して働き、暮らす人々は相も変わらず蚊帳の外であります」。(9月20日)
 手前味噌ながら、信州・長野県知事を退任する際に参集下さった3000人近い人々の前で語った科白が前者。後者は、自民党総裁選の日に新党日本代表として会見で語った科白です。
 「改革無くして成長無し」と前首相が“高言”した「構造改革」は、僅か5年間で10万人もの国民が自ら命を絶つ異常な「格差社会」を生み出しました。同じく5年間で250兆円も「財政赤字」は増大し、総計1000兆円と世界一の借金財政国家に陥らせたのが、小泉純一郎氏だったのです。
 「活力とチャンスと優しさに満ち溢れた国にして参ります」と会見の冒頭で大見得を切った安倍氏は、「小泉内閣の構造改革を引継ぎ、寧ろ加速させ補強したい」とも明言しました。「額に汗して働き、家族を愛し、地域を良くしたいと願っている普通の人達」にとっては、「格差社会」からの脱却は望むべくもないのです。
 広報に長けた人物と称揚される参議院議員の世耕弘成氏が首相補佐官として差配した最初の会見の最初の質問は、「日本をどういう国にしたいのか、その為に何をして、国民の生活がどうなるのか、美しい国を造るという具体的なイメージが国民の間にも湧きにくい」であり、続いての質問は、「美しい国づくり内閣と仰いましたが、自民党内に於いて今回の人事は論功行賞という声も上がっています」でした。
 言論の自由を奪いかねぬ「共謀罪」の成立を目指す安倍氏を支える陣容は、世代交代を装った先祖返りに過ぎません。党三役もスネに傷持つ強面“酒豪”軍団そのものではありませんか。
 珍しく初回から辛辣な質問が飛んだ会見は、「時間も超過しました」と事務方が制止し、僅か5人の質問、僅か25分で終了しました。「見ざる・言わざる・訊かざる」を国民に強いる、第三次岸信介内閣の成立です。

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『美しい日本』は妖怪ならぬ溶解する
2006年9月21日 掲載

 「美しい国、日本。いま、新たな国づくりのとき」を掲げて自由民主党総裁選挙を闘った安倍晋三氏は、果たして“平成の妖怪”となり得るでしょうか? 氏の祖父に当たる岸信介氏が、「昭和の妖怪」と評されたのを受けての感懐です。
 「主張する外交で『強い日本、頼れる日本』」なる項目を政権公約で記しています。が、その中身は、「開かれたアジアにおける強固な連帯の確立」、「中国、韓国等近隣諸国との信頼関係の強化」と抽象的文言に留まっているのです。
 内閣官房長官なる肩書を記帳して今春、モーニングの正装で靖国神社に参拝しながら、その事実を公表しなかった「隠密潜行」に象徴される氏たればこそ、手の内を見せずにいるのでしょうか。仮にそうだとすれば、それこそは党員、国民を愚弄した話です。
 私達が学び、働き、暮らすこの社会は、一部の予め守られた既得権益者の為に存在するのではなく、政治こそは生活そのものであり、その生活を共にする人々を結び付けるのは言葉であり、即ち政治こそは言葉そのものなのですから。
 別けても、「勇ましさ」が身上だと評されてきた筈の氏が、「強い日本」を標榜しながら、大人しい言葉に終始しているのは、不可解です。強面な安倍晋三を印象付けては得策でない、と無意識ならず有意識で計算しているのでしょうか?
 日本を如何なる国家となすべきか、国民に如何なる暮らし向きを提供する政治たるべきか、の理念と気概が実は、彼にも周囲にも気迫だからではないでしょうか。国家や国民よりも、総理大臣就任という自身の都合を優先しているに過ぎないのです。
 それは、彼の周囲に集うならぬ群がる自由民主党国会議員にも当て嵌まります。国家、国民よりも自身の都合を優先して、安倍晋三氏の元に大政翼賛しているのです。数こそ民主主義と嘯きながら、永田町のコップの中の理屈にすらならぬ御都合主義です。
 彼が日本の宰相として相応しいのではなく、彼は自党の総裁として相応しい、即ち小泉純一郎以降も選挙対策上、安倍晋三が都合が宜しいのだ、との理念も気概も感じられぬ思惑で、雪崩を打って群がった面々は、数こそ民主主義と再び嘯いて、集団的自衛権の解釈変更のみならず、言論の自由を奪いかねない共謀罪の成立等を敢行していくのでしょう。
 嘗て大江健三郎氏はノーベル文学賞を受賞した際、「あいまいな日本の私」と題して記念講演を行いました。「美しい日本の私」と題して行った川端康成氏への極めて皮肉なオマージュとして。
 「美しい日本」を広言する安倍晋三氏は、「曖昧な日本」を語るに過ぎません。而して、その人物に国会議員とマスメディアのみならず日本国民たる善男善女も“ハーメルンの笛吹”に群がるならば、それは戦略性=ロジスティック無き戦前の日本と同じ悲劇の道を歩みかねません。
 ソフトクリーム好きな安倍晋三氏と共に自由民主党が、のみならず日本国家が、妖怪ならぬ溶解しない保証は、何処にも無いのだと感じます。

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「安倍晋三は古い自民党の申し子」のユエン
2006年9月14日 掲載

 「IT(情報技術)や通信分野での技術革新が経済成長を生み出す」と合同記者会見で述べた安倍晋三氏を、「訴えの軸足を経済に移した」と評価する向きが居ます。
 呵々。この発言こそは20世紀型のハコモノ行政発想の延長です。麻生太郎、谷垣禎一の両総裁候補を横目に、「私は一番若い」と胸を張った彼こそが実は、公共事業依存型で利権誘導的な古い自由民主党の申し子に他ならぬ、との露呈です。
 と申し上げると、首を傾げる読者諸氏も居られましょう。無理からぬ話です。誰もが表立っては否定しにくいITや環境への巨大投資は、その期待とは裏腹に、目に見えにくい21世紀型のハコモノ行政を増殖させているのです。
 1億2700万人を数える国民の中で、未だ保有者が90万人台に留まる住基カードの愚行は、畏兄ならぬ畏姉たる櫻井よしこ女史の指摘を受けるまでもなく明らかです。その必要性を国民が感じていないから保有者が一向に増加しないシステム保持に、少なく見積もっても年間350億円もの出費を全国の自治体は強いられています。
 2011年実施と大本営発表に固執する地上デジタル放送の愚行も、畏友の批評家・坂本衛氏が喝破する通りです。同じく少なく見積もってもアナログ受像機は全国に1億2000万台は存在し、今後5年間=1800日でハイビジョン受像機へと交換するには1日6万6666台=1年2400万台のペースでなくては実現不可能。にも拘(かかわ)らず、驚く勿(なか)れ、その交換台数は、デジ・アナ併せた国内白物家電メーカーの現行年間出荷台数を2.5倍も上回る、非現実的計画なのです。
 米国映画の題名に因(ちな)んで性的魅力を意味する「イット」とITを誤読した森喜朗内閣を経て、小泉・竹中コンビで本格稼働したeジャパン戦略は、政官業学報の一廓に巣くう御用学者や平成の政商に、“濡れ手に粟”の利益を齎(もたら)しました。オリックスの宮内義彦氏に関しては、改めて言及する迄もありますまい。
 元「日本経済新聞」の俊英・阿部重夫氏が今春に創刊した会員制経済総合誌「ザ・ファクタ」9月号は、「『次世代ネット』の大風呂敷 村井グループの利権にクサビを打ち込めるか」と題する特集を組んでいます。
 慶應義塾大学の村井純教授設立の「WIDE」が、商用インターネット業者の相互接続を実現する一方で、「ドメイン名サービスの運営という“おいしい利権”」を独占してきた実態を踏まえ、「ネットは見た目ほど公平でも自由でもない」と、小坂憲次文部科学大臣や世耕弘成党広報本部長代理とも親交が深い村井純の実像を看破しています。
「ドメイン名を登録する際に誰もが唖然とするのは、米国など他国より何故、日本の登録料がこれほど高いか」「殆(ほとん)ど暴利」「村井グループは、eジャパンなど政府のインターネット関連予算も使いまくったが、その割に基幹産業が育っていない」
 安倍氏が言明した「大胆な政策減税」も、増税に怯える国民個人ではなく、政官業学報の政商を利するだけなのです。北朝鮮問題で殊更に「毅然」を装う一方、安倍家とは“刎頸(ふんけい)の友”を自任する遊技業界のドンに地元・下関で君臨を許す「安倍は組閣でドジを踏む」。
「ザ・ファクタ」が組んだ、もう一つの特集のタイトルです。

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私が知事室を去る時に言いたかったこと
2006年9月7日 掲載

 「私達が学び、働き、暮らすこの社会は、一部の予め守られた既得権益者の為に存在するのではありません。私は、政治こそは生活そのものであり、その生活を共にする人々を結び付けるのは言葉であり、即ち政治こそは言葉そのものであると。その思いを私は抱き、この6年間を過ごして参りました。(拍手)この事を理解頂き、御支持頂き、そして共に行動をして下さった全ての皆様に改めて深く感謝を申し上げたいと思います」。
 8月31日の夕刻、県本庁舎前に集った3000人近い県民に、信州・長野県知事としての最後の挨拶を行いました。
2人の県職員出身者が40年以上に亘って知事を務める中で、「政官業学報」と呼ばれる既得権益者が「排除と翼賛」の論理で利権分配ピラミッドを築き上げてきた山国に5年10ヶ月前、1人で落下傘降下しました。
 「何ら後ろ盾の無い、その中に於いて時には悩み、傷付き、そして悲しみ、或いは憤る、こうした私利私欲無き方々の為に言葉を通じて」現場主義と直接対話を実践し、地域から信州を変え、地域から日本を変えるべく、「未来の子供達に借金の山を残さない」と僕は訴え続けました。
 再び巨額の借金をすれば信州に、ダムのみならず超高層ビルを林立させる事も可能です。が、どんなにお金を積み上げようとも他の都道府県は、北アルプスを始めとする美しい山々を手に入れられないのです。
 日本海側と太平洋側へ命の水を供給する水源県としての信州は、「借金の山」ではなく、福祉・医療、教育の“恵みの山”と“緑の山々”を次世代の県民に財産として贈るべきなのです。
 その気概と営為こそは、脱物質主義の21世紀に生きる私達に課せられた真の革新であり、真の保守であります。
 而して、その為にも既得権益者との闘いを「怯まず・屈せず・逃げず」、更には如何なる時に於いてもぶれる事無く、貫き通すべきなのです。
 この文脈に於いて前週も言及した、18世紀後半にイギリスで活躍した保守主義を代表する政治家にして思想家のエドマンド・バークが喝破した真理を改めて拳々服膺すべきです。
 曰く、社会の矛盾や格差が放置され続け、人々が蜂起せざるを得ない事態へと陥る前に、指導者たるもの、民主主義の社会を保持するべく絶え間なき変革を行う先見性を持ち合わせねばならぬ。即ち、真の保守主義とは実は、民主主義を護る為にこそ存在し、故に地域利害に囚われない政事家(ポリティシャン)ならぬ政治家(ステーツマン)が社会に於いて求められているのだ、と。
 翻って、1時間に66億円もの速度で借金が増え続け、僅か5年間で250兆円。総額1000兆円を超える世界一の借金国に陥るも危機感無き政事屋ばかり、「左」「右」の別無く跳梁跋扈する嘆かわしきニッポンです。日本の似非保守も似非革新も、大義の何たるかを露程も把握していません。
 「人々の革命への要求を先取りするような、その結果、人々が革命など必要としなくなるような賢明な政治」の実現こそが真の保守であり真の革新なのです。その気概と覚悟を抱き、生活こそ政治であるとの真理を掲げて今後も奮闘します。
 猶、退任時の挨拶全文は「新党日本」のHPで閲覧可能です。

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小泉的言説はポップス・ベスト10の如き
2006年8月30日 掲載

「靖国神社」を巡って櫻井よしこ女史と僕の見解は、真っ向から食い違いを見せます。他方で、「住基ネット」に関して彼女と僕は、認識を同じくするのです。
少なく見積もっても維持費のみで、全国の地方自治体が年間300億円近くも要するシステムでありながら、住基カードの保有者は驚く勿れ、全国で僅か90万人余りに留まっているのです。その必要性を然しては求めていない証左です。正に、目に見えにくいハコモノ行政の無駄です。
コンピュータ・ネットワークの存在を否定しているのではありません。その在り方が問われているのです。にも拘らず、1枚の中に10万文字もの個人情報を入力可能なカードに、何は記し、何は省くべきか、こうした議論すら些かも行われぬ儘、不毛な○×的二元論に終始しています。
畏兄・西部邁氏の言説を引用すれば、「歴史の流れと、そこで形作られた慣習の体系と、そして取り分けその体系の内に保蔵され来たった(歴史的英知としての)伝統の精神とを大事として『秩序と良識』の何たるかを見定める、それが保守的という事である」。
「他方、歴史を進歩以前として軽視し、慣習を因襲として遠ざけ、伝統を独創に対して有害であるとして退けるのが革新的という事である」。
「この意味での保守対革新という政治の構図が、歴史感覚の乏しいアメリカでは、それ以上にアメリカニズムによって洗脳され切った感の深い戦後日本では、弱まりゆくばかりときている」。
一般に、「現状を維持する事の利点」を希求するのが保守主義だと浅薄に捉えては過つ、と僕は考えます。18世紀後半にイギリスで活躍したエドマンド・バークを高く評価するのも、この点に於いてです。
保守主義を代表する政治家であり思想家の彼は、変化を拒む頑迷固陋な人物ではありません。地域利害に囚われない近代政党の在り方をも示した彼は、以下の卓越した思想の持ち主でした。
 社会の矛盾や格差が放置され続け、人々が蜂起せざるを得ない事態に陥る前に、指導者たるもの、民主主義の社会を保持するべく絶え間なき変革を行う先見性を持ち合わせねばならぬのだと。
 物の本から引用すれば、「人々の革命への要求を先取りするような、その結果、人々が革命など必要としなくなるような賢明な政治」を希求し続けたのが彼です。
 保守主義とは凡そ、「頑迷固陋」とは異なるのです。その意味では革新たり続けてこそ、本当の保守であります。
「歴史感覚の乏しさ」を自覚していた、即ち自身を映し出す手鏡としての弁証法が辛うじて機能していた往時のアメリカで捉えるならば、共和党的思考が櫻井よしこ女史であり、民主党的思考が田中康夫です。
であればこそ、対極に位置するかのように見えて、実は西部邁氏も含めて何れも、ジャズとクラシックが通底するが如く、保守主義に立脚するのだと思います。
比するに、定見無き右顧左眄で今週のポップス・ベスト10の如くに日替わりメニューを繰り出す小泉純一郎的な言説は、保守とも革新とも呼び得ぬフォニー(紛い物)な代物なのです。
真の革新とは保守とは何か。次週も論考を続けましょう。


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『親の心、子知らず』小泉純一郎的空気が横溢する
2006年8月23日 掲載

 「秦 頼りにならぬ陸海空軍の統帥部長に比べて、相対的に、東条がマシに見えたのでしょう。能吏だから、こまめに上奏するし、御下問があればごまかさずに答える。しかしながら、戦争末期には東条もまったくアテにならず、天皇は、アメリカの短波放送で戦況を聞いていたんですよ」
 「保阪 昭和天皇は、終戦後さまざまな事実が明らかになるうち、臣下は私を騙していたのではないか、と気づいたのではないでしょうか」
 「半藤 私は怒りというより、天皇の哀しみを感じました。戦争中から騙されていると判っていたと思いますよ。だから最後は『聖断』で自分で終戦を決断したんです」
 再録した内容は、「文藝春秋」9月号に掲載された座談会「徹底検証・昭和天皇『靖国メモ』未公開部分の核心」での発言です。何れも昭和史に関し、優れた識見を有する半藤一利、秦郁彦、保阪正康の3氏が踏み込んだ発言をしています。
 僕は深い感銘を受けました。「文藝春秋」という媒体も、更には件の3氏も、世間一般の認識からすれば、所謂「左寄り」ではありません。小泉純一郎的○×二元論の単純思考読者ならば寧ろ、「右寄り」と目し兼ねぬ存在だったでありましょう。が、そうした媒体や人物が、小泉純一郎的空気が横溢するニッポンを危惧しているのです。
 1ヶ月前の7月20日付「日本経済新聞」は、「A級戦犯靖国合祀 天皇が不快感 参拝中止『それが私の心だ』」との大見出しの下、昭和天皇が語った言葉をその都度、「手近な用紙に書きとめた」宮内庁長官だった富田朝彦氏の手帳と日記帳からのスクープ記事を第一面に掲載しました。
 畏兄と僕が勝手に仰ぐ立花隆氏も自身のサイト「メディア ソシオ−ポリティクス」で、以下の感懐を記しています。
 「こういうくだりを読んでいくと、いまA級戦犯の肩を持つ人々への怒りがこみあげてくる。天皇と国民にウソばかりならべたてて、あの無謀な戦争をはじめさせ、戦争の真実の推移をすべて押し隠し、ついには一億玉砕の本土決戦にまで持ち込もうとした、あのA戦犯たちへの天皇の怒りと哀しみが、あの富田メモの『それが私の心だ』によくあらわれていると思う。それにしても、自分の一の臣下であるはずの時の首相にして陸軍大臣でもあり、参謀総長でもあった東条(英機)の戦況報告が信用できず、敵国アメリカの短波放送で真実の戦況を知っていたとは、天皇も哀れである。真実を知れば知るほど怒って当然である」。
 星霜を経て、父親たる昭和天皇と同じ思いを抱く平成の今上天皇と皇后が御臨場の全国戦没者追悼式が挙行された8月15日早朝、内閣総理大臣小泉純一郎は靖国神社に公用車で赴き、本殿に参拝しました。
 その行為を「意地を貫き通した」などと「賞賛」する国民が過半を占めている、と報じられています。“親の心、子知らず”と慨嘆する向きは今や少数者なのです。
 「文藝春秋」「讀賣新聞」といった従来は「右寄り」と目されていた媒体が、斯くも夜郎自大なニッポンの空気を危惧しているにも拘らず、「いつ行っても批判されるから、今日がいいだろうと思った」と論理どころか理屈にもなり得ぬ“開き直り”を、善男善女が「支持」する。最早、“奇っ怪ニッポン”以外の何物でもありますまい。

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100年先を見据えて再び「脱ダム」宣言
  2006年8月9日 掲載

 新潟県に位置する刈谷田川と五十嵐川の流域では、2年前に襲った豪雨で12名の命が奪われ、1万所帯もの家屋が水害に遭いました。何れも信濃川水系の河川です。
 既に刈谷田川には1つ、五十嵐川には2つのダムが上流に建設され、100年に一度の洪水にも耐えられる筈でした。が、地球温暖化に伴う局地的豪雨は、建造400年の仏閣さえ押し流しました。
 流域では現在、敢えて堤防を切り下げ、100haの遊水池を設ける事業が進行中です。危険区域から家屋400戸を移転する計画も始まりました。
川の水を川の中だけで制御しようとする発想こそは非現実的、との新しい治水の哲学です。増水時には川を溢れさせる事で逆に治水を行う。その為にも、本当に護るべき住居や田畑を確定させる。河道至上主義とも呼ぶべき、従来の河川整備方針からの大転換です。
 それは、新潟県の単独事業ではありません。「『脱ダム』宣言」から5年半を経て、同様の精神の下に国土交通省の認可を得て、隣県で実施されている事業なのです。
 下諏訪町を流れる砥川上流に計画していた下諏訪ダム。茅野市を流れる上川上流に計画されていた蓼科ダム。信州では昨年、諏訪湖に流れ込む2つの河川のダム計画を何れも破棄し、ダムに依らない河川整備計画を策定。国土交通省から認可されました。前者は岡谷市、後者は諏訪市にも密接に関係する河川です。
 而して県全体では47%の得票率だった今回の選挙で僕は、豪雨災害に直面した岡谷市、諏訪市、下諏訪町、辰野町、箕輪町、茅野市、塩尻市の被災7市町の何れに於いても、対立候補を上回る得票率だったのです。
 別けても、「『脱ダム』宣言」発祥の地である下諏訪町で得票率61%、土石流が発生した岡谷市で58%、500戸余りが床上浸水した諏訪市で57%の高得票率です。
延べ1万人を超える県職員が市町設置の避難所に駐在し、床上浸水の個人宅をも支援した、それのみが理由ではありますまい。ダムに依らない河川整備が進捗している砥川、上川の流域では、他の河川と異なり、床上浸水等の水害は発生しなかった、その事実こそが被災地で冷静に受け止められたのです。
 而して、岡谷市でも箕輪町でも、土石流は“鎮守の森”たる神社を跡形も無く呑み込みました。古来、神社は集落の中で最も安全な場所に設営していたにも拘らず。
 幾人もの命が奪われた岡谷市湊地区で、地元区長は述懐しました。誰も危険な沢だと感じた事は無かった、と。が、殆ど森林整備が行き届かぬ国有林の、針葉樹主体で保水力も劣る荒廃した森は薙ぎ倒され、土石流が人家を襲ったのです。
林野庁の予算に占める森林整備は僅か8%に過ぎず、谷止め工に象徴される鋼鉄とコンクリートの公共事業が幅を利かしています。
こうした中、僕は就任以来の5年で森林整備予算を3.3倍に拡充し、小泉純一郎内閣が公共事業費を37%削減する中、土木建設業者の雇用の場を創出しました。それは、未来の子供達に借金の山を残さず、今後10年間で24haの間伐を実施し、広葉樹主体の緑の山を残そうとする100年の計なのです。
「『脱ダム』宣言」を揶揄する護送船団・記者クラブの「報道」が為される中、被災地の有権者は極めて冷静に的確に、100年先の信州の在るべき姿を捉えている。その事実に僕は深い感銘を受けています。


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僕がガードレールを木製に変えた理由 2006年7月20日 掲載

「未来の子供へ借金を先送りしない!」「世代を超えた、すべての人に優しい行政を実現!」「地域で出来ることは、地域の企業や人々の力で。」
 未来へ誇れる「美しい信州」、安心して暮らせる「豊かな信州」を220万県民と共に育むべく、6年前に長野県知事に就任した僕は、利益誘導型県政から決別すべく、財政改革に着手しました。
 冬季五輪なる大義を得て長野県は、バブル経済崩壊後の90年代に公共事業費を3倍もの金額に膨れ上がらせました。が、その利益の大半は中央のゼネコンに還流し、全国ワースト2位の財政状況が訪れていたのです。
 不要不急の起債を抑制し、全国で唯一5年間連続、総額923億円の借金削減を敢行しました。プライマリーバランスと呼ばれる基礎的財政収支も7年度連続黒字を達成し、昨年度は1円も基金を取り崩さず、逆に積み増しています。
 信州型木製ガードレールも、財政改革を敢行する中で誕生した、地域循環型の事業です。
 鋼製ガードレールの製造元は、全国に僅(わず)か5社しか存在しません。巨大公共事業と同様、費用の大半は中央に還流してしまうのです。而(しか)も、設置に際し、国からの補助金は有りません。
 循環型社会とは、環境のみを意味するのではないのです。経済も雇用も、循環型であるべきです。と考えていた僕の元に、1通の手紙が届きました。訪れた信州の美しい紅葉の中で撮った写真の背景に、白いガードレールが映り込んでいて興醒めしてしまった、とのこと。
 茶色に塗り替えようか、と思いました。暫(しば)し考える内に、県土の8割を占める森林の間伐材を用いて、優れた強度の木製ガードレールを実現出来ないだろうか、との思いに至りました。
 土木部に提案すると彼等は早速、県内の土木建設業者に募集を掛けました。3つの企業グループが呼応し、県からの助成金を活用して、完成したのが信州型木製ガードレールです。
 何(いず)れも、つくば市に位置する試験場で大型トラックを衝突させ、国の耐久実験に合格した製品です。即(すなわ)ち、鋼製ガードレールと同じ強度を有するのです。加えて、木の温(ぬく)もりを感じさせます。
 上信越自動車道の碓氷・軽井沢インターチェンジを下りて、群馬県から長野県に入った瞬間、その両側に続く木製ガードレールに驚嘆するでしょう。間伐、製材、製造、設置に至るまで、担当するのは県内企業です。延べ291人もの雇用が、1キロメートルの木製ガードレールで創出されています。
 比するに鋼製ガードレールの場合、設置に要する延べ58人のみです。詰まり、木製ガードレールは5倍の地域雇用を創出するのです。
 では、要する金額はどうでしょう? 鋼製の場合、1メートル当たり6500円です。木製の場合、年間55キロメートル設置すると、1キロ当たり1万1800円。国土交通省と林野庁の国庫補助を活用すれば、県負担は同額の6500円です。
 新しい公共事業としての信州型木製ガードレールは、年間55キロメートル設置で1万6000人・日もの雇用を生み出すのです。環境と雇用と経済の循環型社会。誰もが誇らしく語れる信州・長野県の挑戦です。

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納税者が大きく頷く道路特定財源の使いみち
 2006年7月13日 掲載

 パリの街並みを創り上げたのは、ナポレオン3世の治世に活躍した都市計画家のジョルジュ・オスマンでした。
彼は、建物の高さを30mに規定し、ブルバードと呼ばれる並木道を設け、凱旋門やオペラ座に象徴される建造物を中心に放射状に広がる、現在のパリの街並みを誕生させました。19世紀半ばの話です。
 ブーローニュの森を始めとする幾つもの公園も設けられました。下水道を完備し、コレラの発生を抑制しました。電線を地中化し、街灯が登場しました。
セーヌ県の知事でもあったオスマンは、単なる区画整理を超えて、人間性を街に与える都市計画を実行したのです。ヨーロッパのみならずラテンアメリカ、更には「植民地」に於ける都市建設の見本ともなりました。
 揮発油税、自動車重量税等で構成される道路特定財源を廃止すべし、との意見が喧しい昨今です。無駄な公共事業を生み出すだけだ、との単純明快な理由で。
が、皮肉にも、これ以上は消費税率を上げられない欧米諸国は逆に、日本の道路特定財源を見習おう、としているのです。オスマンが目指した国民の社会的共通資本を整備する原資として魅力的ではないか、と。
 即ち、その制度自体が問題なのではなく、制度運用に改善が求められている。我々は欧米の熱い眼差しを、冷静に受け止めるべきなのです。
 一例を挙げれば、山手線内や大阪環状線内の全ての電線地中化を5年間で完全実施する計画を打ち上げたなら、全国の納税者は大きく頷くでしょう。が、現実には、道路特定財源の中から電線地中化に投じられている割合は、全体の3%に過ぎぬのです。
 黒部ダムが出現し、東海道新幹線が開通した1963年から64年の往時、少なからず国民は昂奮した筈です。戦後日本の変貌振りに。それから40有余年を経て、国民の意識は明らかに変化しています。無駄なハコモノ行政への嫌悪感へと。
 但し、それは公共事業=NOではないのです。公共事業の在り方を、オスマン同様に改めるべきではないか、と国民は考えているのです。
 今から5年前、「軽井沢の良質な別荘環境は日本の貴重な財産」であると考える軽井沢町長の佐藤雅義氏と共に旧三笠ホテルで、「『マンション軽井沢メソッド』宣言」を発しました。
而して、昨年末には「軽井沢の美しく・豊かな自然・景観は日本の貴重な財産」とする「『軽井沢まちなみメソッド』宣言」を発しています。
 社会的共通資本としての軽井沢の電線を全て地中化し、間伐した県産材を用いた信州型木製ガードレールと全て交換する。こうしたドラスティックな目に見える変化を、国民は望んでいるのではないでしょうか。
 この山河、この暮らしを育み、未来へ。誰もが誇らしく語れる、信州・長野県をさらに。
 繰り返しますが、建物の高さを30mと定め、その中で建築家を競い合わせたればこそ、パリの街並みは社会的財産として今日に至っているのです。個性化を認めた上での高品質な統一感の街並み。その哲学に基づく21世紀の新しい公共事業が、千代田区にも軽井沢町にも、更にはマンションラッシュの芦屋市にも求められているのです。

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自治ならぬ『痔痴』が全国で展開されている
 2006年7月6日 掲載

 全国47都道府県で知事職を務める人物の3分の1は、旧自治省・現総務省の出身です。而して霞が関の官僚出身者が、全体の半数に上ります。「据わりが良い存在」だからなのでしょう。
 背後に政党や団体の意向を背負った議員や首長にとって都合が良い舞台の上で、無難に演じてくれる。そうした恙無き役割を期待されて当選してきたのが大半の知事です。この観点に立てば、前例踏襲なる則を決して超えない国家公務員、地方公務員の経験者は、実に適役なのです。
 県会議員や市町村長は信州・長野県に於いても、「車の両輪」なる惹句を好んで用います。議会と知事は県政の両輪なのだ、と。が、圧倒的大多数は、予め彼等が用意した舞台に登壇していくのですから、その構図は議員と知事が“同衾”する一輪車に他なりません。 
 斯くて、政官業の利権分配トライアングルとは無縁な日々を送る市井の人々の意識とは遠く掛け離れた“自治”ならぬ「痔痴」が、全国各地で展開されているのです。
 浅野史郎氏が宮城県知事を退いた今、こうした予定調和を潔しとせず、議会から不信任決議や辞職勧告決議を突き付けられても猶、知事職を務めているのは高知県の橋本大二郎氏と田中康夫の2人に留まります。
 滋賀県知事選挙で、環境学者の女性が、県職員出身者の現職知事を打ち破りました。
 250億円に上る設置費用の大半を地元自治体が負担する新幹線新駅の建設計画「凍結」、2つのダム建設計画「凍結」を掲げた彼女は、選挙直前に敢えて政権与党にも推薦を依頼した“策略家”とも伝えられます。
 縦しんば、フィールドワークで長期滞在したアフリカの地でタフ・ネゴシエーターとしての彼女が養われたのだとして、が、そのアフリカの自然以上に今後の道程は過酷・苛烈でありましょう。6年間の実体験に基づく、僕の実感です。
 中止に留まらず凍結した場合に想定される「損害賠償」やら「住民訴訟」やらに伴って生じる膨大な「出費」の可能性を記した書類を元に、前述の利権分配トライアングルへの私僕として働く人生こそ「公僕」の務め、と入庁以来教え込まれてきた彼女の部下は、御注進してくれるでしょう。
 中止も凍結も不可能ですよ。寧ろ、進めた方が血税の出費は少なくて済みますよ、と。僕の初当選から程なく、徳島県や栃木県で誕生した知事も、そうした県職員からの「助言」に従い、失脚しました。
 仮に県職員の「助言」に従わなかった場合、政官業学報の現状追認ペンタゴンを構成する審議会の御用「学」者、記者クラブに護られた地元「報」道機関が、こうした既得権益者の“空気”に同調し、中止や一時中止や凍結は理念としては理解可能だが現実問題として無謀だ、などと反旗を翻すのです。
 議会との信頼関係、職員との信頼関係を一時的に「損ね」ても、真の県民益を実現させるべく、理念を貫き通し得るかどうか。一輪車ではない舞台で知事職を務める者には、「怯まず・屈せず・逃げず」の精神が求められているのです。


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純ちゃんの”恥世”が総決算を迎えた 2006年6月29日 掲載

 密かに畏兄と慕う箭内昇氏の論考に感銘を受けました。「村上ファンドの没落と忍び寄るマネーゲームの陰」と題し、「日経ネット」の「ビズプラス」に掲載されています。http://bizplus.nikkei.co.jp/
日本銀行総裁の座に居座り続ける福井俊彦なる人物同様、“ノーブレス・オブリージュ”の欠片すら持ち合わせぬ当時の経営陣を批判し、8年前の夏に日本長期信用銀行執行役員新宿支店長を辞した気概の人物は現在、アローコンサルティング事務所代表としてりそなホールディングス社外取締役も務めています。
「『金儲けの何処が悪いんですか』『無茶苦茶儲けたから嫌われたんでしょ』と開き直る発言に大いに落胆し」、「金を動かす内に金に振り回されてしまった哀れな男の姿」を見た氏は、80年代のニューヨーク支店勤務時代を想起するのです。
「ジャンクボンドの帝王」と呼ばれしマイケル・ミルケン被告も、ハーバード・ビジネススクールをトップクラスで卒業後に「敢えて二流証券会社のキダー・ビーボディに入社してM&A部門で頭角を現した」マイケル・シーゲル被告も、「本来は大変な秀才、努力家、革命家だった」と。
 ペンシルバニア大学のウォートン・スクールをオールAで卒業したミルケンも、当時は「二流証券会社であるドレクセル・バーナム社に就職し」、「たった1人で二流企業の分析という作業を遣り遂げ」ます。
「トレーダーの仕事を続ける中で、低信用力の二流企業の発行する社債、詰まりジャンクボンドが」「倒産確率に比べて投資利回りが」「高いパフォーマンスを示す事を発見した」のです。昭栄や東京スタイルに企業市民としての自覚を促した初期の村上世彰被告の“志”との相似です。
「夜明け前から始発バスで出勤し、車中でも寸暇を惜しんで仕事に没頭し、企業の財務諸表の山の中から有望銘柄を発見し」、「投資家に推奨する彼の地道な努力は報われ、ジャンクボンドの発行残高は76年の150億ドルから86年の1250億ドルに急拡大し、ドレクセルは圧倒的な市場支配力を手にする」と共に、「低信用力企業に資金調達の道を開き、買収企業に巨額の資金調達手段を提供し、アメリカに巨大合併時代を齎した」のです。
「若い頃はM&A部門で週に100時間以上と猛烈に働いた」シーゲルも、買収サイドのアドヴァイスではなく、「被買収企業の防衛アドヴァイスという新しいビジネスを開拓した」のでした。
「ポイズンビルの代名詞とも言うべきゴールデン・パラシュート(企業が買収された際には現職役員に巨額の退職金を支払う条項を設け、結果として買収の魅力を減殺する)も、パックマン(買収企業を逆に買収する究極の防衛策)も、彼の発明」なのです。
 が、堀江貴文被告も含めて彼等は何れかの時点で「初心を失い、拝金主義の悪魔に身を委ね」、奈落の底に転落しました。然るに、「ライブドアの株価が上昇する中で担保株を大量に売り抜いた」外資系投資銀行は、村上、堀江両容疑者を遙かに上回る浮利を得ても猶、「完全に合法的」なビジネスと嘯き続けるのです。
 福井俊彦、竹中平蔵、宮内義彦の3氏も又、同然の居直りを決め込むのでしょうか。が、経済の世界にはアダム・スミスが唱道した“見えざる手”をマックス・ウェーバーが昇華した“神の見えざる手”も存在するのです。否、存在せねば、額に汗して今日も勤労する者が報われぬではありませんか。“治世”とも呼び得ぬ小泉純一郎の“恥世”が総決算を迎えつつあります。


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名無しの風土から生まれた福井日銀総裁 2006年6月23日 掲載

 実はアルツール・アントゥネス・コインブラが本名なのだとか。ジーコの愛称で知られる日本代表チーム監督のフルネームです。
 以前から繰り返し申し上げているのですが、何故に島国日本のマスメディアちゃんは、フルネームで人名を記さないのでしょう?
別段、欧米のメディアちゃんが優れている訳でもありますまいが、しかし、日本でも宅配可能な「ヘラルド・トリビューン」や「フィナンシャル・タイムス」を始めとして、それがアメリカの大統領であろうとも、記事の中で最初に登場する際には、ジョージ・W・ブッシュと記されるのです。
 パパ・ブッシュのジョージ・ハルバート・ウォーカー・ブッシュと明確に区別する為に、フルネームで記しているのではありません。彼だけの特例ではなく、イギリスの首相はトニー・ブレア、フランスの大統領はジャック・シラクと記すのです。後者の場合、ミドルネームのルネを省略するのが通例ですが、少なくとも苗字と名前は明確に記されます。如何なる著名人であろうとも。
 仮にイギリスとオーストラリアの首相が共にスミス氏で、その両者が会談した場合、2人で1人だった藤子不二男氏の様に、呵々、スミスA、スミスFとか知るのでしょうか。いやはや。
 バイネームで仕事をしよう、と2000年10月26日に信州・長野県知事に就任した際から繰り返し、職員に語り掛けてきました。広島の原爆ドーム脇には「安らかにお眠り下さい。過ちは二度と繰り返しませんから。」と記されています。
 が、それは誰が誰に対して語っているのか、誓っているのか、曖昧模糊としています。主語が無くとも語れてしまう。それは日本語の利点であると同時に、欠点でもあるのです。
美しさや愛しさを表現する形容詞が、斯くも豊富な言語は、日本語を措いて他に存在しないでしょう。それは、主語無しで表現可能な和歌の隆盛と無縁ではないのです。
 が、同時に、責任の所在が明確ではない日本社会を齎した、とも言えるのではないでしょうか。6年間の県政改革の道程を語り、あるべき日本の未来を語る、講談社から上梓した近著「日本を−ミニマ・ヤポニア」でも述懐する様に、その無責任体質は、閣議の在り方に象徴されています。
 閣議の前日、事務次官会議が開催されます。各省庁から新たな施策が提案されます。驚愕すべきは、他省庁の次官は、それに対して反対をしない、という不文律が存在している事実です。
 即ち、会議の議題として取り上げられた段階で既に、「合意」されているのです。翌日の閣議は、その大半の時間が花押を内閣の構成メンバーである各大臣が記す作業に費やされます。押字とも呼ばれる花押とは、署名の代わりに使用する記号・符合です。一種のサイン。就任時に専門家が、固有の花押を作製し、それを各人が記すのです。
 ダベリングしながら、花押を記す。が、重要なのは、花押の「出来」ではなく、議論の「中身」なのです。にも拘らず、その点が問われた例が有りません。「日銀では全て理事全員の合意で物事が決定するので、私1人の責任ではない」と居直る福井俊彦なる人物は、日本の風土の中で、生まれるべくして生まれたのです。いやはや。

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信じたい日本でなく『信じられる日本へ』 2006年6月15日 掲載

「ヤッシー流! 日本復活構想! 全国でただ1県、5年間連続で県の借金を減らした行政力。信州・長野県知事 田中康夫が日本の元気を取り戻す!」と帯文が記された単行本「日本を ミニマ・ヤポニア」が本日、講談社から発行されます。
 その前半に当たる「日本を」は、文章を書き、言葉を喋るだけでなく、50ccバイクに跨って被災地で奉仕活動を続け、巨大公共事業の見直しを求める市民活動を率い、時代の状況に自ら関わってきた僕が、県知事に就任後、更に社会貢献し得る様々な権限を有し、判断を求められる“アンガージュマン”として実践し続けた記録です。
 のみならず、官でも民でもなく公の心智が集う“リージョナル・コモンズ”の再生を、と昨夏に荒井広幸、小林興起、滝実の各氏らと結党した新党日本が目指す、「信じられる日本」社会の在り方を提示する「MINIMA JAPONIA」を、後半には掲出しています。
 右綴じの単行本として前半は縦書きで、左綴じの単行本として後半は横書きで、読者たる国民の期待に応える、正に結党宣言に記された文言、「常識をひっくり返す事にこそ夢が有る」と納得させる単行本なのです。
 併せて、本日17時から帝国ホテル本館3階富士の間で「日本を変える意志の集い」が開催されます。「小さな種が花を咲かす時、日本が変わる−日本が変える。」と銘打っての新党日本のパーティです。冒頭に民主党の鳩山由紀夫氏から来賓挨拶を受け、僕が40分間、講演を行います。
 18時からの第二部は、国民新党の亀井静香氏、民主党の渡部恒三氏、社会民主党の又市征治氏から来賓挨拶を受け、畏兄・菅原文太氏の発声で乾杯となります。東京藝術大学の卒業生が奏でる弦楽四重奏の調べが流れる中、“平場”で参会者と2時間近くに亘って語り合う趣向です。
 資金回収の為に開催される凡百の政治資金パーティとの、そこが大きな違いです。
 如何なる社会を目指すかの理念と気概を本人らが提示する事も無く、評論家と称する口舌の徒に高額な謝金を支払い、歯が浮く程の礼賛講演を依頼し、チケットを購入した企業、組合、各種団体から命ぜられて訪れた参会者も、会場内の屋台で鮨や天麩羅を摘むや退出してしまう。
 斯くなる見慣れた光景とは凡そ異なる、即ち、会場内のあちらこちらで僕を始めとする面々と、個人の意志で全国から参会して下さった方々が議論を交わす場面が展開される事でしょう。
 少子高齢化社会を既に通り越し、歴史上に類を見ない速度で少子社会、高齢社会が到来した我が国に於いて、経済的・文化的ヘゲモニーこそが重要で、技術や人財等のソフトパワーこそが国民力と認識する「小日本主義」に基づく経世済民の社会再生こそが「信じられる日本」なのです。
 「信じたい日本」ではありません。それは、政官業の利権分配トライアングルや、そこに御用学者や報道機関が加わった政官業学報の現状追認ペンタゴンが望む「都合の良い」日本に過ぎません。
 「信じられる日本」は私利私欲とは無縁のリージョナル・コモンズに生きる国民による公の再生ムーブメントなのです。


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全ての建設工事に『受注希望型競争入札』を 2006年6月7日 掲載

 「信州・長野県の公共事業改革を国も学ばねば」と総選挙翌日に僕も出演したNHKの番組で公明党の神崎武法代表が宣ったからなのか、或いは、本県の入札制度改革・公共事業評価制度・建設産業構造改革を評価する報道が「讀賣新聞」や「日本経済新聞」で為されているからなのか、国土交通省の北側一雄大臣も同様の趣旨を大臣会見で表明しました。
 彼等の「公共工事の入札及び契約の適正化を図るための措置に関する指針(適正化指針)の改正」は、斯くなる流れの中に位置しているのでしょう。が、その取り組みには依然として、少なからぬ差違が存在しています。
 全ての建設工事に「受注希望型競争入札」を導入している本県とは異なり、国では一般競争入札を2億円以上の工事に限定しています。本年度に入って「2億円未満の工事にも積極的に試行」する様にと「指示」を出しました。が、それらは何れも各発注機関の努力目標に過ぎません。指名競争入札や随意契約が、全体の95%以上を占める不透明さは、未だ解消していないのです。
 小規模企業への受注機会の確保を図るべく本県では加えて、従来は孫請け・曾孫請けに甘んじていた土木建設業者が直接、入札へ参加可能とする「参加希望型競争入札」も導入しています。
 僕の就任時、道路舗装を始めとする維持修繕・管理業務等の入札は、県費100%で実施しているにも拘らず、実際に重機を保有し、人々を雇用している中小規模の県内企業が、何故か参加出来ない理不尽な状況でした。
 東京に本社が位置する上場企業の県内支店が応札・落札し、そこから仕事が分け与えられるピラミッド構造だったのです。無論、斯くなる大手企業は、重機も人員も、県内に確保している訳もありません。全ては“丸投げ”です。
 参加希望型競争入札は、B2C、B2Bの哲学に基づきます。故に平均落札率は8割台なのです。「中間搾取の解消」が功を奏して、例えば従来、1000万円を要していた道路舗装工事が800万円で賄える変化が生まれたのです。採算割れの受注ではない事は、土木建設業者の85%が参加希望型競争入札を支持し、更なる充実を望んでいる調査結果からも明らかです。
 繰り返しますが、こうした事業費用への国庫補助はありません。全額県費です。8掛けで賄えれば、残り2割の費用で別の歩道整備等が行えます。極論すれば、福祉や教育の分野へと振り分ける事も可能です。
 他方、出納業務を扱う会計局内に、検査チームを本県は新設し、土木・農政・林務の3部で公共事業を担当してきた老練な技術職員を移籍させました。安かろう悪かろうの工事を見逃さない為に、専門の検査官を配置したのです。
 国でも工事検査を、実施してはいます。が、同じ部署内に検査担当者が居たのでは、柵(しがらみ)を断ち切って活動するのは至難の業です。
 契約約款には、違約金特約条項を設定しています。20%の損害賠償予約条項です。その後、国でも同様の条項を設けましたが、それは10%。悪質な事案でも15%に留まっています。
 「新客観点数」を導入し、通常の経営事項審査に加えて、工事成績、技術者の人数、除雪や維持等の地域貢献度を算定する基準を本県独自に設け、総合評点に加算しています。福祉、農業、林業等の「新分野進出」も経営意欲の指標として加算されます。高い意欲を有し、良い仕事を、弛まず実践している業者は優れた評点を得る事で、従来よりもワンランク上の金額規模の公共事業への入札参加資格が付与されるのです。
 「総合評価落札方式」の導入も、全国屈指です。優勝劣敗な価格競争に陥らぬように設けた件の制度は、個別具体的な入札に於いても、応札価格以外に工事成績、地域要件、地域貢献、技術者要件等の要素を加味する評価基準です。
 工事成績配点を大きくする事で社会的共通資本の品質向上を目指しているのです。35%の公共工事では、最低入札価格以外の企業が落札しています。
 が、それは高かろう悪かろう、では断じてないのです。
 僕が就任した6年前、一般競争入札の落札率は97.6%でした。繰り返しますが現在は入札全体で80%弱の落札率です。国には到底為し得ない「改革」です。


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全国津々浦々に「集団営農」の遺跡が残る 
2006年5月31日 掲載

 「ウルグアイ・ラウンド対策」として農林水産省が1994年度から2000年度に掛けて投じた税金は、総額にして6兆円を優に超えています。地方単独事業も加えれば、7兆3000億円近いのです。
 が、それで日本の農業が自律したかと問われれば、答えは否です。その使途は他の起債同様、ハコモノと道路と公園の建設に限定されていたのですから。結果、全国津々浦々に、自律的な個人の農業者の願いとは裏腹な“遺跡”が多数出現しました。「集団営農」と称する悪平等的助け合いに、巨大農業団体と一蓮托生で固執する日本は、コルフォーズ、ソフォーズ、人民公社も潰(つい)えた21世紀の地球上で未(いま)だ猶(なお)、集団的自衛権ならぬ集団的計画経済社会主義を実践する奇特な国家なのです。千曲川の源流を擁する高原野菜の村にも、その“遺産”が存在します。
 ふるさと農道の一環として建設された巨大な橋梁は、八ケ岳高原線と近時、JR東日本が呼ぶ小海線の野辺山駅よりも一つ手前、信濃川上駅の上方に78メートルの橋脚2本と共に、その威容を誇ります。ふるさと農道は往時、ウルグアイ・ラウンド対策で設けられた事業の一つで、事前に通行量予測を実施せずとも着工可能でした。無論、多額の予算を投じて事前予測調査を行おうとも、“士族の商法”故にドンピシャリと当たった試しは皆無に等しいのでしょうが。
 とまれ、当初予算は19億円。最終総工費は48億5000万円です。その謎を就任直後に尋ねると、悪びれもせずに農政部長は答えました。
「知事、公共事業は小さく産んで大きく育てるものです」
 因(ちな)みに、件(くだん)の人物は在任中に繰り返し、「今度の知事は、職員を信用して歩み寄ろうとしないから駄目だ」と周囲に“広言”していました。
 そりゃぁ、僕だって信用したいと思います。けれども、19億円が48.5億円に膨れ上がっても恬(てん)として恥じず、逆に居直り発言する古いOSの職員に唯々諾々と従っていたなら、確実に今頃、信州・長野県は財政再建団体に転落していたでありましょう。
 職員の為でなく、団体の為でなく、220万人の県民の為に奉仕者として仕える。爾来(じらい)5年7カ月を経て幸いにも、同じ使命感を抱いて走り続ける多くの職員が、現場にも中枢にも輩出されてきています。総合愛情産業のパブリック・サーヴァントとして県民に奉仕する意識に覚醒した彼等に感謝するや大です。無論、その分、既得権益を死守し続けたい守旧派の残党は、“愉快犯”的な言説を繰り返す地元のメディアと以前にも増して徒党を組む傾向に有るのでしょうが。
 話を戻せば、ダム、隧道、橋梁は、当初計画とは比較にならぬ程に多額の補正予算が途中で組まれて金額が膨れ上がる、国家財政を破滅へと導く麻薬なのです。而(しこう)して、その費用の大半は、スーパーゼネコンを始めとする県外企業に還流されていくのです。更に驚愕すべきは、地元の県議会議員も実は、県内業者よりも県外企業への優遇策を望んでいたりするのです。その意図する所は何か、更に詳述します。


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膨らむばかりのダム、隧道、橋梁の謎 
2006年5月24日 掲載

 ダム、隧道、橋梁。何時(いつ)の間にか、巨額の補正予算が組まれて当初計画の数倍、否、数十倍もの金額に膨れ上がる公共事業の御三家です。
 例えば、岐阜県の揖斐川上流に建設中の徳山ダムは事業費3550億円。今から49年も前の昭和32年に計画された徳山ダムの主たる目的が上水道向けの利水である事は、事業主体が独立行政法人・水資源機構である事からも「明らか」です。国、岐阜県のみならず下流域の三重県、愛知県、名古屋市も4割近くの費用負担を行っています。が、歴史上に類を見ない速度で少子社会が進行する日本で、これらの地域に於(お)いても上水道の利用量は減少しつつあります。工業用水も、循環使用の充実に因(よ)り、同様の状況です。
 にも拘(かかわ)らず、総貯水量6億6千万立米と日本最大の徳山ダムは、「自然の岩や土を盛り立てて造る」環境に優しいロックフィルダム、との惹句(じゃっく)を掲げて、来春の完成に向けて建設の最終段階です。計画構想から19年後の昭和51年に示された費用積算は、330億円でした。その13年後、平成元年には2540億円に膨れ上がっています。而(しこう)して3年前、事業費は前述の如く、3550億円に増額されたのです。
 その理由が嗤(わら)えます。環境に配慮して、ダム湖周囲の取り付け道路を隧道化するべく、増額したのだ、と。呵々。だったら、環境に優しい究極の選択として、建設自体を見直したら宜(よろ)しい。その費用を、電線地中化を始めとする新しい公共事業に振り向けたなら、毎日、満員電車に揺られる多くの納税者も首を縦に振るでしょう。
 冒頭で、ダム、隧道、橋梁は巨額の補正予算が組まれる御三家だ、と述べました。道路は、と疑問を差し挟む向きも居(お)られましょう。実は道路は、他の3事業と比較したなら遥かに、補正予算が組まれる確率は低く、縦(よ)しんば組まれたとして、その金額は相対的に遥かに少額です。
 何故(なぜ)って、仮に山道であったとしても、基本的に道路は平場に設けられるからです。極論すれば、手元不如意を理由に工事を途中で中断しても、そこまでの区間は供用可能です。
 他方、隧道を例に取れば、一旦開始された工事を途中で中断する訳にはいきません。崩落してしまうからです。橋梁も同様です。中断したなら、部分供用は不可能です。投資効果がゼロになってしまうから、事業見直しは罷(まか)り成らん、との「正論」が大手を振って歩き始めます。加えて、予期せぬ地質の変化を理由に、巨額の補正予算を「合法的に」計上する事が可能なのです。「明かり」と呼ばれる符丁が存在します。環境に配慮した上で、山肌を削って道路を建設する選択です。費用は隧道の場合よりも安価で済みます。補正予算が計上される確率も少ないのです。
 が、それでは旨味が少ない、と考える向きも世の中には存在するのです。而して、予期せぬ地質の変化が「真実」であるか否か、確認の仕様が無かったりするのです。これから掘削していく場所なのですから、極論すれば、請け負ったゼネコン側の自己申告を信ずるより他ない、のです。
 ダム、隧道、橋梁の謎を、今少し詳述し続けましょう。


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中央に献上するブーメラン現象を断て 2006年5月17日 掲載

 信州・長野県の公共事業改革を学ばねば、と公明党の神崎武法代表から過分な言葉を頂戴したのは、昨秋です。総選挙翌日にNHKが90分間に亘(わた)って生放送した各党討論で、新党日本代表を務める僕の斜め向かい側に座っていた氏が、発言したのでした。
 事実、信州・長野県が嚆矢(こうし)の「包括的公共事業改革」は、その後、同じく公明党の北側一雄大臣が指導力を発揮して国土交通省が積極的に、更には影響される形で自民党の中川昭一大臣も農林水産省で遅ればせながら導入しつつあります。
 立命館大学政策科学部で助教授を務める俊英・森裕之氏の論考に拠(よ)れば、それは「入札制度改革、公共事業評価制度、建設産業構造改革が『三位一体』となって、新しい社会経済システムを創り出そうとする試み」なのです。
 思い起こせば、就任から5カ月後の2001年2月20日に発した「『脱ダム』宣言」は、ダムを造る・造らないの二元論を超えて、脱物質主義の時代に於(お)ける公共事業の質的転換を内包していたのでした。
 交付税措置も含めて国から72.5%と多額の補助が行われるダム事業は美味(おい)しい公共事業、と信じて疑わなかった面々に、実はゼネラルコントラクター略してゼネコンが総事業費の80%を持ち帰り、即ち、それは租庸調の時代と変わらず中央に献上するブーメラン現象で、故に孫請け、ひ孫請けの地元の土木建設業界は自転車操業状態から脱却出来ないのだ、と述べた往時を想起します。
 コンクリートも含めた建設資材販売を家業としてきた長野市長を始めとする古いOS(オペレーションシステム)の方々は未だ、的確な認識を抱き得ずにいますが、「参加希望型競争入札」「新客観点数」「総合評価落札方式」の3点を導入した信州・長野県の入札制度改革は県内の、自主自律・自己責任の意識を有する土木建設業者の間で確実に着実に、受け入れられているのです。
 従来、国土交通省が全国一律の評価基準として定めていた経営事項審査でDやEといったランクに位置していた土木建設業者には、県発注公共事業入札への参加資格が与えられていませんでした。それは、道路の舗装工事に代表される維持・修繕・管理業務に関しても、です。結果、東京や大阪に本社を置く会社の県内支店が応札・落札し、実際の作業は県内各地で重機を保有し、社員を雇用する地元密着の業者が、下請け、孫請け、ひ孫請けしていたのです。当然、「手数料」が差し引かれていきます。
 参加希望型競争入札は、800万円規模に分割発注し、D、Eランクを含む地元企業を対象とする入札制度です。今年度は500箇所以上の工事区間を設けました。この5年間の平均落札率は80%です。採算割れで応札しているのでは、と口さがない向きは冷笑するやも知れません。豈図(あにはか)らんや、当の土木建設業者への調査では、85%もの支持を得ているのです。当然です。BtoCで受注出来るのですから、十分に見合う金額なのです。99%近い落札率だった往時とは一変しています。が、にも拘(かかわ)らず何故、県議会議員を始めとする面々は入札改革に反旗を翻しているのでしょう。次週、その驚愕すべき理由を詳細に解明してみましょう。


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政府与党の「心理的サイフ」はノンズロ状態 2006年5月10日 掲載

「心理的サイフ」なる単語を耳にした事が有るでしょう。人間、それぞれにサイフの大きさが異なるのです。
 と申し上げると、優勝劣敗な「格差社会」の到来で、持ち歩くサイフの大きさにも「格差」が生まれてしまったのか、と早とちりされる向きも現れるかも知れません。
 そうではなく、一人ひとり、ここまでなら支出許容範囲だと思える金額が、求める商品に応じて異なるのです。“萌え”青年が東京の秋葉原、大阪の日本橋に出掛けて、お気に入りの女性タレントを摸したフィギュアを買い求める際、心理的サイフは最大限に拡大します。斯(か)くなる領域に然(さ)したる関心を抱かぬ向きからすれば、何十万円もの金額を人形一体に投じるのは理解し得ぬ行為でしょう。
 他方で、件(くだん)の青年が購入後に摂(と)る夕食は500円にも満たぬ金額の、牛丼ならぬ豚丼一杯かも知れないのです。即(すなわ)ち、心理的サイフの違いです。「山国」を理由に信州では、ガソリン価格が全国屈指の高値です。加えて驚く勿(なか)れ、6割ものスタンドが店頭価格表示を行っていません。而(しか)も理由が揮(ふる)っています。本県生活環境部の調査に対し、価格表示は競争激化を招く、と大半の経営者が高言するのですから。
 何たる内向きの理屈。観光立県を標榜する信州の風上にも置けぬ、慨嘆すべき事態です。加えて、石油商組合幹部には県議会議員等の公職者も数多いのです。風下にも立ち得ぬ面々です。
 成る程、リッター当たり5円高として30リッターで150円の違い。缶コーヒー1本分に過ぎぬではないか、と強弁するやも知れません。が、鶏卵価格と並んで、消費者は敏感なのです。
 レギュラー、ハイオク、ディーゼルの価格表示を行う、或る意味では業を営む者として当然の、消費者に対する礼儀を徹底すべく、秀逸な意匠の木製看板を店頭に設置する指導を開始しました。
 他方、「助け合いや譲り合いの共生の心を失わせ」「ミニ・ヒトラーと言っていい権力の乱用」だ、と近著で元通産相の堀内光雄に批判された宰相・小泉純一郎が牛耳る中央政府に於(お)いては、阿呆アホな心理的サイフが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しています。
 一例を挙げれば、牛海綿状脳症の悲劇を防ぐべく「全頭検査」を義務付けていたBSE特別措置法の施行規則を改「正」し、20カ月齢以下の牛への検査を適用除外としました。検査費用が3億円「も」減少する、との理由で。
 ならば、当事者の米国政府自らが「腰溜め」の数字でしかない、と吐露した米軍基地移転費用負担の3兆円改め2兆円を唯々諾々と受け入れるとは、心理的サイフに照らし合わせて如何(いかが)なのでしょう? ペシャワールの市場の叩き売り価格じゃあるまいし、ズロースなる懐かしい言葉を用いて、お宅様、ゴムが切れてますよ、と茶々を入れたい気分に駆られます。
 他方で小中学校に於ける教科書を、現在の無償配布から有償化してこそ自己責任の義務教育だ、などと政府与党は巧言しています。その金額は全国で年間395億円に過ぎません。数千億円に達する巨大なダム建設費用の、僅(わず)か十分の一にも満たぬ金額です。いやはや、阿呆アホの心理的サイフ。だから世界一の借金帝国として日本は、1時間に66億円ずつ財政赤字を増やしているのです。

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マニュアル野郎はポカミスだらけ
 2006年4月26日 掲載

 カエルは、摂氏10度になると冬眠します。が、その瞬間に突如、眠り出す訳ではないのです。徐々に外気温の変化を感じ、体躯(たいく)が準備していくのです。これを「閾値(いきち)」と呼びます。即ち、デジタル表示される数値のみでは表し得ない、微妙な変化の兆しです。
 今から9年前、毀誉褒貶相半ばする長野冬季五輪に先駆けての新幹線開業に伴い、軽井沢駅以西の信越本線は並行在来線「しなの鉄道」として再スタートしました。如何(いか)なる根拠を以てか、103億円もの巨額を血税から投じて地元が引き受けた件の運行会社は、県職員出身者が社長を務め、僕の就任時には“士族の商法”で破綻し掛けていました。外部から社長を招聘すると共に減損会計を導入し、負の遺産を一掃する中で自律的経営を目指し、今や単年度収支も黒字基調です。
 その一方で県本庁舎内の有為な県職員を交代で、しなの鉄道へ研修派遣しています。改札や車掌、更にはトイレ清掃、物品販売。あらゆるサーヴィスの現場を体験します。その彼等が提出するレポートには決まって、以下の保線作業での感銘が記されています。
 熟達した保線工と共に一本一本、レールを叩き、その音の具合に耳を澄ませ、繋(つな)ぎ目のボルトを締めたり緩めたり。更には内規で定めた年数や頻度に達していなくても、目視の結果、このレールは交換すべきだ、と申し出る保線工の職人気質なマイスター精神に、彼等は「暗黙知」の凄さを感じ取るのです。
 物理学者で哲学者でもあったマイケル・ポランニーは、全ての生産的知識の根底には言語化されない知識がある、と唱えました。閾値を的確に認知する。これが暗黙知です。「智性・勘性・温性」と僕が十数年前から形容する“考える葦”としての勘所です。
 無論、科学的な教育を受けねば、知識は形成されず、新たな科学的発見にも至りません。が、同時に、科学的発見を得るには、座学での知識に留(とど)まらず、経験を積む中で、研ぎ澄まされた勘所が養われているかどうか、が肝なのです。
 過日、伊藤忠商事の丹羽宇一郎会長と歓談しました。その際に意見の一致を見たのは、マニュアル化されたアルゴリズムとも呼ぶべき、ビジネススクールの勝者ばかりが跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)する社会では、様々な「過誤」の続出は防ぎ得ないのではないか、との懸念です。
 普通では考えられないポカミスが、世界に冠たる日本のモノ作り産業の現場で頻繁に発生しています。頭でっかちな優等生には、物事を察知したり想像したり、その上で如何に対処すべきかを瞬時に掴(つか)み取る勘性が稀薄なのです。
 マニュアル通りに仕事を行いさえすれば事足れり、なのではなく、五官を駆使して微妙な変化を嗅(か)ぎ取る力。JR西日本の列車事故から奇しくも丸1年が経過した日に発生したJR東日本の線路隆起も、そうした勘性の欠落が原因です。
 而(しこう)して、お金を頂戴してお乗り頂いた通勤・通学途中の人々を、1時間も列車内に閉じ込めておく神経。トイレに行きたい方が居らっしゃるに違いない、と想像力を働かせ、ならば如何に対処すべきかと判断し行動する勘性も持ち合わせぬ運行司令室の面々。誇るべき日本の力は揺るいでいるのです。

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嗚呼、周回遅れの日本外交よ
 2006年4月19日 掲載

「ODA 対中無償資金打ち切り インド重視 政府方針」との見出しで「産経新聞」が報じたのは17日です。二重、三重の意味で改めて、周回遅れの日本外交には戦略も戦術も稀薄なのだと痛感させます。何故にインドへの円借款を積極的に行おうとしないのだ、と20年近く前に問うた記憶が蘇ります。中国とは異なり、可愛げが無いから。政府高官の1人と形容しても差し支えなかろう立場の人間が事も無げに答え、思わず言葉を失い掛けました。
 11億人もの人口を擁するインドには、英語を難なく語る数億人単位の中産階級が存在します。欧米の航空会社が予約センターをインドに構えるのは、こうした人々を安価な賃金で雇用可能だからです。加えて、彼らの先達は数字のゼロを生み出した歴史を誇ります。
 斯(か)くなる心智を有するインドへの円借款は、同様に核実験を繰り返す中国への「抑止力」として機能します。のみならず、同様の画策を広言する隣国のパキスタンやバングラデシュに対する円借款の戦略的実施は、当のインドへの「抑止力」ともなり得るのです。
 井上靖と平山郁夫、更には司馬遼太郎の各氏の「功績」なのか、“鬼畜中韓”を声高に語る政財界人とて、中国大陸へのシルクロード幻想を抱いています。恐らくは、その深層心理が、中華思想を唾棄(だき)する一方で、無償資金協力を長きに亘(わた)って中国に対し行い続けてきた理由でありましょう。
 では、「急速に軍備拡張を続ける中国を牽制(けんせい)する為、インドと安全保障、経済分野での関係を強化し」、「既に十五年度から中国を抜き、円借款の最大の受け入れ国」と方針転換を図る件の記事が記す日本外交は果たして、目利きとして成長・成熟したのでしょうか。
 否、と言わざるを得ません。「軍備拡張を続ける」のは中国に留(とど)まらず、インドもパキスタンも同様なのです。であればこそ、天然資源に恵まれぬモノ作り大国ニッポンは、理念無き一国追従外交とも全方位外交とも異なる、大人の戦略と戦術を、政治家も外交官も経済人も文化人も共有すべきなのです。
 新潮社の会員制月刊誌「フォーサイト」は5月号で秀逸なる2つの記事、「ホルムズ海峡を監視下に置く中国の新戦略拠点」「東シベリア 亡国のパイプライン」を掲載しています。「マラッカルート、ミャンマールートに続いて中国がパキスタンルートを構築しつつある。インド包囲網とも見える戦略物流路の狙いとは」、「官が独走し、掛かるコストは膨大。ロシアに弄ばれ、中国を苛立たせるだけの石油パイプラインなど、本当に必要なのか」。
 即(すなわ)ち、港湾整備も含めて11億ドルに上る費用の大半を負担し、イラン国境に近いグワダール港から新疆ウイグル自治区を結ぶ鉄路・道路を整備し、石油・ガス資源を運搬すると共に、少数民族が主体の西部地区に漢民族の移住を図る壮大なる計画が、前者です。
 斯くも畏(おそ)るべき中国の戦略と戦術に嫉妬するのでなく、200億ドルを優に超えるナホトカ迄のパイプライン敷設費用を日本が負担する計画に代わって、既に70年代に日本が敷設した大慶―大連パイプラインへと東シベリアから接続してこそ、日中露3国協調たり得る。それが、後者の理論です。にも拘らず、ロシアの汚職・賄賂を共同正犯し兼ねぬ太平洋岸ルートに官僚が固執する島国ニッポンって、訳判らぬ県議が跳梁跋扈する山国ナガノと表裏一体の奇っ怪さです。


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小沢一郎の直球にして剛球に目を醒ませ 
2006年4月12日 掲載

「山猫と獅子は退き、ジャッカル(野生犬)と羊の時代が来る。そして、山猫も獅子もジャッカルも羊も、自らを地の塩と信じているのだ」。
 1860年代のシチリア島を舞台とする「山猫」は、小説の主人公同様に地元の公爵家に生まれた文学者ジュゼッペ・トマージ・ディ・ランペドゥーサが原作を物し、ルキノ・ヴィスコンティの監督した映画が1963年にカンヌ国際映画祭でグランプリを獲得した、世界的に著名な作品です。
 実は民主党の小沢一郎氏が引用した「変わらずに生き残る為には、変わらなければならない」は、18世紀のイギリスで秩序、均衡、協調、節度有る競争と支配を唱えた政治家エドマンド・バークの哲学にも通じます。
 物の本に依(よ)れば、社会的な紛争や経済的な競争が放置されて、急激に破壊的な対立へと転化する事を憂慮したのが保守主義のバークでした。
 が、それは浅薄な保守主義、即ち、一般的に我々が連想する、利権を保守する政事屋ではありません。寧(むし)ろ、その対極に位置するノーブレス・オブリージュなのです。
 人々が蜂起せざるを得ない程に格差や不満が生じる前に、人々の願望を先取りし、革命など必要としなくなる、正に「的確な認識・迅速な行動・明確な責任」を取り得るプロフェッショナルな政治家の必要性を提唱し、実践したのです。
 詰まりは、民主主義に於ける真の保守とは、常に変革し続ける気概と営為である。そうであってこそ、民主主義を衆愚政治にも独裁政治にも陥らせず、「保守」し続けられるのだ、と。バート・ランカスター演じる「山猫」の紋章を戴(いただ)く公爵の科白(せりふ)と、この点で軌を一にするのです。
 小沢一郎氏こそは、ノーブレス・オブリージュの何たるかを会得する、数少なき日本の政治家です。而(しか)も、目先の戦術に留(とど)まらぬ明確な戦略を抱く点に於いても。
 それは早速、首相の靖国神社参拝を問題視する発言に現れました。
 アジアの一員である日本の歴史と未来に関し、的確な認識と哲学を有する氏は、A級戦犯は戦没者に非ず、故に合祀を改めるべき、と直球にして剛球の問題提起を行ったのです。
 対する小泉純一郎氏は、「中国がいけないと言うからいけないのか、戦没者に哀悼の念を表するのがいけないのか、良く判りませんねぇ」と、相も変わらずの“はぐらかし”で逃げ切ろうとしています。が、だったら、「中国がいけないと言うから、行き続けるのか」と貴男は茶々を入れられちゃうよ、って話です。
 のみならず、A級戦犯合祀は、「政府が言うべき事ではない」との反論も、だったら、真の保守主義者たり得る吉田茂全権大使が調印したサンフランシスコ講和条約を貴男は否定するのか、って話です。詰まりは、宰相・小泉にとってのレーゾンデートル(防波堤)とも呼ぶべき日米安全保障条約の締結へと至ったのは、日本の戦争責任を認めた件(くだん)の講和条約が契機だからです。
 A級戦犯合祀を議論するのは「政教分離の原則に反する」と高言しながら、分祀する前から靖国参拝を続けるのは、それこそが「政教分離の原則に反する」のではないか、と小沢氏は疑義を呈しているのです。実に手強(てごわ)い相手が登場しました。
 猶(なお)、「山猫」と小沢氏を語った秀逸な論評を、新党日本のHP(http://www.love-nippon.com/)のトップに掲載しています。

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保守の風下にも置けぬ亡国者集団
 2006年4月5日 掲載

「国交省天下り8法人 全業務入札せず契約」との見出しを掲げて、「讀賣新聞」が「特命随意契約」に関する記事を掲載したのは、3月19日付紙面です。
 社団法人「関東建設弘済会」、「近畿建設協会」を始めとする8法人の常勤理事49人は全員が旧建設OBで、常勤一般職員も4分の1はOB。更には妻子も数多く採用されているのだとか。
 その8法人は全国に8つ存在する国土交通省の地方整備局から総額750億円に上る業務を全て「特命随意契約」で受注し、それは全事業収入額の95.9%を占める、というのです。而(しか)も、コピー取りや清掃等の、専門性を必要としない業務が、判明しただけでも100億円を上回り、「癒着と言われても仕方ない」と財務省は指摘する、と記事は報じています。
 即ち、「特命」随意契約の意味が、誰でも担える内容であればこそ特定の相手方と「特命」契約を結ぶ、との奇妙な意味合いに変容してしまっているのです。いやはや。
 信州・長野県でも、僕が就任した5年半前には随意契約や指名競争入札が9割を占めていました。その閉鎖的・密室的状況を変えるべく、公共工事入札等適正化委員会を設置し、逆に今では一般競争入札の占める割合が88%に達しています。国交省と農林水産省は未(いま)だ、指名競争入札が9割以上を占めています。
 公正取引委員会で活躍した学者や、談合問題を手掛ける弁護士等を委員に選任した委員会の提言に基づく新しい入札制度は、自慢じゃありませんが、「讀賣新聞」社会面でも評価され、国土交通省の北側一雄大臣も会見で、長野県の入札改革を見習いたい旨の発言を行うに至りました。
 無論、その議論の過程は公開で行われ、議事録もホームページ上で公開しています。他方、「総合規制改革会議 設置法で定めた議事録作成せず」なる大見出しで本日付「毎日新聞」が伝える「小泉構造改革」の不透明さは、看過し得ぬ驚愕(きょうがく)の実態です。“忠犬ハチ公”としてアメリカ及び小泉・竹中コンビからの覚え目出度(めでた)き宮内義彦オリックス会長が議長として取り仕切る、内閣府に設置された首相の諮問機関は、内閣府設置法に基づく規則で定められた「3年分全ての議事録を作成していなかった」のです。
「公表されているのは発言者名の無い議事概要だけで」、「900項目の規制改革を首相に答申した」「規制緩和の政策決定過程が検証出来ない」「ずさんな会議運営」です。「議事録を作成する担当者を置いておらず、当時の職員に聞いても記憶があやふやではっきりしない」との驚天動地な内閣府の回答に関し、僕が代表を務める「新党日本」所属国会議員の滝実、荒井広幸の両名は、誰が如何(いか)なる理由で議事録の作成を「拒んだ」のか、徹底追及します。議事録担当職員すら確保し得ぬ「小さな政府」の、国民を愚弄する「規制緩和」振りではありませんか。件の会議は現在、同じく宮内某氏を議長とする規制改革・民間開放推進会議へと衣替えし、「格差社会」の“創出”に「寄与」し続けています。斯くて、日出づる国は、何処(どこ)ぞの属国化を邁進(まいしん)していくのです。「保守」の風上ならぬ風下にも置けぬ亡国者集団です。


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他人のフンドシで相撲を取る厚顔無恥 
2006年3月29日 掲載

「サービスエリアをサービス満点に」との書き出しで、西日本高速道路株式会社の「取り組み」を、「産経新聞」が称揚しています。曰(いわ)く、「サービスエリア(SA)、パーキングエリア(PA)の収益力を強化する為の大規模な改良計画」「滋賀、京都の四つのPAの他、中国、四国、九州に重要拠点を定め、コンビニエンスストアやリラクゼーション施設、プロ野球のグッズショップ等を設置。高速道の利用者に限定せず、地域住民にも開放、魅力有る集客施設で『親方日の丸』からの決別」。
 阿呆も休憩休憩(やすみやすみ)にして頂きたいものです。その敷地も施設も、元はと言えば国民の共有財産。即(すなわ)ち、他人のフンドシで独り相撲を取る厚顔無恥振りこそは「親方日の丸」に他なりません。
「高速道の通行料金収入は、大きな伸びが期待出来ない。同社が業績向上のカギとするのがSA・PA事業」。「飲食サービス、物品販売事業を収益の柱に育てたい」。
 これぞ、本末転倒では有りませんか。共に民営化されたイタリアも日本も、高速道路の建設費用は1km当たり約45億円です。にも拘(かかわ)らず、通行料金はイタリアの4倍にも達するのが日本なのです。ローマからミラノは、東京から神戸と同距離の560km。イタリアでは3300円に過ぎません。
 然(しか)るに、民営化後に6つの高速道路各社は値下げを断行したでしょうか? 否(いな)、ハイウェーカードや回数券を廃止し、ETCを自前で購入しない限り、実質値上げをしているのです。縦(よ)しんばETCを設置した所で、その割引率はイタリアの足下にも及びません。
 結果、通行料金が高いから物流各社のトラックは一般道路を通行するのです。子供の通学路も民家の密集地も、朝昼晩、騒音と危険に晒(さら)されています。通行料金無料のバイパス建設の声が高まり、二重投資の結末は更なる国家財政の悪化を齎(もたら)します。小泉純一郎内閣の僅(わず)か5年間で、250兆円もの新たな借金が生み出され、日本全体の借金総額は1000兆円に達したのも、宜(むべ)なる哉(かな)です。
 SP・PAの売上高を5年後には3倍にしたい、と高言し、「これまでにない新業態の「ハイウエー・コンビニ」、「リラクゼーション施設を設け」、「高速道路の通行車だけでなく地域住民にも集まって貰(もら)える」との構想は、駅ビルのショッピングセンター化で駅前商店街が壊滅したのと同様の未来を、全国津々浦々に展開していく新自由主義経済の荒廃そのものです。「官から民」の美名の下に、「公=おおやけ」の意識無き「民=ミーイズム」が跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)しています。官とは異なり、情報公開の対象から外れる「民」の方が、政治家ならぬ政事家にとっても、公僕ならぬ私僕にとっても、都合が良いのです。
 5年間で3倍の売上にするなら、5年間で3分の1の通行料金を実現します、と「公」約させてこそ、公共高速交通網の構造改革ではありますまいか。
 従来の半額で建設可能となった、と高速道路の権威を自任するジャーナリストは豪語します。が、これこそは不思議な話です。半額で建設可能だなんて、「偽装」なのではありませんか。百歩譲って可能だとして、それこそ高値安定の談合が罷(まか)り通っていた証ではありませんか。護送船団記者クラブの新聞各社も、提灯記事を掲載する前に、本質を抉(えぐ)ってこそ、麻薬とは無縁の「ジャーナリスト宣言」でしょ。呵々(かか)。

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クレヨンしんちゃん顔負けの減らず口
 2006年3月22日 掲載

「住民投票は一種の責任放棄。一種の地域エゴイズム」だと“高言”したのは片山虎之助氏です。自由民主党参議院幹事長の彼は旧自治省出身者。長きに亘(わた)って総務大臣を務めてきたにも拘(かかわ)らず、「住民投票で自治体の立場を決めるのは、適当ではない」と“広言”を吐きました。ならば何故(なぜ)、地方自治法が保証する件の制度を、大臣在任中に廃止しておかなかったのでしょうね?
 何とも自己撞着(どうちゃく)な発言を繰り返したのは虎ちゃんだけではありません。安倍晋三官房長官の“巧言”も、クレヨンしんちゃん顔負けな“減らず口”の叩き方です。「数千万円を投じて何故、住民投票を行うのか、疑問の声が上がっている」と実施9日前に当たる雛(ひな)祭りの3月3日に牽制した彼は、厚木基地から岩国基地への空母艦載機部隊の移転に対する、岩国市民の「民意」が明確に示された翌日の13日に至っても、以下の詭弁を弄しました。
「住民投票に否定的だった方々は投票しておられない」。「ですので、そこから総合的に割合を考えなければいけない」。「周辺の町村の方々は」、「何故、今の時期にと」、「疑問を持っている方々が多いというふうに聞いております」。
「伝聞推定」で「推定無罪」ならぬ「推定無効」を“公言”してしまう乱暴な性格の官房長官は、ならば何故、移転受け入れ熱烈賛成派の市民に、正々堂々と投票で決着を、と喚起しなかったのでしょうか。
「自民党では支持者等に対し、ボイコットを呼び掛けています」と複数の新聞・TVが報じたのに対し、同党のメディア担当責任者を任じる世耕弘成参議院議員は、些(いささ)かの抗議も行っていません。事実として「追認」しているのです。
 が、ボイコットを指示しても猶(なお)、投票率は5割を超え、反対票が9割を超えました。これも又、厳然たる事実です。即(すなわ)ち、「総合的に割合を考え」たなら猶の事、民意は明確だったのです。
「何処(どこ)でも住民投票をすれば反対でしょうね、基地は」と規定方針通りに岩国移転計画を実施する小泉純一郎首相も、「こういうものは、市長や市議会が責任を持って決断せねばならない」と語る片山氏も、厚木基地を擁する「市長や市議会」の以下の発言を、如何(いか)に捉えるのでしょう。
 実は、基地問題に直面する座間市の星野勝司市長は「ミサイルを撃ち込まれようと基地強化を阻止する」と、相模原市の小川勇夫市長も「戦車に自分が轢(ひ)かれたって阻止する」と、明言しているのです。皮肉にも2人共、保守系市長と目されているにも拘らず。
「国の安全保障は完全に国の義務」と安倍氏は述べます。「安全保障」をハード・パワーと捉えるか、ソフト・パワーと捉えるかの認識の違いを超えて、誰もが否定し得ない発言でしょう。基地の街で生まれ育った首相にとっては、その思いは尚更(なおさら)かも知れません。
 が、であれば沖縄を始めとした既存基地を抱える自治体からの負担軽減を図るべく「分散化」を提唱する一環として、岩国や厚木から、例えば自身の選挙区の対岸に位置する新北九州空港、更には巨額の税金を投じて建設の神戸空港や静岡空港への移転も提唱してみたら、どうでしょう。
 米軍基地の無い山国の首長だから言えるんだろ、と茶々が飛ぶかも知れません。が、それは仮に長野県でも応分の負担を、と政府が述べた際、反田中の守旧派県議諸氏にも突き付けられる決断なのです。

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まだ晴れちゃいない「たけばうあ〜」の疑惑
 2006年3月15日 掲載

 言わずもがなの「ホリエモン・メール」に関し、「結論なら私が言ってあげよう『金は貰(もら)っているに決まっている、しかし振込みで貰う馬鹿な議員は居ない』これですべてだ」と言い放ったのは、糸山英太郎氏です。
 自由民主党員として嘗(かつ)て参議院、衆議院に在職した彼は新日本観光を経営し、米誌「Forbes」の世界長者番付では154位に登場しています。
 約5兆9000億円の純資産を有するビル・ゲイツ氏が12年連続トップのランキングには、日本から7人の名前が100位台に上がっています。サントリーの佐治信忠(133位)、森トラストの森章(136位)、イトーヨーカ堂の伊藤雅俊(185位)の各氏に加えて、107位に武富士の武井保雄、109位にSANKYOの毒島邦雄、154位にユニクロの柳井正の面々も連なり、その中で154位の糸山氏は5000億円近い資産を有するのです。
「私自身この資産額を認めたこともないし、自慢すべきものでないことも毎年言っている」と自身のHPで記す元国会議員の彼は、以下の記述も行っています。
「私はホリエモンが無所属であるにも関わらず自民党幹事長室で会見を行っているのを見て確信した。そして国会議員は銀行振込をしない、金銭のやり取りはすべて現金なのだ。20年近く永田町に居たこの私が言うのだから間違いは無い」。更には「立証責任や懲罰動議などチャンチャラおかしい、どこに人のことを非難できる国会議員が居るというのだ?」とさえ断じています。
 思い起こせば、父親であり兄であった武部勤幹事長は、息子であり弟であった当時の堀江貴文社長と総選挙後の昨年10月末に合弁新聞社の設立に向け、盛り上がっていたのです。
 週刊の「自由民主」に代わって、「赤旗」や「聖教新聞」に対抗し得る日刊新聞を100万部の発行部数で、と記された「企画書」には、出資した両者に収益を配当する、如何にもホリエモン的言説が並んでいます。
 題してLDP社。その心は、リバティ・デモクラッツとライブドアの頭文字にプレスのPを加えた言論機関ならぬ集金機関。が、周囲の誰も知らぬ内に進行し過ぎたのが理由で、反対の声が高まり頓挫した、と巷間、囁かれています。
 トンボの目じゃあるまいし、とTV画面を観ていた多くの国民が訝(いぶか)る程に政権与党の幹事長の目がクルクルと泳いでしまったのは、何故でしょう。「大日本 中流 小市民」と題し、「サンデー毎日」の最終頁で20年に亘(わた)って連載する漫画家の高橋春男氏は、「たけばうあ〜」の塗り絵を最新号で披露しています。「反っくり返るを演じさせたら」「今んところ金メダル」。「民主党の失策を、鬼の首でも取った様に雄叫びを上げ続けている、今日この頃の幹事長」「おじさんは真っ白の儘(まま)でいいの?」と。
「このドラマは未だ前半を終えたばかりってとこじゃないですか」。「漫画家としてはもう一度どんでん返しが無いと、面白いドラマにはなりませんよ」と鋭く喝破しています。もう既に終わった事、と嘯(うそぶ)いている「大日本 上流 小心者」な護送船団記者クラブ所属の新聞記者諸氏は、目の動きをVTRで専門家に解析して貰ったら、面白いドラマを産み出せるかも、ねっ。

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25年間「怯まず・屈せず・逃げず」の気概 
2006年3月8日 掲載

 ジャン・ポール・サルトルとシモーヌ・ドゥ・ボーヴォワールは、社会的状況に自ら関わるも、自由な主体として今という歴史を生きるアンガージュマン(engagement)の生涯を貫きました。
 即ち、真の表現者たる者は、書斎に籠(こ)もって安全地帯から述べる輩(やから)には非(あら)ず、との気概です。その足下にすら及ばずとも、田中康夫も又、25年以上に亘(わた)って観客民主主義に留(とど)まらず、物は豊なれど心は貧しき社会を変革すべくアンガージュマンとして発言し、行動し続けてきた些(いささ)かの自負を有します。
 湾岸戦争勃発時に於ける畏兄・中上健次氏等との声明に留まらず、小選挙区制導入反対、阪神・淡路大震災ヴォランティア、神戸“市営”空港住民投票。更には信州・長野県知事として「『脱ダム』宣言」「『脱・記者クラブ』宣言」に基づく「政官業学報」現状追認ペンタゴンの既得権益との闘い。
 斯(か)くなる軌跡は「憂国呆談」と銘打って文藝春秋社の「CREA」創刊号でスタートし、爾来16年間、二弦社の「NAVI」、中央公論社の「GQ」、加えて突如として次号で連載を終えるダイヤモンド社の「週刊ダイヤモンド」と“流浪の民”の如くに渡り歩きながら、畏友・浅田彰氏と語り惚(ほう)け、600頁2段組50万字超のウルトラ・ヴォリュームで年末に上梓の第4冊目に当たる「ニッポン解散は続・憂国呆談」の中で記されています。
 将又(はたまた)、「噂の眞相」休刊後も「週刊SPA!」最終頁で計12年間に亘って連載を続ける「東京ペログリ日記」に於いても。先週末に全5巻で上梓した「東京ペログリ日記大全集」には「噂眞」元編集長・岡留安則氏との対談や、日記に登場するペログリ嬢座談会も収録されています。その5巻目の後書きで僕は「『イヤだなぁ、原稿書くの』と毎日のように呟(つぶや)きながらも、気が付いたら25年以上も経っていた。というのが、偽らざる実感」との書き出しで「“時代の寵児”として『毀誉褒貶(きよほうへん)』に晒(さら)される人生」を述懐しています。
「日本興業銀行に就職する予定だった卒業直前の80年3月に停学を食ら」い、「5月の連休に大学の図書館で初めての小説『なんとなく、クリスタル』を書き上げ」、「同年10月に『文藝賞』を受賞」。「『10年後に期待する』と有り難くも芥川賞選考会で褒め殺し頂き、翌日に上梓された単行本は瞬く内にミリオンセラーを記録」。爾来25年、離婚やら自損事故やら、更には恋愛事情に至る迄、TVや新聞や雑誌が報じて下さった“醜聞”は数限りない」。「然(しか)れど、当の本人は」「全てを包み隠さず行動し、発言する“フーリエ主義”を実践し」「如何(いか)なる状況が到来しようとも、だから、痛くも痒(かゆ)くも辛くもない」のです。「怯(ひる)まず・屈せず・逃げず」の気概です。「葬式無用・戒名不要」の遺言でも知られ、宰相・吉田茂の下で参与を務めた白洲次郎氏が看破した「子供達に懐(なつ)かれる存在で在りたい。真っ当か否かの真贋(しんがん)を瞬時に見極める存在が、子供達だから。これぞ、巧妙に建前・本音を使い分ける凡百の大人とは対極な生き方への勲章だ」との矜持(きょうじ)と共に、今後も「奇っ怪ニッポン」を喝破し続けます。


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人は後ろめたいと冷静さを失う
 2006年3月1日 掲載

「開催都市のトリノ市が招致活動に於いて“節度”を保ったのは、ファン・アントニオ・サマランチ前会長時代に商業主義へと走り過ぎた反省からだと伝えられています」
 2月22日に開会した長野県議会で僕が、提案説明の中で冬季オリンピックに触れると一瞬、議場には沈黙が流れ、が、以下の文章を読み続けると、聞くに堪(た)えぬヤジが、反田中の県議から飛び交いました。
「元東洋信託銀行副社長の磯村元史氏を会長とする『長野県』調査委員会が昨年11月25日に公表した『長野冬季オリンピック招致委員会会計帳簿処分問題』についての報告書は、約9000万円の使途不明金が存在し、IOC(国際オリンピック委員会)が規定した制限額の24倍ものお土産をIOC委員に手渡し、それ以外の接待関連費用も判明しているだけで総額5億1221万円に上る事を明らかにしました。総額28億3400万円もの長野オリンピック招致活動費の中には、同じく判明分だけでも2億5983万円の県負担金が税金から投入されています。長野県からの交付金に至っては、9億2000万円です」
 が、「『長野県』調査委員会からの面談要請に対し、吉村午郎前知事は書面で拒否の意思表示を行いました。語りたくない事情が有られるのかも知れません。けれども、今回の報告書は『ワシントン・ポスト』を始めとする諸外国の多くのメディアで報じられています。国内でも大阪の朝日放送は番組で特集を組み、開催から8年経った今でも、ある意味では県内の新聞やテレビ以上に高い関心を集めているのです」「公的な捜査権限を有さぬ中で、焼却されたと巷間(こうかん)、伝えられていた帳簿のコピーを発見し、委員諸氏の奮闘により、ここまでの調査報告を纏(まと)めました。この更なる解明こそは、金メダルだけでも5個を日本に齎(もたら)した長野冬季五輪の名誉回復に繋(つな)がります。であればこそ、この件に関し、今こそ地方自治法第百条に基づく調査機関を長野県議会は設けるべきではないか、と私は考えます」
 人間、後ろめたい時には冷静さを失います。県指定金融機関の八十二銀行頭取だった中山富太郎氏等3名が「不明朗極まりない会計処理」を「適正」だと監査報告し、五輪招致活動の音頭を取ったのは、小坂憲次文部科学大臣が大株主の「信濃毎日新聞」でした。長野県で君臨してきた“政官業学報のペンタゴン”ぐるみの、謂(い)わば「脱法行為」だったのです。
 不信任では山国から追い出せなかった田中康夫に関する「悪行」を昨年来の百条委員会で捏造(ねつぞう)し、議場で人権侵害なヤジを飛ばす夜郎自大とも言える守旧派議員は、サマランチの為に首都圏からお召し列車を特別に仕立て、戸倉上山田温泉で饗宴に及んだ招致活動を再検証する心算は、更々(さらさら)無いのです。況(ま)して、当事者とも言える「信濃毎日」の紙面には、調査委員会委員の一人だったジャーナリストの岩瀬達哉氏が月刊「現代」で慨嘆する様に「『今更、意味が有るのか』といったネガティブな記事ばかり」です。とまれ、チャラい気分で日本からイタリアへと遠征して尽(ことごと)く玉砕した兄ちゃん姉ちゃんが大半を占めた中で、ホンマもんの氷上の女王・荒川“真っ当”静香嬢に金メダルを手渡したのが、金権の臭いを漂わすサマランチ某だったとは、何たる歴史の皮肉でありましょう。いやはや。
「長野県」調査委員会報告 http://www.pref.nagano.jp/

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どうした!? イケイケ守旧派の皆さんよ
 2006年2月22日 掲載

 畏(おそ)るべし米中。劣るべし日本。フィリピンのレイテ島で発生した大規模地滑り災害への対応を巡り、彼我の差は歴然としています。行方不明者を含む犠牲者が一体、何千人に上るのか、皆目、見当も付かぬ程に甚大な被害が現実に存在するにも拘(かかわ)らず、日本政府の対応は「遅い」「鈍い」のです。各紙から抜粋引用すれば、「約200名の米海兵隊員は20日朝、レイテ島沖に停泊した米艦船2隻からヘリコプターで現地入りし」、「ギンサウゴン村ではフィリピン国軍に加え、米海兵隊や台湾、マレーシアなど外国の専門家チームによる本格的な捜索・救助作業」が行われているのです。
 のみならず、「中国政府はフィリピンに対し、100万ドルの緊急援助を行うことを早くも18日段階で決定」し、「その内訳は、現金が25万ドル、援助物資が75万ドル」となっています。「国際赤十字・赤新月社連盟が同日、国際社会に今後6カ月で152万ドル(約1億8000万円)の支援拠出を求める緊急アピールを発表」したのに対する即時対応です。
 対する「台湾も緊急医療支援として10万ドル(1180万円)の支出を表明」し、負けじとばかりに「当初5万ドルの拠出を表明した米国も拠出額を10万ドル(約1180万円)に増額。74万ドル(約8700万円)の支援を表明したオーストラリアの他にも、シンガポールやスペインも救援を表明」しています。
 では、一時期、国連常任理事国入りを政治課題としていた日本は、如何(いか)なる対応をしているのでしょう。驚く勿(なか)れ、「政府は19日、フィリピン中部のレイテ島で起きた大規模な地滑り災害を受けて、フィリピンに総額2500万円相当の緊急援助物資提供」を決め、その内訳は「テントや毛布、浄水器、発電機等、2500万円相当の物資」を送るのみです。イケイケ守旧派が大好きな、相貌の見える貢献は、これっぽっちも感じられないのです。
 ガセネタを巡ってチキンレースに興ずる前に、亜細亜の一員として、将又(はたまた)、多くの“ジャパゆきさん”に国際貢献頂いている法治国家・日本として、今少しは考える事があるでしょうに。
 郵政民営化が実現すれば外交問題も全て解決する、と広言していた宰相・小泉純一郎は、加えて、「ゴルゴ13」で世界情勢を学んでいるらしき外相・麻生太郎は、一体全体、如何なる思考回路を持ち合わせているのでしょう。中国を批判するのは簡単です。野放図な伐採が原因で頻発している国内の洪水を防ぐべく、近時、フィリピンから大量輸入しているのです。
 環境配慮型を装う“死の商人”かも知れません。が、そんな悪徳振りも、迅速な支援行動でチャラです。災害救援活動では、或いは世界で最も知識と経験を有する筈(はず)の自衛隊を何故(なぜ)、派遣しないのでしょう。イラクのサマーワで、無菌培養状態の敷地内で終日(ひねもす)、過ごしているだけでは申し訳ない、と恥じ入っている心ある自衛隊員だって、少なくないのですから。
 どうした国際貢献、と大見出しで批判する事すら忘れた護送船団記者クラブの面々も含めて、どうして、こんなに阿呆アホなんでしょう。

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選挙を控えて必死の方々、ご自愛を
  2006年2月15日 掲載  

 「平成15年の10月9日午前9時28分、知事からメールが来て、その後、1階知事室へ呼ばれ、『出さない方向で調整して』と言われた」から「当時の下水道課長に文書を隠蔽、破棄させた」、「自分はその時点からの関与」。
  経営戦略局参事の職責を担っていた職員の件の「証言」を契機として、地方自治法第百条に基づく長野県議会の「百条委員会」は設立されました。
  が、この発言こそは明らかに「偽証」です。何故なら、元下水道課長は9日早朝に僕へメールを寄越し、「打ち合わせ議事録は回覧してないので、自分の手持ち資料で公文書には当たらない、と主張した所、課員2名から『公文書の公開請求が有ったら提出すべきだ』と指摘を受けた」旨、記しているのです。元参事には、この彼からのメールを転送したのです。
  その3日前の10月6日、件の経営戦略局参事を文書執行責任者とする「公職にある者等からの働きかけに関する取扱い要領」が全庁的に施行され、而して同日、下水道事業への働きかけに関する公文書公開請求が、新聞社から出されています。即ち、情報公開請求の担当責任者であった元参事は6日段階から、この問題を把握していたのです。であればこそ、9日早朝に元下水道課長から前述のメールが僕に届いたのです。
 にも拘らず、「自分は9日時点からの関与」との元参事の発言こそ「偽証」、との良識有る一部議員の主張は驚く勿れ、反対多数で百条委員会では否決されたのです。のみならず、「お昼に会って、再度課長として決断するよう促し」、「コピー等は、確認して回収し、処分する事」を「指示しました」と9日の13時31分にメールで僕に報告してきた元参事は“無罪放免”と認定しました。驚く勿れ、元下水道課長と僕を「公用文書毀棄罪」だと認定する一方で。
 昼過ぎから会議や面接が続いた9日夕刻、件のメールに驚愕し、「破棄は不味いよね。彼の判断や行動も含めてチェックして下さい」と別の部下にメールを転送して命じた「だけ」の僕は、「破棄を容認した」。故に「指示してない」との僕の証言は「偽証」だと百条委員会は断じたのです。「『長野裁判』の名の下に、嘗ての『東京裁判』以上に明らかに一方的で、半ば狂信的(ファナティック)とも言える魔女狩りの歴史が信州の地で刻まれていく、その現場に立ち会える数奇な運命を、私は県民と共に静かに感謝したい」と僕が声明を発した所以です。
 加えて9日午前中、元下水道課長は9時15分から11時50分まで出張で県庁舎を離れていました。前掲のメール文中の「再度」との表現と共に元参事が「働きかけ文書」を非公開とし、破棄するよう動き始めたのは即ち、僕の指示を受けてではなく、それ以前からの彼の「独断」なのです。9日の9時28分に僕が元参事にメールを打ち、指示したればこそ動き出した、という「事実」から、地元紙の報道も、百条委員会の設置も始まりました。が、その原点の「事実」こそが「虚偽」ではないか、と問われているのです。それは、百条委員会の沽券に関わる問題です。
 しかし、田中追落としに余念無き自民、公明、社民、更には民主にも連なる百条委員会の議員諸氏は、元参事は何れの発言に於いても「偽証」していない、とお墨付きを与えたのです。追落としの為には多数決で事実まで改竄しちゃうのです。税金を投じて、委員会を開いて。
 笑止千万、片腹痛いのは、他の僕の「偽証」に関してもです。「『脱・記者クラブ』宣言」で煮え湯を飲まされた、と思い込んでいるらしき地元メディアの中には、ガラス張り県政は曇りガラス(爆)、とノイズを発し続ける向きも居ます。政官業学報の利権分配・現状追認のペンタゴンを溶解させる田中康夫では都合の悪い方々は、8月の知事選を控えて必死であられるのです。御自愛申し上げます。

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「負け組も勝ち組になるかも」だと!?
2006年2月8日 掲載

「消費税を上げるかどうかは、これからの総裁候補の大きな課題だ」。
 2月1日の参議院予算委員会に於(お)ける宰相・小泉純一郎の発言には、思わず嗤(わら)いました。問題解決型を標榜していた内閣の、問題先送りの正体見たりと言えましょう。
  即(すなわ)ち、民間企業に於いて、「自分の任期を超えての中長期計画策定は、これからの社長候補の大きな課題だ」と株主総会で答えるのと同じです。総会屋ならずとも、否、真っ当な株主ならば猶(なお)の事、無責任な経営者だと解任動議を出すでしょう。
 他方で同日、「(靖国神社に)参拝するのがいけないと言う。それに同調する日本人も大勢いる。これが私には理解できない」と相も変わらず居直っています。
  詰まりは、自分の考えと違う国民は馬鹿だ、と天に唾(つば)している訳で、流石(さすが)は「国民は馬鹿ですよ」と断言した堀江貴文容疑者に握手を求めた人物だけの事はあります。
 僕が一目を置くジャーナリスト、阿部重夫氏は自身のウェッブで、長きに亘(わた)っての僕の畏友(いゆう)でもある吉田望氏の秀逸なる論考を紹介し、以下の如く看破しています。
「『戦時に天皇のために命を捧げた戦死者』を靖国神社(旧招魂社)に祀るという条件がついていて、維新の元勲であってもこの条件を満たさない西郷隆盛や大久保利通は『英霊』から外され、戦死者でない乃木将軍や東郷元帥も靖国に祀られていない。なのに、戦死でなく刑死者(または病死者)であるA級戦犯を『昭和殉難者』として合祀したのは、東京裁判否定の軍人グループが牛耳った厚生省引揚援護局と靖国神社の『拡大解釈』によってその範囲を広げてきた結果である」。
「『現天皇が天皇制本来の伝統にてらし過ちを犯したと判断されるべきときには、死をもって諫言(かんげん)すべきだ』という思想を持つ平泉澄東大教授に心酔する松平永芳宮司のもとで、昭和天皇の意思(徳川義寛侍従長による『憂慮』の表明)をも無視して強行された合祀は、戦後に起きた第二の『統帥権干犯』である」。「合祀後、昭和天皇も今上陛下も靖国に参拝しないのは、靖国が逆説的に天皇制のタブーに抵触する存在だからであり、首相はじめ政治家を参拝させるのはその根本的矛盾を糊塗(こと)している」。
 が、斯(か)くなる卓見を凡(およ)そ理解し得ぬであろう宰相は、「勝ち組、負け組は二者択一ではない。負け組も勝ち組になるかも知れない」と衒学的発言で煙に巻いています。
 その太鼓持ちを任ずる中川秀直政調会長も「今後20年を経ずして国民所得が倍増する」と6日の衆議院予算委員会で“絵も描けぬ餅”を披露しました。昭和30年代に「所得倍増計画」を掲げて「貧乏人は麦を食え」と言い放った宰相・池田勇人氏も真っ青な先祖返りです。
  「改革」の名の下に道路関係4公団を民営化したものの、ETCを装着せぬ限りは通行料金も下がらず、更にはあろう事か、9342キロメートルに及ぶ高速道路整備計画をほぼ全線に亘って建設に着手、と7日開催の国幹会議(国土開発幹線自動車道建設会議)で決定し、形骸化一直線の小泉純一郎内閣は果たして、改革続行し得るのでしょうかねぇ?


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官房長官殿、安晋会について説明責任を
 2006年2月1日 掲載

 「会見で安倍(晋三)氏は『(小嶋氏が)飛び込みで来た』と言っていますね。しかし、議員会館は飛び込みでは入れないでしょ」と尋ねた佐高信氏に対し、「勿論(もちろん)、アポイントを入れた上で、飯塚洋さんという秘書にお会いした訳です。ですから、私も何故、ああいう言い方をされたのか、ちょっと理解出来ませんでした」と小嶋進ヒューザー社長は答えています。本日発売の月刊「現代」3月号に於いて。
  永田町に位置する議員会館では、所定の用紙に氏名等を記して受付に提出すると、訪問先の議員事務所に内線電話で了解を得た上で、当日限りの入館証を発行する仕組みです。「飛び込み」は有り得ないのです。
  「昨年の11月17日です。安倍先生の後援会長さんの御紹介で政策秘書の飯塚さんにお会いしたんですが、衆議院議員会館の事務所にお伺いして、30分くらい居た」「この状況を何とかして欲しいという事で、伺う前に既に『内閣官房長官政策秘書飯塚洋様』と宛てた上申書も郵送しております」。極めて説得力を有する数々の不可解な事実を基に、「自殺」に非ず「他殺」に他ならぬ、と「週刊文春」のみならず「週刊ポスト」も問題提起した野口英昭エイチ・エス証券副社長は、安倍官房長官の「私的」後援会・安晋会で理事を務め、幹事長就任後に大手町のパレスホテルで開催された祝賀会でも、壇上で紹介されています。
  而(しか)して、気骨溢れるジャーナリストの山岡俊介氏に由(よ)れば、新興宗教紛いの「慧光塾」なる経営コンサルタント会社の人脈と、故・新井将敬代議士の個人的会合の流れを汲む「日本ベンチャー協議会」の人脈が交差する場所に、杉山敏隆氏が会長を務める安晋会が存在し、前者に小嶋氏、後者に野口氏が連なっているのです。
  因(ちな)みに「週刊ポスト」は今週号で、「他の政治資金パーティと同じように会費2万円」で「安晋会主催の『幹事長就任を祝う会』を盛大に行な」いながら、実は安晋会は「(政治団体としての)届け出のない任意団体」で、「パーティで得た収入を政治家に寄付したら政治資金規正法違反」、と指摘しています。
  「我が息子で我が弟」発言の武部勤、「小泉首相とホリエモン、私がスクラムを組みます」発言の竹中平蔵の両氏に留まらず、小嶋氏との関係に関して国会答弁で“色を成した”安倍晋三氏にも又、耐震偽装と偽計取引の「W偽」に関し、平易で納得し得る説明責任が求められているのです。無論、「君のような若者が政治に入って来るのは素晴らしいよ」と握手を求めた小泉純一郎氏に於いても。
  のみならず、忌まわしき9・11に相応(ふさわ)しき投票日の社説で、「小泉首相はこれまでに見た事もない型の首相だ」「響きの良いフレーズの繰り返しは、音楽の様に聴く人の気分を高揚させる」「ここは一番、気迫と覚悟の小泉首相に賭けたい。これまでの4年で連立政権が何をしてくれたかはさておき、この先に期待しよう」と「気迫と覚悟」を読者に強要した、教養に満ち溢れた「朝日新聞」の編集幹部と経営幹部にも、説明責任が求められているのです。
 意図的としか思えぬ小生への名誉毀損も含めて近時、偽装・偽計報道が相次ぐ“埃”高き彼等は、「言葉は感情的で、残酷で、ときに無力だ。それでも私たちは信じている、言葉のチカラを。」と創刊127周年記念日の1月25日、実に片腹痛いヨゼフ“ナチス”ゲッベルス的居直りとしか思えぬ「ジャーナリスト宣言」を発布した直後なのですから、猶(なお)の事(苦笑)。

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ホリエモンの応援を釈明の武部パパの自己撞着 
2006年1月25日 掲載

 「まっ、テレビで弟だ、息子だと、こういう所が何回も出ますけどね、私は若い方々に対しては、誰に対しても父親の心算で接しております。そして、二度とない人生、二つと無い命だと、嘘を吐くな、悪い事をするな、我慢を覚えろ、こういう事を申し上げている訳であります。堀江君に対しても同様の事を申し上げました」。
  堀江貴文容疑者逮捕翌日の24日、武部勤幹事長が発した“巧言”です。余りに青い内容で、拝聴する我々の方が、思わず赤面しちゃいます。「人の心は金では買えないよと」「杉村太蔵君にも同じように私から指導した」とも語る武部パパは今後、ニートやフリーターの若者を分け隔て無く、自分の書生として受け入れる覚悟なのでしょう。
 更に武部氏は以下の「証言」をも行っているのです。何とも正直な御仁ではありませんか。 「公認も推薦も出来ません。私は党としては、その事をきちっと貫いた」。「その代わり、私が個人の立場で応援に行こうと、この事は総理にも誰にも話しておりません」。「私は現地入りして、一所懸命、応援をした」。「私としては、この堀江君は磨けば光ると言ったら可笑(おか)しいですけどね、或(あ)る意味では大化けする素質が有るなと、そういう想いも感じました」。
  いやはや、「政党政治」とは何ぞや、という基本認識すら持ち合わせぬ儘(まま)、自由民主党は結党50周年を迎えてしまったのでしょうか?
  公認も推薦も出来ない人物の立候補会見は、永田町に位置する自民党本部に於(お)いてでありました。而も、党三役の武部幹事長が同席した上で。今後、市民運動家や国粋主義者が立候補表明する際にも、自民党は会見場所を提供するのでしょうか? 開かれた会見場所を提供するべく「『脱・記者クラブ』宣言」を5年前に発した信州・長野県知事の僕ですら未だ到達し得ぬ“解脱”の域です。
  「堀江氏がやってきた事に政府保証を与えたという見方は、そのようには私は全く考えておりません」と24日の会見で「否定」しながら、以下の発言を行った竹中平蔵総務大臣も武部幹事長同様、自己撞着(どうちゃく)に陥り掛けています。
 「党からの要請も受けて、郵政民営化の候補の応援を多数、私は行いました。広島6区から立候補された堀江氏についても、党側の要請を受けて応援に赴いた訳です」。
  百歩譲って、連立与党を構成する公明党所属議員の応援ならばいざ知らず、何らかの判断で「公認も推薦も出来なかった」候補者の応援に赴くべし、と「党側が要請する」矛盾を何故、世の中の全ての事象は数式で立証し得ると信じて疑わぬ新自由主義の申し子たる竹中大臣は訝(いぶか)らなかったのでありましょう。
  のみならず、竹中氏は党から要請され、武部氏は党の最高責任者たる小泉純一郎総裁にも告げる事無く、「公認も推薦も出来なかった」候補者ホリエモンの応援を「一所懸命」行ったのでしょう? 幹事長と総裁が意思疎通出来ぬ程、自民党本部の配管は動脈硬化を起こしているのでしょうか?
  否、そんな筈(はず)も有りますまい。抑(そもそ)も、立候補会見に先駆けて総裁室で小泉・堀江会談が行われ、総裁は自ら握手を求めたのですから。
  とまれ、「公認も推薦も出来なかった」反郵政民営化候補者を「一所懸命」応援して党から処分を受けた地方の党員は、その御都合主義に怒るべきではないのかな。


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フォニーな人々の儚き栄華が潰え始める
 2006年1月18日掲載

 11年前の1月17日に発生した阪神・淡路大震災で50ccバイクに跨り、避難所やテント村、仮設住宅を回る中で、田中康夫に一つの転機が訪れました。フランス実存主義の金字塔たるジャンポール・サルトルとシモーヌ・ド・ボーボワールが身を以(もっ)て示した、「状況に自ら関わりながら歴史を意味付ける自由な主体として生きる」“アンガージュマン”の端くれとしての自分に。
 更に遡(さかのぼ)って25年前の1月17日、芥川賞候補作の処女作「なんとなく、クリスタル」が選考会で多くの作家や評論家から酷評される中、今は亡き江藤淳氏だけが「後生畏(おそ)るべし」と過分の評価を与えて下さいました。1月17日は、敬称略で列挙すれば、堀江貴文や小嶋進、宮崎勤、更には武部勤や安倍晋三、小泉純一郎の面々に留(とど)まらず、田中康夫にとっても“転機の日”なのです。
 畏兄・江藤淳氏は僕に繰り返し、「田中君、フォニーか否かを嗅(か)ぎ分ける事が肝要だよ」と述べました。フォニーとは紛い物。即ち、真っ当とは対極に位置する模造品、偽造品を意味します。思えば昨今、耳目を集める事象に共通する心智は何れも、耐震偽装、偽計取引に象徴されるが如く、「偽=フォニー」です。
 法律という名のルールに抵触さえしなければ何を行っても許される、とのアメリカ的強弁を振り翳(かざ)し、跳梁跋扈(ちょうりょうばっこ)してきた小泉構造改革なる弱肉強食な新自由主義に、時代の潮目が訪れています。「人生色々」と嘯(うそぶ)き、我が世の春を謳歌してきたフォニーな人々の儚(はかな)き栄華が、潰(つい)え始める潮目であります。
 17日前夜のライブドアに対する検察の動きは、国会に於ける証人喚問を目眩(めくら)ましするべく官邸発で用意周到に仕組まれたのではないか、と心配性な事情通は絵解きしました。が、“官邸のラスプーチン”なる符丁で口さがなき霞が関官僚が冠する飯島勲氏が、縦(よ)しんば斯(か)くなる思惑を実行したのだとしても、証言「拒絶」を繰り返す一方で小嶋某が“暴露”した安倍晋三氏との「接触」は、新たに耳目を集める展開となっています。
 奇しくも伊藤公介氏は長野県高遠町の出身。飯島勲氏も長野県辰野町の出身です。何れも伊那谷の北部に位置する町です。而して、同じく伊那谷の駒ケ根市には、「適価」な金額での福祉施設建設を提唱し、実績を積む建設会社が存在し、その会社は何故か、遠く離れた神奈川県平塚市での耐震偽装ホテル建設も請け負っているのです。
「偽」の世界は、ゼネコン体質なハコモノ福祉を脱却し、既存の民家を改修してデイサーヴィスを行う宅幼老所に代表される、真っ当な地域福祉を信州で充実させんとする田中康夫にとっても、他人事ではないのです。
 とまれ、自民党にとっても公明党にとっても、臑(すね)の傷程度では済まされない、との予知能力に優れていたのか、「ヒューザーの対震偽装問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」なる趣旨の不遜な発言で指弾された武部勤氏は、今一度、「ライブドアの偽計取引問題を追及し過ぎると、日本の政治も経済もガタガタになってしまう」と絶叫してこそ、朕(ちん)・純一郎の家臣たり得ましょう。彼の“豚児”とホリエモンが若き「刎頸(ふんけい)の友」で、であればこそ、先の“ええじゃないか総選挙”で刺客の1人として重用したのですから。

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リナックス型水平補完の精神を 
2006年1月11日 掲載


 今回の豪雪に際し僕は、全国で最初に飯山市への自衛隊の災害派遣を6日夜半に要請し、東海大学救命救急センター所長から副知事に転身し、豪雪対策本部長を務める澤田祐介と共に、7日、8日の両日、災害救助法の適用申請を行った飯山市、栄村、野沢温泉村、小谷村、白馬村、信濃町、木島平村の7市町村を視察しました。
 更に、新潟県津南町を経由して集落へと通じる国道405号が通行止めとなった栄村の秋山郷へ、県立病院の医師、看護師をヘリコプターで9日に派遣し、10日午前8時前からガラス張り知事室で打ち合わせを行った上で新幹線で90分、上京した僕は、平河町に位置する新党日本のヘッドオフィスで11時から、荒井広幸、滝実の両議員等と共に年頭会見を行いました。
 挨拶(あいさつ)の冒頭、畏兄・高橋彦芳村長の率いる栄村に脈々と流れる自主自律の精神を、であればこそ、高齢化率41%の栄村が今回も一際、沈着冷静にコモンズと呼ばれる地域の絆(きずな)で対応し得ている卓越性を語りました。
 それは、国・県・市町村がピラミッド型に組み込まれた従来のウィンドウズ型垂直補完ではなく、優れてリナックス型水平補完の精神です。国からの垂直指示を仰ぐまで自ら判断・行動出来ず、逆に補助金や交付税は貰(もら)えるだけ貰っておこう、と考え勝ちな垂直依存の自治体とは極めて好対照で、故に全国から心ある自治体関係者が数多く、学びに訪れる栄村たり続けているのです。
 その詳細なる説明は次回以降に行うとして、翻って、国家としての日本は、外交も財政も、問題先送りの他律的な末期状況に陥っています。
「外交迷走、財政破綻、教育混迷、格差拡大、不安急増、増税3兆。すべてが国民負担。なんだか変だぞ。日本の『改革』。」と惹句(じゃっく)を記したポスターを作成し、「ここから、日本をつくる。信じられる日本へ。新党日本」と大見出しを打ったのも、地域=リージョン=コモンズを起点に、的確な認識・迅速な行動・明確な責任を伴う真の社会変革を実現すべき、との考えに基づきます。
 定率減税廃止分は本来、基礎年金の安心・安全・安定に充当されるべきです。にも拘(かかわ)らず、他律的な国家運営の下、1時間に66億円も借金が増大している財政赤字の財源確保へと転用する魂胆なのです。早い話が、「官から民」ならぬ「民から官」への召し上げが、改革を伴わぬ痛みに終始する昨今の日本なのです。
 新規国債発行を30兆円以下とする公約を06年度には達成、と政府は胸を張るものの、その額は29兆9700億円。僅(わず)か5時間で増大してしまう借金300億円分に過ぎないのです。而(しか)も、借り換え債108兆円、財投債27兆円を加えて実は、06年度の国債発行額は165兆4000億円にも達するのです。羊頭狗肉、ここに極まれりです。
 即ち、国家財政運営の失敗の露呈を先送りしているのが実態で、「三位一体の改革」なる美辞麗句の元に、税源移譲ならぬ税源削減を地域自治体に押し付けているのが真相です。
 中韓両国のみならず米国からも日本外交の迷走を懸念されるや、「心の問題」だと居直り、改革に終わりはない、と嘯(うそぶ)く宰相には、いやはや、貴方の「頭の問題」なのですよ、と囁いて差し上げねばなりますまい。

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小泉デマゴーグ宰相の集団催眠から醒めよ
  2006年1月4日 掲載


「衆議院選挙とその後の小泉純一郎政権の遣(や)り方は、政治から自由な意見や率直な言論が封殺され、代議制の崩壊と民衆扇動という状況に突入している」と捉える畏兄・西部邁氏が編集顧問を務める隔月刊誌「表現者」1月号は、「『デマゴギー時代』批判」と題する平沼赳夫衆議院議員の秀逸なるインタヴューを掲載しています。
「郵政民営化一つ出来ないから他の改革は出来ない、というのは一種のデマゴギーであって、そんなのは可笑(おか)しい。しかし、みんな(宰相・小泉純一郎の)集団催眠術に罹(かか)っちゃったんですね」
 政治的効果を狙って意図的に流される虚偽の情報、と辞書には記されている「デマゴギー」を発する扇動政治家としての「デマゴーグ」とは実は、「デモス=民衆」と「アゴゴス=指導者」の合成語なのです。民衆の指導者が、デマゴギーの略語たる「デマ」を作り出すという訳です。
 件(くだん)のインタヴュー以外にも西部氏は同誌で、文学者の古井由吉氏との対談も行い、以下の如く現代日本の政治ならぬ政事を喝破しています。
「デマゴギーのデマがデモクラシーのデモと同じく民衆という意味なんだという事くらい、社会科学の知識人なら本当は知っていなきゃいけないのに、知ってるのは百人いたら一人か二人ですよ。デマとは何ぞやと言ったら、流通してる嘘話だと思ってる。元々は民衆という意味なんだという事を、あろう事か社会科学だ政治学だをやってる人だって殆(ほとん)ど知らない」
 その上で氏は、「言葉ってものは誰のものか。実は言葉は発生から永遠にパブリックなものの筈(はず)なんですね」と語り、「官から民」ならぬ「官から公」「民から公」の心智こそ肝要、と唱える僕と同様の見解を開陳しているのです。
 「大きな家を持っている、金持ちや権力者の言ってる事が公だってのが日本の理解だけれど、同時に漢語で言う『公(こう)』、中国から来た『公(おおやけ)』が有る。『私』の『禾』、のぎ偏は小麦で、『ム』が肘鉄なんですね。だから俺の物に近寄るなと肘鉄をしてるという事になる。『公』はそういう事は止(や)めて開こうではないかと。恐らく漢語ではそうだったんでしょうけど、漢語のみならず日本に於(お)いてだって、公と言った時には、お互い肘鉄をし合うのは止めようぜってのが有ったと思うんですよ」
 それは政治的・軍事的ヘゲモニーを偏重し、領土・資源等のハードパワーが国家力だと捉える「大日本主義」から、経済的・文化的ヘゲモニーが重要で、技術や人材等のソフトパワーこそが真の国民力だと捉える「小日本主義」を唱えた言論人にして政治家としても活躍した石橋湛山にも通じる認識です。
 東洋経済新報社の主筆、社長として植民地放棄、軍備全廃、二十一カ条要求反対等を訴え、ライオン宰相と持て囃された浜口雄幸内閣の金輸出解禁策に反対し、雇用拡大、福祉国家建設を目指して戦後に首相となるも、病気の為に僅(わず)か2カ月で退陣した石橋湛山は、イデオロギーを超えた「公」の確立を唱えたのです。
 奇しくも戦後60年、日露戦争から100年を経て、右も左も超えた日本の在るべき姿が漸(ようや)く議論され始めています。


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